[2]現れた死神の男
死神と名乗った男は言った。
「貴女はこれから50日後、自ら命を断つのです。そう、この短剣を心臓につきつけて」
男は黒い手帳をパラパラめくる。
「ここに、その日の貴女の記録があります。えーと、まず、貴女はルルさんを殺そうとして失敗。アレクセイ殿下をはじめとする男たちに断罪され、いよいよ追い詰められた貴女は持っていた短剣で自害。いやぁ、実に思い切りのいい自害のようで」
何言ってるの、この人?
「おや、ポカーンとしておられますね。しかし事実ですよ。この未来は、これから50日後に必ず起こるのです」
死神───
たしかに、聖書にはそのような存在が出てくるわ。命が尽きた魂を肉体から刈り取って、天界へと運ぶ仕事人。
だけどそんなの、おとぎ話でしょう?
「貴方が暗殺者でないというなら、今すぐ去りなさい。人を呼ぶわよ」
「──ふむ。まだ信じていない」
パチン、と男が指を鳴らした。
その瞬間、ゆらゆらと部屋の中の影が動き出す。──ひっ、と口の中で悲鳴が消える。男が私の唇に人差し指を押し当てていた。だまれ、と言うように。
「フィオリア、お前のことならなんでも知っている」
男のひどく冷静な声が降ってきた。先程までの穏やかな雰囲気が消える。恐怖で体が固まった。
「19○○年、ディンバード公爵家に長女として産まれる」
それがなに?そんなの誰でも知ってるわ。そう言おうとして、目を見開く。ゆらりと立ち上った影の中に、赤ん坊が映し出された。銀髪にアメジストの目──見間違いようもない、私。
「5歳の頃、アレクセイ王太子殿下の婚約者となる」
影にはアレクとの出会いから、婚約式の様子が映し出される。何も知らずに無邪気に笑う私──この頃はとても幸せだった。
男は次々と、私の成長過程を影に映し出した。アレクと仲睦まじく過ごした日々が過ぎていく。
映像は王立学園の入学式へと変わる。あの日、ルルがアレクの腕の中に飛び込んできた。何かに足を躓かせて。視線が絡んだ二人を見たとき、心臓がギュッと痛んだ。今思えば、二人はあの瞬間、恋に落ちたのね。
アレクは平民出身ゆえの天真爛漫なルルの明るさに惹かれていった。日の大半を彼女と過ごし、優しく甘い言葉を投げかけ、愛しい者を見つめるようにして微笑む。その一方で、アレクは私に見向きしなくなっていく………いつからかしら、彼が私の目を見なくなったのは。
「もう、結構よ」
流れる映像は、私にとってあまりに辛いものだった。これ以上、見ていられない。
「そうか? もう少しあと、『ルルを虐めるな』と王子が事実無根の罪で君を断罪する瞬間なんて最高だけどな」
痛いところを突いてくる。性格の悪い男。
「………貴方は、本当に死神なのね」
影を操るなんて、人間にできるわけない。
そんな、魔法のような力を持った人間なんてこの世に一人もいないわ。
彼は紛れもなく、おとぎ話の住人。ただし本物。
「ようやく信じたか」
「ええ。こんな芸当、人間にはできないもの」
「それもそうだ」
「だけど、どうして今やってきたの? 私はまだ死んでないわ。貴方の話によると、私が死ぬのは50日後なんでしょう?」
「ずいぶん事務的に自分の死を語るんだな。死ぬのが怖くないのか?」
「怖いわ。だけど、もういいの。私は疲れたの……」
「だから死んでもいいと」
「ええ。なんなら予定を早めて今殺す? そうすれば50日後、ルルの殺人未遂なんて騒ぎを起こさずに済むわ」
自嘲気味に笑う。
「Oh, Jesus !!それだ、それ!生に執着しないこの感じ!だから嫌なんだ!」
「じーざす?は?なに?」
「人生諦めてるやつの魂は不味いんだよ。誰が不味い魂を好んで食いたがるか!」
「………えっと、つまり?」
「お前の魂は不味い。よって、刈り取りたくない」
美味しいとか、不味いとか、よくわからないけど、
「刈り取りたくないって。魂を刈り取るのが貴方の仕事でしょう?」
「───そう。死神は刈り取る魂の選り好みはできない。だから、刈り取り予定の魂を少しでも美味くしようと、50日も早くやってきたわけだ」
「美味しく……?」
「おお、見事な間抜け面だな」
そう言われ、ムッとする。仕方ないじゃない、よくわからない話ばかりなんだもの。
「まあいい。お前にはあと50日で幸福の絶頂まで登りつめてもらう」
「幸福になれば……魂は美味しくなるの?」
「そう、その通り。さすが、未来の王妃様。頭の回転が早い。……ああ、すまん、元その予定だった人、だな」
……この男、いちいち人を小馬鹿にしてくるわね。
「さて、お前にはこれから、幸福の絶頂に至るためのいくつかの"命令"を遂行してもらう。さぁ、元気よくいこう!」