3-10 クリオネ倶楽部は捧げもの(下)
△△△
ハンサムはSHARK神音頭を気に入ったようだ。トミカにはその気が知れない。
「面白いな盆踊りって! フゥ! 『パクパクパクえら呼吸!』『パクパクパク肉を喰う!』フゥ!」
「よくノれるなこんな騒ぎに。なんかちょっとトバしすぎじゃねえかこいつら」
亡者たちの行動はお祭り騒ぎの度を超え始めていた。
めちゃくちゃにわめきながらジャンプし続ける者もいれば、サイレンのような声を上るだけの者。
疲れ切った者はそれでも、音楽に逆らえず、うつろな目をしたままカクカクしていた。
幼児退行したように泣いている者。
自分の腕に噛みつくサメマスクもいた。
盆踊りという体裁が崩れ始めていた。
それは太鼓のテンポが上がったせいだった。
体に小さなサメを噛みつかせた途端、演奏が激化した。
太鼓のリズムは呼吸の隙間もない。和太鼓たちのシャウトも、シャーマニズムめいた狂気を帯び始める。
音の振動で空気が発火するかのようだ。
「もうガマンできねえ! くれッくれッ!」
サメ亡者たちの一派が尻をまくって和太鼓になる。さすがミートバーグの原住民。足もぴんと伸ばした本式の和太鼓ぶりだ。
さっそく奏者達が尻に飛びかかって 右、左、右、じょじょに加速してトランス状態に到達した。
歌い手たちも子を失った不如帰のように歌い上げた。
どうしても、ちゃんとできない (不覚、不覚)
真面目な、物語 綴ったら死ぬの?
ちゃんとジョーズに、できないの?
それが、
ババ・バ
ババ・ババ・バーグ! (シャーク・アイ)
シャシャ・シャ
シャシャ・シャシャ・シャーク! (スマイル・ユー)
ババ・バ
ババ・ババ・バーグ! (シャーク・アイ)
シャシャ・シャ
シャシャ・シャシャ・シャーク! (スマイル・ユー)
抱えた腕の中でクイントが吠え始めた。
「おい、出た方が良いんじゃねえか」
トミカがそう提案するも、騒ぎが派手すぎて身動きが取れない。
マツリを見ると、彼女の顔からは先ほどまでの高揚が失われていた。悲しげに目を伏せて、彼女は「お客さんが可哀想」と呟いた。
△△△
亡者たちのキリキリ舞いを眺めながら、リリィも声を上げていた。顔つきが変わってしまっている。
髪が乱れ、目は血走り、唇からは血が流れていた。
「そうだよ~もっと、もっともっとテンポを上げていくからね~みんなドロドロに腐って破裂しようねぇ~」
自分の演奏で人間が踊っている、狂っている。こんなことマツリにだってできないはずだ。
「どうマツリ? 人間のスープができちゃうよぉ~これがSHARK神祭でしょう?」
だがリリィが目にしたのは、瞳を伏せるマツリの顔だった。もはや肩すら揺らさない。マツリだけ違う世界にいるようだ。マツリの唇の動きはこう言っていた。
「かわいそう」
可哀想。
「――マツリ・バッファリン!」
大音声の中でリリィは絶叫した。その声すらマツリには届かない。
「どけぇ!」
リリィは奏者をしていた重役を大外刈りで引き倒すと、起き上がる隙も与えず、尻を打った。
熟練の和太鼓奏者の一撃を受ければ素人など訓練された犬に等しい。衝撃で男の尻は跳ね返り、足がピンと伸びた。痛みで両手を踏ん張り、できあがったのは和太鼓のフォーム。スタンダードな和太鼓のフォーム。男が顔を上げると、その表情にはすでに和太鼓の自覚が備わっていた。男の上げた声は豚に似ていた。
『牛柄』『豹柄』『豚』リリィの前に鮫の効いた三つの和太鼓がそろった。
「歯!」
リリィは人外の速度でバチを振るった。彼女は三台の和太鼓を同時に打ち始めたのである。これぞ三位一体。力強く、息もつかせぬ連弾と、三つの和太鼓の上げる声の唸りは、まるでドロドロと轟く海鳴りのようだ。迷いこんだ者を食い尽くす飢えたサメの海だ。
