3-15 ジュードー、ガン=カタ、NINJA! ⑤
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中央階段目指して走っていたマツリは、濃密な水に足を取られて転んだ。
屋上のタンクが破壊されたためだった。
下は走れないほど水浸しである。さらにどこから逆流してきたのか、水は海水である。四つん這いになった手足に、ヒトデや得体の知れない魚のヒレが触る。目の見えないマツリにそれはどれほどの恐怖だったろうか。聞こえてくる悲鳴やクイントの鳴き方から、サメが、それも相当な規模のサメが迫っていることは分かっていた。
しかも爆破までの時間も少ない。
初め、警報が鳴ったとき視聴覚室はパニックに陥った。逃げようとする生徒、オウルからの連絡を待つべきだという生徒たちの言い合いに巻きこまれて、マツリは転んだ。マツリはそのまま這って部屋の出口へ向かった。彼女はクイントを残して行こうとした。だが彼はマツリの覚悟を分かっているかのようにかたくなについてこようとした。マダコシャークがそれに気づいたがマツリは「屋上に」とだけ言って出て行った。彼女は、一人で逃げようとしたわけではない。『屋上のスーパーハッカー』を保護する必要があると思ったのだ。『ハッカー』に何かあれば、この騒ぎのなかである。『好男子名鑑』を手に入れる機会は失われるかもしれなかった。
それで中央階段目指して進み始めたのだけれど、水のため様子が変わって、脳内地図が役に立たず、なかなか進めなかった。クイントも臭いをたどれず混乱しているようだった。
どうにか階段を見つけ、這って登ろうとした。
屋上からは滝のように水が流れ落ちてきていた。
しかも屋上からの流れに押されて、ドアが破壊され、マツリはそれをもろにくらった。音を聞いてとっさにクイントをかばったのも、災いした。鉄製の扉を頭に受けて、彼女は階段を転がり落ちる。
クイントがかけよって顔を舐めた。額から血が流れていた。
「ごめんねクイント。危ないめに遭わせて……でも私、どうしても彼の助けになりたい」
言いながら彼女は這って先へ進もうとした。
「私には、クイントがいる……お父さんもいて、お母さんもたくさんのものを遺してくれた……でも彼にはそんな過去がない……私がもし、クイントや家族の記憶を奪われるとしたら、そんなこと絶対に耐えられない。初めて会ったとき、彼は泣いてた。きっと、これからも泣くと思う……でも、屋上へ行けば、ほんの少しでも彼の涙を止める手がかりがつかめるかもしれない。私にとってのクイントを、彼に見つけてあげられるかもしれない……」
水位が増し始めていることに彼女は気づいた。階段の下から数段目まで水に浸かっている。いや、水かさというよりは波が強くなっているのだ。大きな質量が水を押し分けながら近づいてくる。
太鼓を乱打するような音が聞こえる。それはサメたちのヒレの音である。
「イヤア!」
「ナンデ!」
どこかにまだ潜んでいた人々を呑みこみながら、それは近づいてくる。
集合体シャーク。
謎のサメ集合体である。
いったいどういう意思が働いているのか、それは全てのサメたちが合流して一匹の巨大ザメの形を取っていた。
謎の僧侶が感じたように、あるいはサメ学会の資料にあるように、超自然的な何かが魂のように宿ってでもいるのだろうか。
分からない。が、しかし、実は集合体シャーク内部の、核といえる中心部にひとつのビキニが、まるで胎児のように収まっていた。『リリィ・ライデン』の残したビキニである。
もちろん偶然かもしれない。集合体シャークの内部には道中で食った人間や、『豹柄』『大胸筋』といった他の亡者たちのビキニも取り込まれているのだから。
だが、集合体シャークがマツリを狙って、ここまで上がってきたように見えるのも事実である。まるでリリィの怨念が乗り移ったとでもいうように。そう考えてみれば、心なしか尻に当たる部分が普通のサメよりデカい『ブタ尻』な気がしないでもない。
無論マツリからはそんなサメの様子は見えない。
恐ろしい質量と音が迫ってくるのを感じるだけである。
マツリは屋上へ逃れようとする。
頭を打ったせいで、力が入らない。
手探りでヒトデを投擲した。「ニンッ」ヒトデ手裏剣が尻の部分に当たり、集合体シャークは一瞬「それ、いですね」とでも言うように、動きを止めたがそれだけである。むしろより元気になって、壁や天井を壊しながら迫ってくる。
クイントがマツリの袖を噛んで引っ張り上げようとする。
