87話:陛下
傍若無人な新帝王に、当然ながら騎士団長達は素直に従ったわけではなかった。
前帝王リガルド三世が地下牢に連れて行かれると、高木を認めないという声が上がり、一斉に会議の間を支配した。
フルーデリヒが認めたものの、それはあくまでも高木の策略であり、正式なものではない。この場で斬り捨ててしまえばいいという意見が広がり、王座についた高木は早くも命の危機を迎える。
だが、そんな不安要素を残したまま行動する高木ではない。
「破壊光線!」
「雷崩し!」
「切り刻め!!」
「燃えちゃえっ!!」
剣を一斉に引き抜いた騎士団長達に、光線と電撃と氷の刃と炎の塊が襲いかかった。超高熱の光が刀身を溶かし、電撃が剣を伝って感電を引き起こし、氷の刃が剣を弾き飛ばす。エリシアもレイラにもらった結晶で、剣を持つ腕に炎の塊をぶつけて慌てさせる。ショックも一応、隣で剣を抜いた男の腕を払い、剣を叩き落としていた。
「お姫様が良いって言ったんだから、素直に従いなさいよ。怒りたいのは私達の方なんだから!」
フィアの怒号は騎士団長達の理解の範疇を超えていたのだが、とりあえず勢いだけは恐ろしかった。
人間、怯えているときならば暴論もその勢いで脅威に感じてしまうものである。
「けど、ちゃんと事前に言っておいてほしいよ。なんで聖人がいきなり王様になっちゃうかな」
ひとみは再びマナを集めながら、運良く――もとい、運悪く誰からの攻撃も逃れてしまった騎士団長に笑いかけた。その笑顔の恐ろしさたるや光線の比ではなく、恐怖のあまりにぽろりと剣を零す。
「まあ、諸々考えたのだが、これが一番手っ取り早かったものでな。それで、オルゴー討伐の作戦だが実に簡単だ。オルゴーは馬鹿正直に突撃をかけるだろうから、敢えてこれを門を開けて引き入れる。ただし、門は決して広くはない。一度に通れる人間の数は多寡がしれているだろうから、うまく途中で門を閉じ、戦力を二分させる。ただでさえ少ない兵力だ。分裂させてしまえば対処も容易い。西門を守る青銅騎士団は街に入った者を叩け。残りは各門から一斉に城壁を回り、三方から後続部隊を囲んで殲滅。圧倒的な武力差だから、すぐに片がつくだろう。その後、青銅騎士団と挟み撃ちにする形を取れば、反逆者は全滅だ。国民に手を出すようなオルゴーではないから、帝都に触れを出し、緊急の場合は家に入り、事態が収まるまで絶対に外に出ないように厳命しておけ」
青銅騎士団にやや比重の傾いた作戦ではあるが、そもそも高木は青銅騎士団と行動を共にしてきた。真っ正面から黒衣騎士団を受け止めるとなれば被害も大きいので、他の騎士団からも不満の声はない。
当然、内応の約束がある青銅騎士団にとっても都合の良い話だった。本来ならばこの作戦を通させるだけでも、この場に高木が赴いた意義は十分である。しかし、異世界から来た黒衣のサムライという肩書きだけで、全員が素直に従うとも思えない。
やはり、あらゆる決定権を持つ帝王になってしまうのが、一番手っ取り早かったのだ。
「御下命、謹んでお受け致します」
ショックが頭を下げると、他の騎士団も作戦の合理性と、危険の少なさを鑑みて頭を下げた。不本意なれど、まずは目の前の黒衣騎士団を何とかしなければならないという思いが強かったのだ。それさえ過ぎれば、高木を謀殺するなり追放するのは簡単だ。
「この作戦は、時機が命運を分ける。青銅騎士団は攻撃よりも防御に専念して、時機に備えろ。他の騎士団には僕から伝令を飛ばす。伝令が来るまで、決して手を出すな。各自の判断はいざ戦闘となった場合の指揮に存分に発揮してもらいたいが、戦略を違える無能は僕の国に必要ない」
それだけを言い切って、高木は解散を告げた。
騎士団長らは、決して高木を認めたわけではない。高木を睨む目は鋭かった。
「……ああ、そうそう。寝込みを襲うなどと考えない方がいいぞ。フルちゃんが巻き添えを食うからな」
下卑た笑みをつくる高木に、騎士団長達はついに礼もせずに会議の間を飛び出していった。あまりのことに色を失っていた王族達も、従者に連れられて各々の部屋に戻る。
場には、青銅騎士団長ショック。フィア、レイラ、エリシア、ひとみ。そしてフルーデリヒが残っていた。
「……ふう。流石に緊張した。おっと、コーヒーが冷めてしまったな」
高木はちらりとレイラを見る。レイラは苦笑して、コーヒーカップの中に小さな炎を作り出し、一瞬で温める。高木は満足げに頷いて、ゆっくりとコーヒーを啜った。
「あーあ、やっちゃったわね。確かに手っ取り早いけど、どうするのよ。オルゴー云々じゃなくて、マサトが先に殺されそうだけど」
フィアは空いた席にどかっと座り、手をつけられることが無かった紅茶を飲む。流石に最高級の葉を使っているだけあり、味は良かった。
