73話:風呂2(上)
「風呂?」
「沐浴のために、中央教会に備えてある。天然の温水が溢れ出る場所で、そもそも教会はこの温水を確保するために、それを囲うように作られたと言われるほどだ。打ち身や傷にも効果があると言われている」
高木が復活して二日。身体を慣らすためにショックと軽い打ち合い稽古をした高木は、体中に青痣を作っていた。
「温泉か。入れるのか?」
「一般開放はしていないが、ヘルム殿の意向でタカギ達は入ることができる。今や、ちょっとした有名人だからな」
悪名が功名にすり替わった、元・黒髪の悪魔は街でも奇蹟を起こした男として割と人気である。まだ畏敬の念という側面が強く、積極的に話しかけてくる人間は少ないが、少なくとも逃げられたりはしない。
「ふむ。ならば、ファウストもどうだ。五右衛門風呂も良いが、温泉はまた格別だぞ」
高木達の横で騎士に魔法の指南をしていたファウストは、ゆっくりと首を横に振る。
「お誘いはありがたいのですが、中々、見込みのある騎士が是非、私に魔法を教授して欲しいというので、そちらに専念させていただきます」
ファウストの隣で真剣にマナを炎に変えているのは、黒衣騎士団の紅一点。唯一の女性騎士であるルルナ・ルナである。一般的に魔法は女性の方が得意と言われており、それは俗説に過ぎないのだが、フィアにしてもレイラにしても、ひとみにしても。優秀な魔法使いは女性が多い。ファウストはそういう意味では、かなり珍しい存在だったのかもしれない。
「ファウスト、よそ見をするな。燃やすぞ!!」
ルルナは釣り目の、中々気性の激しい女性である。シーガイアでは金髪、ブロンドの次に多い銀髪を、いわゆるポニーテールに結っている。
ルルナは教師役のファウストに敬語どころか、罵るような言葉を放ち、本当に火の球を飛ばした。
「水龍」
ファウストは集めていたマナで水を作り出し、飛んでくる火の球を飲み込む。温度の変化などではなく、水という物質を作り出すので、元に戻るまでの時間は短いが、人間にとって最も身近な物質である水は、比較的、変化させやすい。
「貴女のような情熱的な魔法ですね。なかなか良い炎でしたよ」
ファウストの言葉に、ルルナは白い頬を桃色に染めて「うるさいな!」と吠え立てた。
「ツンデレか」
「いえ、ルルナですよ」
「……まあいい。良かったな、ファウスト」
高木の言葉がよく理解できなかったファウストが首を傾げる横で、ルルナが顔を真っ赤にさせていた。
ファウストにも春が到来したようである。
さて、仲間内で唯一の男性に断られ、ショックを誘ってみた高木だが「職務がある」とばっさり断られ、一人で入ることにした。
中央教会に赴き、来訪の意を告げると、リッカという若い下働きの娘が案内してくれることになった。
「沐浴の間の管理を仰せつかっているのですが、中々自慢のお湯ですよ」
愛嬌のあるリッカに湯の効能を説明して貰いながら、長い廊下を渡っていく。久々の温泉に、高木は日本人として心を躍らせた。
「本当に、お世話させて頂かなくていいんですか?」
「ああ。僕の世界では、入浴は男女別だし、世話も必要ない」
脱衣所の前で高木はリッカに礼を言い、扉に手を掛ける。リッカが何か言いたそうだったが、打ち合い稽古で流れた汗が鬱陶しく、早く湯を浴びたい一心で、さっさと扉を開く。そして、開いてからリッカが何を言いたいのかを理解した。
脱衣所には、うきうきと楽しそうにシャツを脱ぎ、ホットパンツに手を掛けるエリシアがいた。
高木が目の前の状況を認識するまでにかかった時間は三秒。数日前に一秒間で何十という情報を処理した脳みそだが、十四歳の半裸を前にして、処理能力がガタ落ちした。
牛歩の如く遅々としか進まない脳内処理とは裏腹に、エリシアは気配に気付き、高木を見る。
咄嗟に空いていた右手で胸元を隠したが、左手はホットパンツに引っかけてしまい、指が抜けなくなったようだ。高木の脳の処理は遅かったが、視線が巡るのは早かった。
薄いが女の子らしいふくらみをおびた胸元。健康的にきゅっと細まった腰元。そして、顔を真っ赤にして、驚いたままの見つめてくる愛らしい顔。
「……あ、あうぅ……そ、その……できれば、後ろ向いてほしいなー」
「これは失礼。少々、混乱したようだ。別に悪意があったわけではなく、偶発的な事故であり……」
「どうでもいいから後ろ向いてて!!」
「はい!!」
初めてエリシアに怒鳴られて、高木は小学生の頃に教えられた回れ右をしっかりと決めた。当然、後ろにいたリッカと目が合うハメになる。
「……言う前に入っちゃったので説明しそびれましたけど、エリシアさんが入ってます」
「それは驚愕の新事実だな」
高木は網膜に焼き付いた画像をしっかり脳内フォルダに保存しながら、この危機的状況を乗り切る手段を考える。
