91話:制圧
遠くから土煙を挙げて突撃してくる黒衣騎士団を前に、西門を預かる青銅騎士団長ショック・ゲルは大声を張り上げた。
「開門せよ。各自、予定の配置につけ!」
日の出と共に動き始めた黒衣騎士団。その先頭には大将であるオルゴー・ブレイドが帝国騎士の証明たる白銀の鎧を身に纏い、鹿毛の馬に跨って全軍を率いている。
十人がかりでようやく開く巨大な門扉を、青銅騎士団が一気に押し開く。ちょうど、ものの数十秒もしないうちにオルゴー達が門に到着するところであった。
まったく演習などすることも出来ない中、息がぴたりと合った連携ができているのは、まさしく奇蹟に近い。ルクタを通じて決行の時間を確認していたこともあるが、それ以上に先頭を走るオルゴーの手綱捌きが見事であった。馬の気持ちを全て把握しているかのような、速度の調節は一朝一夕で出来るものではない。
しかし、まだ門が開いただけである。青銅騎士団はこれから、彼らを迎え撃つ形を取りながらも、剣を交えることなく王宮へと送らねばならない。
オルゴーを先頭に、西門に雪崩れ込んでくる黒衣騎士団に対して、青銅騎士団は門の近くにいる者から順に通りの両端へと退いていく。
まるで、黒衣騎士団が青銅騎士団に中央突破を仕掛け、真ん中をぶち抜いて進んでいくような形だった。
「ぐあっ!!?」
「うぐッ!」
決して広い門ではない。そもそも、攻め込まれないように作られた門なのだから、雪崩れ込むと当然ながら事故が起こる。一人が落馬すると、それに重なるように後に続く数騎がつまずいて落馬していく。
ただでさえ青銅騎士団の真ん中を突き進むのだ。逃げ遅れた青銅騎士団の従士が馬に跳ね飛ばされて、周囲に引き摺られて救出される場面があちこちで見られた。
しかし、ここで黒衣騎士団が進軍を緩めてはならない。それぞれの門に陣を敷く帝都ではあるが、他の騎士団の動きを全く感知していないはずがないのだ。あくまでも、中央突破の勢いに押しつぶされているように見せなくてはならない。
多少の事故はやむを得ないとショックは言い聞かせた。危険な賭けには違いなく、もしも他の騎士団に意味が知れると、死傷者は段違いに増える。
「巻き込まれた者を助け起こしつつ、作戦を続行せよ。こんなところで死ぬなよ!」
ショックの声が明け切らぬ帝都の朝靄に響いた。
黒衣騎士団は進軍の勢いを決して緩めなかった。王宮へと続く大通りはまだ朝の市場も開かぬ時間であり、閑散としている。無論、それも踏まえての作戦であり、青銅騎士団は王宮へは向かうことなく黒衣騎士団が西門を通過すると、すぐに門を閉じた。
「他の騎士団に気取られるな。声をあげ、戦闘が行われていると思わせろ。伝令、各門へ報告に行け。『作戦は予定通り進行中。一斉に帝都の外から黒衣騎士団を囲み、挟み撃ちにせよ』と伝えろ」
三方向へ伝令が飛び出していく。これで、他の騎士団は揃って帝都を打って出て外から西門に向かってくる。黒衣騎士団は既に王宮へと向かいつつある。帝都の外には、陽動部隊として二百名の黒衣騎士団が存在しているだけである。彼らは他の騎士団に発見され次第、森に逃げ込んで黒衣騎士団が潰走したと勘違いさせるために存在している。少しでも時間を稼ぐのが目的であり、他の騎士団が油断して勝ち鬨でもあげようものならば、大万歳である。流石にそこまで間抜けな展開にはならないだろうが、高木の帝国乗っ取りもあって、リガルド帝国への求心力は失われている。予定と異なる展開に、他の騎士団は少なからず判断に迷いが生じるはずである。
あとは、黒衣騎士団が如何に素早く王宮を制圧して、腐敗の元凶たる一部の貴族や帝国騎士団の団長らを捕らえられるかにかかっている。
西門は作戦通りに進んでいる。ショックは怒濤の勢いで王宮へ向かっていく黒衣騎士団を見送りながら、全てを託した。
一方で、王宮にて様子を眺めていた帝国騎士団長バダムは開いた口が塞がらなかった。
新帝王が即位して数日。それまでに帝王と深く繋がってきたバダムにとって、この数日間は非常に充実していたといっていい。
帝国騎士の大半は帝都の治安維持に動かされたが、本部として騎士団長であるバダムや、腹心数名は王宮に残ることが許された。