「どうだ! どうだ! 私のほうが上! 私の毒のほうが強い!」
リリィはもはや懇願するようにマツリを見た。
マツリは目を閉じている。
△△△
トミカはなんとかマツリを避難させようとしていた。辺りは混沌と化している。
太鼓のリズムが限界を超えて加速した。
その速度とパワーについて行けない歌い手たちが白目をむいた。
踊り手たちがコントロールを失って宙に舞う。
バチの折れる音が至るところで響き、奏者たちは拳で尻を殴り始める。
たしかに、世界各地、どの国の祭りでも死者は毎年出ている。しかし、それにしても常軌を逸していた。
亡者たちはボロボロになっても、音曲に引きずられ体を動かし続けるのだ。
「おいおい、なんかヤベエぜ、こいつら、おいハンサム。マツリを離すなよ!」
「分かってる! でもこれじゃあ……」
マツリはじっと目を閉じていたが、この事態へ至って初めて、謎の奏者へ向かいはっきり意思表示した。首を横に振ったのである。その静かな声は、それがあまりに場違いなためか、天の声のようにはっきり通った。
「お尻を、そんなふうに叩いてはいけません」
正論。圧倒的正論である。
△△△
リリィは笑った。あるいは泣いた。
「あッはぁ!」
毛細血管が切れ、鬼灯のようになった目で彼女はマツリを見つめた。
初めてリリィの前に現れたときと同じだ。
その頬は清らか。唇は潔白。その言葉は真理。昔と変わらない神々しさがそこにあった。
何も汚い事はしていないという顔。そして実際そうなのだった。
誰のことも穢していないという顔。そして実際そうなのだった。
蔑まれてもマツリは復讐したりしない。
脅されてもマツリは土下座なんかしない。
誰からも奪わず、だから穢れることがない。
『豚尻リリィ』とは違う。
ずるい、とリリィは叫んだ。
貝殻の中にいて、自分だけ綺麗なままでいつづける。ずるい。
「ずるい。ずるいずるいずるいきれい」
だからクリオネ倶楽部に捧げてやろうと思ったのだ。
もっとも綺麗なものを、もっとも醜い者に堕としてやろう。
それが最上の捧げものだ。
まず汚れた仕事を経験させ、自尊心を奪う。家を破滅させて居場所を奪い、希望をなくしたところで、鮫漬けにしてやる。
尻を叩かれて喜んでいるコイツら。それと同じ、いや、もっと下等な生物に堕落させてやる。
そしてリリィにとってもっとも醜い生物とは『豚尻リリィ』のことなのだった。
マツリが自分と同じところに落ちてくるのを想像すると目も眩むような快楽を感じた。
リリィは全ての試験管を握りつぶすと、ドラッグシャークを3人の太鼓たちへ噛みつかせた。
3人が一斉に白目をむく。
毒による身体反射か、足が異様なほどピンと伸びて、尻が収集した。表情筋が反り上がって、トロンボーンのような顔になる。美しい悲鳴が上がる。
この過剰鮫は致命的。全員少なくとも廃人は免れないだろう。
これでリリィは友達もパトロンも失った。その捧げものの代償として、最上の和太鼓を得た。
でも足りない。
さらに彼女はドラッグシャークのなかから最後1匹だけを残して、それ以外のすべてを噛み潰した。致死量近い鮫が体内へ、脳へ流れこむ。人格が弾けて拡散するのを確信しながらリリィは最後の演奏を始めた。
「一緒に地獄に落ちようよぉおおお!」
人外のバチ捌きが、地獄の1小節を奏でる。
亡者たちは致死量のヘッドバンギング。
歌い手たちの喉から血の花火が打ち上がる。
和太鼓たちの尻からは、真っ赤な虹。
奏者の叫び。
痙攣ダンス。
血を浴びたサメ亡者たちが、抱き合い、転がり、お互いの喉に食らいつく。
サメマスクの奥で、制服の内側で、ハンサムの肉体が変形を始める。
ウォオオン!
