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弐 平穏の檻は破られ、子羊たちが野に放たれる。

 ルアは抜け出せないデス・マーチを掻い潜り、無事試験を突破した。端末を通した美慧への毎晩の報告義務があること以外は、至って安寧の高校生活を手に入れることが叶っている。一時は、特に隠遁生活から連れ出された時はどうなることやらと思っていたのだが、案外、自分にも余裕ができれば馴染むことができ、用意されたステータスにも慣れてくるものである。


 入学当初は、主に試験勉強の名残のせいで自分を顧みれない程に疲れ切っており、手首の電撃装置を連続発動させてしまっていた。しかし、ルアは平穏な日々の中で癒されると同時に、悪意のない弄りというものを学習し、半年経った頃にはクラスに打ち解けるばかりか、己の背丈に関するコンプレックスさえも代名詞的に受け入れられるようになっていた。


 自分の身長が周りよりも低いことを気にするキャラクター。それは以前からも変わらぬ事実である。けれども、緩慢な環境に変わればそれが愛嬌(強み)に変化するなどとは、目から鱗ものだった。


 その旨を呑気に美慧に報告したところ、「楽しんでいるようでなによりだ」という無難な返信が返ってくる。この時点で彼らの思惑通り、ルアは着実に平和ボケしていっていたわけなのだが、苦痛だった過去を振り返れば、少しの電撃ショックくらい、安いものである。


 かように精神状態が安定した今でも度々装置が発動しているのは、このブレスレットがルアのあらゆる悪感情に対して作動する仕様になっているからであった。あまりにも作動範囲が広すぎることに気付いたのは、言うまでもなくルアの状態が安静になった辺りからである。


 少しばかり遅いクレームではあったが、その点について美慧に抗議したところ、「少しでも可能性は潰しておかなければ、万が一ということがある」などという回答で一蹴された。合理的かつ正論ではあるのだけれども、ちょっとした悪戯心や下心さえも封印されてしまうのは、一般的な人間とは言えないようにルアは思うのである。


 このように、若干美慧との意見の相違はあったのだが、ルア自身も何をきっかけにして精神状態が崩壊するか分からない以上、我慢するしかなかった。我慢自体も此度の訓練に含まれているのだから、致し方ない措置だとも言える。幸い、ド直球な表現でも心の底から思っていれば悪意とは見做されない故、ブラックユーモアのようなものを気兼ねなく口にできるのは救いだったのかもしれない。


 さて、どこぞの聖人君子を生み出そうとしているのやらという話はさて置くも、当の学校の方では文化祭の時期が到来していた。何事も無く平穏に準備期間が始まり、ルアの所属する一年B組は和気藹々とした議論の結果、コスプレ喫茶という企画を催すこととなっていた。


 喫茶は分かるが、コスプレとは何ぞやと首を傾げているルアに、友人の小湊紗友里が丁寧に説明を施してくれる。


「コスチュームプレーのこと。漫画とかアニメのキャラクターに扮装したり、何らかの職業やどこかの国の伝統衣装などを着たりして、その人になり切る遊びを示す」


 このように、時折彼女が歩く辞書のように言葉や日本の文化を教えてくれるのだけれども、これはルアのハーフ設定に対して律儀な対応を心掛けてくれた結果である。入学当初はルアの最悪な精神状況も相俟って、事務的な会話しかなかったのだが、席が近いという理由だけで日本に不慣れなルアをサポートしてくれた点は大いに感謝していた。


 恐らく、よりクラスの中に馴染みやすいように、また、ルアの容姿も鑑みた上でステータスが作られたのだのだろうが、美慧の思惑通りに事が運んでいる現状にルアは半ば皮肉な感情を覚える。とはいえども、優しく接されている事実に悪い気は起こらないというのが、何とも不思議なことのように思われた。


 ルアがかような感慨に耽っていると、小湊の横からもう一人の友人、木滝成美がルアの目の前に顔を出してくる。


「ルア君のコスプレは、妄想が捗るよね! あぁ、何がいいかなぁ」

「え、俺もすんのか? 裏方の仕事が楽しそうだと思ってたんだが」


 すると、木滝の瞳が不敵に煌めく。


「ルア君はコスプレ要員決定事項だよ? っていうか、ルア君のコスプレ見たさにこれに決まった感も大きいよ?」

「え、えぇ? お前らいつの間にそんな意思疎通図ってたんだ?」

「これはクラスの総意だった。月城がどう思っているかは知らないが」


 隣席から低い声が聞こえてくる。眼鏡に掛かるほど長く鬱陶しそうな前髪の隙間から、感情の窺えない眼光がルアへと飛んでくる。彼の名は数藤京介で、ルアがこの学校に入学して初めてできた友人でもあった。


