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69話:散華

 ヘルムの得意とする論法は、相手の論から逃げることにある。うまくはぐらかし、いざとなれば教義という最大の後ろ盾で完璧な防御をこなす。高木のように論理的に攻めてくる人間には滅法強く、論に弱い人間には正攻法で攻めることも出来るので、隙は少ない。そのはずだった。

「教義には黒髪の悪魔が災いをもたらすと、きちんと明記されています。これ以上の理由が他にありましょうか」

「いえ、正確には災いの先触れとあるだけですよ。悪魔そのものが災いとは何処にも書いていない。いや、それどころか記述はかなり曖昧で、黒髪の悪魔の他にも、黒い眼の天使という記述すら、別の箇所では見受けられます」

 ヘルムは苦戦していた。自信過剰の嫌味な男と思っていたファウストは、どういうわけか教義の矛盾を正確に突いてくる。

 こんな芸当が出来るのは、教義を熟読どころか、暗記していなければできることではない。

「貴方……何故、そこまでの知識が」

「タカギ君は幼少からの実践で舌先の経験を積みましたが、私はどちらかというと勉強で知識を得たクチでしてね。こういう事態になることを見越して、少々の勉強をしたまでですよ」

「……教義は、二千の章があるのですよ……」

「ええ。流石に骨が折れましたよ。完璧に暗記するのに、二日を要しました」

 ファウストがにこりと屈託のない笑みを浮かべる。

 書物にして、十巻。計五千頁にも及ぶカルマ教の教義を、ファウストは全て暗記していた。以前から仮初めとはいえ、神に仕える身として教会に登録していたことで、多少の知識があったこともあって、読み込むことに苦労はなかったが、丸暗記ともなれば骨が折れる。

 ヘルムとて、教義は暗記している。しかし、それには半年を要した。

 難解な語句もあれば、解釈の難しい部分もある。たった二日でそれら理解して暗記するなど、天才でもない限り不可能だろう。

 ならば、目の前にいるいけ好かない男は――

「第百二十二章、悪魔の襲来。それが君たちが我々を悪魔と称する理由でしょう。しかし、この部分は以前から脆弱性が指摘され、教会の内部でも疑問の声が上がっていました。そこにタカギ君が現れ、悪魔の討伐による教会への信頼を高める効果と、脆弱だった箇所の真実性を高める一石二鳥の作戦だったのでしょうが……残念でしたね。君たちは、大事なものを見落としていました」

 ファウストの笑みが、不意に嫌味っぽいものに変わる。まるでそれが、己に最も相応しい表情であるかのように。

「君たちの最大の失敗は、白銀の貴公子ファウスト・ネクストという天才を軽視したことですよ。法主殿――」



「さて、僕とひとみが悪魔ではないことの証明は、ファウストがしっかりやってくれそうなので、こちらは別の話をしようか」

 高木は悠々と最高司祭ゴルガンスタインに近づき、不敵な笑みを浮かべた。

 深い皺に、豊かな白髪を丁寧に梳いてあるゴルガンスタインは、最高司祭の名に相応しい威厳と慈愛に満ちた容姿をしている。

 高木とは孫と祖父ほどの年齢差があるが、ゴルガンスタインは目の前の悪魔を甘く観ることなど出来なかった。

 結界に容易くマナを持ち込み、恐怖されることを利用して、無傷で最上階にまで到達する。無論、戦闘になれば容赦なく突風や光線を使うのだろう。しかし、一番侮れないのは、その絶対的な魔法の力を極力使用せずに、口先だけで勝負をもちかけるという点である。

「……あの様子では、ヘルムには抑えきれぬか。悪魔が教義を全て知り尽くしているなど、思いもせなんだわ」

「悪魔ではないからな。まあ、それはさておき――ファウストめ、白鳥よりも涙ぐましい努力をしてくれる。おかげで僕の出番が無くなってしまった。取り立てて、何について話せばいいのかわからん」

 本来の高木の予定では、ヘルムと最高司祭の二人を相手に、隙を突いて論破するはずだった。長丁場になり、相手の論に綻びが出るまで粘って、そこを攻める手筈だったのだが、この調子ではファウストだけで言い負かしてしまいそうである。

「最高司祭といえども、屁理屈専門のヘルムよりも弁が立つとは思いにくい。素直に負けを認め、僕とひとみが悪魔ではなく、僕たちを召喚した魔法という存在を認めてくれれば嬉しいのだが」

