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89話:風呂3

 リガルド帝国第一王女フルーデリヒ・リガルドは、大きな悩みを抱えていた。

 大国の姫として生を受け、一流の食事と一流の教育を受け、高貴な服を身に纏い、おまけに誰もが見とれる美貌すら持っていたが、それらの全てが逆に彼女を苦しめていた。

 美しく才知に溢れた姫は、政略において最高の道具とも言える。生まれてから今日まで、日に日に美しく育つフルーデリヒは、それだけ政略の駒としての価値が増したのである。

 故に、リガルド帝国はシーガイアでも指折りの経済大国ザンドラの王子との婚約に至らせた。古き歴史と肥沃な大地を持つザンドラは産業の発展もめざましく、国交を持つとすればほぼ最高の相手である。

 リガルドのここ数年の重税はザンドラとの同盟締結のためと言われており、多大なる出資の決定打としてフルーデリヒとの婚約があった。

 豪奢な生活の代償と思えば、フルーデリヒも覚悟を決めねばならなかった。大多数の国民には決して手の届かない生活ができたのも、人生を選べない人形なればこそであると納得するしかなかったのである。

 しかし、両国の同盟締結の調印式で初めて自分の婚約者を見たときに、フルーデリヒは愕然とした。

 齢にして三十六。それだけなら珍しくもないが、既に頭は禿がかっており、腹は豚が丸ごと一頭つまっているかのような膨れ具合。おまけに鼻は潰れ、背も低く、目だけがギョロギョロと輝いていた。

 正直、これは気持ち悪い。いくら豪奢な生活を送ってこられたとしても、この相手は酷すぎる。

「いえ、けれども……きっと優しくて賢い人なのでしょう」

 一縷の望みを託して、フルーデリヒはザンドラ王子の噂を集めた。何か一つでも良い噂があれば、それで納得しようという悲壮な決意を固めて。

 戦に強いとか、政略に富んでいるだとか。商才でもいい。詩才でも。楽器が得意だとか。否、そんな才能ではなくてもいい。たとえば心が優しかったり、誠実であったり、花を愛していたり。

 フルーデリヒはとことん、ハードルを下げた。ザンドラ王子の良いところの一つでもあれば、それを愛そうと決めて。

 だが、悲しきかな。ザンドラの王子は暗愚と国民から小馬鹿にされる能無しであった。現代風に言えば、それがコンプレックスとなって見事なヒキコモリをカマし、根暗で陰険で他人を信じないという人間に成長してしまっていたのである。

 それを二十歳でやっていたならば、救いようもある。しかし、三十六である。フルーデリヒの感想は「こんな駄目人間、見たこと無い」であった。

 暮らしの良さはフルーデリヒ同様の待遇。或いはそれ以上だったかもしれぬのに、どうしてあそこまで暗愚になれるのか。それならば、自分の苦労と決意は何だったのか。

 娘を道具としてしか見ない父。国民に人気のある娘に嫉妬する母。友人と呼ぶべきは一人もなく、つまらないと思いながらも勤めと思って身につけた学問と芸術。恋の一つもできず、ただひらすら優雅なだけの暮らし。

 その結果が、同じ苦労を共有もできず、ただ暗愚なだけの不細工との結婚は酷すぎる。

 誰か助け出してくれないだろうか。貧乏の辛さは知らず、どれだけ馬鹿な願いであるかも知っている。だけど、明日の食事の心配をする苦労を買ってでも、あんな人間の妻になるのだけは嫌だ――


 つまるところ、高木はフルーデリヒにとって完璧に渡りに船であった。

 黒髪は異様であったが、ハゲよりは断然マシである。すらりと背は高く、顔も少々地味であるが悪くない。おまけに弁舌で行動力もあり、頭の回転も速い。十七歳と年齢も一緒だ。

 比べるまでもなかった。間違いなくこっちの方が良い。異世界人だろうが、国を乗っ取ろうとしていようが、絶対にこっちの方が良い。

 不思議なもので、そこまで考えたときに、フルーデリヒの中に淡い恋心が生まれた。異様であったはずの黒髪は、何者にも染まらぬ気高き色に思えてきて、地味な顔も理知的で渋く思えた。少々卑怯な手も、類い稀なる行動力と、悪魔も逃げ出す叡智の結晶であるとすら感じた。

 嗚呼、なんて魅力的な男性なのだろうか。彼こそが私を助けるために颯爽と現れた、物語の中に出てくるような王子様に違いない。

 そうとなれば逃すものか。こちとら絶世の美女と謳われ、教養を兼ね備えたお姫様である。異世界人恐るるに足らず。欲しいというならば、全部くれてやる。国も身体も心も、何だってくれてやる。

 ――言わば、究極の比較による一目惚れであった。


 ちなみに、高木がフルーデリヒを気に入ったのは確かであるが、国を乗っ取るための手段として、法外な要求を叩きつける丁度良い存在なだけだった。傲岸不遜な態度は全て、会議中に席を立ち帝王に近づくことを不自然に思わせない仕掛けであり、その最高の傲慢さが一国の王女を求めるという不埒な発言であった。

 その後、得意の詭弁と三段論法で騎士団長らを煙に巻き、いつのまにか帝王であると認めさせる作戦であり、その事の大きさに流石の高木も台本を幾つも作成して、どのような状況になっても対応できるようにと万全を期したのだ。

