[6]ミッション②綺麗になれ《あと45日》
あれから数日、私は宣言通り自室に引きこもった。
死神は何も言わない。あのお茶会で、貴族婦人たちの同情を一身に集めることに成功したので、今は引きこもっていてもいいそうだ。むしろ、このタイミングでの引きこもりは、より一層同情を集めることができるので、いい判断だと。無理してお茶会に出席して、心労が祟って体調を壊した……という設定。
アレクやルルが社交界で非難の的になっていることを噂で聞いた。我が家の使用人たち経由で。使用人間のネットワークは広い。他家で開かれたお茶会やパーティーの情報もいち早く伝わってきた。
アレクは、私がやったという悪行を上げ連ね、『フィオリアを未来の王妃にするわけにはいかなかった』と、婚約破棄の正当性を訴えていたらしい。
だけど、誰もが婚約破棄の正当性に疑問を呈した。なぜなら、私から直接話を聞いていたご婦人方が、婚約破棄は"王子の浮気が原因だ"と噂を流していたからだ。
一方的に婚約破棄されたにも関わらずアレクを庇う健気なフィオリア。他方、浮気相手を傍らに侍らせ、元婚約者を非難し、自分の正当性を主張するアレク。どちらが悪いかは一見して明らかだった。
もちろん、誰も表立って一国の王子を悪く言えない。けれど水面下で広がる噂は着実に私を悲劇のヒロインに、アレクとルルを悪者にしていった。
「気分がいいだろう?」
死神はずらしたお面から覗かせた唇を歪めて、にやりと笑った。
早い時期に私をお茶会に行かせて周囲の同情を集めさせたのは、これが狙いだったのね。
死神は食事中だ。日に二度は運ばせる食事のうち、一度目。
「アレクは私を悪者に仕立てるつもりだったのね……」
信じられない気持ちと、諦めと。
アレクはルルを連れて各種お茶会やパーティーを巡っている。そうやって、自分とルルの婚姻の支持者を集めるつもりかしら。彼はルルを得るために、動き出しているんだわ。
「心配するな。今のところ、お前が"悪役"になることはない」
「……悪役」
言い得て妙ね。事実無根の罪で、悪者に仕立て上げられ、アレクとルルの恋物語を彩る"悪役"の私。ピッタリだわ。
「だけど、アレクたちにとっては、とっくに私は『悪役』よ。ここからどう転んだら、彼が私を愛するようになるの」
「そこを、上手く転がすために、俺がいる」
死神はデザートを美味そうに食べ、スプーンを私に突きつけた。
「2つ目の"命令"だ、フィオリア。"綺麗になれ"」
「……………は?」
王太子の婚約者として、見た目には最大限の注意を払い、磨き上げてきたつもりだ。そのかいあって、それなりに美しい外見を保っていると自負している。
それなのに、
「貴方、私がブスだと言いたいの?」
「まさか」
死神が消える。と思えば私の背に現れた。
腰を抱かれ、顎に手を添えられる。
ちょっと!
文句の声は、死神の声で掻き消える。
「見てみろ。こけた頬、青白い肌、細すぎる腰、折れそうな手首、細い肩にかかる銀糸の髪──とてもこの世のものとは思えない。お前はまるで月の女神のように儚く美しい」
影が立ち上り、私と死神を映す鏡に変わる。
そろそろと、死神の手が体を撫でる。
死神の息が首筋にかかり、悪寒が走る。
私の反応を楽しんでか、にやり、と死神が笑う。
「今すぐ離れなさい」
声が震えた。
これまで、これほど近く男を寄せ付けたことなんてない。身動きしようにもビクともしない。怖い。
「その顔、そそるなぁ」
ぐっと顎をうしろに向けられる。死神の唇がすぐそこにあった。キスするつもり?
「やめて!」
死神はぱっと距離をとった。降参だ、というように手を上げて。
「どういうつもり?」
「今のお前の見た目は痛々しすぎるんだよ。悲壮感に溺れてる。悲しみはアクセサリーだ。綺麗に纏え」
「私の質問は無視?」
「少しからかっただけだろう? いちいち喚くな。これくらい、元婚約者さまとの触れ合いで慣れてるだろうが」
「サイテー………」
「ん?」
「サイテーっ!!!」
部屋を飛び出した。
婚約者だからって、アレクと恋人らしい触れ合いなんてしたことない。淫らだ不潔だと言われぬよう、スキンシップは控えてきた。大好きな人に触れたかった。でも、私は王太子の婚約者だから。清らかな印象を保たねばならないから。婚姻まではと我慢してきたの!
あんなふうに腰を抱かれたことだって、顎に手を添えられたことだって、キスだってまだしたことない。
なんなの、あの男……っ!
あんなに簡単に触れられるなんて、自分が安い女になったようで屈辱だ。涙が出てくる。
もう、私の人生散々だわ!
「おい、フィオりん逃げるなよ」
私の影から死神が出てきて息が止まる。
なんで、いつ影に入ったの? 影を移動できるの? 私に逃げ場はないの? なんなの、どうして私ばかり不幸なの。
「~~~~~~~っ。妙な名前で私を呼ばないで!!」
「すまん。悪ノリが過ぎた。なぁ、無視するなよ!」
手首を捕まれ、振り向かされる。反動で涙が散った。
「………もうやめるわ」
「え?」
「疲れたのよ。もう、ひとおもいに殺して」
「やなこった。ていうか、死神に人は殺せない」
「……そう。自分で死ぬしかないのね」
「早まるなよ。どうせ、あと45日後には死ねるだろうが」
「もう、嫌……」
その場にへたりこむ。
「なぁ、フィオリア。あとたった45日の辛抱だぜ? 王子を振り向かせて、仕返ししたいんだろう?」
両肩を掴まれ、立ち上がらされる。
泣き顔と、笑い顔、珍妙なお面が私を睨む。
「だったら俺がお前を望みの場所へ連れて行ってやる。だから俺の言うことを聞け。な?」
離して、離して!
人の心をオモチャみたいに弄んで!
「貴方なんか───」
「お嬢様?」
声がし、ハッと振り向く。暗い廊下、侍女が怪訝そうに立っていた。
「今誰かとお話に?」
死神の姿は既にどこにもなかった。
逃げたわね。
「いえ、違うのよ」
「でも、男の人の声がしたような……」
「独り言よ。ちょっと寂しくなっちゃって、話し相手がいなかったものだから……」
「お嬢様……!」
侍女が哀れみの視線を向けてくる。
どうして私が恥をかいてまで死神を庇わないといけないのよ。まったく嫌な感じ。
そもそも、死神の姿は他の人にも見えるのかしら──逃げたのなら、見えるのかもしれないわね。