81話:少女
いざ戦争となると、戦略と戦術。そして力と技が激突するものだという認識が強いが、高木にはあまりそれがピンとこない。
個人の戦いならいざ知らず、勢力同士の争いで最も重要なのは情報であり、如何に情報を収集して、どのように有効活用するかが、勝利への第一歩であると信じている。
帝都では既に、オルゴー達の反乱が噂されており、青銅騎士団にも救援の命令が届いている。ケルツァルトに残った伝令が早馬を飛ばし、ショックに帝都防衛の命を伝えたのは、帝都へあと十日ほどの小さな宿場町でのことだった。
「どうやら、帝国騎士の煽動により、二千名ほどがオルゴー殿についたようだ。至急、駆けつけて帝都を守備せよと命令されている」
ショックの説明に、今後の予定を決めるために合流していた高木は、満足げに頷いた。
「ガイが動いたか。城門を中から開けてもらうために残っていてもらおうと思っていたが、どうやら僕たちにやらせるつもりだろうな」
真っ向からの帝都攻略は、多勢に無勢であり、およそ不可能である。そうなれば、当然ながら奇策に頼らざるを得ない。内部からの助力は、そのためには非常に有利であり、ガイがそれを理解できないはずがない。
「敢えてオルゴーと合流したのは、無視できない戦力と認識させるためだろう。おかげで、帝都の兵力が下がり、青銅騎士団に救援を求めてきた。僕がケルツァルトにいることは知っていただろうから、僕を内部潜入組にするという、ガイの作戦とみるのが一番妥当だ。内部を攪乱するには、ガイよりも僕の方が適任だろうから、まさに適材適所の素晴らしい戦略というところか」
高木が素直に褒めるのを、フィアは訝しんで見る。確かに適材適所を考え抜いた、見事な作戦だとは思う。高木がガイの動きを捉えれば、ガイの思惑に気付いて行動するところまで計算に入れている辺り、あの豪放磊落な帝国騎士もしたたかなものである。
しかし、どこか腑に落ちない部分もあった。
「……妙に素直に褒めるじゃないの」
「そりゃあ、ガイに連絡する手間が省けたからな。どういうわけか、ガイは同じ作戦を立てていたようだ」
さらりという高木に、フィアは大きく溜息を吐いた。二千名の兵をすぐに集めることが出来る筈がない。ガイは帝都に戻ってすぐに、仲間を集っていたのだろう。そうなると、高木はティテュスでガイと別れる前から、この作戦を考えていたことになる。
「どういうわけも、こういうわけもないでしょ。マサトが知恵入れしたくせに」
「ふむ、それをすぐに理解するのはフィアぐらいのものだ」
高木は楽しそうに笑い、呆然とするショックの肩をぽんと叩いた。
オルゴーと別行動をすることまでをティテュスで決めていたわけではなかったが、帝都に入る前までには別行動をすると、あらかじめ高木は決めていたのだ。オルゴーの強みは真っ直ぐと動くことにあるが、高木はどう考えてもこっそり動く方が強い。二人が行動を共にすることは、あまり得策ではないのだ。
「そういうわけで、僕たちは一旦、帝都防衛のために内部に取り入り、中からオルゴーを引き入れる役目を担う。末端まできちんと作戦内容を伝え、作戦内容を漏らさぬようにきつく厳命しておいてくれ。敵の虚を突く作戦だから、時機が何より重要だ。時機を逃さないためには、統制が必須条件となる。僕は献策や謀略などに明るいものの、現場の指揮は無理だ。ショックが頼りとなる」
「……それも適材適所か。お前は何でもできそうな気がするがな」
「やって出来ないことはないかもしれんが、できないかもしれん。優勢ならばいざ知らず、博打のような奇策に走るのだ。余計な不安要素は取り除く」
奇策とは、一手一手を博打で行うものではない。むしろ、相手の裏を掻くことにより、虚を突くので、博打の要素は下がっていくほどだ。
