1-11 鮫狩り2─ビキニとフェロモン、時々、オカン─
「アフロ野郎」の姿が掻き消える。
極彩色の煙の向こうで「三人目」が立ちあがる。
彼が喰ったのだ。「三人目」こそが、オウルたちの追うサメ人間だったのだ。
街中で市民が喰われてしまった。街を守るS.H.B.Bとして、もはや後には引けない状況になっていた。
奇妙なことだが、この血なまぐさい場面で、蝶が集まりはじめていた。
「そこだハンサムゥウウウ!」
「サメがァアアアアッ!」
S.H.B.Bの放つ銃弾がハンサムへ殺到する。
距離は十メートル足らずだが、視界が悪い。当たりにくい頭部ではなく胴を狙った。
煙の向こうでハンサムの影がたたらを踏む。
肩に一発。胃一発。三発目が肺に命中していた。
「まだだ!」
さらに脚を撃ち抜いた。
ターゲットが膝をつく。
「良しッ足を奪ったッ! いったん射撃中止! 奥にまだ市民が居ないとも限らない」
流れ弾の危険を配慮して、隊長は射撃を中断させた。
「やったか!?」とマイクル。
オウルが素早く指示を飛ばす。
「ライス、ゴッサム。二人、いや新人と三人で民間人を退避させろッ! なぜか人が集まり始めている」
避難したはずの市民が戻ってきていた。一見、野次馬根性で集まってきたという格好だった。次いでオウルは、ターゲットについての指示を送ろうとするが、最初の指示に対する隊員たちからの返事がない。
「返事はどうした! ライス!」
「――隊長……」
返ってきたのは戸惑いの声だった。
「……どうした? 何ッ」
振り返ると、大勢の住民たちがさらに接近してきていた。それも皆がゾンビのように虚ろな目をしているのだ。
「隊長! ヤツら制止を聞きません。おいッ……ここは危険だ、下がれ! 下がれったらッ」
「何事だこれは……」
叱っても、威嚇射撃しても、まるで聞こえていないかのようにゆらゆら近づいてくる。
「なんすかこいつら!」
「シャークドラッグでもやってるのか?」
「とにかく力尽くにでも下がらせろ、ライス! ゴッサ――ゴッサム?」
加えてゴッサムの様子までおかしくなった。
急にふらふらし始め、呼びかけにも応答がない。
口からよだれが垂れている。目は恍惚の涙を流しているように見えた。
しかも彼はハンサムのいる方へ引き寄せられるように歩き始める。
「ゴッサム!」
オウル隊長の往復ビンタが炸裂した。
「ゴッサム!」
ライスの往復ビンタも炸裂した。
「ゴッサム!」
この流れに乗ってマイクルの往復ビンタも炸裂した。
それでようやくゴッサムの前進が止まった。
彼は一瞬驚いた顔になったが、正気に戻って「何発殴った?」と訊いた。
「一発だ」とマイクルたちは嘘をついた。「合計一発」
「ああ……」
「目が覚めたか」
「ええ……はい。ビンタありがとうございます」
「何があった」
「一〇秒――いいえ五秒ちょうだい」
そう言うゴッサムの声にははっきりとした意思が戻っていた。
彼は化け猫のように長い舌を出して空気を舐めはじめた。さらに目をくるくるさせたり、クンクン臭いを探ったりする。
「ゴッサム先輩!」
新人がビンタの構えを取る。またおかしくなったと思ったのだ。
その新人へ、反対にマイクルの往復ビンタが炸裂した。
「邪魔をするな。これはゴッサムの「『反芻式鑑識捜査』!」
「『反芻式鑑識捜査』!」
頰を押さえた新人が繰り返す。
反芻式鑑識捜査である。ビジュアル的に問題があるのでS.H.B.Bカードでは記述されていないが、ゴッサムの得意分野は鑑識捜査である。彼特有の鋭い感覚と、知識を総動員して事件の痕跡を見つけ出すのだ。
やがてゴッサムの顔が正常に戻った。
「これは……ハンサムフェロモン!」
「ハンサムフェロモン?!」
ハンサムフェロモンである。
「ハンサムフェロモンとは一体?!」
「美形だけが分泌する特有の汁よッ。でもこんな濃度は私も初めてッ! ビンタして! 気絶しそう!」
「ゴッサム!」
「ビンタありがとうございます!」
「詳しく説明してくれゴッサム」
彼の説明はこうだった。
まずフェロモンとは何か。
生物が体内で生成する化学物質の一つである。
この微量の分泌物は、昆虫からほ乳類まであらゆる生物の行動を支配する。
このフェロモンが、種類によっては生殖行為を促すこともあれば、群れの上下関係や習性まで支配する。
例えば蟻の社会などはフェロモンに従って動いている。フェロモンに従って行進し、巣を作り、兵隊になりさえするのだ。
ではハンサムフェロモンとは何か?
