7話:狐狸★
バレットの屋敷は、フィアの家から小一時間ほど歩いた場所にあった。三階建ての、立派な石造りの屋敷であり、流石に門番はいないが、ノックすることを躊躇ってしまうような重厚感がある。エリシアの話では、中には使用人が五人ほど。それにバレットが住んでいるらしい。家族はいないとのことだ。
「小切手を換金して貰いにきた、ってことでいいのよね?」
フィアが確認するように尋ねるが、高木は特に何も答えずに、ノックも無しに扉を開いた。どうやらバレットは蒐集家の常として、集めたものを自慢したいようだ。ホール状の吹き抜けになっており、あちこちに絵画や剥製、壺、刀剣などが飾られている。ただ、何となく無秩序な並べ方で、種類にも大きさにも分けられていない。
高木はげんなりした気分になり、適当に中に入ってゆく。慌てたのは、後ろに続くフィアとエリシアである。
「ちょ、マサト。呼び鈴ぐらい鳴らしなさいよっ!」
「ん。ああ、そうやって来訪を報せるのか。僕の国にある呼び鈴と形が違ったのか、ちっとも気付かなかった」
万全の準備は何処に行った! と突っ込みたくなる気持ちを、フィアはなんとか抑える。ここはバレットの屋敷で、言わば敵陣なのである。だが。
「おーい、誰かいませんかー?」
高木は大声でそんなことを叫んでいた。幾ら何でも豪快すぎる。流石に相手が富豪だけあり、高木も気が動転したのかと危ぶむが、もう遅い。二階から、バレットが降りてきてしまった。
「おや、昨日の。また随分と礼儀知らずな」
訝しげに高木を睨み付けるバレットに対して、高木は「はは」と小さく苦笑した。
「申し訳御座いません。勝手がわからず……何かとこの国の風習に不慣れなものでして。平に御容赦くださいませ」
慇懃無礼な態度で高木はバレットに頭を垂れる。バレットが高木の前までやって来て、異国の者だったなと呆れたように呟いた。そして、フィアを見て、そのままエリシアに目を向けたところでぴたりと動きを止めた。
「どうかされましたか、バレット様?」
高木がにやりと微笑み、顔を上げる。バレットは表情を変えず「見ない顔がいるな」と漏らした。
「彼女はエリシア・フォウルス。直接は御存知ありませんか。彼女の父はバレット様と契約なさっていたそうですが」
高木は嫌味がたっぷり詰まった、わざとらしい口調で言い、バレットの表情を伺う。状況は全て知っていると暗に示したその表情に、流石に肝が据わっているのだろう。バレットは逆に落ち着きを取り戻したようだ。
「そうか。金貨は揃っている。今、用意させよう」
エリシアのことなど忘れたかのように、バレットは使用人を呼ぶためのベルを懐から取りだし、チリンと鳴らした。妙に装飾の細やかなベルは、やはり彼のコレクションの一つなのだろう。高木はコホンと咳払いをして、再びバレットを見据える。
「そのことなのですが、バレット様。少しお話がありまして」
高木も不敵な笑みを消すことなく、会話を続ける。ベルに呼ばれてやって来た中年の女中をバレットが手で制して、高木を真っ直ぐと見た。
「ほう、まさか、無かったことにしたいなどと言わないだろうな」
「とんでもない。ただ、聞くところによると、エリシアの父親がバレット様に借りていた金額が、丁度金貨十枚と聞きまして。代金の代わりに、彼女に課せられた借金を帳消しにしていただきたいのです」
フィアとエリシアがぎょっとする。てっきり、言葉で籠絡すると思っていたのだが、これではただの交渉である。
バレットはしばらく高木を見つめていたが、突然愉快そうに大声で笑った。
「エリシアに拐かされたか、小僧」
「エリシアを拐かしたのですよ、私が」
高木の言葉に、バレットが笑みを消す。聞き流してしまっても良いはずの、些細な違いにバレットは妙な引っ掛かりを覚えた。
そう、何故エリシアを拐かす必要があるのか、と。