帝国騎士の中でもとりわけ野心的な彼らは、剣よりも口を動かす方が得意であり、高木の帝国乗っ取りに関しては寧ろ好機と捉える向きが強かった。
いくら行動力があり、知謀に長けているといえども十七歳の少年に過ぎない。色に溺れてしまうところなど、可愛らしいものである。
バダムは腹心に美女を集めさせて、毎日高木の前に連れてこさせた。これで帝王はほとんど帝国騎士団の傀儡となり、政治をバダムが取り仕切ることすら可能であるはずだった。
あの小生意気で清濁併せ呑むことすら知らないオルゴーの反乱に関しては、新帝王と意見の一致も見た。確かにオルゴーならば正面突破しか有り得ず、高木の考えた作戦もまた、帝国騎士団の戦力を疲弊させることなく勝利を収めることができるものである。
反乱の鎮圧さえしてしまえば、後は高木を上手く操ってしまえばいい。
その筈だったのだが。
「団長、王宮は包囲されました!」
腹心の一人が告げた言葉は、あまりにも意外なものだった。
迎え撃つ青銅騎士団は勇猛果敢な騎士として有名である。そんな彼らがあまりにあっさりと負けることが信じられなかった。
「いや、慌てるのは早い。他の騎士団がすぐに応援に駆けつけるだろう」
「そ、それが……各騎士団は帝都の外周をつたい、作戦通りに外から黒衣騎士団を包囲するために走っています。王宮の守りは……我々だけなのです」
「す、すぐに帝国騎士団を呼び戻せ!!」
「いえ、ですから……既に王宮は包囲されており、救援を依頼することすらままなりません。正門を突破され次第、黒衣騎士団が雪崩れ込んでくるでしょう……」
項垂れる腹心に、バダムは思わず激昂して壁を蹴りつけた。
どうなっているのだ。いくら黒衣騎士団の勢いが強くとも、青銅騎士団がそう簡単に敗れるはずがない。
否、そもそも突破されたのならば、他の騎士団も異変に気付いて作戦を変更するだろう。
どうしてこのようなことになったのか。これではまるで、青銅騎士団が無能の集団のようではないか。
「いや……青銅騎士団か!!」
バダムの脳裏に、ようやく青銅騎士団の内応がよぎる。
だとすれば――この作戦は。新帝王の考えた作戦というのは。
「よお、久しぶりだな団長」
ふと、どこかで聞き覚えのある声が耳に届いて、バダムは振り返る。
バダムのすぐ後ろに、筋骨隆々とした帝国騎士ガイ・ストロングが不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「ガイ……!!?」
「悪いな、裏切っちまって。けどまあ、これも世直しのためってヤツだ。抵抗しなけりゃ殺しゃしねえよ」
言うが早いか、ガイの丸太のような脚が側近を蹴り飛ばし、バダムの首筋に剣を突きつける。
「……貴様、目をかけてやっていたというのに」
「ああ。けど俺より苦労したオルゴーを閑職に追いやり、政治に首を突っ込もうとやがって。そういうのはな、騎士の仕事じゃねえんだ」
ガイが溜息混じりに呟く。若い頃はバダムも優れた剣の使い手だったというが、長らく剣を握ってすらいないのだろう。醜く突き出た腹が、寧ろ痛々しいほどだった。
王宮の占拠はあっという間だった。
かつて隣国フォースで内乱を起こしたレイは踏まねばならぬ順序を知っており、手際よく兵を導いていく。
「他の騎士団は今頃、青銅騎士団に閉め出されている頃だろう。時間は十分にある上に、王宮は無傷で護りやすい。各員、配置につき外部からの攻撃に備えろ」
レイの指示に、黒衣騎士団は次々に王宮の門を守備するために散っていく。門を閉め、防衛に徹すれば時間を稼ぐことは出来るだろう。
「さて……後は黒衣のサムライとやらがどう動くか、か」
レイはそびえ立つ王宮の前で、風変わりながら実直で憎めない、自分たちの団長を思い返した。
既にオルゴーは王宮に入り、二階の占拠を終えているだろう。玉座は五階に位置しており、黒衣のサムライが洒落者であれば、そこでオルゴーを待ち構えているはずだ。
見たこともない高木だが、その存在感は強かった。オルゴーやヴィスリーが常に高木の身を案じ、或いは高木に倣って行動していたのだ。
実際に大きな戦闘もなく帝都まで辿り着き、ついぞ槍を振るうことなく王宮を占拠しているのも、高木が内部から崩してくれたおかげだろう。
