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壱 かくして、狂える狼は羊と化す。

 結論から言えば、ルアは学校生活というものに馴染みに馴染み切っていた。


 これまでのルアは、厄介払いという名の隠遁生活を続け、時折仕事に駆り出されるなどという実に都合の良い存在として扱われてきた。己の過去の所業を振り返ればその扱いも妥当なものであり、ルアも惰性に惰性を塗りたくった上で使われ続けてきたのである。故に、此度の「学校に通え」という指令は、前代未聞な事態以上の何ものでもなかった。


 熱帯の深層部から連れ出された後、ルアと主に交流のある男、美慧(みさと)に事情を聞いたところ、これはルアの更生方法について幾千回、幾万回と会議にかけた結果、出現した「平和ボケ」作戦とのことだった。因みにこの案を提示したのは美慧本人であり、会議のし過ぎで極限状態に陥っていた上層部の皆様は、一か八かでその案を採用することにしたのだという。


 どの辺りが一か八かになるのかと問われれば、そこはすべてルアの行動に帰着していると答えられるだろう。幾らルアに常識なるものがそれなりに備わっていたとしても、彼らにとってルアという存在は危険な生命体なのである。よって、不確定要素の多いルアが如何様な行動を取るのか予測できない以上、ルアを一般市民の中に放り込んで朱色に染め上げてしまおうという作戦は大胆な賭けに出るに等しい選択となるのだ。


 言うなれば、大量の羊の群れの中に、飢えた狼を一匹解き放つようなもの。しかし、その狼は鉄格子製の口輪を付けられており、手足の鋭い爪もクッション性の高いカバーで封印されてしまっている。加えて、身体能力も制限させんと錘を容赦なく装着させられ、一つとして羊を狩れなかった狼は、空腹の限界を超えてやがて羊化していくという何とも恐ろしい手法であるともいえるだろう。


 とはいえ。これは自然界の食物連鎖からすると残酷な仕打ちに見えるだけであって、悪人を裁くという状況ならば意味合いが変わってくる。すなわち、罰として能力や悪感情を強制的に封じ、烏合の衆に埋もれさせていくという手法に転じるのである。


 この話を聞いた時、一体どの辺りが刑罰なのだろうかとルアは思ったのだが、どうやら刑罰という括りとして扱わなければ、やってはいられないとのことだった。それ程までに、ルアは散々彼らから罰という罰を受けてきたのだが、いずれの処罰にもうんともすんとも言わなかった故、ルアの処遇は最早上の連中たちの間で悩みの種と化していたのだ。


 特にルアの記憶の中でも鮮烈に残っているのは、人間社会の中で公的に捕まった当初、死刑判決が言い渡されていた頃のことである。いい加減、自分で自分が分からなくなってしまっていた時分、この狂ったような(しがらみ)から解放されるのならと、寧ろ積極的にその罰を受け入れた覚えがある。

 しかしながら、その死刑執行は失敗に終わる。


 単刀直入に言えば、ルアは死ななかったのである。無論、執行間際になって急に怖くなり、全力で逃げ出したなどという往生際の悪い真似をしたわけではない。純粋にルアの死刑は人の法に則って執行され、自身は無事に窒息致している。にもかかわらず、ルアは翌日の朝に安置所で目を覚ましたのだ。


 これを見た上層部の人間は、ありとあらゆる処刑方法をルアに試している。その辺りの話は痛みが酷過ぎて違う意味で精神が壊れそうになった記憶しかないため、割愛することにする。


 さて、人間に使える手法ではルアの存在消去ができないとなると、今度は懲役刑や禁固刑などが視野に入れられてくる。しかし、ここで忘れてはならないのは、ルアが人間の持てる術を以てしても、死に至らなかった化け物だという事実である。


 明らかに人間と同一視してはならないモノを、他の受刑者と同じ檻に入れてはならないだろうという議論が浮上する。寧ろ、厳重に拘束具を付けて監禁した方が良いと判断するのが人間側としての自然な思考回路であり、二年ほどはルアも大人しく刑に処されていた。


 しかし、美慧が率直に評価していたように、ルアには堪え性が無いのだ。何も無い部屋の中で起床と就寝を繰り返し、看守とは必要最低限以下の会話しかしない。そんな環境の中、彼の精神状態が再度おかしくなってしまうのも已む無しだった。


 ここでルアが死なない化け物であるというだけでなく、人智を超えた「力」を持つ非常に危険極まりない生物であることが露見する。具体的に言えば、彼は金属製の拘束具を千切るように取り外し、牢の鉄格子も道具がないのに人が一人通れる程の大穴を開けたのだ。後に、彼はいつの間にか外に出て日光浴をしていたところを発見され、拘置所に入れられている。


 長らくルアの超人的な危険性が露見しなかったのは、逮捕された後の彼が非常に大人しかったからである。堪え性はなくとも、化け物染みた自分に嫌気がさしていたのは本音だったのだ。故に、早くこの苦境からおさらばしたかったのに、待っていたのは生き地獄。これでは捕まった意味がないとルアが申し出た結果、とある人物が呼び出された。