背中越しに謝るのは当然として、その後の展開次第では、フィアやひとみに漏れてしまうおそれがある。折角、エリシア共々拾った命を粗末にするわけにはいかない。すなわち、バレる前にエリシアに噛んで含んで言い聞かせ、この一件は二人だけの秘密にしておく必要があった。
「おっと、リッカを忘れるところだった。頼むので、この偶発的事故を吹聴しないで欲しい。もしとある人物の耳に入れば、黒髪の悪魔が再び降臨する恐れすらある。前回とは違い、口が達者なだけではなく、破壊光線という恐ろしい魔法を使う、おそろしい悪魔だ」
「……最近、教会が再編成されてて、すごく忙しくて、美味しいものを食べる機会がないんですよねー」
リッカはしたたかだった。高木は苦笑しながらも買収できるなら安いものだと、後日必ず、街で美味いと評判の料亭に連れて行く約束を交わした。
「あ、それとは別に、破壊光線を使う黒髪の悪魔の話を忘れるためには、温かいお湯に浸からないと駄目ですね。管理はしてても、浸かるのは許されてないんですよ」
脅し文句で脅される不遇。やはり調子に乗ってはいけないと、高木は己の短慮を嘆きながら、こう言った。
「エリシアと一緒に入ってくればいい。僕は、ここでしばらく待つ」
「お話がわかる悪魔さんは大好きです」
小悪魔的な笑みを浮かべるリッカに、高木はヘルムよりも強い敵が教会内にいることを知った。
もしも、ここで高木が待ちぼうけを食らうだけならば、話はもっと単純だった。
少なくとも高木は脳内フォルダに宝物を増やしつつ、したたかな少女との会話に舌を巻きながら美味い飯を食うという、半ば恩恵のような出来事だけで済んだだろう。
「マサト、もういいよ」
ふと、背中越しにエリシアの声が聞こえたのが、高木の誤算の一つ。
「一緒に入ろうよ。リッカもいいって言ってるよー」
続いて聞こえてきた声が、二つ目の誤算。
「色々あったから、背中を流したりしたいの」
「うむ、そういうことならお言葉に甘えよう!」
妙に力強い声で答えつつ、高木は脱衣所に入っていった。
高木はロリコンではない。しかし、胸の大きさにこだわりがあり、小さい方が好みだった。
何故かと問われたことがないのは、高木が己の性癖を誰彼無しに喋るような愚かな人間ではなかったからだが、己の性癖についてすら思考を巡らしてしまう人間だったので、きちんと理路整然と答えることができる。
まず、高木は単純に胸が小さい人間が好きというわけではなく、何よりも全体のバランスを重視する。
大きい胸というのは得てして、全体のバランスを崩しやすいものである。殊、痩せ形の女性を好む高木にとって、巨乳はバランス崩壊を引き起こす最大の怨敵ですらある。
勿論、痩せ形が好きという部分にも理由があり、それは高木自身が痩せ細っているからである。食べても太らない体質の高木は、太るという気持ちが全く理解できない。つまり、高木にとってデブとは、もう理解の範疇を超えた生物なのである。
太るというメカニズムは理解できるし、それが仕方のない部分があることも承知しているが、己の美意識や性癖もまた仕方ない部分が大半を占めるので、これはもう譲ることのできない、高木の趣味嗜好なのである。
総合すれば、高木は痩せ形でかつ、全体にバランスの取れた肢体が好みであり、そうなると半ば必然的に胸も小さい方が好みとなる。中にはレイラのように巨乳でも美しいバランスを保つ人間はいるが、それが半ば奇蹟の産物であることも、高木は承知である。
故に、誰にも言ってはいないが、高木は貧乳好きであった。
エリシアとリッカは高木の世界で言うバスタオルを身体に巻きながら、高木を迎え入れた。
エリシアは十四歳。リッカも十五、十六あたりだろう。二人とも幼いながら、苦労をしてきたらしく栄養を十分に取ることなどできなかったようで、余分な肉など一切無く、胸も小さかった。しかも、二人とも流石に少し恥ずかしいようで、頬を赤らめている。この連打は高木に色々なものをすっ飛ばして感動を与えるほどで、脳内フォルダも急激に埋まっていった。前回、少々無茶をして脳を初期化したばかりで、容量が随分と余っていたおかげだ。
「あ、あんまりジロジロ見られるのは……」
「恥ずかしいですよぅ」
親友が十四歳に手を出した気持ちが、今の高木にはよく理解ができた。服を着ていては風呂に入れないので、学生服を脱ぎながら、眼鏡はどうしようかと真剣に悩む。
取ったら視界がぼやける。しかし、風呂に入るのに眼鏡は邪魔だ。
「コンタクトがあったな」
神速を以てひらめき、いそいそとコンタクトレンズを胸ポケットから探り当て、素早く装着。視界は良好。エリシアの不思議そうな顔がよく見えた。
桶でかけ湯をして、ゆっくりと肩まで湯に浸かると、高木はふうと息をついた。
少しぬるいが、汗をかいた身体には悪くない。最近少し肌寒いので、できれば熱めの湯が良かったが、それは贅沢の言い過ぎというものだろう。
