[12]ミッション③遂行中(1)《あと38日》
黒塗りの二頭立て馬車に乗って現れた死神は、完璧だった。
黒と銀の刺繍が施された青いジャケット、白いシャツに黒いパンツ、黒いブーツ。
野暮ったい漆黒のローブが取り払われ、顕になった体躯はしなやかで、手足は長く引き締まっている。
そして、まさに好青年然とした空気を纏う彼。──へんてこなお面がなければ死神だと気づかなかったところだ。
「どうだ? 格好良いだろう?」
ちょっと格好良いかもと思ってしまったけれど、認めるのは癪だ。
「まぁ、合格の範囲内よ」
「素直じゃないんだから」
ふん、と顔をそむけていると、私の全身を舐めるように観察する死神の視線を感じる。
「な、なによ……」
今日の私のドレスは、死神が見立てた花弁が重なったような薄桃色のドレス。死神が操っていたらしい化粧係が施した化粧は、あの日と同じ、淡い桃色を中心としたもの。髪も巻かれてしまった。耳には死神がくれた月光の石のピアスが揺れる。
一度は見た姿なのだから、改めて観察しなくてもいいでしょうに。
「綺麗だ」
「………」
思わずぽかんとしてしまい、慌てて表情を引きしめる。あまりにストレートな物言いに、素で驚いてしまったのだ。
咳払いをひとつし、居住まいを正す。
「あ、当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの」
死神は無言。お面越しにじっと見つめられ、居心地が悪い。
なんだか恥ずかしくなってきて、体が熱くなる。
───ていうか、何で黙ってるのよ。何か言いなさいよ。
息を止めていたのか、死神が大袈裟に息を吸い、吐き出した。
「さすが俺の選んだコーディネート」
……ああ、そういうこと。さっきの間は自分の手柄に感動していた時間だったのね。
何だか少し、がっかり。私に見惚れていたのではないのね。いえ、別にどうでもいいのだけど。
「お手をどうぞ、お姫様」
死神が手を差し出してくる。いつもしている黒い手袋はない。素手に触れることを少し躊躇いつつ、手を添える。彼の手はベルベットのように滑らかだった。
死神の誘導で馬車に乗り込む。流れるようなエスコート。すごく、手慣れているみたい。
歓楽街の女の人たちを連れて、どこかのパーティーに出たりするのかしら。
「おっと、君はここまでだ」
私に付き添う予定の侍女が馬車に乗り込もうとしたところ、死神が彼女の額に触れた。何か小声で囁くと、侍女はぼんやりとした表情になり、屋敷へ引き返して行く。
「ちょっと、何したの!」
「いつもやってるのと同じことだ。今更驚くなよ」
「でも、だけど、」
………あの子が来てくれなかったら、馬車の中で貴方と二人っきりになっちゃうじゃない!