 紅塚(こうつか)を名乗る、銀髪眼鏡の研究者(マッド野郎)である。


 死刑執行を幾度となく方法を変えて試行されていた際にも、ルアは何度か研究対象となって解剖なりなんなりされたことはあった。しかし、いずれも原因不明、解明不可で終わっており、司法側も刑の判決を別のものに変えざるを得なかったのである。この硬直状態の中で呼び出された銀髪男は、即座に「こちら持ちにした方がいい」といってルアを引き取った。彼による調査結果は開示されなかったが、ルアはここで彼の甥たる美慧に会うこととなる。


 彼は不思議な少年だった。黒髪に翡翠の目を持つエキゾチックな容貌。背丈はルアと同じくらいで、年齢的に言えば十三か十四と推測された。そのことを率直に訊いてみれば、「自分の背丈に聞いてみろ」という返答が返ってくる。そこで即座にチビ扱いされたものと捉えたルアは、溜まりに溜まっていたストレスをぶつけるかの如く彼に襲い掛かっていた。


 そして気付けば、ルアは地面に熨されていた。それまで、自分が望むだけで事象は捻じ曲がり、目前のものは破壊されてきた。そうあれと思ったことは、何もかもが実現されてきたのだ。にもかかわらず、為す術もなく寝そべっているとはいかなる事態なのか。


 端的に言えば、美慧もまた、理から外れた存在だったのである。口は悪いが、ルアよりも冷静な分、達観しているようにも思われた。ルアと同じ境遇に立たされていながら、美慧はルアとは異なる人格形成が為され、真反対とも言える人生を送って来たのである。その所以となるのは、偏に彼の家系が世界の中でも特殊な役割を担っているからだった。


 彼曰く、世界は数ある法則が複雑に絡み合って成り立っており、それらを緻密に構成し、維持し続ける神々がこの世に存在しているとのことだった。ここでいう「神々」とは世界の創造者や管理者のことを指しており、彼らは人間が人間社会を作り上げ、維持しているのと同じように、一つ上の次元において、数多の世界に対して己の役割を全うしているのである。


 ただ、幾ら緻密に管理されていても、流動する多くの世界によって摩擦が生じ、法則が崩れることもある。このような摩擦によるバグを対処しているのが、神々の頂点たる秩序(オーダー)という存在者なのだという。


 秩序(オーダー)は日々、遍く世界を見通しながらデバック作業を行っているのだが、自分一人では些細なバグを見落とすことも多い。故に、その欠陥を補填するべく、幾つかの世界に直属の知的生命体(イミューン・システム)を生み出した。

 紅塚家も、そのうちの一つの家系である。


 つまり、彼は初手から一般の人間とは一線を画した遺伝子構造を持っており、最早人間といっていいのかすら定かではない存在なのだ。しかし、本人が「見た目が人間なら、人間でいいだろう」という謎理論を展開しているため、ルアも深くは言及していない。


 かくいう美慧は、一族の中でも特異な存在として知られている。それはルアにも共通する性質である、「理を外れた存在」だという点である。


 これは秩序(オーダー)でさえも直しきれないものであるため、ただのバグではなく混沌(カオス)領域のバグとして見做されている。混沌(カオス)というのは秩序(オーダー)の外側にある存在で、通常は二つの領域が平衡状態を保っている。それ故、混沌(カオス)から秩序(オーダー)のもとに来たものは秩序立ち、秩序(オーダー)から混沌(カオス)へと行ったものは混沌の中に溶けていくものとして成り立っている。


 その中で、混沌(カオス)の領域においてさえもバグと見做されていたものが偶発的に秩序(オーダー)の領域へとやってくると、範疇外の秩序(オーダー)では対処しきれなくなってしまうのだ。加えて、自らは外の領域に干渉できない秩序(オーダー)はやって来たバグを外に排出することもできない故、そのバグはそのまま中で放置されることとなる。


 こうして対処されないまま野放しになった混沌(カオス)領域のバグは、秩序(オーダー)の世界の中に組み込まれ、様々な意味で影響を及ぼすようになる。ここで比較的安全にバグの要素が影響した例というのが美慧であり、典型的に負の影響を齎したのがルアだった。


 特に、ルアは破壊志向を持つバグであり、仮にルアが世界そのものを消し去ろうと目論んでいれば、とっくの昔に秩序(オーダー)領域は質の悪いコンピュータウイルスばりの被害を受けていた可能性もあった。奇跡的に秩序(オーダー)内の法則が侵されなかったのは、単純にルアの思考がそこまで行き着いていなかった故である。


 愚直に、目の前の者だけを葬り去る。逆を言えば、それだけで事足りていたとも言える。


 こうした世界のあらましを美慧から聞いたルアは、一旦その話を受け入れることにした。たとえそれが作り話だったのだとしても、自身が超常的存在であることは事実であり、その理由もそれなりに示されていたからである。