「まあ、やってしまったものは仕方あるまい。それよりも、みんなありがとう。咄嗟にしては息が揃っていたな」
「私達を誰だと思ってるのかな。どうせ何かやると思って、準備くらいしてるよ」
ひとみも席について、エリシアやレイラを促した。
「危ないことはしないで欲しかったけどね」
「まあまあ。とりあえず上手く行ったんだから良しにしようよー」
各々、手のついていないカップを取って、それまでの殺伐とした空気から打って変わって和気藹々とした、お茶会ムードになってしまう。事の展開についていけないフルーデリヒがぽかんとしていたが、ショックが席を勧めると、操り人形のようにすとんと腰をおろした。
「それで、お姫様をどうするの?」
フィアがちらりとフルーデリヒを見て、高木に問いかけた。
絶世の美女と謳われるだけあり、フルーデリヒの容姿は一種の神々しさすら備えるほどである。父が牢に放り込まれたというのに、場をまとめる胆力もあって、高木が気に入りそうだと嘆息する。
「ふむ。形式上は僕の嫁らしいな。頭も切れるし、堂々とした物言いも気に入ったが、フルちゃんにしてみれば僕は怨敵そのものだ。のっけから夫婦関係は最悪なのだから、僕の人生は安寧とはほど遠いのだろうな」
嫌われる要素が十分すぎて、高木は苦笑した。当然ながらそれぐらいの覚悟はあるし、そもそも形式上のことであるから、気にならないと言えば嘘になるが、苦悩するような問題ではない。
しかし、フルーデリヒは高木の顔を見て、にこりと笑った。
「少し動揺しましたが、もう落ち着きました。確かに父に刃を向けたのは悲しいことですが、暗愚ではないにしろ政治に興味の無い父が放逐されるのも、帝王の定めでしょう。怨敵など、少しも思いませんわ」
第一王女フルーデリヒ・リガルドはたおやかに微笑み、席を立つと、しずしずと歩き、高木の座っていた王座の隣。王妃が座るべき席にちょこんと腰をおろした。
「元々、政略結婚の道具とされる身です。どうせ道具ならば、暗愚ではなく行動力と理性に優れた夫に巡り会えたことを感謝すべきでしょう。ふつつか者ではございますが、末永くよろしくお願いします」
「え。あ、その……ちょっと待ってくれ。少々、予定と違う展開になってきている。状況を整理させてくれ」
「はい、マサト君。いえ、あなたとお呼びしたほうが夫婦らしいでしょうか?」
「せっかくだからマサト君を貫いてくれ。いや、そんなことよりも……」
どうしてこうなったのだろう。そりゃあ嫌われるよりは好かれる方がありがたいのだが、それにしてもこの展開は予想外だった。
何よりも、それまで和気藹々としていたフィア達が一転して、高木を睨みつけているのが非常に恐ろしい。ひとみだけは笑顔だが、間違いなく一番恐ろしかった。
「フィア。僕を元の世界に送り返すという話はどうなっていたか。何なら、今すぐにでも実行してくれ」
「張り倒すわよ」
退路もない。場所を馬車や宿舎から王宮に移しても、王女を面子に加えても、やっていることは同じだった。
むしろ、初対面の王女様がいきなり妻の座を鮮やかに奪い取っていっただけ、今まで以上にタチが悪い。
「ショック団長。今後の予定なのだが」
「さっき聞いた。万事上手く運ぶので問題ない。というか、こっちに話を振るな帝王様」
ショックは他の人間が消えたことで言葉使いも元に戻していた。高木が女性に囲まれて慌てるのはいつものことであり、余計に首を突っ込むと痛い目を見るのはファウストを見ているので先刻承知である。
「……くそ。ファウストを留守番にするんじゃなかった」
リガルド帝王、高木聖人。目下の悩みは女性問題である。
突然の帝王代替わりに王宮は大混乱を引き起こしていた。
前帝王リガルド三世を助け出そうと会議の間に突入してくる兵や、国が滅ぼされたと勘違いして逃げ出す者。ほぼ阿鼻叫喚の様相を呈しており、一時的に政府としての機能が完全に麻痺したほどである。
「リガルド三世の娘、第一王女フルーデリヒが認めます。ここにいるタカギマサトこそが、リガルド帝国の帝王にして我が夫なのです。近く正式な発表を行いますので、各々は落ち着き、今まで通りに過ごしなさい」
全てを解決したのは、フルーデリヒの言葉だった。鶴の一声とはこのことで、フルーデリヒが言うと、兵も料理長も学者や貴族も、みんな「承知つかまつりました」と頭を下げる。いくら王族であれど、十七歳の若き姫がここまでの求心力を持つものなのかと高木は素直に感心していた。
「どうやら、良い方向に事が進んでいるようだな。あとはオルゴーさえ何とかしてしまえば片がつく。それにしても、玉座というのは座り心地が良いものだ」
ふかふかで、長身の高木でも余裕の余りある背もたれ。長く座っていても疲れそうにない。少々ゴツく、きらびやかな装飾が邪魔ではあるが、なんとか持ち帰ってパソコンの前に設置したいなどと高木は考えていた。
