85話:飛翔
ルクタが帝都の犯罪者組合から得た情報は、各騎士団の規模と配置。さらには主要人物など。他にはそれぞれの担当区域の詳細や、擁する魔法使いの人数など、有用なものが多かった。
それら全てを記憶できはしないので、きちんと書き取っていく。高木の薦めで文字を習ったが、なるほど、便利なものである。
掏摸師に礼を言い、ルクタは酒場を後にする。
「……次。青銅騎士団は西門ね」
ルクタは女豹の顔から、再び純真な町娘の顔になりすますと、静かに西門に向かって歩き出した。
西門に駐在する青銅騎士団は、規模こそ大きくない者の屈強な男が揃い、練度で言えば相当なものだと、素人に近いルクタにもよくわかった。
青銅騎士団には高木達がいるはずである。ただし隠密行動中であり、青銅騎士団も内応の約束を交わしているとはいえども、表向きは帝都の守備をしているのだから、迂闊には近寄れない。
フィアやレイラの知人であると言って面会するのは容易いが、お尋ね者であるから迂闊に「ルクタじゃないの」とでも声を上げられては洒落にならない。
高木ならば上手く取りなしてくれるはずだが、異世界人である高木が帝都に知人が居るというのも疑問の要素となってしまう。
「……ちょっとした賭けね」
ルクタは小さく呟きながら、きょろきょろと周囲を見渡しながら騎士団の仮設本部である宿舎の前に出た。それに気付いた青銅騎士の従士がルクタに近づいた。
「娘、道にでも迷ったか?」
男に声をかけさせるのはルクタの最も得意とさせるところである。すぐにしなを作り、上目遣いで従士を見た。
「この辺りに、青銅騎士団の皆様がいらっしゃると聞き及び、探しております」
「ちょうど、この宿舎が我ら青銅騎士団の本部となっているが、如何用だ?」
美しい町娘に従士は警戒心を解いている。容易いものだとルクタは内心で溜息をついた。
「風の噂で、ディーガのファウスト様がこちらにいると聞きました。かつて、ファウスト様のご寵愛を賜り、一目お会いしたいと思って……」
ルクタにとって、ファウストを選んだのは、彼が一番お調子者で、面識も薄いからだった。しっかりと顔も覚えていないだろう。いきなり名を呼ばれることもない。
「なんと、ファウスト殿の……わかった。少々待っておけ。いいか、絶対に勝手に入るなよ。ちゃんと連れてきてやるから」
妙な念押しをして、従士は宿舎に入っていった。なんとなくその行動の理由がわかるルクタだが、何にしてもファウストと連絡が取れるのであれば、それに越したことはない。
しばらく待っていると、従士がファウストを連れてやって来た。ファウストは身に覚えのないことに不思議そうな顔をしているが、ルクタを見て、見覚えのある顔だと気付いたらしい。声を上げようとしたが、咄嗟にルクタが「ファウスト様」と叫んで、彼の胸に飛び込んだ。
「ああ、お久しぶりでございます……」
「へ。あー、はい。その、お久しぶりですね……?」
突然のことに混乱するファウストに、ルクタはとりあえず安堵する。
このまま、人気のない場所で会話ができれば大丈夫だ。そう考えて、そっとファウストに耳打ちしようとするが、そこに一人の女性騎士が現れた。
「ファウスト、炎魔法について考えてみたのだ、が……?」
「る、ルルナ?」
びくっとファウストが振り返り、呆然としている女性騎士と目を合わせる。横で従士が「あちゃー」と手で顔を覆っていた。
「う、嘘だ……ファウストが浮気なんて……私というものがありながら」
女性騎士――ルルナの言葉に、ルクタは内心で「うわぁ」と呟く。まさかとは思ったが、やはりあのお調子者に、何故か恋人ができてしまっていたらしい。従士がファウストをわざわざ外に連れ出したのも、この鉢合わせを避けるためだったのだろう。
「ちょ、ちょっと待ってください。ルルナ、そもそも私達はまだ交際はしていないではないですか」