 その上で、ルアは「対処の範疇外だからと言って、放置するのは如何がなものか」という疑問をぶつけた。というのも、神々の頂点に立っている秩序(オーダー)ですら排除できないバグだというのならば、せめてもの、目の届く範囲で監視を付けておくのが妥当だろうと考えられたからである。

 この問いに対して、美慧は次のように答えた。


「それは秩序(オーダー)の仕事ではなく、その下にいる神々や彼らの部下の仕事になる。秩序(オーダー)自身は、法則を逸脱して存在し、かつその法則を破壊しようとしているモノをバグと呼び、あくまでもそれらを排除しているだけの最上位者だ。故に、基本的に秩序(オーダー)は自身の領域で個体として確立している存在者には、干渉しない体を取っている。つまり、秩序(オーダー)にとっては、自身の内部法則に〝融和〟さえしていれば、その個体が如何なる起源を持っていようとも、どのような姿形をしていようとも、それが正しい状態になる。よって、たとえ外界からバグの要素が入り込んだ個体があったとしても、法則そのものを破壊しない限りはそれも一つの正しさとして捉えられるんだ」


 これを聞いたルアが、正しさの定義が広すぎるという感想を抱いたのも無理はなかった。とはいえ、世界や法則そのものを管理している上位の存在者たちにとっては、個々の相違というものは些細な要素でしかないのだろう。若干、適当さは拭いきれなかったものの、秩序(オーダー)が遍く世界の隅々までデバック作業をすることは、人間が世界中の微生物を完全管理して細菌やウイルス由来の病気を防ごうとするのと同じことだと言われた時には、さすがにそれは無理だと納得せざるを得なかった。


 このように、秩序(オーダー)のみに世界内のバグを対処させることは不可能だと理解したルアは、次に、長らく神々からも放置され続けていた点について言及した。すると、一応ルアに監視の目はついていたのだけれども、どうやら神々の裁きは人間による裁きが不可能だと確定してから実行に移されるという、実に七面倒くさい仕来たりが存在していることが判明した。


 したがって、運良くというべきか否か、人間の尺で測れば時効になってしまう程の時間、人間の司法から逃れ続けてきたルアは、並行して神々の裁きからも逃れてきたということになるのである。そして遂に、逃亡に疲れたルアが21世紀の世で逮捕され、漸く裁きという過程が視野に入れられることとなったのだ。


 こうして神々の事情を聞いたところで理解できる点は殆どなかったのだけれども、取り敢えず、人間の知覚を超える上位者が存在すること、そして多様な世界が存在することだけは把握できた。後に天界なり神界なりからやって来たとかいう上位者による裁きが実際に行われたのだけれども、ここではいずれも失敗に終わったとだけ記しておく。


 それよりも、「どうせ暇だろ」と言われながら美慧に連れ回され、彼らの仕事を手伝わされた時の方がハードだったという事実はさて置き。兎にも角にも、ルアが学校に通わされることになった経緯もバグ対処の一環であり、美慧が提示したこの提案は、順調な途中経過から鑑みると、史上初の成功例といっても差し支えは無かった。


 かくいうルアが美慧によって用意されたそれらしいステータスは、生年月日等の諸々を省略して書けば、『月城ルア(15)・中東アジア系のハーフで、一年前に来日した』という簡素なものだった。ご丁寧に日本の戸籍まで作られており、受験さえ乗り越えれば晴れて日本の高校生になれるのだという。


 そう、コネ入学ではなく、一般の高校入試である。学校に通って貰うなどと上から目線で言っておきながら、いきなり試験を受けさせようとは暴挙にも程がある。そうでなくともアブノーマルな人生を送って来たルアが、それなりに教育水準の高い高校の試験に受かると考える脳みその方がいかれていた。


 などと悶々と文句を垂れていたルアは、抜け目などあるはずもない鬼コーチによって、徹底的に扱かれることとなる。確かに、「普通の生徒は大抵、入試を受けて入学するものだ」という美慧の言い分からすれば、その行為がルアの平和ボケ化に寄与するものと考えられなくもない。しかし、果たして四則演算すら危ういルアが、短期間で「一般の」受験者と同じレベルで戦えるようになるとでもいうのだろうか。


 文句は垂れても美慧に逆らえなかったルアは、ただ只管勉強漬けの日々を送った。日本語も不自然ではない程度に習得し、試験に必要そうな知識をところかまわず詰め込んでいく。時折鬼気迫るように解説してくる美慧を見ていると、日本の学校が別ベクトルから恐ろしく思えてきた。


 ふとそんな感想を零せば、彼は「少なくとも、学校教育そのものは緩く感じられた」と言い、黒い笑みを湛えた。


 紅塚家は、とかく闇が深かった。

基本的には、この世界観を主軸に書いて行こうと思います。例え異世界に行って魔法とかそういうファンタジー要素が出てきたとしても、この設定を根本において物語を進めて行く予定ですので悪しからず。

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