「おっと。つい余計なことを。それで、如何致しましょう。どうせ、私はエリシアに金を渡すつもりですし、そうすればエリシアがバレット様に返済するので、同じ事ですが」
高木の言葉に、特に不審な点は見当たらなかった。確かに、単に二度手間になることを省いているだけなのである。
「しかし、それだけの為に思わせぶりな態度を見せるのも、何か引っ掛かる。そんなところでしょうか?」
バレットの心境を見透かしたかのように高木が言う。バレットは流石に苦笑した。
「随分と喋るが、何を企んでおる?」
「それを言ったら終いでしょう」
確かに、とバレットは笑いながら頷いた。後ろから眺めていたフィアとしては、そろそろバレットを突風で壁に叩きつけてやりたいところなのだが、未だに自分の出番と思しき場面ではない。
バレットは高木の真意を測るようにじっと、高木を見ている。高木は相変わらず不敵な笑みのままで、表情に変化がない。
「手の内は、それで終いか?」
今度はバレットから仕掛けた。虚を突かれたのか、高木はぴくりと片眉を吊り上げた。
「……どういうことでしょうか?」
高木が少し震える声で呟いた。逆に、バレットが不敵な笑みを浮かべる。
「手口は読めた、ということだ。昨日のやりとりで、口が達者なのはよくわかっている。どうせ裏があるように思わせて、何もないのだろう?」
「……ふむ。ここまでか。フィア、エリシア。すまないな。力及ばなかったようだ」
高木は苦笑して、肩を竦めた。思わず「はぁ?」と気が抜けた声を上げたのは、フィアだった。
「ちょっと、まさか本気?」
「ああ。予定では、もう少し簡単に引っ掛かると思ってたのだが……」
バレットがフンと高木達を一瞥する。フィアの顔がみるみる赤く染まり、エリシアにも「すまないな」と謝っている高木に、ついに爆発した。
「アンタ、色々準備してたじゃないの。エリシアに色々お遣いさせたり、なんか変なモノを細工したり!!」
フィアの大声に、バレットの笑みが消える。しばし、場に静寂が訪れた。
「……馬鹿」
高木は、重い溜息と一緒にフィアを睨み付けた。上がりっぱなしのテンションのまま、フィアは「へ?」と素っ頓狂な声を上げる。
「危ない危ない。本当に油断ならない小僧だな」
バレットが真っ先に気付き、ぽんと高木の肩に手を置いた。その瞬間、フィアの顔から血の気がひいていく。
「ま、まさか……私、やっちゃった?」
「ああ、やってしまった。準備万端と言っただろうに」
高木は肩を落として、「しょうがないな」と呟いた。
「……まあ、こうなったらとりあえず、代金を受け取って、エリシアの借金を返してしまおう。とりあえず、それでこちらに損はない」
高木はバレットを見て、苦笑した。
「そういうわけです。とりあえず、エリシアの借金を帳消しでよろしいでしょうか?」
「ああ、ただし念には念を入れておこう。金貨も寄越すから、エリシアに渡すと良い」
バレットは満足そうに頷いて、ベルを鳴らす。やって来た女中に、エリシアの父親と結んだ契約書と金貨十枚を持ってくるように言いつけて、再び高木を見た。
「折角だ。小僧の策とやらがどんなものか気になるが、相方が悪かったな」
「大した策ではありませんよ。ちょっとした遊戯です」
高木は懐からライターを取り出して、火を付けた。高木が細工をして、十センチほどの火柱が上がるようになった代物である。突然現れた炎に、バレットは思わず飛び退いた。
「な、なんだそれは……小僧、魔法使いか?」
「いえ、僕の国の偏屈な人間が作ったモノで、ちょっと変わった炎を出すんですよ」
蒐集家としての血が騒いだのか、バレットが「ほう」と興味を示す。
「ちょっとした脅し道具なのですけどね。何かを近づけると、火が縮んでしまうのです。この通り」
高木がライターの上に手をかざし、こっそりとツマミを調節する。火がみるみる小さくなり、高木の手が上を通過する頃には2センチにも満たない小さな炎になっていた。