ファウストが慌てて言うが、その言葉が非常に不味いものであることは横ではらはらと見守る従士ですらよくわかった。
「芝居とはいえど、あのときのファウストの言葉は本気だったと……私はそう信じていたのに……」
「そ、それは確かにそうなのですが……参りましたね。いや、こういう展開はタカギ君に任せておきたかったのですが」
ファウストはたじろぎながらも、ふうと息を吐く。それがマナを集めているのだとルルナが気付いたときには、既にファウストの魔法は完成していた。
「天翔風!」
不意に突風がファウストの足下から起こり、ファウストとルクタの身体を持ち上げる。軽く十メートルは空に舞ったファウストは懐からレイラから預かっていた結晶を取り出し、さらに風を起こす。宿舎を飛び越え、裏路地に落ちていく。その間に、再び結晶を取り出してファウストは着地点に上昇気流を生み出すと、ふわりと地面に着地した。
完璧な風の制御と、レイラの結晶により連発が可能となった魔法だからこそ可能な、ファウスト独自の飛翔魔法である。
「三十六計、逃げるにしかず」
修羅場の先人、高木に倣ってとりあえず逃げる。それがファウストの選択だった。生まれて初めて空を飛んだルクタは目を白黒させているが、ファウストはルクタの手を握り、にっこりと笑った。
「ここならば、名前を呼んでも差し支えないでしょう。お久しぶりです、ルクタ・ファイズさん」
ファウストの記憶力は天才と呼ぶに差し支えないものである。
帝国一と謳われた魔法使いである。一度見た人間の顔を覚えることぐらい、なんということはない。
ましてや、そのルクタの立場を理解して、ファウストに近づいた理由を考えることぐらいは朝飯前である。
「思ったより、ずっと頭が良かったのね」
「ええ。あのタカギ君の隣にいたのです。否が応でも頭も回れば、機転も利くようになりますよ」
ファウストはそれでも、微妙にルルナのことが気にかかるのか、少し眉を顰めた。女の扱いが下手なのも高木と同様らしい。
「あの子にはちゃんと説明してあげるから」
「助かります。私はタカギ君と違って、一人の女性を愛することしかできそうもありませんので」
ファウストの冗談から、高木の置かれている状況もなんとなく察知できてしまうのが悲しいところだ。
「そのタカギに会いたいんだけど、いいかしら。大きな話は決まっているけど、細かい打ち合わせもしておきたいし」
「ええ、わかりました――と言いたいところですが、タカギ君やフィアさんたちは出かけていましてね。旅の一行で留守番は私とルルナだけなのですよ」
間が悪かったかと、ルクタは舌打ちをする。しかし、帝都はルクタにとって庭のようなものである。高木は長身の上に黒髪なので目立つだろうし、探すのはそう苦労しないだろう。
「何処に行ったのかしら。大体わかれば、探してみるけど」
「いえ、正確にわかりますが、探すのはやめておいたほうがいいでしょうね。捕まってしまいます」
ファウストは冗談っぽく言いながらも、内容は冗談ではないのだろう。目だけは真剣だった。
「地下牢にでも行ってるのかしら?」
「いえ。王宮ですよ。オルゴー・ブレイドを必ず倒す策があると、帝王様に献策するために出向いています。多寡が数人でカルマ教の中央教会に乗り込み、最高司祭の代替わりと魔法の弾圧の中止を成し遂げたタカギ君ですから、帝王も聞く耳を持ったのでしょうね」
なるほど、敵情視察というわけである。十七歳の少年にしては大胆不敵な行動であるが、高木らしい。
きっとオルゴー達にとっても有意義な情報が転がり込んでくるに違いない。戻ってくるのを待っていた方が得策だとルクタは判断した。
「あの女性騎士の誤解も解かないといけないしね。悪いけど、宿舎で待たせてもらえないかしら。上手く取りはからってくれる?」