「レイ師団長、王宮の防衛隊、配置完了です」
従士が報告するのを聞いて、レイは頷いた。
後は、高木とオルゴーに任せてしまえばいい。
三階に進入したのは、オルゴーとヴィスリー、ルクタ、ナンナの四人に加えて、第二師団長のシェイドだった。
既に二階の制圧は完了している。近衛兵などが数人いたが、全員が大人しく投降してくれた。聞けば、高木の命令で、不要な戦闘は行わないよう言われていたらしい。
他にも、召使いや下働きなどがいたが、多くの者は素直に保護されている。料理長だけが高木の助命を嘆願していたところを見ると、高木が不思議と他人を惹きつけるのは相変わらずだと認識させられる。
「三階は本当に無人に近いな。後続に任せて、上に行くか」
「ええ。しかし十分注意してください。タカギさんのことですから、素直に対面というわけにはいかないでしょう」
オルゴーとヴィスリーが頷き合い、四階に続く階段に到達する。しかし、そこで歩みは止まった。
四階へと続く階段の麓には、見覚えのある男と、知らない顔の女騎士が立っていたからだ。
「……なるほど、こりゃ素直に通してくれないみたいっすね」
シェイドが戦斧を掲げて前に出る。それに呼応するように、女騎士ルルナが前に出た。
「これより先は通さない。通りたければ、我々を倒していくことだな」
ルルナの凛とした言葉に続けて、隣に立っていたファウストもにこりと微笑んだ。
「お久しぶりですね、オルゴーさん。それにヴィスリーさんにナンナさん。ルクタさんは、昨日に会いましたね」
ルルナとは裏腹の、間の抜けた言葉にルクタが脱力する。この場面であまりにも穏やかな表情で立っていられることは、ある意味では凄いことなのだろうが、ファウストがそれをすると、本当の間抜けに思えてしまうから不思議だった。
「その様子じゃ、タカギには会えたみたいね」
「ええ、お陰様で。しかし、残念なことにあなた方を通すわけには行かなくなりました」
ファウストが本当に残念そうに溜息をつく。その様子を見て、シェイドが斧を構えた。
「団長、行ってください。こいつらは俺が引き受けるっす」
シェイドはそう言うや否や、巨大な斧を振り上げながら、ファウスト達に突貫する。
「せえいっ!!」
「下がれファウスト!!」
ルルナがそれに反応して、剣を構える。ファウストは咄嗟に横っ飛びして難を逃れたが、ファウストを庇おうとして立ちふさがったルルナは、重い戦斧の一撃を剣で受けたものの、勢いにあらがうことが出来ずに吹き飛ばされる。
「団長!」
「わかりました、この場はシェイドに任せましょう!」
オルゴーが駆け出すと、ヴィスリーとナンナが後に続く。ルルナが体勢を立て直し後を追おうとするが、シェイドに阻まれる。
「ファウスト!」
ルルナが叫ぶが、ファウストもオルゴー達を追うことが出来なかった。
ファウストの目の前には、ルクタが小振りなナイフを構えて立っている。
「ファウストは私が相手になるわ。貴方は紳士だから、女性には手を出せないでしょうしね」
「……これは参りましたね。私の弱点を見抜かれているようです」
ファウストは大きく溜息をつきながらも、口元だけでにやりと笑う。
最初から、ルルナと二人で全員を止めようとは思っていなかった。オルゴー以外の人間を足止めしたかったが、十分だろう。
「ルルナ、連携して行きますよ。私達の愛は、誰にも負けません」
「ああ、私達は、その、恋人同士だからな!」
よくわからない勢いで、ルルナとファウストが頷き合う。
ルクタは内心で溜息をつきながらも、シェイドを見る。できればこの二人は殺さずにおきたいと思うのだが、シェイドには敵としか映っていないだろう。
「ルクタさん、まずいっすよ」
そのシェイドは斧を構えながら、ぼそりと呟いた。
「妹が、知らない間に……変な男とくっついてるっす!」
シェイド・ルナ。そして、ルルナ・ルナ。
十数年ぶりの兄妹の再会だった。
割と堂々と名字を一緒にしていたシェイドとルルナ。
案の定、誰も気付いていなかった模様です。髪の色まで一緒にしていたのに。
いや、気付かないだろうという前提を元にこの展開にしたわけですが。
何はともあれ、最終決戦間近。
そろそろ黒衣もお終いです。