84話:子猫
オルゴー達が帝都を目前に陣を敷いたのは、高木ら青銅騎士団が宿場町を経って十日の後であった。
ガイが引き連れてきた二千の兵を加え、五千の大所帯となった黒衣騎士団は、帝都の西門近くの草原で様子を窺っている。
帝都に元々駐在している騎士団は四つ。帝国騎士団に、帝都守備騎士団。カルマ教の帝都教会を元に据えるリガルド神聖騎士団。それに、高名な貴族で構成された静かなる剣の騎士団。
ガイはこれらの中でも、特にリガルド神聖騎士団や帝都守備騎士団に働きかけて、兵を募った。聖地ケルツァルトの中央教会に黒衣のサムライが現れ、彼がカルマ教に新たな道を示し、黒衣騎士団の軍師にその黒衣のサムライが就いているという事実が、非常に大きな影響であったと言える。
帝都守備騎士団はどちらかと言えば、零落の危機にある貴族や、騎士の家系として無名である人間が集っており、古い考えの人間も多い。古い故に、騎士の在り方という根源的な精神論は効果的で、このまま野に下るよりは反乱に荷担して復興を目指すという思惑も相俟って、かなりの人数がガイに従った。
無論、ガイの見かけによらぬ駆け引きの妙や、各地でオルゴーが盗賊を討伐して、周辺住民からの圧倒的な支持を得ていることなどもあっての人数であるが、単純換算で倍の兵力になり、勢いも増したことで、来るべき決戦を前にしても、黒衣騎士団の面々は明るい表情である。
「タカギさんの筋書き……なのでしょうか。私一人では、絶対にこのような形にはなり得なかった」
オルゴーは馬上から帝都を眺め、隣に立つヴィスリーに話しかけた。
「まあ、兄貴の力も大きいんだろうけどな。ここから先は、オルゴーにしかできねえことだ。青銅騎士団が帝都に入ったって話だから、中に兄貴はいるんだろうけど、いざ戦争となったら兄貴に出番は無え。もう、兄貴のことは考えない方がいいぜ。自分の力で、自分の信じた行動をすりゃいいさ」
ヴィスリーの言葉に、オルゴーは少しだけ苦笑いを漏らした。
まるで、別れ際の言葉のようだ。確かに決戦を前にしているので外れではないのだろうが、飄々としたヴィスリーらしからぬ言葉でもあった。
「大丈夫です。私はもう道を違えません。タカギさんのことですから、自分の身を自分で守ることはできるでしょう。私も心置きなく、我が道を進みます」
「……絶対そうしろよ。そうでなきゃいけねえんだから」
ヴィスリーはそれだけ呟いて、真っ青な空を見上げた。
オルゴーが黒衣騎士団の本陣に戻ると、師団長などの幹部が集まり、今後の方針について言葉を交わす最中であった。
第一師団長、レイ・ウォース。第二師団長シェイド・ルナ。さらに第三師団長のヤーシャ。第四師団長のアミッド。第五師団長のハウロが続く。他にはナンナにルクタ、ガイの姿も見える。
「帝都の戦力だが、東西南北それぞれの門に四千の兵。中央の王宮に三千。まあ、およそ二万ってところだな。青銅騎士団は西門に配備されたそうだから、黒衣の兄ちゃんが手筈を整えてくれるだろ」
ガイの説明に、一同は頷く。
既に高木達は帝都に入っており、都合よく西門に配備されたと、斥候からの連絡が入っている。後は全軍で西門に押し寄せて、青銅騎士団の内応により進入。混乱する中、一気に王宮を攻め落とす。
「帝王は殺すなよ。あくまでも帝国騎士団をはじめとする、騎士達の専横を嘆いての行動だ。正直、オルゴーにとっちゃ不必要なことかもしれねえが、民衆や他の国を不用意に混乱させねえためにも、御題目ってのが必要だ。あくまで、腐敗した騎士達を排して、帝王を救い出すことを大義にしなきゃいけねえ」
ガイの言葉に頷いたのはナンナやレイを除く師団長達だった。
オルゴーは自分の行動に恥じるところが無いと思っているので、御題目など不要であると考えている。ガイの言う、民衆のためということも、真実を全て話せばわかってくれると思っているのだ。