「ほう。それは面白い」
「でしょう。旅の動物避け程度には使えましたし、まあ、魔法使いと思わせて盗賊から身を守ったりできました」
高木の言葉に、バレットはますます興味深そうにライターを見つめる。そして、バレットは気付かなかったが、高木の影に隠れて、フィアが小さく「へ?」と呟いていた。
高木はひとしきりライターで遊んで、みせる。やがて女中が戻ってきて、恭しくバレットに契約書を渡した。
「小僧、そいつは君の国には有り触れたモノなのか?」
契約書を受け取りながら、バレットは尋ねる。高木もフィアから預かっていた小切手を取りだして、ライターの上を行き来させて遊んだ。火力の調節だけは、細工をするときに練習した。
「偏屈な人間が作ったもので、まあ面白いのですが実用性に欠けるものですから。まあ、世界に一つだけでしょう。異世界から来た羽織には劣りますが」
「いや、面白い。よければ、譲ってくれんか?」
「そうですね……当分使う予定もありませんし、いいですよ。騙そうとした詫び……まあ、お互い様ですが」
高木が悪戯っぽく言うと、バレットも呵々と笑った。高木はライターの火力を最大にして、バレットに渡す。
「ほう……この突起を擦れば良いのだな」
「ええ。よければ試してみてください」
高木の言葉に、バレットは少しわくわくしながら、ライターを擦ってみる。
さきほど、高木がしたように、契約書を真上にかざしながら。
「ぬあっ!?」
シュボ、という音と共に、最大火力十センチの炎が契約書を一気に包み込んだ。
吃驚したバレットが、慌ててライターと契約書を放り投げるが、時既におそし。契約書は完全に灰になり、ライターは偶々エリシアの手の中に収まった。
唖然とするバレットの前で、高木はようやく晴れ渡った笑みを見せた。
「フィア。この国でも、契約書がなければ取引自体がなかったことになる。そうだったな?」
「え……あ、そうよっ!!」
燃え尽きたエリシアの借金を記した契約書を見て、フィアの顔が明るくなる。それまでオロオロと様子を見守ることしか出来なかったエリシアも、ようやく高木の意図が理解できたらしい。「こ、これでいいの?」と高木やフィアを見るが、顔は綻んでいる。
「小僧、謀ったな!!?」
ようやく状況を理解したバレットが敢然と立ち上がり、高木に食ってかかる。しかし、高木は何処吹く風である。
「いえ、別に謀は全て看破されてしまいましたよ。どうやら、弱者を食い物にするような契約書に、炎も気に召さなかったのでしょう。不思議なこともあるものです」
そう言いながら、高木は状況が飲み込めていない女中の手から金貨十枚を取り、代わりに小切手を渡した。
「そんな詭弁が通用すると思うか!?」
「……やれやれ。全部説明したほうが良いか。アンタがライターを使ったのは、アンタの勝手だ。火を縮ませることができるのも、見たとおり。ツマミを調節しろと説明しなかったのは、まあ聞かれなかったからだな」
投げやりな高木の説明に、バレットは「ぐっ」と唸る。その通りなのである。自分が勝手に火を付けて、勝手に燃やした。しかも契約が行われる前にである。
「さて、これでエリシアの契約は破棄。こちらの契約は完了だ。帰ろうか」
高木の言葉に、フィアがニヤニヤと笑って頷く。エリシアは長年の枷が外れたことが、ようやく実感として伝わってきたのだろう。目に涙をいっぱいに溜めて、高木に飛びついた。
「ありがとうっ! ほんとに、ほんとにありがとうっ!!」
「御礼なら、エリシアを可哀相に思って、自ら契約書を焼いてくれた優しいバレット氏に言えばいいさ」
高木は皮肉なのか、照れ隠しなのかわからない言葉を呟きながらも、エリシアの頭を撫でる。
「ぬ……ぬああっ。冗談ではない。貴様ら、調子に乗るな!!」