「総意って……」


 思わず周りを見渡せば、皆が皆、一様に頷いている。その団結力は別の意味で狂気的な印象を齎し、ルアは思わず口の端を引き攣らせた。


「インスピレーションは、出会った当初から既に湧き上がっていた」


 数藤が指先を弄りながら何やら呻く。


「お、おう……。そういやお前、最初気持ち悪かったもんな。今でも十分キモいけど」

「それでも仲良くしてくれている月城なら、メイド服も着こなしてくれると俺は踏んでいる」


 ルアは思考を停止させた。しかし、彼の聴覚の外では、激しい議論が繰り広げられる。


「私は絶対ナース服!」

「いや、月城なら婦警コスだろ」

「チャイナ服も捨てがたいよ」

「私は数藤君に同意かなぁ」

「ハロウィン系も良いでしょ。魔女とか」

「あー、その線なら黒猫もいいんじゃない?」

「ケモ耳系? それ、アリよりのアリ」

「月城君の目、綺麗な金色だもんね」


 その後、延々と不可解な発言が続いていく。場に圧倒されつつあったルアは、この状況を静かに見守っていた小湊に話しかけた。


「俺、やっぱ裏方じゃ駄目か?」


 やおら、おっとりとした彼女の視線がルアを見据える。彼女は徐に腕を組み、豊満な二つの房をその腕で支えた。


「駄目。接客業は看板が命」

「俺は看板なのか」

「少なくとも、ハーフは来客者の目を引く」

「いや、珍獣扱いじゃねーか」

「それも一つの強み」


 呆れ交じりで半眼になったルアは、これ以上抵抗し続けてもブレスレットが反応するだけだと、クラスメイト達の熱意に折れる。それに歓喜した彼、彼女らは、さらに月城ルア用のコスプレ議論を白熱させていった。




 それから数日が経ち、文化祭準備期間も終盤に差し迫ってきた頃。ルアはコスプレ衣裳の最終調整を行っていた。


 他のコスプレ要員は店や通販で入手したものが大半だったのに対し、何故かルアの衣裳は手作りと初めから決められていた。そのあまりの熱量に、却って冷めつつあったルアは、数藤や木滝の篤い説得により、現在、されるがままに洋裁用ボディ(トルソー)と化している。


 議論の段階から気になっていたことではあるのだが、ルアの衣裳として挙げられていたものが殆どすべて女性ものであったという点が、奇怪極まりなかった。その点について尋ねれば、数藤は「男の浪漫」と答え、木滝は「似合う人が似合うものを着る。これが真理よ!」と得意げに言い放った。因みに、小湊の口から出てきたのは、「需要」の一言だった。


 ルアは何とも言いようのない気持ちが込み上がってきて仕方がなかった。それに耐え切れず、昨晩、日課の報告で美慧に日本人の感覚についての感想を吐露したところ、「お前に恥じらいがあったことに驚愕している」という明後日な返答が来たため、逆に気になったルアは美慧に「自分もこの状況に陥ったら、恥じらうだろ」と食い下がった。すると「生憎俺は服装に男女の差を見出していない」という、何とも奇妙なご回答を受け取ることとなった。


 この一件で、美慧から常識的感覚を教わるのは危険だと確証を得たルアは、自分の方が彼よりも常識的だったという事実に気が付く。過去の所業は目に見えて非常識なのに、常識と思われる判断ができるとは、これ如何に。


 ルアの脳内で謎が謎を呼んでいる中、彼の衣裳が完成した。


「いやぁ、やっぱり似合ってるねぇ」


 木滝が感慨深くコスプレ姿のルアを眺める。そんな彼女の横で、「期待以上だ」と数藤が何度も頷いている。また、今回ルアの衣裳の裁縫担当になった学級委員長の梅野真知子が、針山を片手に出し切った感を醸しながら仁王立ちしていた。そして衣裳の完成に気付いた他のクラスメイト達が、わらわらとルアの周りに寄ってくる。


「随分といい出来だね。さすが梅野さん」


 寄ってきた生徒たちの中で、初めに言葉を発したのは爽やかな青年だった。彼、こと柄谷結希はこのクラスの中心的存在であり、男子枠の学級委員長を務める他、この文化祭においても企画進行係を務めている。


「ありがとう、柄谷君。月城君もこの衣裳、どうかな」


 梅野が僅かに不安そうな顔をしながら聞いてくる。ルアはスカートを摘まみ上げ、ゆらゆらと左右に揺らしてみた。その他の着心地も確かめてから、梅野に視線を戻す。


「悪くないな。フリルが多くて動きにくそうに見えるが、全然そんなこともない。寧ろ動きやすくて吃驚だ」


 すると、梅野は輝かんばかりに花開かせた。


「そう、そうなの! やっぱり、コスプレでネックなのは動き辛さなのよね。純粋に写真を撮るだけならそれでも構わないんだろうだけど、今回のコンセプトは喫茶店の接客係だから、動作も考慮に入れなきゃならなかったの。その為に、ちょっと値は張るかなって悩んだんだけど、でも、機能性は良いから思い切って米近(よねちか)ブランドの生地と糸を使ってみたんだよね。本当に、上手くいって良かった!」


