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70話:後悔

 深い深い闇の底にいるとエリシアは思っていた。

 両親が鬼籍に入り、借金だけが残ったあの日から、エリシアは闇の中で生きてきた。

 明けることのない夜にいるような気分だった。どんなに頑張っても、どれだけの苦痛に顔をゆがめようとも、闇に光が差し込むことはなく、淡々と過ぎていく。

 全てを諦めようとしていた。いっそ死んでしまえばと思うことすらあった。生きていて良いことなど、一つもないのだと悲観していた。

 そんなときに、真っ暗闇に一筋の光が差し込んだ。

 大きな手が、エリシアの身体を掬いあげ、しっかりと抱きしめてくれた。

「もう大丈夫だ」

 光――高木の声に、エリシアは久しく忘れていた安らぎを感じた。

 エリシアにとって、高木は命の恩人であり、安寧であり、喜びだった。

 マサトの役に立ちたい。マサトの傍にいたい。マサトに笑っていて欲しい。

 だから、ゴルガンスタインの手に銀色の刃が握られているのを見た瞬間、エリシアは何も考えずに駆けだしていた。

 焼けるような痛みは一瞬。弾かれたようにゴルガンスタインに向かっていく高木を視界の端に捉えて、エリシアは微笑んだ。

 良かった。マサトは無事だ。これで、私も少しは役に立てた――


「エリシアッ!!」

 真っ先にエリシアに駆け寄ったのはフィアだった。

 身体を助け起こし、下腹部にある傷口を確かめる。

 血はどくどくと流れ続け、みるみるうちに血の池を作り出していく。エリシアの顔は青ざめ、呼吸は弱々しかった。

 これは、助からない。

 かつて、トールズの街に山賊が現れたとき、街の衛兵が今と同じように腹部を剣で刺されて、介抱もむなしく数分後に事切れたことをフィアは思い出す。

 経験が、希望的観測を許してくれなかった。

「フィ、フィア……」

「喋らないで……傷口が広がっちゃう」

 フィアの声は震えていた。それでエリシアは、自分が助からないことを悟ったようだった。

「……よ、よかった……マサト、無事で……」

「っ……!」

 フィアは何も言えない。何と言えばいいのかわからなかった。

 ひとみとファウストが遅れて駆け寄る。助けを求めるようにフィアが二人の顔を見て、気付く。

「ヒトミ。貴女の世界ならッ!!」

「そ、そっか!!」

 夥しい血に、呆然としていたひとみが声を上げ、フィアが放棄していたマナを集め始める。しかし、それをファウストが遮った。

「ヒトミさん。貴女の世界とて、各家庭に医療器具が充実はしていないでしょう……治療が受けられる場所まで直接、転送できますか?」

「……けど、やらないよりはマシでしょ!?」

「失敗するとわかっていることを、マシという理由でさせるわけにはいきません!!」

 ファウストはエリシアの出血量と、傷口を確認する。自分の服を破いて、傷口をきつく縛った。

 魔法は医療の分野でも研究が進められている。成果は芳しくないが、ファウストにも多少の医療知識がある。フィアの経験と同じく、あと数分で失血死に至ることが理解できてしまった。

「血が出すぎています……止血と輸血が必要ですが……」

 止血には、高木の鉄化魔法が効果的ではあるが、急激に失血しているエリシアはショック状態であり、強烈な痛みを伴う鉄化魔法は非常に危険である。輸血にいたっては、血液型の存在すら認知されていないシーガイアでは、半ば賭けのようなものだった。

「……エリシア」

 高木がふらふらと、エリシアに近づいた。

 エリシアがゆっくりと高木を見る。無事な高木の様子を見て、エリシアは嬉しそうに微笑んだ。

「よ、よかった……」

「……っ!!」

 高木はエリシアを抱きしめる。

 身体がいつもよりも冷たい。命の灯火が確実に失われつつあった。

 頭でははっきりと理解できていなかった、エリシアが死ぬという現実が、ようやく実感として高木を襲う。

「僕が……僕が、調子に乗らなければ……エリシアを!!」

「ううん……私は、マサトと一緒にいたかったから……」

 高木の目から、涙がぽろぽろと零れた。


 調子に乗りすぎたのだ。自分の力を過信して、ありもしない余裕を持ってしまった。その結果がこれだ。

 何故、庇ったりしたのだ。僕が刺されるならば自業自得で済むのを、何故、何の罪もないエリシアが。


「み、認めないからな……こんな展開は、認めない。僕は、こんなことを望まない!!」

 憤りに身を任せ、高木が床に拳を叩きつけた。

 しかし、それが功を奏する。痛みが、高木に冷静さを取り戻させた。

 過ぎたことで、自分を責めるだけならば、後からいくらでもできる。今すべきことは、そんなことじゃない。冷静に、冷静すぎるぐらいに、最良の選択肢を選ばねばならない。

 元の世界に連れて行っても間に合わない。ならば、この世界で何とかするしか方法は無い。

 止血と輸血。傷の治療。限られた時間と、無いに等しい医療道具と知識で、エリシアを助けねばならない。

「……大丈夫だ。僕が、エリシアを助ける」

 それは、エリシアに向けた言葉ではない。高木が自分自身に向けた言葉だった。

 今までだって、やってきた。一見すると無理や無茶や無謀といえることを、自分はこなしてきた筈なのだ。

 だから、今回も大丈夫。きっと乗り越えてみせる。

 希望的観測だろうが、楽観主義だと言われようが、今、ここで嘆くよりは足掻くほうが良いに決まっている。そして、足掻くからには、相応の結果を出す。自分は今までそうやって生きてきたし、これからもずっとそうしていく。

 そのとき、エリシアも隣にいなければならない。そうに決まっている。

「……青銅騎士団の宿舎に戻る。転送するぞ」

 高木はエリシアを抱きしめたまま、転送魔法を行使する。瞬時に、高木とエリシア、フィア、ファウストの姿が消えた。

 後に残ったショックとヘルム、ゴルガンスタインは黙りこくったまま、血に濡れた床を眺める。

 やがて、ゴルガンスタインが思い出したように口を開いた。

「……ショック団長。止めずとも良かったのだ。儂は、ここで果てるつもりであった」

 力なく笑うゴルガンスタインに、ショックは長剣を鞘に収め、短刀を拾い上げた。それをヘルムに渡して、ゴルガンスタインを一瞥する。

「私は、最高司祭様を助けたつもりはありません。ただ、あの黒髪の悪魔――否、黒衣のサムライに人を殺させたくなかった。それだけですよ」

 ショックは呟いて、それも少し違うかと思い直した。

 人を殺す覚悟など、おそらく高木には出来ている。だが、その覚悟は怒りにまかせて、恨みながら振るう剣に込めるものではない。

 サムライという言葉に、如何ほどの重みがあるのかはショックには知りようもないが、少なくとも、あの美しい木目模様の剣は、人を守り、生かすためにあるように思えたのだ。

「法主殿。事後はお任せ致します。私は、彼らの力になりたい」

「……わかりました」

 ヘルムが頷くと、ショックは高木の手から弾き飛ばした桜花を、自分のマントでくるみ、駆けだした。

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