 高木の言葉にゴルガンスタインは短く苦笑した。

「素直に良しと言えるならば、貴様も苦労はしておらぬ。そうではないか?」

「ほう……ならば、貴方も宗教団体とはいえど、一つの組織の頂点に立つ人間だ。交渉ぐらいはできると思うのだがどうだろう?」

 高木は早々にゴルガンスタインを言い負かすことを諦めた。ファウストが優勢ならば、下手に叩きのめすよりも、相手に余裕がある内にそこそこの条件で解決してしまう方が、怨恨に繋がらない。今後も旅を続けたいと思う高木にしてみれば、悪魔の烙印もだが、宗教一つの怨恨など買っている暇はなかったのである。

「悪魔と取引をしろとでも言うのか?」

「悪魔ではない、という仮定で話を進めれば問題ないだろう。事実、隣でファウストが悪魔ではないと証明しかかっている。単なる異世界人との取引ならば汚点にもなるまい」

 高木の口の巧さはゴルガンスタインの耳にも届いている。穏和な表情の裏で、ゴルガンスタインは極めて冷静な損得の計算を始める。

 下手に刺激すれば、それこそ神殺しとも言える弁舌が常にカルマ教を脅かすことになるのは目に見えていた。ただでさえ、絶大なるマナを行使するひとみもいる中、下手をすれば悪魔がカルマ教を乗っ取る可能性すらある。お互いが冷静な内に手を打ってしまうのが、お互いにとって一番都合の良い展開を生むことがすぐに理解できた。

「……なるほど。こうやって、相手の都合を考慮しつつ行動するのが手口か。多くを望まず、必要最低限の利益を安全に毟り取るとは、狡いが利口だ」

「交渉とは得てして、極力お互いにとっての利益を追求していくものに他ならない。しかも今回はお互いの平和という、方向性まで一緒ときたものだ。何なら、悪魔という虚像を別に作り上げてやっても良いんだ。要は、僕たちが気持ちよく動けるか否かという一点だからな」

 高木の発言は、教会が教義の脆弱性を補強するために祭り上げた悪魔という存在を、そのまま残すという意味である。

 教会が高木を悪魔に指定したのは、少なからず教会にとって利益になると踏んだからである。冷静に考える脳みそが残っているならば、口から火を噴いて世界を滅ぼすような悪魔が存在するはずがないことぐらい理解できる。そんなものがいれば、とっくにシーガイアは崩壊しているだろう。

「僕を教会の威信のために生け贄にしたことについては、この際だから是非を問わない。実際、恐怖というものは人の心につけいる隙を与え、結束を強固にする。利用しようと思うのは当然のことだろうし、僕だって貴方の立場ならば、そうしようと考えただろう」

 高木が数歩引き下がり、ショックを見る。ショックは高木の言葉を俄には信じがたいのだろう。呆けたように口を開いていた。

 ショックには悪魔が現れたので討伐しろという命令しか出ていない。それは人民のためであり、教会の利益のためなどとは露にも思っていなかった。

 ゴルガンスタイン最高司祭は高木の言葉を否定しなかった。そのことが一層、ショックに衝撃を与える。

「……団長さん。まあ、これが世の中の一端だ。ただし、理想を求めるのは悪いことではないし、僕は貴方のような立派な人間が、その義を貫くことができる場所を知っている。よければ、そちらに加わらないか?」

「……そう簡単に言うな」

 ショックはぺたんと座り、大きく溜息を吐いた。ゴルガンスタインは何も言わず、じっと高木を見つめていた。

「まあ、すぐにとは言わん。それよりも最高司祭殿。僕たちが求めるのは、悪魔の烙印の撤回と、魔法が神の力ではなく、きちんとした法則に則ったものであることを認める、ということだ。どうだろうか?」

「悪魔であるということは、撤回しよう……しかし、魔法については難しいな。そもそも、我らとて教会の威信のためだけに魔法を弾圧しているわけではない。魔法の力は強大で、誰でも使えるようになってしまえば、世の中は大変なことになる。戦争に犯罪。どれだけ多くの人間が悲しむことになるか……」

 ゴルガンスタインの意見は、高木にもある程度、理解の出来るものだった。

 身に余る力を持てば、暴走して悲しい結果を招くことなど、ままある。しかし、そうやって怯えているばかりでは世の中は発展しない。

 だが、と高木は思い直す。急激な変化はやはり、社会的な混乱を引き起こしかねない。それこそ、魔法という存在をいきなり肯定すればカルマ教への信頼は落ちてしまい、少なからず世に貢献しているカルマ教が失墜するとなると、その損失は計りきれない。

「あいわかった。ならば、少なくとも弾圧はやめてくれないか。研究を否定することは、後に科学が発展したときに再び禍根を引き起こす。奨励はしなくてもいいが、いじめずに静観するぐらいはいいだろう?」