ハンサムの出すフェロモンの一種である。
その名の通り、俗にハンサム、イケメン、美人、などと呼ばれる人間だけが分泌する。
ハンサムフェロモンの種類は多種にわたる。
高位のなハンサムは、無意識のうちに状況に応じたフェロモンを使う。
「今回の場合では、流血系ハンサムフェロモンだと思われます」
「流血系ハンサムフェロモン!」
流血系ハンサムフェロモン。
狭義においては「少年ジャンプ」「ブリー血」「流川」「桑原意外」などとも呼ばれる。
バトルタイプのハンサムが良く発するフェロモンだという。
歴史上、このフェロモンが人類を熱狂させた例は枚挙にいとまがない。
例えばコロシアム。
古来より戦いは最大の娯楽だった。
美丈夫たちが血にまみれて戦う姿に、人は熱狂するのである。
「サメ人間から多量の『ブリー血』もとい流血系ハンサムフェロモンが分泌されているの。人々はそのフェロモンに惹かれて虫のように集まってくるってわけ」
「なるほど。もっともな説明だ。生命の危機に、本能がフェロモンの爆発を起こさせたといったところか。『アフロ野郎』はフェロモンに引き寄せられてヤツに喰われたのだな」
「ご名答」
ゴッサムは説明をそう締めくくった。
マイクルが言う。
「つまりヤツの人間部分の体質というわけか」
「そう。サメ人間でなくてもハンサムなら大抵持ってる力」
「しかし、サメ人間が持っていい力ではない。ハンサムフェロモンに惹かれた人間たちは自分からエサになりに行くようなものだ」
「とにかく全員で市民を押し返せッ! 俺がハンサムにトドメを刺す!」
オウルが銃を構えた。
そのとき風か、市民たちの熱気のせいか、あるいは無数に集まってきた蝶の羽ばたきのためか、煙が横に流れてハンサムの姿が露わになった。
立ち上がりかけている。餌を得て復活しつつあるのだ。
その肩を押さえて立った姿。
爆発のせいで服は破れ、マスクは吹き飛び、タコの墨も焼け剥がれて素顔が覗いていた。
血が良い具合に流れた、その姿はまさにバトル漫画の主人公。
「くうっハンサム!」
「くそう!」
隊長とマイクルの膝が落ちた。銃身がぶれて弾はハンサムをそれた。
「隊長!」
「マイクル先輩!」
二人が喰われる、と誰もが覚悟した。ハンサムを見た市民たちにも被害が出るだろう。
だが無事だった。誰一人喰われていない。
ハンサムはサメ化をおこさなかったのだ。
「クフゥ……無事だと? なぜだ」
状況を確認してマイクルが先に気づいた。彼らはハンサムと五から一〇メートルの距離をあけて対峙している。市民たちはもっと後ろだ。
「――そうか。距離です隊長。距離があるからだ。ビッチ器官の索敵範囲はそう広くありません! 一〇メートル未満――ライス!」
「了解です。市民たちを押し返します」
「手伝うわッ! 市民ッ!」
ライスとゴッサムのビンタが市民たちに炸裂する。距離を開けていればハンサムに背を向けても怖くはない。
この状況に力を得て、隊長とマイクルが膝を震わせ立ち上がった。
「良しッ! サメ人間のネタが割れたぞ! 射程外からケリをつけるッ」
「おふぅ……みんなハンサムに惑わされるなよ! 下っ腹に力を入れてお母さんのことを考えるんだ!」
