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ハンサム☆シャーク!  作者: 羊蔵
第一章 ハンサム、大地に立つ
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1-1 ハンサム、大地に立つ


 フカい眠りからめた。

 コントラバスに似た水のうねり。耳をくすぐる気泡きほうの渦。膝が海底の岩にふれた。

 彼は海中から立ち上がる。

 強烈な日射しに彼は目を細める。

 波に足をとられながら、彼は陸へ上がっていった。

 彼は周囲を見渡した。なめらかな肌を海風が撫でていった。

 そこは岩の多い岸辺だった。

 あちこちに看板が立っているのだが、その内容が奇妙だった。



『サメに注意!』

『ビキニの乱れは治安の乱れ』

『ここでセックスするべからず。サメが来るぞ!』

『生き餌と書いてカップルと読む』

『ハァイ情事』

『サメはバレンタインを許さない』



 何のことだか分からない。

 彼の視線が動いた。

 磯辺には無数の岩場があったが、そのひとつの影から男女のうわずった声が聞こえてくる。


「イエス! イエス! 深いッ深いッ」

「ジョーズだろッ?! おいジョーズだろッ?! スゥウウウウ!」


 彼が鼻をヒクヒクさせた。美しい流線を描く、繊細なかたちをした鼻だった。

 吸い寄せられるように、彼は声の方へと向かった。

 岩の影から、花柄をしたビニールシートがのぞいている。

 彼の足下へ、何かが飛んで来る。

 女性用ビキニの上の部分だった。

 彼は岩の側面へ回りこんでいく。

 女と、覆い被さる男の背中が見えた。

 先ほどからしていた、オットセイめいた物音が大きくなる。

 ビニールシートの上で男女は身体を打ち付け合っていた。


「ハンッハンッハンッ! オウッ! あ~スゥーあ~スゥウウウウーハンッハンッハンッ」

「ジョーズッ! すっごいジョーズッ! 来てッ来てッ!」


 謎の行為である。一体何を叫んでいるのだろうか。オットセイの真似だろうか。

 いったい何をそんなにまで没頭しているのか。なぜハンハン言っているのか。なぜ、あんなにもつま先がピンとなっているのか。

 彼がどう思ったのかは分からない。彼はひょいと岩陰から体を出した。

 仰向けの女が先に気づいた。

 オットセイの真似をしていた男も、肩越しに振り返った。

 その目が驚愕きょうがくに見開かれる。

 彼を見てしまったのだ。


「ハ、ハンハン――」


 二人は痙攣けいれんしだした。

 彼らが見たものを克明に描写することは難しい。

 目のめるほどの輝きを称えた巻き毛。

 比例ヒレいないほど繊細なあごのライン。

 フカい色の宝石めいた瞳。

 どれほど上手ジョーズな彫刻家であろうと、再現不可能な肉体美。

 しかもである。偶然だが、岩陰から覗きこむ姿勢が、腰のひねりといい、首の角度といい見事にセクシーなポーズをつくっていた。

 水しぶきが輝いて股間の陽物を隠した、そのチラリズム。そのポリティカル・コレクトネス。まさに完璧。セーフである。

 波が砕け、ドーン。あるいはバァーンと鳴った。

 メギャンッ! というのはカップルたちの心臓が高鳴る音。

 真に美しいものを目の当たりにしたとき、人の体からは擬音が鳴る。

 それは興奮が絶頂に達したしるしでもあった。


「ハンッハンッハンッ――!」

「ハンサムッ」


 ハンサム。

 それが二人の最後の言葉。

 そのとき異様なことが起こった。


 美貌の若者の脇腹に、ぱっくりと切れ目が入った。

 それが開いていく。

 肉の裂けめから真っ白い肋骨がのぞいた。

 それどころか鳥かごのような胸の骨が、二つに割れた。食虫植物のように口を開けたのである。

 肋骨はぞろりとならんだ牙である。

 明らかにアゴのかたちをしている。

 しかも肉を押しのけて前方へ張りだしていく。

 人体が二つに開いて巨大なアギトになったのだ。

 そのシルエットはまさにシャーク

 大顎がいかづちの速度で閉じた。

 ひと咬みである。

 ひと咬みで、カップルの姿が消えていた。

 血の霧だけが一瞬、舞った。

 牙のぶつかり合いよって火花が、赤い霧のなかをまたたいて、消えた。

 この間、わずかコンマ二秒の出来事である。

 二人は自分が喰われたことにも気づかなかったろう。

 その場に残ったのは、美しい姿に戻った若者ただ一人である。

 彼の胸の裂け目はぴったりと閉じて、肌には毛ほどの傷も残っていない。

 二人もの人間を喰らって彼はどう思うのか?

 彼はわずかに歩みを進め、カップルの居たところを通り過ぎると、しゃがんで地面から何かを拾い上げた。手の中でうごめくそれは大きな甲殻類こうかくるいだった。


「やっぱりカニくんだ。こんなデカイのが磯辺にいるなんて凄いな。おっと、だいじょうぶだよ、いま離すから。大切な命を傷つけたりしない。ところで君は何ガニくんなのかなあ?」


 ひとしきりカニくんを愛でると、彼は思い出したようにビニールシートの方を振り返った。


「ンッ! あれ? ここに二人確かにいたよな? 何をしてたのか分からないけど。どこ行った? 立ち去ったのか? 俺、カニくんに気を取られて何か失礼なことしちゃったのかな?」


 どうやら、彼は自分のしたことに気づいていない様子だった。彼は頭を掻くと、いったんカニくんの観察に戻り、やっぱり気になったようで辺りを見渡した。


「ここ……どこなんだろう? それに――あれ? そもそも俺は一体誰なんだ?」



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