夕食も豪華の一言に尽きる。事の展開上、フィア達も同席しており、流石に剣の使い手がいないのが不安だとショックも残っていたので、席を囲う面々は変わっていない。フルーデリヒを除く王族も共に晩餐を取るのがしきたりらしいが、体調不良などを理由に欠席していた。お互いに顔を合わせても微妙なだけなので、両者にとって都合が良い。
「ケーイチのハンバーグには届かないけど、美味しいじゃない」
フィアの歯に衣着せぬ物言いが、肉を切り分けていた料理長の耳に届く。シーガイアでも大国に列せられるリガルドの王宮料理長である。シーガイア全土を探しても彼以上の料理人はいないと、自他共に認めていた。
そんな彼の料理を、新帝王の友人と言うだけで列席している庶民が「届かない」と言ったのである。そのケーイチなる料理人とハンバークという未知の料理に、料理長の興味は完全に奪われた。
質問したい。ハンバーグというのはどのような料理なのか。材料は、調理方法は、味は。そして本当に自分の作る料理よりも勝っているのかと。
「ふむ。料理長さん、何か聞きたそうだが、どうかしたのか?」
高木が声をかけると、料理長は思わず平身低頭した。いきなり王座を奪った不埒者なれど、王女の認める新帝王なのである。本来ならば声をかけられるはずがない。
「い、いえ……」
「そう縮こまらなくてもいいだろうに。言いたいことがあるなら言えばいい。フィアが『届かない』と言ったのが気に障ったなら、僕から謝ろう。フィアは頭は良いが何も考えていないので、変なことを言うからな」
どう考えても変なことを言うのは高木であるから、フィアは無言でマナを練り、高木に風を吹き付ける。玉座がゴツかったので吹き飛ばされずに済んだが、眼鏡だけが吹き飛び、高木はやれやれと落ちた眼鏡を拾ってかけ直した。
本人自体が無礼極まりないという話であったが、どうやら他人の無礼も深く気にしない性質であるらしい。料理長はちらりとフルーデリヒを見て、彼女が頷くのを確認してから口を開いた。
「どうか、私めにハンバーグという料理を教えて頂きたく存じます。もしよろしければ、ケーイチという料理人にも一度、お会いしたいと」
鈴ノ宮家メイド、仁科恵一。異世界の料理長に勝手に尊敬される。
無論、本人はそのことを知るよしもない。
料理長には、ひとみがハンバーグの作り方を教えていた。
旅ではその料理の腕を発揮することのなかったひとみであるが、趣味に料理をあげるほど料理好きである。材料と調理器具さえ揃えば決してフィアやエリシアに後れを取ることもなく、現代の食材の幅を含めれば、レシピの数は圧倒的にひとみに軍配が上がる。
「挽肉って、この世界にあるの?」
「ひ、ひきにく?」
挽肉の歴史は古く、高木の知る限り紀元前三千年くらい前から、人間はソーセージの原型のようなものを食べていたとされている。
塩漬け肉の腸詰めというのがソーセージの語源であり、いつ頃から挽肉を使い始めたのかは知らないが、腸詰めにするからには、挽くという発想までそう時間はかからないであろう。シーガイアでもとっくに流通しているものだと思っていた。フィアが知らなかったのでもしやと思っていたのだが、リガルド帝国には挽肉がまだ一般化されていないらしい。
「だが、エリシアは知っていたな」
「うん。猟師に預けられていたときに、塩漬けにした肉を柔らかく食べる方法って言って、教えてもらったよ」
「な、なんと……そのような方法が!」
王宮料理長たるもの、気品に溢れた料理を作るものである。挽肉の技術自体はあるらしいが、あくまでもそれは堅くなった肉を柔らかくするための猟師の知恵という技術であり、調理方法として確立はされていなかったようである。
「香辛料も必要だからな。この世界ではちょっとした高級品になるだろう。ひとみは挽肉の作り方を知らんだろうから、エリシアが挽肉の作り方を教えてやればいい」
この世界でもハンバーグが食べられるようになるならば、それはそれで大歓迎である。
「挽肉が使えるとなれば、ソーセージも作れるようになるか。魚肉のすり身を使えば、つみれにかまぼこ、はんぺん。うむ、食文化も大いに発展するな」
未知の料理が次々と並び、料理長は目の前が明るくなっていく気分になった。
異世界の乱暴で無礼な男が帝王の座を奪ったと聞き、口に合わねば殺されるかもしれないと怯えていたのが嘘のようである。
「でも、この世界にコンロないんだよね……まあ、魔法でいいかな」
ひとみの独り言を聞き、料理長は魔法の勉強もしようと誓う。
王宮に関わる大多数の人間が高木達を歓迎しない中、料理長だけは一人、滂沱の涙を流して喜んだ。
帝王高木の快進撃。