「上手く取りはからわねば、ルルナが私を嫌ってしまいます。やらざるを得ませんよ」
ファウストはやれやれと肩をすくめて、今度は素直に歩いて宿舎へと向かっていった。
ファウストがルクタをフィア達の寝室に案内して、ルルナを招き入れると、とりあえず誤解を解く作業がはじまった。
ぽろぽろと涙を零し、ファウストの顔を見るなり「浮気者!」と怒鳴りつける荒れようではあったが、ルクタが黒衣騎士団のために諜報活動をしており、面識のあるファウストに連絡を取ったと説明して、それでも足りないので「私はオルゴーの恋人なの」とまで言わされた。全くその通りであるが、人に面と向かって言うのは少々恥ずかしい。
「う……で、では……また私は狂言に引っ掛かり、挙げ句の果てに……どうしてくれる。ファウストに気持ちが知れてしまったではないか!!」
とっくの昔に暗黙の了解であったルルナの恋心であるが、本人は隠しているつもりだったらしい。ファウストが「大丈夫ですよ」とルルナの頭を撫でてあやしており、ファウストなりにルルナの気持ちに応えることを示していたのだが、それに気付けていれば、やはりとっくの昔に交際に至っている。
「嗚呼、どうしよう。世が治まった暁にはファウストに結婚を申し込むつもりだったのに。計画が……」
「……だ、そうよ。見た目とは裏腹に乙女かと思いきや、自分から求婚するなんて騎士らしいわね。ファウストも何とか言ってあげなさいよ」
「それはちょっと困りますね。私としては、やはり交際の期間を経て、両家の顔通しを済ませた上で万事めでたく挙式するつもりですので」
二人の色々と突き抜けた計画に、ルクタは嘆息することしかできなかった。
確かにルルナに比べればファウストは段階を踏んでいるが、交際に至る前から結婚までの計画を真剣に練っているのだ。大小の差はあれど、おかしいという一点に関しては全く一緒だった。
「……とりあえず、お互いに好き合ってるんだから、先に交際しときなさいよ」
ルクタは段々と面倒になってきて、このやりとりを早々に終わらせようとした。ルルナとファウストは今になって、ようやく両思いであることをはっきりと自覚したのか、頬を染めて見つめ合っている。
この展開が羨ましいわけではないが、オルゴーは事を成し遂げるまでは自分が幸せになる権利など無いと考えているのだろう。未来のことなど一言も口にしない。うっかりではあれど、堂々と未来について語ることのできるファウストとルルナを羨ましく思った。
面識の薄いファウストとルクタではあったが、別行動ではあれど志を共にしてきた関係である。それぞれの道中について語り合い、それぞれのわかる範囲でお互いの状況を語り合う内に、時間はあっという間に経っていた。
外は既に薄暗い。しかし、高木達は中々戻ってこない。
「何かあったのかもしれませんね。タカギ君が捕まっていたりして」
「笑い事じゃないでしょ。バレたら私達全員、お終いよ」
「タカギ君に限って、そんなヘマはしませんよ。そうですねえ、逆に『手っ取り早い』とか言い出して、帝王を捕まえたりしているのかもしれません」
今度の冗談は受けた。ルクタとルルナが笑いながら「それは無い」と突っ込みを入れる。
そのとき、ちょうどばたばたと部屋の外から足音が聞こえてきた。高木達が帰ってきたのかと、出迎えるべく立ち上がったファウストだが、堰を切るように部屋に飛び込んできたのは高木ではなく、青銅騎士団の騎士だった。
「大変だ。タカギ殿が――!」
「た、タカギ君がどうしました!?」
「タカギ殿が、帝王陛下に剣を突きつけ――帝国を乗っ取った!!」
やりやがった。
ファウスト、空を飛ぶ――
おかげさまで累計PVが三百万を超えました。
これも皆様の日頃の御愛顧があってのこと。
本当にありがとうございます。