 その万全の中に、フルーデリヒが高木に一目惚れして、帝王と認めてしまうという状況は無かった。

 結果だけ見れば高木の思惑通りであるが、その実でフルーデリヒの一発大逆転が隠されていたことを知る者はいない。


 それにしても、とフルーデリヒは思う。

「みなさん、マサト君が好きなのですね」

 全員で風呂に浸かりながら、たまたま隣に腰をおろしたエリシアに話を聞いていた。

 これまでの旅のあらましを聞けば、自然と高木が全員に好かれていることがよくわかる。決して女心を解する人間ではないし、面白い話をするわけでもない。嘘が大好きでよく人を騙し、魔法に至っては才能が欠片ほどしかない。

 それでも高木を好くのは、長い旅の絆なのだろうか。或いは、人間としての魅力なのだろうか。

 エリシアにもそれはわからないらしい。ただ、エリシアにとって高木は暗闇から救い出してくれ、命も助けてくれた恩人であるという。優しく、頼りになる。いつも一緒にいてくれる。

 好きにならない理由を探す方が難しいとさえ言った。

「フィアもレイラも、ヒトミも。きっとね、色々理由があると思うよ。フィアは自分でも理由がわかってないって言ってたけど」

「……私は、都合が良いという理由だけで……ある意味で、利用しようとして」

「えへへ。それを言うと、本当にお互い様だよ。私は最初、マサトの大事なものを盗もうとしたんだし」

 エリシアは苦笑して、先ほどの剣呑とした空気とは打って変わってのほほんと湯に浸かる面々を見渡した。全員、会話を聞いていたらしい。フィアもつられて笑い、ぺろりと舌を出した。

「私は、問答無用で異世界から召喚しちゃったわね」

 レイラとひとみも、顔を見合わせる。やはり、苦笑いだった。

「私は、マサトを殺すために出会ったよー」

「最初は弄んでやろうって思ったけど……返り討ちにされちゃった」

 全員、割とえげつなかった。盗む、弄ぶ、強制送還、殺す。その中に「利用する」が混じっても特に問題なさそうだった。いや、単に渡りに船であっただけで、特に利用したわけではないので、フルーデリヒが一番真っ当な部類でもある。

「……よくよく考えれば、僕は割と女運が悪いな」

 幸い、強制送還以外は未遂に終わっているのだが、全部実行されていれば、間違いなく女性恐怖症に陥って、終いには殺されるという憂き目である。

 言ってしまえば、それらの全てを笑って許す懐の広さが今の結果に繋がっているので、男の魅力とは究極、度量の広さなのかもしれない。

「けれど、マサト君もみなさんのことが好きなのですよね?」

 フルーデリヒが言うと、高木は少したじろいで周囲を見た。

 確かにそうである。いわゆる一般的な恋愛感情とは違うのかも知れないが、全員に惹かれるものがある。

 ひどく現実的に解釈すれば、吊り橋効果と長い時間を共にした絆と言えなくもない。何度か訪れた命の危機を共に乗り越え、馬車という狭い空間で同じ時を過ごす。同じ恐怖を共感すると、それが恋愛感情に繋がるという事例は有名であり、また、長く一緒にいたり、何度も顔を合わせているとそれだけ好感を持つということも心理学では証明されている。

 百戦錬磨の恋愛上手ならばいざ知らず、十七歳で恋愛経験など片思いを含めても片手で事足りる高木である。交際に至ったのもひとみただ一人であり、心を動かされるのも、最早当然であろう。

 恋愛には疎い高木も、己の生き様が生き様であるから、心理学には多少詳しい。自分の感情の理由をそれらに合致させることはできた。それらが全てではないが、少なくともそれで己の浮気性を「仕方のないことだ」と諦められるならば、それはそれで良い。

「そうだな。口に出すと自分でも阿呆かと思うが、全員好きだ」

 高木はそれだけ言って、湯の中に頭まで沈めた。フルーデリヒにはよくわからない感情ではあるが、フィア達も仕方のないことだと納得しているらしく、顔を見合わせて笑っている。

 帝王ともなれば、側室を囲うことなど寧ろ義務に近い。リガルド三世――フルーデリヒの父も側室を二十名ほど迎え入れており、フルーデリヒには腹違いの兄弟が大勢いる。顔すら見たことのない弟や妹すらいるのだ。高木が全員好きならば、全員を側室に迎え入れてしまえばいいと思う。正妻の座はフィア達への負い目こそあれ、譲る気にはならないが。

「私のことも、好いてください」

 フルーデリヒに言える最大級の言葉だった。

 フィア達のように長く一緒にいたわけでもない。共に苦難を越えてきたわけでもない。決して彼女らを飛び越えたいとは思わないが、追いつきたいとは思った。正妻という立場に見合う想いでなくともいい。ただ、正妻でありながら側室に負けたくはない。

「……悪いが、約束などできない。僕だって、好きでこんな状況になったわけじゃない。フィア達に出会えたことは嬉しいが、恋愛という一点に関して言えば、ひとみとずっと添い遂げていたかった」

 高木はぷかりと湯から顔を出して、濡れた髪を掻き上げる。ひとみは俯き、何も言わなかった。

「……諦めません。私に訪れた最初で最後の恋愛なのですから」

 フルーデリヒが呟くと、高木はお姫様としての義務に思い至ったのだろう。曖昧ながらも頷いた。

 己の感情や行動を抑制することはできても、他人の感情などどうすることもできない。諦めないと言われてしまえば、高木からフルーデリヒに「諦めろ」とは言えなかった。

「ま、いいじゃないの。一人増えたってあんまり変わらないわよ、もう」

 フィアだけが、どこか達観したように笑っていた。

二度あることは三度ある。

黒衣恒例、お風呂の時間でした。


さて、ようやくハーレムっぽくなってきたけど、ハーレム終了のお知らせです。

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