レイはいっそ元凶を帝王として諸悪の根源から全部取り払ってしまいたいと思っている節もある。それでは国を正すというよりも、国を興すことになってしまうのだが、それで祖国を解放したという思いの強さ故に、ガイの言葉に素直に頷くことができなかった。
ガイは指で顎を擦って、じっとレイを見る。レイもガイを見ていたが、やがてにかっとガイが笑うと、折れたように苦笑した。
「わかっている。目的を違えたりはしない。助けてくれと頼んでいない王様を無理矢理助けるのだから、それはそれで面白いかもしれんしな」
特に面白くもない冗談を言うレイに、ガイは世辞でもなくガハハと笑い、オルゴーを見る。
「ほら、大将がだんまりじゃ格好がつかねえぜ。文句があるなら聞こうじゃねえか」
「いえ、文句はありませんが……しかし、なるほど。結果として腐敗する国政から帝王様をお救いできるやもしれませんね。それならば、これに勝る幸せはありません」
オルゴーの言葉は、半分は己を納得させるための方便なのだろう。それでも、騎士団長としての言葉としては十二分だった。
「少し話が逸れたが、あくまでも腐敗した王宮を速やかに占拠し、帝国騎士団長ならびに、貴族達の拘束を最優先とする。それでいいな、オルゴー?」
ガイの言葉に、オルゴーはしっかりと頷く。
「不必要な戦闘は極力避けてください。また、絶対に城下の人々を手にかけないこと。また、略奪をした者は死罪とします。本来ならば、志を共にする皆さんにこのような規律を押しつけるのは心苦しいのですが……間違いが起こってからでは遅いのです。どうか、従士達にも重々言い含めておいてください。我々は、民の盾です。決して剣を向けてはいけません」
オルゴーの信念を理解していない者など、この場には居ない。全員がしっかりと頷いた。
集団になればなるほど、人の心を志だけで律することは難しくなる。オルゴーが黒衣騎士団の全員を信じたいという気持ちも、それだけでは駄目だと理解している面も、この場にいる全員が承知していた。
「それでは、タカギさん達、青銅騎士団と連携を図るために斥候を送りましょう。斥候が戻り次第、出陣です。それまでは皆々、十分な休息を。帝都から打って出てくる部隊があるやもしれませんので、周囲の警戒だけは怠らないようにお願いします。木々の連なる場所には、タカギさんの発明したナルコをきちんと配備するように」
オルゴーの言葉で、作戦会議は終了となった。
余談であるが、別に高木が鳴子を発明したわけではない。
ルクタは町娘の格好に着替えると、帝都の犯罪者が使う抜け道を通って、懐かしい帝都の下町に出た。
オルゴーと二人で帝都を抜ける折には使用しなかった抜け道であるが、それはあくまでもオルゴーに抜け道を教えないためである。帝都の犯罪者にも義理や決まりはあり、組合に加入しているルクタにはその抜け道を使う権利があるが、オルゴーに教えることは掟に触れることになる。緊急事態であったが、当時のルクタにとって自分の身を寄せていた唯一の機関であり、大きな恩恵も受けていた。
故に、帝都への潜入と斥候はルクタが自ら望んで言い出して、一人きりで行うことになっている。
恋人のオルゴーには随分と心配されたが、そのオルゴーがこの帝都の薄汚れた地下牢でルクタに頼んだことなのだ。
オルゴーに力を貸す。それが今のルクタの生き甲斐で、成し遂げねばならないことだった。
オルゴーのように剣を振るうこともできず、レイラのように魔法を使うこともできない。そんなルクタができることは知恵を貸すことだけかと思っていたが、それすらも高木にお株を奪われた。
だが、帝都の地理に明るく、闇の世界に生きてきた人間だからこそ知っている裏道や抜け道。特殊な情報網を使えるのはルクタだけである。ようやくルクタが、はっきりとオルゴーの役に立てる時が来たのだった。