堅実な一手の積み重ねの結果、全体を見たときに奇策と呼ばれるだけであり、高木が今まで何度も死にかけたり、危機に瀕してなお生きているのは、どの策も博打の要素を極力減らしているからだ。
「さて、ならばのんびりとした行軍といこうじゃないか。こちらは官軍であり、帝都も歓迎してくれる」
高木は呵々と笑い、細やかな作戦をショックに任せると、自分の宿に戻っていった。
その夜、高木はエリシアと共に散策に出かけた。
小さな宿場町であり、さほどの特色もないが、屋台に並んだ甘い菓子を買い食いしながら歩くのが、エリシアにはとても楽しいらしい。
高木の腕を取り、砂糖菓子を頬張るエリシアを眺めるのは高木としても中々気分が良い。
しかし、今日のエリシアはいつもよりも少し元気がないようだった。屋台で焼き菓子を一つ買うと、少しずつ囓るだけで頬張ることもなく、ただぼんやりと高木の袖を掴んで歩くばかりである。
「……どうかしたか?」
高木が問いかけると、エリシアはふと顔を上げて、ふるふると首を横に振った。しかし、すぐにまた顔を俯かせて黙り込んでしまう。
「ふむ。僕に相談しにくいことかもしれないな。フィアあたりに相談してみたらどうだろう?」
「ううん。別にマサトじゃ駄目ってわけじゃなくて……ただ、随分と遠くに来ちゃったなって思ってただけだよ」
エリシアが恥ずかしそうに言って、目を伏せた。
高木は顎を指でこすり、頷いた。トールズの街で出会った頃が、随分と昔に感じるほどである。
「ねえ。マサトは……人を殺したことがある?」
「いや、無いな。元の世界では殺人は重罪で、僕の国は平和だったからな」
「……私もないよ。けど、これから始まるのは……戦争だよね。オルゴーが起こして、マサトや私達がそれを助けた……自分たちで起こした戦争なんだよね?」
ぴたりと、高木の動きが止まった。
いずれは触れねばならぬことだと思っていた問題である。極力触れぬようにしてきたものでもあった。
既に賽は投げられている。宿場町では、オルゴーら黒衣騎士団が盗賊を鎮圧しながら帝都を目指しているという噂で持ちきりだった。
「オルゴーは、人を殺したんだよね?」
「ああ。盗賊を次々とな。そもそも、僕たちに出会う前から盗賊を何人も斬ってきたという。別にオルゴーだけじゃない。レイラも、ファウストも人を殺めたことがある。この世界では、さして珍しいことではないだろう。ルルナやショックだってそうなのだから」
人殺しをよしとするような感覚を高木は持ち合わせてはいない。たとえシーガイアにあろうと、人を殺すつもりなど高木にはない。
エリシアが目の前で刺されて逆上したときの感覚は、高木を暗に苦しめていた。エリシア達を守るためならば、人殺しもやむを得ないと思うところはあるが、それでも気が進むことではない。
「戦争になれば、マサトも人を殺すの?」
「……そうしなければ、エリシアを守ることが出来ないときは、そうするだろう。勿論、エリシアだけじゃない。フィアもレイラもひとみも。ファウストやルルナ達も……青銅騎士団の人間もそうだ」
仲間を守るためならばという言葉は少々ありきたりだが、その思いは確かだ。
なんて陳腐な言葉なのだろうと思う反面、余計な飾りや洒落心を取り払っていった先に残る言葉なのだろうとも思う。斜に構えるほど捻くれてはいないが、単に正義の味方に憧れるほど正直でもない高木は、自分が抱える真っ直ぐすぎる気持ちに、戸惑いながらも喜びを感じている。
「正直なところを言えば、人を殺すという可能性よりも、それを厭わずに仲間を守る気持ちが自分にあったことが嬉しいんだ。僕はよく自分を冷血漢じゃないかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。名に恥じないほどかはわからないが、少しは侍らしい気持ちも胸にあったようだ」