シロ・フラッシュ。通称『豹柄』
デマスネ・クオレハ。通称『牛女 (おっさん)』
ドォーバァー・フー。通称『豚』
三台の和太鼓たちが同時に絶頂の声を上げた。
そのときである。爆発のような振動と誰かの鋭い悲鳴がほとばしった。
「サメだー!」
△△△
爆発とともにサメだ、と言う声が響いたが、どれもリリィの耳には届かなかった。
リリィの視界は真っ赤だった。マツリだけが白い花のように浮かんで見える。
マツリは最後まで『豚尻リリィ』に気づかなかった。
それがきっとマツリのためなのだろうとリリィは思う。『豚尻リリィ』は汚辱そのものなのだから。望んでそうなったのだから。『豚尻リリィ』という穢れに気づかないまま生きていくべきなのだろう。
そんなことは許さない。
リリィは最後のドラッグシャークを手に、マツリへ飛びかかった。
この毒を流しこんだら、『豚尻リリィ』のほんとの話を教えてあげよう。
全身全霊の毒を注ぎこんで腐らせてやろう。『豚尻リリィ』はマツリのために造られた毒なのだから。
「捧げものだよ、マツリ、これがリリ――」
伸ばした手がマツリのへ触れる直前で、リリィの肉体は消滅した。
巨大なサメの顎が三台の太鼓もろとも、暴風のように彼女を攫っていったのだ。
彼女らの最後は誰も見ていなかった。
△△△
「いま――」
誰かに呼ばれたような気がして、マツリは目を開けた。無論何も見えないし、誰も呼びかけては来なかった。音楽はやんでいた。
代わりにあちこちから慌ただしい足音と悲鳴が上がっていた。
「何があったの?」
「分からない」
とハンサムが言い、トミカがこう説明した。
「どうやら向こうの方でサメが出たらしい。さっきの爆発が関係あるのかもしれねえ」
演奏の終わり間際にどこかから爆発音がしたのだという。そして「サメだ」という悲鳴が聞こえた。それに驚いて、みな避難を始めているのだという。
誰も知らないことだが、爆発はリリィたちが喰われるより一瞬早かった。皆が爆発に気を取られたので誰もリリィたちの最後と、ハンサムの腹が大顎に変形するところは見ていなかったのである。
つまり校内には彼以外のサメがいる。
そして結論からいうと、爆発は『シコッティ』のせい。
△△△
話はSHARK神音頭が始まる前にまでさかのぼる。
謎の僧侶に陰嚢を握りつぶされた『シコッティ』は、泣きながら転がり回ったあげく、マダコの臭いのする教室へ逃げこんだ。ハンサムたちの去った直後のことである。
「痛ぇよぉ……クソッあの女、俺は何もしてないのによォ~鮫なんてやったこともないのによォ~。やったっけ? いや、やってねえェエエ……やったとしても俺のせいじゃねェエエ~」
這いずり回ったところで、ロッカーにたどり着いた。傷薬かせめて包帯でもないかとあさって、代わりにビキニを見つけた。すでに喰われた『大胸筋』の残したビキニである。ビキニの下にハンバーグくらいの肉片も見つけた。食い残された『大胸筋』の大胸筋である。
「……ダク?」
『シコッティ』はすぐに察した。
彼が、この教室に入っていくのはチラリと見ていたし、ビキニは彼が身につけていたものだ。それに、ダクと彼とは幼なじみだった。『大胸筋』の大胸筋を見間違うはずがない。
『シコッティ』といえどもミートバーグの住人。彼は『大胸筋』つまりダク・ドッパーがサメに喰われたのだと即座に察した。地上でサメに襲われることは稀によくある。
「ダク……う……うぅ~……」
