76話:喪失
風呂での騒動から二日が経つ。
高木達は正式に青銅騎士団の客人と扱われ、部屋を与えられている。これまでは無理矢理、二部屋に居座り、女性部屋と男性部屋として使っていたのだが、今は個室となっている。尤も、馬車での生活に慣れている面々なので、狭い空間を共有していなければ落ち着かないのか、割と高木の部屋に固まっているのが現状だ。エリシアはよく夜中に高木の部屋に押しかけ、寝こけた高木の隣に潜り込んでは、朝一番で起こしに来たフィアにお説教を喰らっている。
結局、ひとみは別れるという発言を取り消してはおらず、流石に不安になった高木が「どうする?」とデリカシーの欠片もない言葉を投げかけ、「もう別れてるよ!」と部屋を追い出されたりもしている。ここでせめて「頼むから別れないでくれ」とでも言えばいいのだが、妙なところで素直なので「そうだったのか」と呟いてとぼとぼと部屋に帰り、ベッドの上で膝を抱えてしょんぼりしていただけなので、もう恋人として不出来なことこの上ないだろう。
フィアの部屋には、朝からひとみが押しかけていた。ひとみが元の世界から持ち込んだ紅茶のティーパックで、ささやかながらのお茶会である。湯を沸かすにも一苦労のシーガイアであるが、生憎と魔法使い達は水さえあれば、湯に苦労することはない。
「ああいうところが可愛いって思ってたけど、今となってはむかつくよ」
「……や、ヒトミ。それって別れたくないってことでしょ。あのバカ、そっち系の話はいつもと正反対で裏どころか、まともに表の意味も理解できないんだから、素直になりなさいよ」
お茶会という名の、愚痴を聞かされているフィアもたまったものではないのだが。
十七歳で一応、立派に自立しているフィアは、いわゆる女子高生のガールズトークの相手には不足している。元々、魔法は理屈で成り立ち、その研究家としての側面の強いフィアは、愚痴に一々、助言をしてしまう人間だった。
「レイラに聞いてもらいなさいよ。私も聞くのは構わないんだけど、聞くだけなのは苦手みたいで、つい意見を返しちゃうから」
「……フィアが羨ましいよ。真っ直ぐだし、カッコイイし……性格なら聖人の好みの、真ん中だよ」
「ヒトミが羨ましいとか言うと、レイラとエリシアが怒るわよ。エリシア、最近、自分の感情に気付き始めたみたいだし……」
「……フィアは?」
ひとみが、紅茶をゆっくりと口につけながらフィアを見つめる。フィアは少し逡巡して、「そうね」と前置きした。
「ヒトミに羨まれるのは、悪くないわ。けど、それだとルルナが一番、羨ましいんじゃないかしら。あの子、私よりもよっぽど真っ直ぐで、女から見てもかっこいいわよ。あと、髪型までマサトの好みだし」
ポニーテールという髪型だと、ひとみから教えて貰う。高木はルルナを見るとき、決まって髪に注目していたのだ。髪の色かとも思ったが、他に銀髪の美人を見かけてもさほど注視することはなく、たまたま、ポニーテールを見かけると目で追っていたりする。
「よくそんなこと気付くね」
ひとみは荷物にリボンかゴム紐が無かったかを思い出そうとする。確か、どちらもあったはずだ。
「……ちなみに、あんまり派手なのはやめときなさい。派手な子、嫌いみたいだから」
ゴム紐にしようと決めた。
一方、高木はファウストやルルナ、ショックと共に、修練所で剣の稽古をしていた。
「踏み込みが甘い。長身を活かすのは良いが、もっと勢いがなければ動きを読まれるぞ」
高木はショックに教わりながら、ずっと剣ばかりを振っている。隣でファウストとルルナが、見学に来ていたレイラにマナの結晶体の活用法を研究していた。
「なるほど。幾つかの実験の結果、やはり結晶体を使えば、誰でも魔法を使うことができますね。そして、結晶化したマナは、やや変化しにくくなっています。普通に使うよりも、いっそう想像力を必要としますが、ほぼ誤差の範疇といえるでしょう。むしろ、想像力以外の要素が取り除かれるので、安定したマナの源として、有効活用できそうです」