ガイのおかげで一度は死亡扱いとなり、指名手配は取り消されたが、オルゴーの蜂起で再び、ルクタは危険人物として指名手配を食らっている。顔も知られているが、そんなことで足が止まるようでは、帝都で強盗詐欺など働くはずもない。
下手に人相を変えることもなく、ルクタは買い物を頼まれた娘のように明るい表情で下町を巡る。目の前に黒衣騎士団が迫っているというのに、人々に不安の色や動揺は見られない。重税に苦しむ人々からすれば、戦火から逃れた後に、暮らしが少しでも楽になればとしか考えていないのだろう。
オルゴーが途中の街で略奪など行わず、逆に盗賊を討伐しながら進軍したこともあり、解放軍として歓迎している節もある。人心が国に無いことを示す顕著な例であった。
街の様子を一通り確認すると、ルクタはそのまま犯罪者御用達の酒場に足を運んだ。まだ日は高いが、時間を選ばない犯罪者達は、むしろ昼に酒場にいることが多い。
「よお、子猫じゃねえか」
顔なじみの掏摸師がルクタを確認して、ひょいと手を挙げた。女豹の通り名は役人にもしれているため、仲間内はルクタを子猫と呼ぶ。
「なんでえ。とっ捕まって、看守を誑かして逃げたって聞いてたが。戻ってたのか」
「ええ。ついさっきね。それよりも、随分とキナ臭いじゃないの。街の外には騎士が群れてるし、街の中にも幾つか騎士団が駐在してるし」
ルクタの言葉に掏摸師はカラカラと笑う。既にルクタの今の立場を風の噂で知っていたのだろう。ずいっとルクタに身体を寄せて「何が知りてえ?」と呟いた。
「あら、話が早いわね」
「危ねえ匂いにゃ金が動く。しがねえ掏摸師にもちったぁお零れがあるってもんでな。余所から来た騎士なんぞ、財布が歩いてるようなもんだし、調べない手はねえよ」
妙に羽振りよく酒を飲んでいると思えば、帝国騎士団が招集した騎士団から掏摸を働いたらしい。腕は確かで、相手が帝国騎士でもスってみせると豪語していただけあって、田舎騎士など本当に財布が歩いているように見えたのだろう。
「折角だから、知ってることを全部教えてもらおうかしら」
「おいおい、まるっと全部かよ」
「礼は払うわ。見合うだけの額をね」
掏摸師は再びカラカラと笑い、手を横に振った。
ルクタ――子猫の義理堅さは同業者には有名である。決して仲間を売らず、他人の仕事の邪魔もしない。共犯を作らないが、横との付き合いも多く、金に困らない貴族から掠め取る手口もまた、痛快であると言われていた。
「……俺に惚れりゃ、情報なんざ全部くれてやるんだがな」
「その言葉も、久しぶりに聞いたわね。ずっと躱してたけど、ごめんなさいね。帝国騎士を誑かしたんじゃなくて、私が誑かされちゃったの」
ルクタがぺろりと舌を出すと、掏摸師はやはり呵々と笑い、幾度も頷いた。
「そりゃあいい。いよいよ子猫になっちまったか。あの看守――オルゴーの噂は、地下牢に入った連中からよくよく聞いたぜ。だからかね、俺たちみたいなヤツは、黒衣騎士団を歓迎してる。あの看守さんが今度は、地下牢じゃなくて国ごと助けてくれるんだって、みんな喜んでるぜ」
この国に二人といない、罪人に好かれる看守。罪人に愛される騎士。それがオルゴーであった。
そしてそれは、この帝都の全てを知る組織に愛された男でもある。
「組合の決定だ。俺たちは黒衣騎士団の団長、オルゴー・ブレイドに協力を惜しまない。情報なんざ全部タダでくれてやる。俺だけじゃねえ。組合が集めた情報を丸ごとな」
掏摸師の言葉に、ルクタは久しぶりにオルゴーの本質を見た気がした。
そうだ。オルゴー・ブレイドはこういう男だった。いつの間にか、周囲を魅了してしまうのだ。彼の誠実さや心の強さは、人を突き動かす。
「……あの子猫が、女の顔するってことでも十分にオルゴーってヤツを尊敬するぜ、まったく」
掏摸師は酒を舐めて、見たこともない騎士に心の中で敬意をあらわした。