はしゃぐエリシアを目の当たりにして、バレットは髪を振り乱し、近くに飾ってあった剣を手に取った。宝飾の鮮やかな剣であるが、手入れがされていてよく斬れそうである。
「死ねッ!!」
バレットは剣を振りかざし、高木に斬りかかろうとする。だが。
「吹っ飛べ!!」
バレットの剣よりも、フィアの言葉の方が早かった。
突如として突風が巻き起こり、バレットに襲いかかる。
「うがっ!!?」
見事に吹き飛ばされ、壁に激突するバレットを見て、高木は思わず顔を顰めた。物凄く痛そうだった。
それにしても、初めて魔法を目の当たりにしたが、なんて適当な呪文詠唱なのだろうと高木は思う。想像していた呪文は、もっとこう、複雑な文法や、難解な言葉の羅列であった。あれではただの掛け声である。それにしても、威力は凄まじいのだが。
「あの炎も、私の魔法も本物よ。二度と吹き飛ばされないようにすることね!」
高木の思惑を余所に、やっと出番が回ってきたフィアは意気揚々と決め台詞を言い放った。四散した風の余波で、灰になった契約書がはらはらと舞い上がり、バレットの上に降り注ぐ。どうやら気絶したようで、フィアの決め台詞への返事は帰ってこなかった。
「さて、一件落着だ。帰ろうか」
三人は頷きあい、呆然とする女中が見る中、悠然と屋敷を出て行った。
「最初に呼び鈴を押さなかったのは、田舎者の演出ってところかしら」
帰路の途中、フィアが屋敷でのことを思い返しながら高木に尋ねた。高木は苦笑しながら頷く。
「まあ、流石に効果は薄かったがな」
「私が買ってきたものは、使わなかったね」
エリシアの言葉に、高木は「今から使うよ」と答えて、ポケットからピンポン球ぐらいの大きさの真っ赤な果物を幾つか取りだした。
「……なんで、こんなの」
「ああ、少々喋りすぎて、帰る頃には喉が渇くと思ってな。昨日、市場で見かけて気になっていたんだ」
それだけ言って、ぽかんとしているエリシアと、脱力したフィアに果物を渡す。高木も一つ、口に放り込んでみるが、甘くて瑞々しく、食べたことのないものである。是非、元の世界に帰るときの土産にしようと、暢気なことを考える。
「他にも買ったよ?」
「ああ。そもそも、炎で契約書を焼いてくれるとも限らなかったからな。後、五つほど仕掛けはしてあったさ。見立ててでは、後二つほどは看破されると思っていたが、蒐集家としての側面が強すぎたらしいな」
赤い果物も、喉を潤すためだけでなく、使い道は他にもあった。エリシアは自分が買ってきたものを、高木がどのように使おうとしていたのか考えているらしく、赤い果実を手で弄びながらしきりに首を傾げている。
「……もう一つだけ、疑問があるのよねー」
フィアも果物を口に放り込み、高木をじぃっと見つめた。
「私があそこで、計画バラしちゃわなかったら、どうするつもりだったの?」
フィアの最大の疑問はそこだった。思わず高木に詰め寄り、細工をしたことをバラしてしまったこと。結果的に見れば、その流れがあったからこそ、うまくライターの話にまでこぎ着けた。仮にフィアが何も言わず、高木がライターを取りだしていたら、バレットはきっと警戒して使わなかっただろう。計画が露見してしまったと思わせて、その裏を掻いた形になったからこその成功なのである。
「いや、信じていた。ああいう状態なら、必ずフィアが暴露してくれるとな。流石はフィアだ」
「褒めてるつもりかっ!!」
良い笑顔でビシっと親指を立てる高木に、フィアがすかさず吼える。そこに高木がさらにトドメをさした。
「うむ。その反応だ」
昨日に引き続き、完璧に手玉に取られていることに気付いたフィアは、流石に怒ったのだろう。
「……吹っ飛べ!!」
高木を突風で一メートルほど吹き飛ばした。手加減されているが、強かに腰を打ち、高木は悶絶する。受け身すら取れないのだ。
「突っ込みがエスカレートしてきたな……」
心配そうに駆け寄るエリシアと、ふんぞり返るフィアを見ながら、高木はぽつりと呟いた。