「……後の、科学の発展?」

「ああ。必ず発展する。僕の世界はこのシーガイアよりもずっと進歩した技術を持っていて、歴史が証明してくれている。これから数十年、数百年にかけて科学は飛躍的に発展する。馬がいなくても走る馬車に、空を飛ぶ鉄の乗り物。医療も発展して、不治の病と思われていたものですら、治療が出来るようになっていく。多くの人々の役に立ち、多くの命を救う。貴方も求道者ならば、人の命や安寧を望まないはずがないだろう?」

 高木の言葉には説得力がある。

 それは単に内容に依るものではなく、喋る姿勢や、語気。緩急に強弱。ありとあらゆる要素が絡み合い、独特の説得力を生み出しているのだ。

 老獪なゴルガンスタインは、高木の言葉が、あくまでも科学の一端でしかないことを知りながらも、強く惹かれていることを自覚していた。多寡が十七、八の小僧とは思えないと苦笑する。

 隣を見ると、ファウストが教義の矛盾を上手く引き合いに出しながら、ヘルムを追い詰めていた。論から逃げるのを得意とするヘルムだが、逃げ道である教義を完璧に抑えられてしまうと、どうしようもない。せめて、ファウストが単に教義を暗記しているだけならば良かったが、単なる論戦でも強いらしく、これではヘルムに勝ち目はない。

 そっと瞑目して、ゴルガンスタインは今までの人生を振り返る。

 幼少のみぎりにカルマの教えに感銘を受け、教会の下働きをしながら必死で学問を修め、いつも誠実に教義と向かい合ってきた。それがいつしか、教会の最高司祭という立場に押し上げ、組織の運営という、本来の意義とは違うところにきてしまった。その結果が、科学や魔法という新しい風に押し流されようとしている現状である。

「……古き時代の幕引きをせねばな。すっかり凝り固まった儂の頭では新しい時代にはついてゆけん」

 ゴルガンスタインはゆっくりと高木に近づき、肩に手を置いた。

「ヘルム。もうよい。これからは、君がカルマ教を新しい方向へと導いていけ。君は異端狩りという立場ながら、常に道を違えず、神に仕えてきた。科学や魔法と、カルマ教をうまく融和できるだろう」

 それまでファウストと激しい論戦を繰り広げていたヘルムが、ふとゴルガンスタインの顔を見る。

「最高司祭様。私には、そのような大役は……ゴルガンスタイン様ならば、これからも皆を率いて……」

「いや、時代が変わるならば、相応の事件が必要でな。これは、我らの歴史でも証明されておることじゃ……古き時代は、その咎を引き受けねばならんッ!」

 不意に、ゴルガンスタインが高木を突き飛ばす。咄嗟のことに対応しきれなかった高木が、したたかに地面に腰を打ち付け、短いうめき声をあげた。

「マサト!」

 エリシアが声を上げる。次の瞬間、ゴルガンスタインは懐から一本の短刀を取り出し、高木に飛びかかった。

「貴様は危険だ。古き時代と共に、貴様も逝ってもらおう!!」

 どん、とゴルガンスタインの身体が高木に重なる。

 ゴルガンスタインの手に確かな手応えがあった。初めて人に刃を向けたが、短い刃が確実に皮を突き破り、肉に食い込んだ感触があった。手に、どろりと生暖かい液体が伝うのを確認した。

「う、おおおおッ!!」

 しかし、刺された筈の高木が叫ぶ。

 ゴルガンスタインの身体を突き飛ばし、そのままの勢いで腰の桜花を引き抜いた。

「てめえッ!!」

 普段からは考えられないような口汚い叫び声を上げ、高木はゴルガンスタインに突進する。眼は血走り、怒りに顔が歪んでいた。

 ゴルガンスタインは満足そうに目を閉じ、高木の刃にかかることを覚悟した。

 これでいい。これで、カルマ教は今までの体制を変えやすくなり、うまく魔法や科学と共存することが出来るだろう。これが最後のカルマ教への奉仕だ――


 甲高い金属音が、教会中に響き渡った。

 高木の桜花を、ショックの長剣ががっしりと受け止めていた。

退け!!」

 高木が桜花を再び振り上げる。ショックはその隙を突いて、桜花を素早く弾き飛ばした。

「それより先に、すべきことがあるだろうが!!」

 ショックの怒号に、高木が我に返る。

 何故、自分は怒ったのか。

 否。そもそも何故、自分は無事なのか。

 その答えが、高木の視界に映る。


「ッ――エリシアァッ!!」


 先ほどまで高木がいた場所に、血に濡れたエリシアが倒れていた。

武士道は死ぬことと見つけたり。


史上最悪の名文句ですね。

誰も死なせたくはなかったんですが。

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