「サムライらしい気持ち?」
「お決まりの文句で言えば、義の心か。忠や孝を引き合いにも出すが……これはエリシアには難しいな。それに、僕の考えていることとも少々違う。僕なりのサムライでいいか?」
「うん。サムライって、マサトしか知らないから」
それもそうだと高木が笑い、腰の桜花を見る。
サムライ。否、侍。この言葉が持つ重みは、日本人でなければ理解が難しいだろう。
「そもそも、侍というのは政治と戦争の両方を担う、政治家であり、戦士でもある人間の総称だ。遡れば、用心棒のような存在だったが……武士とも、もののふとも呼ばれた。もっとも、政治に携わったのは一部の侍だけで、大半は戦士だったようだな。一般的には、侍とは騎士道精神に似た信念を持った戦士と言われている。強く、真っ直ぐで、己の信念を曲げない立派な戦士、とな」
「マサトみたいだね」
「はは、ありがとう。けれど、僕は強くもなければ、真っ直ぐでもない。信念はあるが、別に大層なものではなく、単に自分らしく、精一杯楽しく生きるというだけのものだ。自己犠牲の精神など欠片も持ち合わせていないし、死にたいと思ったこともない」
「サムライは、死にたいと思うの?」
「……よく誤解されているところだ。武士道は死ぬことと見つけたりという言葉があってな。侍は死ぬことが美徳とされている節がある」
高木の言葉に、エリシアはぶんぶんと首を横に振った。
そんな死に急ぎの戦士を、高木に名乗って欲しくはない。エリシアにとって、高木は命の恩人であり、兄のようでもあり、そして、異性としても大好きな存在なのだ。
「そんなの、駄目」
「ああ。僕も死にたくはない。武士道が死ぬことなんて嘘っぱちだ。滅びの美学なんてクソクラエだ。ただ、死を賭けてでも成さねばならないことが侍には多かっただけさ。死にたがっていたわけじゃない」
それは、高木が自分なりに考えた侍の在り方である。実際のところなどわからないが、とうに滅びた象徴のような戦士達である。どのような解釈をしようが、怒られる心配はない。
ならば、高木の都合の良いように解釈してしまうのが一番だ。
「侍とはな、己の生き方に誇りを持てる人間だ。僕は僕らしく、精一杯楽しんで生きることを誇りに思うようにしている」
抽象的な言葉になればなるほど、その言葉への理解からは遠ざかるが、共感を生む。高木が選んだ言葉は、エリシアに納得の二文字を与えるようなものではなかったが、首肯させることはできたようだ。
「私も、私の生き方に誇りが持てればいいな」
エリシアはぽつりと呟いて、高木の袖を引いた。
訥々と話す内に周囲から明かりは消え、街の外れに到達していた。エリシアはぱっと高木の袖から手を離して、一歩だけ後ろに下がった。不思議そうにエリシアを見る高木に、エリシアはにっこりと笑って見せて、それから大きく息を吸い込んだ。
「マサト。私は……マサトが好きだよ」
エリシアの小さな口から、はっきりとした言葉が紡がれる。不意のことに高木は目を見開き、息を止めた。
エリシアは頬を微かに朱に染めながらも、穏やかな表情だった。
「お兄ちゃんみたいだと思ってたし、今でもそれはそうだけど……それだけじゃないみたい。ヒトミと別れて、マサトは悲しんでるはずなのに、私はそれを喜んじゃった……それで、気付いたの」
エリシアの言葉が、高木の耳を通り抜け、頭の中でぐるぐると回る。
全くの予想外というわけではなかった。もしかすると、そうではないかとも思っていたが、いざ言われてみると言葉に出来ない感情がぐるぐると胸の中をざわつかせた。