さすがに力が足りない。
「クイント! あなただけでも逃げて!」
クイントは決してマツリを離そうとしない。
警告が告げる。
――爆破まで、あと二十秒――
集合体シャークの影がマツリを被う。
「だれ! 誰かいるの!?」その時屋上から女の声がした。
「逃げて、もっと高いところへ」マツリはその誰かを逃がそうとした。
「その声……マツリ?」
誰、と聞き返す前に腕が伸びて誰かがマツリを引っ張り上げた。決して力のある人物ではないらしく「ああああッ」と叫びながら全身でマツリたちを引き上げてくれた。転がるようにして、屋上へ逃れた。すぐ背後で激しい音がする。
集合体シャークは屋上への出入り口のところでひしめき合っている。巨体が詰まっているのだ。
コンクリートの割れる音が聞こえる。
おそらくすぐに乗り越えてくるだろう。なにより爆破まで時間がない。
――爆破まで、あと十秒――
「大丈夫?」
「ありがとうでも――」
とにかく集合体シャークから距離を取る。そうしながらマツリは慌ただしく言った。
「――でも『屋上のハッカー』を探さないと、あの人が――」
「落ち着いて!」
謎の人物はマツリを抱きしめて言った。ヒラヒラしたビキニの感触がマツリの頬にふれた。
「大丈夫。探している理由は知らないけど、その『ハッカー』っていうのなら、私のことだから」
『ヒラヒラしたビキニの女』はそう言った。彼女の名前は『アリシア・ハイビスカス』彼女こそが探していた『屋上のスーパーハッカー』であり、トミカとも面識のある、あの『ヒラヒラビキニ』の生徒だったのだ。
△△△
――爆破まで、あと十秒……九……八……。
少しでも危険から遠ざかろうとアリシアはマツリとクイントを、部室になっているプレハブ小屋の屋根まで引っ張り上げた。
サメの怨念めいた鳴き声が響きわたる。
下の階からは、出入り口を壊して今にも集合体シャークが飛びこんできそうな様子。爆発まで時間もない。
「あのとき助けられなかった私が、少しでもマツリのために動けた。やったね……でもごめん。ここにはもう逃げ場が――」
アリシアは屋上を見渡した。屋上には逃げ場も、下へ降りていくためのはしごもなかった。
「タンクから水があふれ出して、そのせいでドアが曲がって出られなくなってたんだ。それが、やっと開いたかと思ったら、あんな化け物がいるし。なによりもう時間もないし。あんたを助けて善人になりたかったけど……」
出入り口が破壊された。集合体シャークが触手のようなヒレを伸ばして、近づいてくる。
これまで見て見ぬふりをしてきた、せめてもの罪滅ぼしにアリシアは最後までマツリの盾になろうと決めた。
その時、うつむいていたマツリが顔を上げた。額から血が流れている。しかし、その顔には希望があふれている。
「よかった! あとはここから脱出するだけだね」
「……できるの!?」
「私に考えがあります」
そう言ってマツリは何かの準備をするらしく、制服を脱ぎ始めた。慌てて濡れた制服を脱がしてやりながらアリシアの女は叫んだ。
「私、どうすればいい?」
「合図をしたら私に掴まってください、でも準備が終わるまで、少し――」
プレハブが大きくかしいだ。
いきり立った集合体シャークが体当たりしてきたのだ。さらに触手を巻き付けプレハブを砕こうとする。
――爆発まであと三秒――
集合体シャークの一部が這い上がってこようとする。まるで蜘蛛の糸にしがみつく地獄の亡者のようだ。
「もうちょっとなのに! なにか、なにか使える物は――」
適当な棒で小型ザメを叩き落としながら、アリシアは辺りを見回した。
その時、プレハブへ引き込まれている送電線が外れそうになっているのに気づく。体当たりで接続部がちぎれかけているのだ。
「これだ!」
彼女はありったけの勇気を振り絞って立ち上がると、追いすがる触手を飛び越え、サンダルの足蹴りで切れかけた送電線へとどめを刺した。切り離された電線が、火花を散らせながら踊る。
次にアリシアが放ったセリフは、後に思い出すたび彼女を羞恥心で転げ回らせるほどカッコいいものだった。
「地獄のダンスを踊りな、亡者ども」
このセリフである。
電線はサメの集合体のなかへ吸いこまれていった。
閃光がはしる。
群体を形成するサメたちが爆ぜ、吹き飛び、火花を散らして死のダンスを踊る。体内に取り込まれていたビキニたちも火葬に処される。最後の断末魔を上げながら、サメはマツリへ飛びかかろうとする。
――爆発まであと二秒、一秒――
「できた! 掴まって」