「婚姻前の若い男女が密室に二人きりだなんて、許されないわ」
「それも今更だ。いつもお前の部屋で二人きりで過ごしているだろう?」
そ…………うだったわね……
でも、馬車は狭くて、それに近くて……
「何で隣に座るのよ!?」
死神は私の向かいではなく、隣に腰掛けてくる。あまつさえ、私の手を握ってきた。
もう、あまりのことに言葉が出ない。
「──今宵、俺は愛するお前のエスコート役を射止めた幸運な男だ。けれどお前は、別に俺に好意があって、エスコート役を許可してくれたわけじゃない。本当はそんなの誰でもよかったんだ。ただ、俺が近くにいただけで。しかし、俺は二度とはないかもしれないこの幸運を、無駄にはしない。狙いは、お前の新しい恋人になることただ一つ。俺はなんとかお前の気を引こうと必死だ───」
「な、何を言ってるの?」
「今日の俺の設定だ。ああ、身分は外国の貴族とでもしておこう」
「せってい……」
ああ、設定、ね。
そうよね。愛するとか、恋人とか、変だと思ったのよ。嫌にドキドキしちゃったわ。
どうも調子が狂う。きっと、死神の格好がいつもと違いすぎるせいね。まるで知らない男の人と相対しているような気分だもの。
そうしてどぎまぎしてる間も、死神の指は、私の手をもてあそんだ。
手の甲をすっと撫でられると、電流が駆け抜け、鳥肌が立つ。未知の感覚に、怖くなる。
「やめて。手を握る必要はないはずよ。誰も見ていないのだから、"設定"とやらをここで実演しなくてもいいでしょ」
「誰も見ていない……そうだな」
死神は私の手を撫でることをまだやめない。指の間に彼の指が絡められ、きつく結ばれる。
密着した所が熱い。そこに心臓があるみたいにどくどく脈打つ。
なんなの、一体。
「だが、演じる練習は必要だろう?」
「練習……」
練習……なら、仕方ないのかしら。
わからない。なんだか頭がぼうっとして。
馬車は進む。カラカラと音を立てて。
いつもおしゃべりな死神は、あらぬ方向に顔を向け、やけにおとなしい。
永遠にも思える沈黙の時間が過ぎていく。
感じるのは二人の息遣いと、繋がる手の温もり、そしていつもより早い心臓の音。
「………貴方って、髪の色は茶色だったのね」
沈黙に耐えかねて、質問する。
いつもはローブの深いフードに隠れている死神の髪は、柔らかにウェーブがかかった焦げ茶色だった。
特に珍しい色でもないから、隠す必要なんてないのに。なぜ、いつもあんな頑なにフードを取ろうとしないのだろう。
「ああ、まあな」
死神は素っ気ない。彼の興味は窓の外、一雨降り出しそうな曇天に向けられていた。
少しムッとする。
恋人の演技をするというのなら、余所見せず、私だけを見ていなさいよ。
「ねぇ、貴方名前はないの?」
「え?」
やっと、死神がこちらを向いた。
達成感に満足する内心の喜びを抑え、神妙な面持ちを作る。
「皆の前で死神さんと呼びかけるわけにはいかないでしょう?」
「ああ……」
「前に、"ヴィ"と呼ばれていたわね?」
「ヴィ────、ビクターだ」
「ビクター?」
「俺の名前。今夜はそう呼べ」
「ふーん、ビクターね。ありきたりな名前。死神というともっと派手な名前かと思ってたわ」
「ふん、悪かったな。お前も王太子の元婚約者にしては充分ありきたりな名前だぞ。加えて古臭いときた」
「悪かったわね!……仕方ないでしょ。私の名前は100年も昔に生きた曾祖母の名の"フィオーリア"から取っているのよ」
「ああ、それで。いかにも名家がやりそうなことだ」
死神に、いつものからかい調子が戻ってきて、ホッとする。
貴方が無口だと、落ち着かないのよ。
「ねぇ、カーライル子爵家の夜会では、自家で作られたチョコレートが出てくるので有名だそうよ。何でも、頬が落っこちるほど美味しいんだとか」
「当然、その噂は聞き及んでいるさ。チョコレートは俺の大好物だ。たっぷりくすめなければな」
「くすめるって?」
「人目を盗んで頂戴するのさ。見ろ、ポケットに亜空間を作っておいたんだ。300個は放り込んでやる」
ズボンのポケットの中には真っ暗な闇が渦巻いていた。
「呆れた。そんなことに力を使うなんて」
「何を言う。俺の力はこのためにあると言っても過言じゃないぞ」
「卑しいわよ。神様のくせに」
「神様っつったって、死神なんぞ下っ端の使いっぱしりだからな。これくらいの楽しみがないとやってらんねぇぜ」
「まぁ、殊勝な業務態度ですこと……!」
その後も、会場に到着するまでくだらないやり取りが続いた。けれど繋がれた手は、ついぞ離されることはなかった。