「……本当は、言わないでおこうと思ったの。けど、このままだと、マサトがどこか遠くへ行っちゃいそうだし……戦争なんて、私は嫌だよ」
エリシアの気持ちを、高木はようやく理解した。
戦争に身を投じる高木が、エリシアには不安でならないのだ。魔法を使うことも出来なくなり、言葉が唯一の頼みという状況で戦争に参加するなど、死にたがりにしか見えない。
「私じゃ足りないかもしれない……私なんかじゃ、どうしようもないかもしれないけど……お願いだよ。私の全部を、マサトにあげるから。他に何も無いけど、お掃除も洗濯も、料理もするから……好きにしてくれていいから、戦争なんかしないで」
これが十四歳の少女の言葉なのだろうかと、高木は思わず瞑目した。
己の全てを捧げてでも、自分を止めようとしている。それがどれだけの覚悟であるか、長い間ずっと自由を奪われていたエリシアならばわかることだろう。例え、高木のことを想っていても、そう易々と口から出てくる言葉ではない。
どう答えるべきか。否、どう答えたいのだろう。
単純にエリシアだけの問題ならば、高木は深く考えずに頷いていただろう。別にエリシアを好きにするつもりはないが、別に戦争がしたくて異世界にいるわけじゃない。
だが、オルゴーとの約束を考えると、ここで頷くことはできなかった。少なくとも、高木が自分に誇りを持って生きるためには、親愛なる友人を裏切るような真似はできない。
「マサトには、人を殺して欲しくない。マサトが殺されるのはもっと駄目。わざわざ、危ないところに行くなんて嫌だよ」
「……わかった」
高木はぼそりと呟き、夜空を見上げながら苦笑した。
エリシアの顔がぱっと輝く。しかし、高木の表情は苦笑いのままだった。
「僕は誰も殺さないし、誰にも殺されない。それは約束しよう。だが、オルゴーとの約束は果たさなければならない。彼が道を違えぬように、僕ができることをしなければならない」
高木の言葉に、エリシアの顔に疑問の色が浮かぶ。高木はにっこりと笑い直して、エリシアの身体を抱き寄せた。
「僕はこれでも、エリシアの願いは何だって聞くつもりだ。僕だって、エリシアのことは好きだし……どうやら浮気性らしく、エリシアだけではないようだが……まあ、みんなのお願いにはとても弱いんだ。だが、親友の約束を違えることもできない。そうなれば、誰も殺さず、誰にも殺されずに勝利するしか道はない」
これから先、一滴の血も流さずに勝利を収める。エリシアの願いを最大限聞き届けて、オルゴーとの約束を守るならば、道はそれしかない。
帝都の無血開城。ある意味では、最も高木の得意とする分野なのかもしれなかった。
「うう……なんだか、ちょっと違うような」
「僕も予定を変更したんだ。エリシアもちょっとは眼を瞑れ」
高木が苦笑すると、エリシアは思わず微笑んでしまった。高木が出来うる限りで最大の譲歩をしてくれたのは理解している。高木ならばエリシアを煙に巻くこともできたろうに、それをせずに、真摯に言葉を受け止めてくれたのも理解している。
だから、エリシアはそっと眼を瞑った。比喩ではなく、高木に口づけを求めるように、少し顎をあげて。
「……やれやれ。どうにも僕には、後々に酷い出来事が待ち受けている気がしてならない。良いことの後には、悪いことが待ち受けているものだからな」
高木は気恥ずかしさを紛らわせるように呟き、そっとエリシアの頬に唇を押し当てた。
「……だから、ちょっと違うよー」
「うむ。エリシアに眼を瞑ってもらっただけ、僕も遠慮しなくてはいけないからな」
顔を真っ赤にして頬に手を当てるエリシアと、やはり照れて顔を赤らめた高木は笑い合い、腕を組んだ。
それにしても、無血開城か。言ってしまったものの、どうすればいいのやら。
言葉には出さず、高木は密かに頭を抱えた。