零 惰性の終わり、そしてものの始まり。
天高く聳え立つ木々の間に、鬱蒼と生い茂る巨大な葉。太陽の光は遮られ、湿った空気が辺りに満ち満ちている。そこらに毒々しい艶やかな花が咲き乱れ、不気味な目玉模様が虚ろに宙を見詰めている。凡そ生の気配を感じさせないこの場所は、穢れた地に適応した虫や微生物しか存在しておらず、大半の生き物たちからは嫌厭されていた。
どこからか、けたたましい鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。それは、無謀にも死の地へと向かう同胞への警告であり、同時に鎮魂歌でもあった。最早かの同胞を止めるものも諫めるものも救い出そうとするものすらおらず、ただただ彼が行き去っていった方向を凝視していた。
野生の独壇場とされるこの密林に、静寂が訪れる。仲間の警告を無視して死の地へと向かった一羽の鸚鵡は、見事な極彩色を羽ばたかせながら人の形へと姿を変えた。深紅の羽毛が舞い上がり、空に溶けていく。一転して、黒のパーカーとカーゴパンツ姿に変化した少年は、堂々と密林の奥地へと足を運んでいった。
薄暗く死の気配が漂う森の中に、隠れるように潜む小屋が一つ。少年は立て付けの悪いその扉を開き、無遠慮に家の中へと踏み入れた。外から入り込んだ蔦が天井を占領し、その毒粉が部屋中に撒き散らされている。少年は端正な顔を顰め、淀んだ空気を一振りで一掃した。室内の浄化を終えた後、彼はさらに部屋の奥へと歩を進めていく。そして質の悪い簡素なベッドの前まで来ると、その中で丸まっているものから思い切り掛け布団を引き剥がした。
「いつまで寝ている気だ。さっさと起きろ」
絵画の一部を切り取ったようなその少年は、見かけに似合わず粗雑な口調と動作で眠り主を叩き起こす。乱暴に起こされた当の部屋の主は、唸りながら糸目で来訪者の存在を確かめた。それが自身の知人であることを把握するや否や、徐に寝返りを打つ。掛け布団を掛け直す手から、ちらりと黒に染まった不健康そうな爪が見えた。
そんな寝汚い彼に痺れを切らした少年。彼が指を鳴らすと、男は体中を走り抜ける痛みに、かっと目を見開く。暫く痛みの余韻に悶え、肺が過剰に求める酸素を不器用に吸い込んだ。充血した目を瞬き、次第に落ち着いてくる呼吸と共にやおら起き上がる。男は手入れを忘れた黒髪の奥から金の瞳を光らせ、来訪者を睨みつけた。
「定期便なら一週間後の筈だろ」
地の這うようなおどろおどろしい声を発する。そんな男に怯むことなく、少年は高い位置から彼を見下ろした。
「いや、今回は定期便じゃない。出頭命令だ」
「俺はどこぞのお役人だ」
「お前は歴代最凶の極悪人だ」
洒落の通じない相手は面倒だと、男は渋い顔をする。どんなに不快感を露わにしても、まるで感情を知らないかのように少年は無表情を貫いている。そんな彼に嫌悪感と同情心を抱いた男は、自嘲気味に鼻を鳴らした。
「今度はどこに行けばいいんだ?」
「学校」
端的に返された言葉に、男は思考を停止させた。呆けた顔で少年を見遣るも、その顔に冗談の気配は一切見受けられなかった。単に事実を述べたに過ぎない彼は、何故男が驚いているのか分からないらしかった。
「無論、制限は付ける」
「寧ろ制限無しで行けるわけがねぇだろ」
後頭部を掻きながら言えば、少年は眇めた目から冷えた眼光を男に突き刺した。
「お前のそういう所が惜しいからこそ、俺はお前に更生の道を勧めたんだ。堪え性がないところがどうにも厄介だが、それでも付けていれば多少は克服できるだろう」
そう言う少年の指差す方向を見遣れば、自身の左手首に銀の鎖が巻き付けられていることに気が付いた。それは隙間なく己の皮膚に張り付いており、通常のブレスレットのように取り外しの可能なものではないようだった。男は先程の電撃はこれが理由かと、深く溜息を吐く。
「それはお前の中で生じるあらゆる悪感情――特に殺意に乗じて電撃を食らわす」
「まじかよ。何も出来ねーじゃん」
「だからこそだ。これからお前が赴く場所は、血生臭い惨劇とは無縁の者しか存在しない。それ故の措置であり、同時にお前自身の訓練も含まれている」
少年は右手を前に差し出し、一挙に瞳孔を縮めた。途端に彼の右手を起点として光の粒子が舞い上がり、空間が歪み始める。
「それなりのステータスは用意してある。故に休学は許さない」
眩むような目映い光が蠢き、その光は徐々に男の足元を呑み込んで行く。彼は視界が閉じるその直前に、硬い表情の少年が仄かに笑んだのを目にした。
「まぁ、楽しんでくれ、哀れな極悪人」
そして男の視界は暗転した。
どうも、鏡春哉です。
小説を一人で書くのは楽しくても、暗礁に乗り上げるのが常だと実感する今日この頃。
ハイファンタジー小説なら読者の反応が活性化するのだろうかと首を捻りつつ、単に作者の実力不足故の無反応なのかも知れないと考えると、脳みそシェイク後の異世界と現実世界の融合は不可避でした。
したがって、世界観設定の描写が少し多くなっているかも知れませんが、多少は飛ばし読みしてもお楽しみいただけるように書ければと考えています。無論、粗を探すかの如く読んでいただいても構いません。
取り敢えず、ここまでお読みいただきありがとうございます。
ご感想やご指摘等をいただければ、作者冥利に尽きます。