90話:決断
結婚式も誓いの言葉もなかったが、結婚は結婚で、初夜は初夜である。
帝王の寝所に入った高木はいつものようにノートを開いて、日記をつけ始める。フルーデリヒは枕を抱いて、高木の細い指が己の身体をなぞる様子を想像した。
たまらない。あの理知的な表情がどのように昂ぶるのか。想像するだけで心が弾む。否、興奮する。
経験など当然無いが、いつ他国へ嫁いでも恥ずかしくないように、知識は得ている。夫婦なのだから、自分だけが受け身ではいけまい。何ならば、自分から攻める気概で行かねば。
「マサト君……」
「マサト、一緒に寝よー!」
フルーデリヒが意を決して高木に声をかけようとしたときだった。エリシアが寝所の扉をスパーンと開け放ち、フルーデリヒの横を通り抜けて高木に飛びついた。
「こらこら、もう少し待て。日記を書いている最中だ」
「うん。じゃあ、先にベッドで待ってるね」
エリシアが帝王専用の大きく立派なベッドにぴょんと飛び乗り、待ち構えていたフルーデリヒとぱちっと目を合わせる。フルーデリヒは当然、突然の闖入者に呆然としているが、エリシアは無垢な笑みを向けて、こう言うのだった。
「フルちゃんも一緒なんだね。ベッド広いから三人でも全然平気だよー」
新婚初夜は川の字で眠ることが決定した。
フルーデリヒがこっそり枕を涙で濡らしたのは言うまでもない。
高木が帝王の座を奪取して五日になる。
オルゴーの元に戻ったルクタは、溜息をつきながら黒衣騎士団の幹部に街の様子を説明していた。
既にオルゴーも高木の行動は伝え聞いており、神妙な面持ちをしている。決して帝王陛下を憎んでいたわけではないオルゴーにしてみれば、高木の行動は暴挙以外の何物でもない。
レイやシェイドなどの、帝王にさほどの興味を持たない人間にとっては高木の行動は痛快であったが、ルクタの報告が始まると、途端に顔つきが真面目なものになった。
「言っちゃ悪いけど、史上最悪の暴政ね」
吐き捨てるように言うルクタに、ヴィスリーとナンナが不思議そうに顔を見合わせる。
発達した異世界の世の中を知る高木ならば、たとえ政治に詳しくなくとも悪政などは敷かないだろう。ただでさえ頭が良く、決断力にも優れているのだ。派手な改革の所為で、そう見えているだけなのではないかとルクタを見る。
「税の引き上げだって貴族達が大騒ぎよ。それが街に筒抜けになって、町中が大混乱。しかもタカギのヤツ、王女様を妻にしたばっかりなのに、早速側室を囲い始めたのよ。帝都中から美人を集めて、迎え入れてるって話よ」
聞けば、年頃の娘で見目麗しい者ならば身分を問わずに側室に迎え入れているという。既に五十名以上の妾を囲っているらしい。
「姉御にエリシア、レイラにヒトミさんまでいて、オマケに王女様もいるんだろ。まだ増やすか」
ヴィスリーが思わず笑ったが、オルゴーとルクタの視線が険しかったので、首をすくめて見せる。予想外という点においてはまったく高木らしい行動であるが、旅の間に誰にも手を出さなかった反動でも来てしまったのだろうか。
「何か理由でもあるのじゃろう」
「理由って何よ。毎日、五人ずつ相手にしてるって噂よ。それでついた渾名が絶倫帝王なんだから、もう調べるのも馬鹿らしいったらありゃしないわ」
ルクタが投げやりに言うと、オルゴーは曖昧に頷いた。
あの高木が、そんなことをするとは思えない。きっと何か理由があるはずだと推察するが、その理由が見えてこない。高木のやっていることは間違いなく単なる暴政だ。しかも色欲に耽る暗愚である。
ルクタも高木に直接問い詰めたわけではない。それどころか、ファウストやルルナ以外の人間と連絡を取ることすら出来ず、彼らも高木の真意を掴みあぐねていた。ファウストは何度か王宮まで足を運んだと言うが、高木が何を考えているのかわからないと言う。
オルゴーが考え込んでいると、レイがふと口を開いた。