ファウストの講義を、ルルナは几帳面に羊皮紙に書き加えようとするが、レイラが慌てて止める。門外不出の必殺技であるし、迂闊に存在を知られてしまえば、高木達がおそれる事態が現実になってしまう。
「真面目で熱心なのは良いことですが、ルルナは少々、うっかりさんですね。愛らしくて良いと思いますが、気をつけましょう」
「あ……うん。気をつける」
ファウストはようやく、ルルナの扱い方を心得てきた。たまに、愛らしいとか可愛いとか褒めてあげると喜ぶのである。早速、高木にもその扱い方を教えてあげたのだが、高木は「僕では効果がない」と、あまり歓迎されなかった。
「ファウストは、頭が良いんだねー。ただのバカだと思ってたよー」
レイラとファウストは、あまりこれまでに会話を交わしていなかったので、深く話し込むのは初めてに近い。
「お前、ファウストがバカだと……!」
ルルナが思わずレイラに噛みつかんばかりに殺気立ち、慌ててファウストが間に入る。
「いいのです。確かに、あの頃の私は類い稀なるバカでした。それを気付かせてくれたのが、あの愛らしいタカギ君なのです」
ファウスト、痛恨のミス。しかし、しきりに頷くレイラと、何故か「それはそれで」と頬を染めるルルナに、褒める相手を間違えたことについぞ気付いていない。
高木が再び体中を痣だらけにして、ファウスト達の輪に加わったのは、三時間も続けっ放しで稽古をつけた後だった。
「タカギ君、熱心なのは良いことですが、少々頑張りすぎです。愛らしくて良いと思いますが、気をつけましょう」
「……ファウスト、稽古を続けようか。僕は桜花を使うので、君は防具をつけずに素手でかかってくるといい」
「はは、死んでしまいますよ」
高木の言葉を単なる冗談と受け取るファウストは、やはり一種の天才だろう。
「マサト、これで汗を拭いてね。お水は、ここにあるよー」
レイラはてきぱきと高木にタオルを渡して、水の入った竹筒を取り出す。渡すときにさりげなく魔法で水筒の中に冷気を作り出し、水を冷やすという心遣い。レイラが酒を冷やして飲むために考案したものを応用したのだが、フィア達におそろしく喜ばれたものの、冷蔵庫を知る高木には、そのありがたみがあまりわかっていないらしい。シーガイアでは、魔法使い以外がものを冷やすのは、温める以上に難しいのだ。しかし、美味そうに水を飲み干す高木を見れば、それなりに満足できてしまう。
「ふう、ようやく落ち着いた……やれやれ。やはり一朝一夕で身につくものではないな」
高木はタオルで顔を拭きつつ、遅れてやって来たショックと稽古の反省会をはじめる。やれ、踏み込みの位置が悪いやら、相手の攻撃に反応が遅れるなど、真剣に言葉を交わしている。
「マサト。剣も大事だけど、魔法はいいのー?」
レイラがおずおずと話に割って入る。決して自分の必殺技が無視されていて悲しい、というわけではないのだが、普段の高木ならば、もっと食いついて来てもいいと思うのだ。しばらく会っていなかったとはいえ、高木は基本的に変わっていない。少なくとも、彼から好奇心が消え失せることなど絶対に無いと確信していた。
「魔法か……いや、確かに興味は尽きないのだがな」
高木はショックとの反省会を中断して、レイラに顔を向けた。レイラは胸元――実はレイラ、以前は無地の白いワイシャツに紺色の外套という格好だったのだが、新しく仕立てて貰ったらしく、大きく胸元が開いた、肌にぴったり張り付いたシャツを着ている。しかも生足の艶めかしい、エリシアが着用しているようなホットパンツである――その大きく開いた胸元から、ひょいとマナの結晶を取り出した。
「マサトのことだから、実験してみたいかと思ったんだけどー」
「ああ……そうだな」
高木は結晶を受け取り、手のひらで弄ぶ。本来ならば、絶対に自分では扱えない量のマナがそこにはあるのだ。高木ならば、きっと色々と面白いことをしてくれるに違いなかった。