『シコッティ』の脳裏にダクとの思い出がよみがえった。
女子の前で良い格好をしようと、筋肉を殴らせてくるダク。
そのあと「強く殴りすぎだ」と言って慰謝料を請求してきたダク。
「お前、女の裸なんか生で見たことねえだろ」と性行為を見学させてくれたダク。
『シコッティ』という渾名をつけてくれたのも彼だった。
『シコッティ! 女子更衣室覗き行こうぜ!』
『シコッティです! 『シコッティ』がやりました!』
『シコッティ! 最近背が伸びたんじゃねえか?』
『シコッティ!』
『シコッティ――』
そんな『大胸筋』は死んでしまった。
『シコッティ』は何を思ったのか、教室を飛び出すと、ダクのビキニと肉片を抱えてトイレへ駆けこんだ。途中、教室からSHARK神音頭とともに「シコ、シコ」と呼ぶ声がしたような気がしたけれど、彼はそれどころではない。
トイレへ入ると彼はビキニで包んだ肉片を抱えて、肩を震わせた。嗚咽のような声が続いたが、それがはっきりとした笑い声に変わった。彼は大胸筋を便所の床へたたきつけた。
「てめえ大胸筋コラッ! いつも調子コキやがってよぉ! 死んでんじゃねーかッ! お前、喰われてんじゃねーかッ! テメエの大胸筋ぜんぜん役に立ってねーじゃねぇか、カスッ! 俺は『シコッティ』じゃねえッ! 俺は『シコッティ』じゃねえッ! シコッたことねえ! 謝れよッ! 謝れッ! 謝れッ! なんならテメエの死体でシコッてやるぜ!」
『シコッティ』は肉片を蹴りつけ、踏みにじった。
圧倒的優越感。これまでの鬱憤がすべて快楽に変わったかのようだった。歓喜のあまり小便を漏らしそうになったそのとき、彼は個室の中から変な声がするのに気づいた。
「ほぉおおお~」
という、ブルース・リーのような、あるいは尺八を吹くような声である。
個室のドアが、ぎぃ、と開いてズボンを足首まで下ろした中年男性がよちよち出てきた。後ろには怯えた顔の女子生徒がいる。重役たちのうちのひとりと、クリオネ倶楽部の少女だった。
「ほぉおおお~」
重役の男は、涙を流しながら切なげに首を振っては、同じような声を上げ続けている。見ると、その股間にイグアナほどの大きさのサメが食らいついているのだ。
『シコッティ』の周囲の便器から下水の逆流するような音がしだした。女生徒が顔を引きつらせ逃げていく。
「サ、サメェ――」
彼女が言い切るより先に、便器から無数のサメが飛び出してきた。重役の男はこいつらにやられたのだ。
まさかSHARK神音頭に呼ばれてやって来たとでもいうのだろうか。サメの群れが下水をさかのぼって、あふれ出てきた。
「まだ俺がシコッてないでしょうが!」
あまりの出来事に混乱したのだろう。『シコッティ』は訳の分からないことを叫びながら、ミートバーグの建造物ではどこにでも設置してある『緊急用爆破ボタン』を押した。
ご存じの通り、サメは爆発に弱い。それゆえミートバーグの建物には最終手段として、区画ごとに自爆ボタンが設置してある。
しかし、それは避難する直前に、制限時間を設定して起動させるものだった。だが冷静さを失った『シコッティ』は、このボタンを連打した。結果、自爆装置は即座に爆発し、トイレの内部は粉々になり、『シコッティ』も巻き添えの重役も爆死した。
「サメだー!」
という声は一足先に避難していた女生徒の上げた声だった。
同じような悲鳴は学校のあちこちから上がった。あらゆる水場からサメが逆流しだしたのだ。