「しかし、街が混乱しているならば好機だ。黒衣のサムライとは策略家なのだろう。おそらくは、この混乱に乗じて攻めよということだろう。ただでさえ暴政を敷く帝王だから、騎士団長らも素直に従わず、指示系統にも乱れが生じるはず」
レイの意見にシェイドも頷く。高木が黒衣騎士団の為に動いていることは、ルクタにもよくわかっている。
治安維持の名目で、高木は王宮に詰めている帝国騎士団と近衛騎士団をほぼ全軍、街の見回りに駆り出している。特に西門以外の部分を重点的に見回っているようで、青銅騎士団が味方である以上、オルゴー達の行く手を遮るものは何も無いと言って良い。
側面からの奇襲を恐れての采配と取れなくもないが、だからと言って正面や中央を薄く守っては意味が無い。高木の戦略に文句が起こる様子も見受けられ、忠信の高い騎士や、高木を見限った騎士などは帝都を離れている有様である。
どう考えても、これらは黒衣騎士団。ひいてはオルゴーに有利である。しかし、ならば国を弄ぶような真似はどういうことなのだろうか。増税は必要事項であるかもしれないが、女を不必要に囲うことなどタダの色欲でしかない。
「……仕方ありませんね。タカギさんの思惑はどうあれ、これ以上国民に苦痛を強いるのはいけません。明朝、全軍で帝都を攻めます」
オルゴーがはっきりと言うと、それまで黙っていたガイが「黒衣の兄ちゃんはどうするんだ?」と尋ねた。
「タカギさんであろうが、国を苦しめる存在を許すわけにはいきません。彼のことですから何かしら策があるのでしょうが、私は私の道を進むだけです」
オルゴーの言葉に迷いはなかった。高木にオルゴーが頼んだのは、道を違えさせないように手綱を握って貰うことだった。
或いは、これは高木なりの最後の意思確認なのかもしれない。たとえ相手が高木であろうと、迷わずに進んで見せろということなのだと、今はそう思うしかなかった。しかし、ガイはそれでも食らいつく。
「おいおい、ちょっと待てよ。この短期間で帝都に攻め込めたのは兄ちゃんのおかげじゃねえか。そりゃ、やり方は間違ってるかもしれねえけど、おかげで王宮まで苦労せずに突き進めるわけだろ。兄ちゃんがいなけりゃ、青銅騎士団がそっくりそのまま敵になってたんだぜ」
オルゴーの言わんとするところは理解できる。しかし、オルゴーをディーガまで支え、離れてもなおオルゴーのために動いてきた高木に、ガイは自分と似た立場にいると感じていたのだ。国を乗っ取るのはやり過ぎだとしても、オルゴーの言い方では高木も場合によっては斬り捨てるように聞こえた。
「勿論、タカギさんには感謝しています。私がここまで来られたのは、間違いなくタカギさんのお力添えがあったからこそ。しかし、私が道を違えたとき、彼は私を殴って叱りつけてくれました。私もまた、彼が道を違えたならば、それを制止せねばなりません」
オルゴーの言葉に迷いや揺らぎはない。ガイは押し黙り、そっとヴィスリーに目を向けた。
この中で一番高木と付き合いが長いのはヴィスリーである。表向きはオルゴーに同調するように振る舞っていたが、根っこのところではあくまでも、彼は高木の仲間なのだ。
「ヴィスリー、黙ってていいのかよ。兄ちゃんが殺されるかもしれねえんだぞ?」
ガイが言うと、ヴィスリーは思わず噴き出した。
張り詰めた空気の中、それでもヴィスリーは実に楽しそうに呵々大笑して、隣に座っていたシェイドの肩を叩いたりしている。
「何がそんなにおかしい」
レイが問いかけると、ヴィスリーはようやく笑い声を止めて、ふと真面目な顔になった。
「おかしいなんてモンじゃねえよ。オルゴーが兄貴を殺すなんて不可能に決まってるじゃねえか」
あっけらかんと言うヴィスリーに、ルクタがふと顔を上げる。
「概念魔法があるからかしら。けれど、ファウストに聞いた話じゃ、タカギはエリシアを助けるために魔法が使えなくなったって話よ。いくら口が達者でも、いざ勝負になればオルゴーに敵うはずなんてないわ。ヒトミがいても、あの子は人を傷付けられるような子じゃないわ」
