[7]ミッション②開始
「さぁ、行こう。命令は既に発せられた!」
早朝、妙に楽しげな死神に叩き起こされ、訳のわからぬうちに小脇に抱えられ、私はディンバードの屋敷を連れ出された。
「いい天気だ。外に出ないのはもったいないぜ」
あっという間に横抱きにされる。死神のお面に隠れた顔を睨んだ。
「ちょっと、私はまだ怒っているのよ!気安く触らないで」
「はいはい」
「下ろしなさいよ!」
「煩いな。しつこい女は嫌われるぞ」
「なっ……」
嫌われる、なんて婚約破棄されたばかりの女の子に普通言う? 信じられない。つくづくデリカシーの欠片もない男ね。
「下ろしなさいよー!!」
「暴れるな。じっとしてないと落ちるぞ?」
「は……?」
びゅんびゅんと、強い風が頬に当たる。髪が後になびく。
なに………?
下を向く。
地面がずっと遠くにあった。
死神は屋根の上を走ってるんだわ。
「ひっ」
「おお、積極的だなぁ」
思わず死神の首に腕を回してしがみついていた。お面が近くにあってのけぞる。
「ふざっふざけないで!こんなことしてただで済むと思ってるの!?」
ふっと含み笑った死神は大きくジャンプする。
「いやー!!落ちるわ!落ちる!!!」
すとん、と死神が降り立ったのは暗い路地裏だった。湿った、どこか異様な空気が肌を刺す。ずらりと左右に並んだ商店には、怪しげな看板がひしめいている。
以前に小耳に挟んだ、危険な裏町の噂を思いだす。連れ込まれたら最後、人生を破滅させられる。そう、そんな町があるのだとしたら、まさにここなのだろうと直感する。
下ろされ、地面に足が着く。ネグリジェの足元がひどく頼りない。
死神が私の背に出を添え歩きだす。
隣に並ぶと死神の背の高さがよくわかった。ああ、彼も男なのだと不安が煽られる。
「ねぇ、どこに連れていくつもり?」
「怖いのか? 昨日は『ひとおもいに殺してー!』なんて豪語してたくせに」
路地の先に、女性の裸体が描かれた看板を飾る建物を見つけ、驚愕する。思考はこの先の展開を読んで、不安を掻き立てる。
「いやよ……は、辱められるくらいなら、その前に舌を噛み切って死ぬわ!」
「何だって? 辱め?」
死神は私と路地の先を交互に見て、大声で笑い出した。
「バカか、お前! 自意識過剰にもほどがあるぜ。昨日俺がちょっと男の部分を見せただけですぐそれだ。ホテルにでも連れ込まれると思ったか? いったい、どこからそんな知識を付けてんだ、お嬢様のくせに。だいたい、襲うんならお前の部屋でいつでも襲えるっつーの」
指摘され、髪の生え際まで顔が熱くなる。
か、勘違いするのも仕方ないじゃない。昨日の今日なのよ? 貴方がキスしようとなんてするから!
恥ずかしさを隠すように怒鳴る。
「だって、怪しいわ!ここ、明らかにおかしいもの!!」
一軒の建物の前で、露出の多い女性たちが体をくねらせてこちらを見ている。
「ヴィ、寄ってかない? 安くしとくわよ」
「あんた朝っぱらからおっぱじめるつもり? 昨日散々ヤラれてよく体が持つよ」
「だめよ、彼は今日お連れ様がいるもの」
女性たちの甲高い笑い声が響く。
じとりと死神を見ると、「やー、まいったね」とフードの頭を掻いていた。
「また今度。これから行くところがあるんでね」
「残念~」
「またね。きっと来てよ?」
女性たちに手を振り、死神が再び私を促して歩きだす。身をよじり、死神の手から逃れる。
「触らないで。不潔だわ」
「顔真っ赤にしちゃって。さすが生娘」
「し、失礼よ!!!」
確かに、男性経験はないけれど。みなまに言わなくたっていいじゃない!
「怒るなよ。なに、嫉妬してんの?」
「はぁ!?誰が!」
すたすたと、歩いていく。
ムカつくわ。なんだか、すっごく。
「お前の正解だ。ここは"怪しい"場所。裏町の歓楽街だよ。ここは娼館が集まる通り。あ、娼館って知ってる?」
お面で隠れていてもわかる。にやにや笑われてるってことは。
「それくらい知ってるわよ!この、この……くっ」
罵りたいのに、悪い言葉が一つも出てこない。そもそも、悪い言葉を知らないのだ。頭の中の辞書にない。
もどかしくて地団駄を踏む。
「なぁ」
「なによ」
「どこ行くつもりだ?」
「は?」
………そういえば、目的地を知らないわ。
いつの間にか、死神の前を離れて歩いていた。
「家に帰して」
「命令が遂行されたら、すぐ帰してやる」
『──2つ目の命令だ、"綺麗になれ"』
そういえば、昨日そんなことを言われたんだったわ。それで体を触られて、私は怒って、
また、ふつふつと怒りが湧いてくる。
どうすれば、この鬱憤を晴らせるのかしら。
八つ当たりの先が見当たらなくてやきもきする。
「貴方って、他の人にも姿が見えるのね? てっきり、迎えが来た人にしか見えないものだと思ってたわ。その方が、いかにも死神っぽいでしょ」
「──ああ、この体は人間に寄せてるからな。長く人間界に滞在できるように」
人間に"寄せてる"ですって。変なの。
だったら、元の体はどんなのかしら。
鋭いな牙とコウモリみたいな羽が生えていたり?
うんと凶悪な人相を想像すると笑える。彼の意地悪な心根にはお似合いだわ。体は心を現すというもの。
「"ヴィ"と呼ばれていたわ。貴方の名前?」
「そうか? 聞こえなかったが」
「何とぼけてるのよ。たしかに聞い──」
「あ、そこの角右な」
は、ちょっ
腰に死神の腕がまわり、右の路地に引きずり込まれる。
「強引だわ!横暴!このサイテー男!死神!」
「"死神"は悪口になってないよなぁ」
飄々とした死神の声が降ってきた、そう思った次の瞬間には、私達は室内にいた。色とりどりの派手な小物が至る所にぶら下がっている。
ここ、どこ………?
「あらいらっしゃい」
奥から、顔の片側を長い藍色の髪で隠した女性が出てきた。とても、綺麗な人。
しばし呆けていると、「こいつを頼む」と背後で死神が言った。