沐浴の間は、むしろ大浴場と銘を変えた方が良いような、石造りの立派なもので、ショックがこの湯のために教会をこの地に建てたという言葉も納得できるような気がする。
「えへへ、お湯に布をつけるのは駄目だから、マサトは後ろを向いててね」
「……いざやるとなると、ちょっと恥ずかしいですね」
エリシアとリッカも遅れてやってきて、高木から少し離れたところで湯に浸かる。高木は腰に布を巻いていたが、当然ながら湯に浸かる前に取っている。銭湯でのマナーであり、割と躾の厳しい両親に布を湯につけないように厳命されている。
湯は微かに白濁しており、一度湯に浸かってしまえば大事な部分は隠される。お互いの下着姿までは長い旅生活で何度か見かけているので、こうなってしまえばエリシアも高木も落ち着くことができた。
しかし、やはり一緒にお風呂とは、露出した肌の面積云々ではない魅力があるものだ。
肌を滑る雫や、濡れた髪。やや幼いながら好みの体型をした少女二人を前にして、ぬるま湯に浸かるのはまさに至福であった。
「生きているとは、素晴らしいものだ」
「ふふ、あの後だから、すごく実感するね」
「うむ。うっかり教会を潰さなくて良かった。ここは、神に感謝しておくべきか」
「もっと違うことで感謝しましょうよー」
リッカも恥ずかしさが紛れてきたのか、会話に混じる。高木はとりあえず紳士的な振る舞いとして、視線を上に向けてはいるが、たまに首を曲げたりして、視界に端に移る二人の少女の姿にご満悦である。
ああ、本当に生きていて良かった。異世界に召喚されて良かった。やはり神様ではなく、召喚してくれたフィアに感謝をすべきだろう――
「……そういえば、フィアはどうした。風呂なら喜んでくるだろうに」
ふと尋ねた高木に、エリシアが「聞いてなかったっけ?」と小首を傾げる。そういえば、朝にひとみと出かけたと言っていたような気がする。
「ヒトミが、そろそろレイラをこっちに呼ぼうよって言ったの。ヒトミとマサトの邪魔をしてたことをレイラは後悔してて、それで一緒に来なかったんだけど、もうヒトミがこっちに来てから、随分経つでしょ。レイラとマサトが出会ってから、同じくらいだし、こっちも一段落付いたから丁度良いって話になって、今頃、召喚してるんじゃないかな」
長いエリシアの説明に、高木はしばらく呆けていた。
レイラが戻ってくる。否、そうではなくて、何故レイラの気持ちを、エリシアが知っているのかというのが最大の疑問だった。
「ヒトミとレイラ、すごく仲良しで、気持ちがわかるんだって。それで、もうレイラも遠慮しないし、そろそろマサトに会いたがっているはずだからって」
「そ、そうか……」
レイラ・ヒビキ。もうしばらく会っていないが、高木がディーガでオルゴーと袂を分けたとき、レイラの行動が高木にとって一番の疑問でもあった。
ひとみが現れ、高木を想っていたレイラは失恋の憂き目に遭ったが、それでも仲間としての絆はあると思っていた。ヴィスリーとは咄嗟のアイコンタクトで別れて行動すると決めたが、それを除けば、一緒にトールズの街を出た、言わば初期メンバーであるレイラはついてきてくれると思っていたのだ。
故に、レイラが来なかったときに、高木は「流石に愛想を尽かされたか」と思ったのだが、どうやら、そうではなかったらしい。
久々にレイラに会えるのは、やはり嬉しい。ここは素直に再会を喜べばいいだろう。そう思って、ならば存分に湯に浸かり、身体を綺麗にして会おうと決める。やはり、世の中はうまくできているものだと思ったときだった。
「それで、召喚が終わったら、レイラを連れてお風呂に入るって言ってたから、そろそろ来るよ」
「……は?」
エリシアの言葉に、高木は間の抜けた声を上げて、リッカを見る。リッカは恥ずかしそうに胸を隠しながら、それでも事前に聞かされていたのだろう。本日の沐浴の間の利用予定者の名前を列挙した。
「エリシア様、アスタルフィア様、ヒトミ様、レイラ様の四名様が訪れられるとお聞きしています。タカギさんは飛び入りですが、ヘルム様にいつでももてなすように仰せつかっていましたので、案内しましたよ?」
「……衝撃の新事実なわけだが」
高木は思わず頭を覆い、髪を掻き上げる。全く無意識の行動であったが、久々の男前状態になった高木に、エリシアとリッカが見とれているときだった。
「うわ、広いわね。ゴエモン風呂も良かったけど、これは楽しみだわ」
「ほら、レイラも早く。お風呂、久しぶりでしょ」
「うん。マサトに会うんだから、綺麗にしたかったんだー」
高木に、本日三度目の誤算が訪れた。
高木脳内フォルダお宝一覧(以前入手分)
レイラのロープ縛り(13話)
フィアの縞パン(67話)
その他、旅の途中で見た女性陣の下着姿など。