「……わかってねえな。問題は兄貴じゃねえよ。オルゴーの方だ」
ヴィスリーが面倒臭そうに呟く。オルゴーは不思議そうにヴィスリーを見つめていた。
「私に何か、問題があるのですか?」
「あのなぁ、オルゴー。お前は兄貴の為に一度は道を違えようとしたんだぞ。それ自体は悪いことじゃねえけど、お前にとって一番大事な筈の目的を曲げてまで、兄貴の危機を助けようとしたわけだ。そんなお前が、どうやったら兄貴を殺せるんだよ」
「……タカギさんのおかげで、目的を見失わずに済んだのです。私はもう、迷いません」
「どうだかな。まあ、どうせ殺すんなら別の人間に頼むことを勧めるぜ。レイやシェイドの腕なら、兄貴なんざ一捻りだ。わざわざ恩義のある相手を自分の手で斬らなくてもいいだろ」
ヴィスリーの挑発的な言葉に、オルゴーは首を横に振る。
「斬ると決まったわけではありません。捕縛すれば良いだけの話ですし、直接聞きたいこともあります」
「兄貴が素直に捕まるたぁ、思えねえな」
「そのときは、せめて私の手で……彼の行動は、元はと言えば、私が彼に手伝ってくれと頼んだからこそのものです。言わば私の蒔いた種なのですから、私がけじめをつけるのは当然のことでしょう」
少しも迷わないオルゴーに、ヴィスリーは苦笑して肩をすくめた。
オルゴーの言葉に嘘はないだろう。ならば安心だった。怒り狂って出会い頭に斬りつけたとあれば高木は間違いなく死ぬが、オルゴーに会話の意志があるのならば、そこから先は高木の領分だ。
そして、オルゴーに迷いや揺らぎがないのは、高木ならば絶対に会話に応じてくれるという確信があるからだろう。
「……そこまで固い決意なら、俺がとやかく言えねえよ」
ヴィスリーはあっけらかんと言い放ち、不意にルクタを見た。
「青銅騎士団と兄貴は連絡を取り合ってるのか?」
「それがサッパリみたい。ちっとも連絡がないからファウストとルルナはタカギに会うために王宮に行ったけど、私も長居できる身じゃ無かったから、帰りを待てずに、こっちに戻ってきたわ」
「ってことは、青銅騎士団の助力も見込めなくねえか?」
「それは大丈夫よ。王宮にいる団長さんから伝令があったみたい。青銅騎士団は作戦決行と同時に黒衣騎士団と名を改め、オルゴーに従うように言われているらしいの。決行が決まれば日時を私が伝えることになってるわ」
つまり、作戦実行には何の支障もないということだろう。ヴィスリーはオルゴーを見る。オルゴーもヴィスリーを見返して、大きく頷いた。
高木の思惑は知らないが、それでも条件は整ったのだ。このまま時間が経てば経つだけ、不利になっていく。
「明朝、日の出と共に攻め込みます。目標は王宮。腐敗した騎士や貴族を一掃して、世を正します」
オルゴーははっきりと言い放ち、一同を見た。
全員がオルゴーの言葉に頷き、彼に注目している。
「ルクタは青銅騎士団に作戦時刻の伝達をお願いします」
「ええ、任せて」
ルクタがにこりと微笑む。オルゴーも微笑み、頷き合う。
「師団長は部隊編成を。帝都への門は青銅騎士団が開いてくれます。王宮はタカギさんの采配で兵がいません。戦闘はほとんど必要ないと考えて良いでしょう。足の速い者と騎馬で突撃隊を編成してください。不必要な戦闘は極力避け、王宮の包囲を最優先に」
「了解した」
「任せてくださいっす」
レイ、シェイドが頷くと、他の師団長達も頷いた。
「ガイは腐敗の原因となっている人物を挙げて、彼らを捕縛するための部隊を編成してください」
「おうよ」
「ヴィスリーとナンナは、私と共に行動を。最前列でみんなを率いる大事な役目です」
「あいわかった。我らが横に付いている限り、オルゴーには指一本触れさせぬ」
「そういうこった。安心して先陣を切ってくれや」
それぞれの役目が言い渡される。既に誰の表情にも迷いや不安はなかった。
決戦は、明日だ。
オルゴーVS高木
ようやくこの構図に持って行くことができたー
……できてるのか?