[16]ミッション④王子に会うな《あと36日》
──エンデ伯爵と二人きりの馬車の中、私は静かな怒りに燃えている。
パーティー中に降ったらしい雨はすっかり上がり、馬車の明かりが濡れた石畳を照らす。死神が曇天を気にしていたのは、雨に振られて染髪料が落ちないか心配していたから、なのかしら……
私を置き去りにするなんて、あまつさえ他の男に預けるなんて、エスコート役失格よ。
今頃どうせ、私の部屋でくつろいでいるのでしょう? 帰ったら何て文句を言ってやろうかしら。
「彼が心配?」
向かいに座るエンデ伯爵が聞いてきた。青い仮面は外され、穏やかなブラウンの目がまっすぐ私に向いている。
「いいえ、別に……」
「彼は恋人なのかな?」
「まさか!違います!!」
「そうか。よかった」
「よかった……?」
「うん、よかった。ぼくが貴女の恋人に立候補しても問題ないということでしょう?」
「へ………」
にこりと微笑まれ、どぎまぎと視線をそらす。
「フィオリアさん、」
彼が何を言おうとしているか、嫌でも察しがつく。
やだ。逃げ場がない。馬車の中ってどうしてこんなに狭いの。
「ずっと、お慕いしておりました。貴方がアレクセイ殿下の婚約者であったときから」
息が詰まる。どうして、私なんか。
「今日、殿下の婚約者でなくなった貴女と対面し、身の程知らずにも、夢を見てしまった。……先程は、貴女が怪我をするかもしれないというときに、自身の怒りを優先し、貴女を守りきれなかった。しかし、今後は絶対に貴女を守ると誓います。何者からも。だからどうか、私の恋人になっていただけませんか」
「───エンデ伯爵様は良い方だわ、でも、」
私はアレクを愛してる。エンデ伯爵とダンスをしたのだって、アレクの心を取り戻すために、死神の命令に従って動いたからにすぎない。
それに………私はあと38日後に死ぬ運命なの。貴方と一緒にえがける未来など、ないのよ。
「いいんだ。気長に行くつもりだからね」
「エンデ伯爵様……」
私は困って、眉を下げる。
「キッドと呼んでくれると嬉しい」
「キッド、様……私なんてやめたほうがいいですわ。王家がバツをつけた私です。私を恋人や妻になんてしようものなら、王家の意向に背くのかと睨まれますわよ」
だから、こんな私を構って、貴方の大事な時間を無駄にしないで。
「大丈夫だよ。実家の力を借りるから」
実家……ジョーンズ公爵家ね。たしかに、現当主の奥様は元王女様だし、王家にはそれなりのコネがあるのかもしれない。
「きっとぼくは、この時のためにジョーンズ公爵家に産まれたんだね」
エンデ伯爵、キッド様は冗談っぽく笑った。こうして二人で話してみると、彼が意外にお茶目な方だとわかる。10個近くも歳上だとは思えない親しみやすさだ。
「でも、私──」
「答えを急かす気はないよ。君の将来には、ぼくの妻という選択肢もあることだけ、知っておいてほしい。ゆっくりと考えてみて」
やんわりと続く言葉を制され、断りの文句を言わせてもらえない。
……どうするの、なんだかすごいことになっちゃったわ。どうしよう、ビクター!
「ビクター!」
自室に駆け込むも、死神の姿はなかった。
テーブルの上にメモ書きが一枚置いてあった。
【次の"命令"だ。"王子には会うな"。それと、数日は戻らないので、そのつもりで】
紙を裏返す。白紙。
…………え、これだけ?
置き去りにしてごめんとか、あの後どうだった?とか、そもそも無事に帰宅できたのか、とか気にすることはたくさんあったでしょう?
それが、これだけ?
次の命令を下して、終わり?
「ほんっとに、サイテー!!死神の馬鹿ーーーー!!!!」
馬鹿なんて暴言、初めて口にした。
叫べばこれがなかなかにスッキリする。
「もう知らない!寝るわ!」
一日で色々なことが起きすぎて、身も心も疲れ切っていた。
ドレスを脱ぎ、化粧を落としてベッドに沈むと、すぐにまどろみがやってきた。
思い出すのは背に感じた死神の温もり、あの安心感、そして、髪から滴る茶色い雫、濡れた漆黒の毛先─────
"王子に会うな"
そう命令が下されて2日後。
未だ死神が不在の中、王城から私宛に手紙が届いた。
アレクからだった。
久しぶりに会おう、そんな風に書かれていた。
どういうつもりで、私を呼び出したのかしら。
───まさか、復縁の申し込みのため?
『やっぱり、君じゃないとだめなんだ。もう一度、僕の婚約者になってくれない──? ああ、ルルとは別れたんだ。僕が馬鹿だった、許してくれ、フィオリア──』
頭の中では、都合のいい妄想が繰り広げられる。
いいえ、………期待してはだめよ、フィオリア。きっと、そう、婚約破棄の手続きに不備があったとか、そういう類の呼び出しだわ。
"王子に会うな"
無理よ。だって、これは王城からの正式な召喚状だもの。応じなければ、臣下の忠誠を疑われるわ。
そう言い訳しながら、私の手は既に、ドレスを撰ぶべくクローゼットへと伸びていた。エンデ伯爵の告白の件などすっかり忘れて。