しかし、高木はしばらく眼を瞑ったきり、特に何をするわけでもない。やがて、諦めたように結晶をレイラに返し、大きな溜息をついた。
「やはり、駄目か。最初は、最後の望みかとも思ったが、やはり無理なようだ」
高木の言葉の意味が、レイラにはわからなかった。レイラだけではない。ファウストやショックにも、よくわかっていない。
「どういうことですか?」
ファウストが問いかける。高木は逡巡の後に、ぼそりと呟いた。
「一昨日のことや、僕が目覚めたときのこと。ファウストならば、知っているだろう。僕の行動に、おかしな点があったことに、気付かなかったか?」
不思議な謎かけに、ファウストは首を傾げる。
確かに風呂で高木が普段よりスケベな一面を見せたりはした。エリシアを抱きしめた折に、やはり首筋に顔を突っ込んで離さなかったりと、スケベだった。しかし、流石にそれが関係しているとは思えない。
それ以外となると、高木の行動はいつも通りだったはずだ。理屈っぽい物言いや、フィアを適度にからかったり、ひとみに怒られたり――
「怒られた……いや、怒られたのに?」
ふと、ファウストが高木に目を向ける。
そうだ。高木はいつも、ひとみに怒られたときは、おそろしく場当たり的に逃げ出していた。エリシアを抱きしめ、逃げだそうとまでした。しかし、ふとそれを辞めてしまった。
そして、風呂場でも。マナが無い空間ではあったが、高木ならば鉄化魔法なりで、マナを持ち込む手段はあった。用心深い高木が、たとえ風呂に入るためだけとはいえども、つい最近まで敵地だった場所に、さほどの苦労もせずにできる防備を怠るだろうか。
そう。マナさえあれば、高木は風呂場で湯に潜るという逃げ方をせずに、フィア達が入ってくる瞬間を見計らって、脱衣所に瞬間移動して逃げれば良いだけの話だったのだ。その後、腰に布を巻いて入ってくれば、特に咎められることもなかったはずだ。
逃げられるのに、逃げなかった。否、逃げたいが、逃げられなかった。
そう。逃げたいのに、逃げる手段が無い。そして、マナの結晶に対して最後の望みという表現をして、無理だと諦めた後に、すぐに結晶を返してしまったこと。
「……タカギ君。まさか……魔法が……使えない?」
「ほう。見事なものだ。一発で言い当てるとは思わなかったぞ」
高木はにこりと笑うが、ファウストは自分の言葉を信じたくはなかった。
しかし、そう考えれば全ての辻褄が合うのだ。高木は目を覚ましてから、これまで魔法を使っていない。魔法で逃げるような場面で、逃げていない。そして、マナの結晶に対しての、異様な好奇心の薄さ。剣に対して、急に練習熱心になったこと。
魔法が使えれば、そんな反応はしない。そして、魔法が使えないとなると、マナの結晶が唯一にして最後の、魔法を使う手段となる。
「いや、流石に魔法が使えないとはっきり判明するのが怖くてな。少し、手に取る勇気がなかった」
高木が苦笑するのを、しかし誰も笑わなかった。
誰が指摘するか。或いは、そっとしておくか。そんな暗黙のやりとりが、ファウストとレイラの間で交わされる。少なくとも、付き合いの長さからショックやルルナに任せられることではない。
「……やれやれ。まあ、タカギ君の嘘を暴くのも、たまには悪くないのかもしれませんね」
ふう、とファウストが溜息をついた。結局、こういう役はファウストの方が向いていると、レイラも判断したのだ。
「下手な芝居はやめましょう。タカギ君が真実を知るのを恐れ、好奇心まで抑えて手を出さなかったというのは、ありえません。そんなことは、私やレイラさんがわからないと思いますか。むしろ、魔法が使えない状況なら、真っ先にレイラさんから結晶を譲って貰うのがタカギ君です」
ファウストの言葉に、高木は周囲を確認する。レイラにルルナ、ショック。高木とファウストの五人しか、この会話を聞いている人間は居ないようだった。ファウストもそれを確認して、言葉を続ける。