「でも、こんなものでどうやって!」
「信じて!」
――零秒。
△△△
――爆破まで零秒――
隊長たちが、四階から飛び降りる。
飛び出そうとするマイクルを新人が必死で止めている。マイクルは叫んだ。
「隊長早くこっちへ!」
「みんな伏せろーッ!」
隊長はサメトランポリンを活用した。マダコシャークを抱えてダイブする。
まさしくその背後で校舎が爆発。四散。炎上した。
爆発は音というより物理的衝撃だった。
その衝撃波は一キロ先のビキニショップの窓を割るほどだった。
その光は真昼であるにもかかわらず、遙か沖でサメに食われていたサーファーからも観測できた。
サメたちは四方へ飛び散り、燃え尽きながら街中の空を照らした。
このサメ花火が『ミバ校準備祭』の壮大なフィナーレとなった。
「……みんな無事か!」
隊長は起き上がりながら叫んだ。爆薬を仕込んだ設計士が優秀だったのだろう。爆圧は上方向へ抜けるよう計算されていた。従って校舎を離れた生徒たちは全員無事だった。
マダコシャークも親指を立ててみせる。
マイクルも一トンほどの瓦礫を顔にくらったものの、受け身をとったので無傷だった。新人もアフロヘアーになっただけだ。
校舎は瓦礫と化している。ミートバーグ市立おサメ高等学校校舎はもうないのだ。
「へへへ……やっちゃったぁ~」
「あああ~」
ジャスジャスとマックスがへたりこむ。悲観にくれる人々の後ろで、ジミー・パーンはウォッカを楽しんでいた。
「夜ならもっと綺麗だったんだろうが、そこが残念だったな。ところでマックス。あのなかにシャイニングの娘はいるかな。いれば良いのだが」
「おやじぃ~」マックスは呆然と父親を見た。
隊長と救助された生徒たちが校門前へ集まってきた。ゴッサムやライスの姿もある。
「隊長ご無事で!」
「ああ、お前の和太鼓式イングリッシュのおかげだ。だが、全ては救えなかった……」オウルは瓦礫と化した校舎を振り返った。
「マツリさん……」
マダコシャークが涙を流す。その時である。
生徒の一人が上を指さして叫んだ。
「あれはなんだ!?」
空が晴れていた。雲の裂け目から日が射して、サメ模様の空に虹が架かっていた。
声と眩さにつられて皆が空を仰ぐ。
その虹の上を何かが飛んでいる。
「なんだ!」
「サメか!?」
「天使様か!?」
いいや違う。マツリである。
脱いだ制服をパラシュート代わりにして滑空する、マツリ・バッファリンである。
腰にヒラヒラしたビキニの女生徒がぶら下がっている。
誰かが叫んだ。
「ニンジャ!」
ジャパニーズビキニ、フンドシ。足には足袋とワラジばき。爆風を追い風にして、ムササビのように宙を舞う姿はまさしくニンジャ。
「もう一つ影があるぞ!」
「サメか!?」
「アキタ・ドッグだ!」
クイントである。こんなこともあろうかと、ハーネスに仕込んでおいたグライダー機能だ。ボタンを押すと、羽根が飛び出す仕掛けになっていたのだ。
アキタ・ドッグは飛べる。さすが訓練された盲導犬。空を飛んでも冷静さを失わない。顔は凜々しく、ジャンプの形に曲げた脚の角度も美しい。そしてかわいい。
「生きてたぁ」
マックすはフンドシへ目を懲らしながら叫んだ。その彼のところに黒焦げになった子ザメが飛来した。すでに事切れたサメは、マックスにぶつかると、生前の反射運動で彼の股間に噛みついた。
「チンポ!」と言う声が青空に響いた。
ジミー・パーンは息子たちに背を向けた。小便と涙まみれのジャスジャスに「私はここにいなかった。いいね?」そう言い置いてから、リムジンに乗りこんだ。
「シャイニングの娘がこれくらいでくたばりはせんか……」
そう呟いたきり、彼はもう学校のあった方角を振り返りもしなかった。
S.H.B.Bはうんざりした顔をしている。これから様々な後始末、つまり報告やもみ消し作業が待っている。
「隊長あれは、どう報告書に書きましょう」マイクルが空を指さした。
「……ニンジャとしか言いようがあるまい」
「わかった。これ夢だ」新人が白目をむいて倒れた。
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マツリたちは空を飛んでいた。街は下の方に平べったく広がって、ずっと遠くは海。水平線が斜めになってきらめいている。
吹き飛ばされたサメたちが、横をかすめ飛んでいく。マツリ・フラッグは木の葉のようにロールしてすべてを躱し、そのたびアリシアに歓声を上げさせた。二人は訳もなくおかしくなって笑った。