 お、おう、そうか、と無難な相槌を打ったルアは、一体彼女の頭の中で何が展開されているのだろうかと首を傾げつつ、時計を見遣った。


「あ、そろそろ脱いでも良いか?」

「えー、もうちょっと見ていたい」


 木滝が訳の分からないことを言い出すも、万が一破れたり汚れたりしたら困るからという梅野の正論により、渋々と引き下がって行った。


 ルアは脱いでいた制服を手に持ち、教室から少し離れた場所にある男子更衣室へと向かう。途中で段ボールなりペンキなりを持ち運ぶ人とすれ違ったり、教室の方から心地よい喧騒が聞こえてきたりする。愈々明日が文化祭当日か、と年甲斐もなく、否もしかすると年相応なのかも知れないが、ルアは心躍らせていた。


 更衣室に着いたルアは、さっさと着替えを済ませようと衣裳のボタンやリボンを外し始める。しかし、途中から構造が分からなくなり、頭を抱えてしまった。


 無理に脱ごうとして破れさせるわけにもいかず、途方に暮れたルアは、そもそもこの衣裳を教室で梅野に着せて貰ったことを思い出す。初めは制服を上だけ脱ぎ、衣裳を着てから下を脱いだのだ。故に、装着自体は梅野任せだったわけである。


 何故わざわざ更衣室に来てしまったのか。ルアは高校に入学してから身についた生活習慣やボケた思考に顔を顰める。しかし、更衣室に来てしまったものは仕方ないので、取り敢えず戻せそうなボタンやリボンの部分だけは掛けたり結び直したりしておいた。


 そして、多少は不格好ながらも、教室に戻ろうと自分の制服を手に持った時のことだった。唐突に男子更衣室の扉が開かれ、その勢いの強さにルアは目を瞬く。


 入り口に立っていたのは、フチなし眼鏡以外にはあまり特徴のない女子生徒だった。一見すると大人しそうに見える彼女だが、明らかに堂々と男子更衣室の扉を開いている。


「緊急事態が発生したので、今すぐ来てください」


 眼鏡の奥から、異星人の如く黒く濡れた瞳がルアを見据えてくる。


「いや、その前にお前誰だよ」

「酷いですねぇ。クラスメイトの陰井ですよ」


 名前を言われてもいまいちピンとこなかったルアは、眉根を寄せながら首を捻る。その反応も已む無しと感じていたのか、彼女は大げさに肩を竦めてみせた。


「まぁ、意図的にモブやってたところはありますけどね。でも、今は私のことより美慧さんの指示が優先です」


 その一言だけで、ルアはこの状況を理解した。陰井という生徒は美慧の関係者であり、ルアの監視役をしていたか、或いは別の何かを探っていた諜報員かのどちらかということである。無論、そのどちらもという可能性もあるのだが、彼女から切羽詰まった様子が見受けられる以上、もたもた考え続けることにメリットは無かった。


 陰井に連絡用の端末だけは持っておけと言われるまま、ルアは制服のポケットから急いで端末を取り出した。そして、彼女の手に引かれて廊下を走り出す。


 驚いたのは、文化祭準備の作業をしている生徒が多い廊下で、一度たりとも迷惑がられなかったことである。普通ならば「廊下を走るな」などと言った注意が飛び交いそうな気もするのだが、そういった声も、反応すらもまるで見られないのだ。


 陰井という少女も美慧の関係者だけあって、一般と呼ばれる人間とは何かが違うのだろう。ルアは周囲が無音に思える程の疾走感で駆け抜けながら、漸く目的地へと辿り着いていた。


「うちの教室? 何があったんだ?」


 陰井に問えば、彼女は不敵な笑みを浮かべて「見れば分かりますよ」と扉を開く。そこでルアが見たのは、もぬけの殻になった教室だった。否、正確に言えば、明らかに作業中だったと思われる物質的証拠は残されているのに、人の気配だけが全く無くなっているのである。


 その中で、ルアが教室を去る前には無かったもの、かつこの世界自体にも無いはずのものが教室の床全体に広がっていた。


「魔法陣」


 ルアが呟けば、隣にいる彼女がクツクツと笑う。


「事案ですね、ルアさん。集団誘拐事件です」

「ですね、じゃないだろ。何なんだよ、これ。っていうか、何で外の奴らは皆気付いてないんだ。それに、同じクラスだっていうお前が残っているのも訳が分からん」

「まぁ、まぁ、落ち着いてください。外に情報が漏れていないのは、私が咄嗟に隠蔽したからです。ここで騒ぎになっても面倒ですしね」

「本当にお前は何者なんだ。隠密スキルもえげつねぇし、それに大規模な隠蔽とかも。明らかに個人が咄嗟に隠蔽できそうな代物じゃないだろ」

「乙女の秘密です。それよりも、早く行っちゃってください。魔法陣が消えてしまいます」


 そこで思わず陰井を見返したルアは、彼女が本気で言っていることを悟る。


「それも美慧の指示か?」

「そうです。詳しい話はあちらに着いた後、端末を通して美慧さんから直接聞いてください」


 それでは御武運を、と他人事めいたことを言った彼女は、消えかけながらも僅かに光り輝く魔法陣の中にルアを突き出した。


「うぉ、ちょ、ちょっ。お前は行かないのかよ」


 しかし、見えたのは彼女が不気味に笑いながら手を振っている姿だけだった。

需要 と 供給

怖いな(´-ω-`)

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