「……風呂で、エリシアさんは随分と喜んでいました。私にフィアさん、ヒトミさん、タカギ君。旅を続けてきた仲間は、みんな魔法使いで、エリシアさんだけが魔法を使えませんでしたからね。さぞ、使いたかったのでしょう。実際、昨日はタカギ君が剣の稽古をしている間、ずっと実験に付き合ってくれました」
「ファウスト、それがどうかしたのか?」
ルルナが問いかけるのを、ファウストがそっと手で制した。
「問題は、タカギ君がいつ魔法を使えなくなったのか。当然、それはエリシアさんを蘇生させた、最後の召喚魔法でしょう。タカギ君はあれが成功したか否かわからないと言っていましたが、どちらにしろ、無茶でした。ただでさえ人間の限界に挑戦するような状況で、魂という、あるかどうかは兎角、概念は存在するものを召喚しようとしたのですから、強烈な矛盾がタカギ君の中に生まれた可能性があります。その結果、タカギ君は七日間眠り続けるという、深刻な深手を負いました。魔法が使えなくなったのも、そのときだったと考えるのが妥当です」
「それなら、やはりすぐにレイラの結晶を試すのではないか?」
ルルナが首を傾げる。しかし、そこから先は、レイラが説明するのだろう。レイラが苦笑して、ふと高木を見た。
「もし、マサトがみんなの前で……ううん。エリシアの前で、魔法が使えないことがバレたら、どうするかな。エリシアのことだから、きっと自分の所為だって思い込んじゃう。マサトにとって、魔法は帰る手段でもあるし、切り札でもあるからね。エリシアに、知られたくなかったの」
「この場所でタカギ君が結晶を手に取ったのは、エリシアさんがいないからです。怖かったわけでも、好奇心が無かったわけでもない」
ショックは無言で、高木を見る。ルルナも何も言えず、高木を見ることしかできなかった。
「……ふむ。やはり、こういう嘘は苦手だな。やはり、攻めの嘘こそが得意分野のようだ」
高木は苦笑しながら両手をあげて、参ったと呟いた。
「後悔はしていない。エリシアと引き替えなら、僕の命でも安いものだった。元々、異世界から来た僕にとって魔法は無くてはならないモノというほどでもないし、そもそも才能に恵まれていなかったのだから、少し不便になっただけだ」
少し不便で済むのだろうか。ファウストやレイラは、高木が概念魔法で数多の危機を乗り越えてきたことを知っている。高木の戦略において、概念魔法は重要な位置を占めていたことに違いはない。
確かにエリシアと引き替えなら、魔法など安いものだとも思うが、それにしても、手放しで喜べることではない。
「ふむ、まだ僕のことをあまり、わかっていないらしい」
高木はふらりと立ち上がり、にやりと楽しそうに口元を歪ませた。
「僕の武器は魔法でもなければ、桜花でもない。確かに便利だが、剣も魔法も付け焼き刃の急造品に違いはない」
そう、そもそも、高木は最初から魔法に対して、過度の期待を寄せていなかった。剣も握ったことなど無かったのだ。
はじめてシーガイアにやってきたその瞬間から、高木の最大の武器はたった一つ。フィアを翻弄して、エリシアを拐かし、バレットを籠絡したのも。それから先も、戦略の根幹は、それ以外には有り得なかった。
「千の言葉に、万の嘘。学生服という黒衣をまとい、言葉という刀を振るう。黒衣のサムライの武器は、いつだって言葉だ」
一片の迷いもなく言葉を紡ぐ高木に、レイラ達は思わず吹き出した。
やはり、高木は高木だ。
ミスリードというか、叙述トリック?
や、そんなに大層なシロモノではなく、単なる解釈の方法なわけでしたが。
高木が魔法使いじゃなくなったので、結果、魔法使いが一人減ったという表現をしたという次第です。
能力を失うのでは、という示唆を感想にいただき、バレたかと焦りましたw
ひとみ、ファウストがいなくなるという予想が多かったです。ひとみは候補でしたけどw