「すごい、ニンジャみたい!」
「ニンジャじゃないよ!」そう言ってマツリは、追ってくる飛行ザメをヒトデで撃ち落とした。
「ニンジャ!」
アリシアの声が風に流れ去っていく。
「ところで、なんで私を探してたの?」
「あ、それは――」
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『ミバ校準備祭』が終わった。サメと爆発による行方不明者は計り知れない。
ただ校舎の外にいた生徒たちの多くは助かった。怪我人は避難していて、爆発から免れていた。その中にはトミカもいた。マダコシャークからマツリの無事を聞かされたが、彼は、言葉少なに頷いただけだった。彼は小さな声で謎の言葉を呟いていた。「負けた。このままじゃヤツを倒せない」
トミカを運んだのは謎の僧侶である。彼女は一緒に抱えていた、サメマスクの『着ぶくれ』を連れて、体育館を去ったという。
ハンサムは駐車場で目覚めた。
すぐ視界に入ったのはイグアナである。カゴの中でつがいのイグアナが交尾している。
「えぇ……」
と上げた声がおかしい、なんだか口の端から空気でも漏れているような声だった。手で擦っているといびつな感じがした。いつの間にか、サメマスクがなくなっている。
「なんだ? ここは駐車場――」
すぐ側に大きなバイクが止まっている。その磨き上げられたマフラーに化け物が映りこんでいた。口が耳まで裂け、鋭い牙が並んでいる。角度的にいって、それは自分の顔以外ではありえない。
「うわぁ! うわあああ! なんだあ!?」
叫びながら飛び起きた。バイクのミラーに飛びつくと、鏡にはさっき見たとおりの顔が写り込んでいた。サメ人間の顔である。
「どういうことだ……俺に何が起こっているんだ……」
よろけたところで、後ろにいた誰かにぶつかった。振り返ると僧衣の美女が立っていた。彼女は地面のカゴを持ち上げて、それを振った。イグアナは交尾をやめたようだった。
「あんたは……」
とっさにハンサムは顔を隠そうとした。手で探るといびつな感じはなくなっていた。
僧侶はハンサムの様子を観察しながら、不可解なことを言った。
「なるほどな。自覚はナシか。まさか、あの研究が完成していたとはな」
「研究……なんの話をしているんだ。それより今、俺に」
「もう顔は戻っているよ。イグアナが交尾をやめたからな」
「わからない、何の話だ?」
女はハンサムの言葉を無視して続ける。
「しかし校内ですれ違ったときから、まさかと思っていたが本当にキミだったとはな。ヤツはキミを被検体にしたというわけか」
「なんて言った……いや。それより俺を……! 俺を知っているのか」
思わずハンサムは僧侶につかみかかろうとした。僧侶はスゴイ力で腕相撲に持ちこむと、ハンサムの眉間に頭突きをうちこんだ。
「痛い! えぇ……」
「落ち着け。そしてついてこい。自分が何者なのかを知りたければな」 僧侶はバイクに跨がった。
「知っている……この人は俺を知っている。誰なんだ。彼女は、俺は何者なんだ。
ためらいながらもハンサムはバイクの後ろへ乗りこんで、ミートバーグ高校を離れた。
道路ので上でビキニが燃えていた。
こうして、多くの人物の運命を変えた『ミバ校準備祭』が終わった。
いったいサメたちはなぜ校舎を襲ったのか。あの集合体に宿っていたかに見えた意思はなんなのか。魂は存在するのか。サメと魂の関係は。サメ学の進んだ現代でも、その問いに答えられる者は存在しない。おそらく神――スティーブン・スピルバーグでさえも。
△△△
マツリは、パパイヤ茶を取り落とした。彼女の顔は真っ青である。
「だいじょうぶ?」
「ごめんなさい。もう一度だけ」
「いい。もう一度読み上げるね。でも落ち着いて、マツリ。このデータは好男子名鑑編集部の十老長のデータにハックしたものだから、間違いではありえないし、これ以上の詳細なデータは存在しない。好男子データにあるのはこれだけ。落ち着いてね――」
学校から離れたところにマツリたちは不時着していた。アリシアはネットカフェへ入ると、そこでデータベースにハックして情報を探し出してくれた。
そうして彼女は改めてマツリに警告してから『彼』のデータを読み上げる。
画面には紛うことなきハンサムの顔が映し出されている。プロフィールにはこうあった。
【氏名_不明】
【好男子力_SSS級】
【出身地_不明。ミートバーグへは観光で滞在とのこと】
【後日追記_接触不可。シャークアタックによりすでに死亡】