ふたつの銃口がハンサムを狙う。
今や煙も晴れ、射線を遮る市民もいない。
「撃てぇえええ!」
「ブッ殺してやる!」
そのときである。S.H.B.Bはハンサムの脅威を再確認することになる。
射線上に影がさした。
中年女性である。『少年ジャンプ』の黄金期を支えたであろう年代の中年女性たちが、空から降ってくる。
側にある建物の二階からジャンプしてきたのだ。
無論、ハンサムフェロモンの作用である。流血系ハンサムフェロモンがジャンプ読者に効かないわけがない。
恐るべき流血系ハンサムフェロモンの力。おそるべき『少年ジャンプ』の発行部数。
「なにッ!」
「どけぇッ!」
着地の衝撃で、女性たちは足首を捻挫した。
だが痛みの麻痺した読者たちはハンサムめがけて突進していく。
まるで肉の壁である。
射線に入った彼女らが邪魔でハンサムを狙撃できない。
このままでは彼女たちは喰われるだろう。
これだけの餌を得たならサメ人間は完全に回復してしまうに違いない。サメとはそういうものだ。
餌を与えることは絶対に避けたい。
「隊長、彼女らごと撃つ許可を!」
「ダメだ! なんとかするのだ」
「無理だ間に合わないッ」
「絶対にハンサムへ近づけさせるなーッ!」
「いいえ隊長限界です、撃ちますッ!」
「邪魔だーッ!」
動いたのは新人である。
彼は乳首がちぎれるのも省みず、胴体からタコを引っぺがすと、女たちめがけて投げつけた。
タコは頭上を回転しつつ飛んで、ちょうど一人の女の足の下に落ちた。
タコを踏んで女が、すっころんだ。路上駐車の車へ突っこんで気を失う。
さらに衝撃でタコの墨が飛び散って、残りの女性たちの目を潰した。やはり彼女らは転んでゴミ箱へつっこむ。
ハンサムへの道が開けていた。もう銃弾をさえぎるものは何もない。
「ナイスだタコ野郎ッ!」
「あとでグミくださいよ!」
「おかわりも良いぞ!」
全員で銃を構える。
「動くな! S.H.B.Bだ! サメは完全に包囲されている!」
「隊長! とどめを刺してかまいませんねッ!? 隊長――」
ここへきてオウル隊長はためらいを見せた。
ビッチ器官の射程はつかんだ。
相手は素手。
邪魔も入らない。
サメの生命力があるとはいえ、ぶちこんでやった足、腕、胃、肺、脚からはまだ血が流れ出ている。さすがのサメも血が足りなくては動けない。
もはや必勝の形である。
とどめを刺す必要はあるのか?
彼はそう自問したのだ。
ハカセからの指示は生け捕りである。
実際この状況、顔を隠して拘束すれば、捕獲任務は完了するのではないか。相手は言葉の通じるサメ人間である。ワニの捕獲より簡単なはずだった。
なにより彼は、ハンサムと話してみたかった。
「隊長! 殺すべきです!」
マイクルは正しい。安全のためならここで殺すべきである。
だが隊長はハンサムへ向かって声を張り上げた。説得の可能性に賭けたのである。
「聞こえるかッ! 言葉が通じる事は知っているッ。抵抗しないなら、我々はこれ以上危害を加えない。ここで詳細は話せないが、これはキミ自身を保護するための捕縛であると納得してもらいたいッ! 聞こえるかッ! ハンサムッ!」
これに対しハンサムは――。




