65話:舌戦
高木とフィアが地下牢に入った翌日。中央教会から派遣された使者が訪れた。
立会人としてショックも牢の前に立ち、事の動向を見守る。やはり悪魔を受け入れることなど出来るはずもないのだが、それでも個人的な興味を捨て去ることが出来なかった。
「この者は悪魔である。即刻、首を刎ねて二度と蘇らぬよう、聖なる炎で清めねばならぬ」
教会の使者は、高木を一瞥するなりそれだけを言った。フィアとしりとりをして時間を潰していた高木は、ぽかんと使者を見上げると、おもむろに立ち上がり、桜花を鞘ごと腰から抜いて、思い切り頭を張り倒した。
「ショック。僕はこんな阿呆の戯言を聞くために、硬い床で寝ているわけじゃない。別の、もう少し真っ当な人間を連れてきてくれ」
高木はそう言うと、召喚魔法ですっかりノびた使者を牢屋の中に呼びだして、ケツを蹴った。
「お前はお説教だ。仮にも神様の愛やら真理を説く人間が、いきなり首を刎ねるという超理論をカマすとは思わなかった」
ショックは慌てて、高木を宥めるが、高木は苦笑するばかりである。
「あ、悪魔よ。待て、早まるな。使者を斬れば貴様の立場はますます悪くなる」
「目が合った瞬間に死刑宣告をされるような立場より、まだ悪い立場とやらがあるのか?」
すっかり腰が抜けてヒイヒイと情けない声を上げる使者に、フィアが鬱陶しいと怒鳴り、頭を踏みつける。
「それと、悪いけど悪魔って呼ばないでくれる? 私はアスタルフィア。こいつはマサト。ちゃんと、親に貰った名前があるの」
「心得た。すぐに手筈を整えるので、どうか無用な殺生は控えてほしい」
「殺そうとしたのはどっちよ。いいから早くしなさい!」
フィアの怒号に、ショックは逃げるように走り去っていった。
やれやれと高木は肩をすくめて、改めて使者を見る。
「さて。それでは、楽しい楽しいお説教の時間だ」
悪魔による宗教論という、使者にとっては悪夢以上に空恐ろしい時間が始まった。
ショックが別の使者を連れてくるのに、数時間ほどを要したのだが、その間に地下牢の様子は随分と変化していた。
「カレハ、アクマデハ、アリマセン。ムシロ、セカイノシンリヲシルモノデスヨー」
お説教を喰らった使者は、すっかりカタコトになり、恭しく高木を見ていた。
「すまん。少々やり過ぎた。改宗させるつもりは無かったのだが」
呆然とするショックに、高木はバツが悪そうに頭をかいて、変になってしまった使者を牢の外に転送した。
「返す」
「……どうも」
返されても困るのだが、断るわけにも行かないので、ショックは見張りの一人に、どこかに安置しておくように命じた。
一部始終を見ていたフィアだが、心なしか高木と距離を取っている。
これまで高木とずっと一緒に行動してきたフィアだが、相手を完膚無きまでに言い負かし、心を折った瞬間というモノを見たことがなかった。
いい年をした使者がボロボロと大粒の涙を流して「やめてくれ」と懇願するのを、高木は実に楽しそうに「ヤだ」と断り、じわじわと心を嬲り、へし折った。まさしく悪魔の所行であった。
正直、これにはフィアも言葉を失い、終いには使者を弁護してやるほどだったのだが、高木は「ハハハ」と笑い、へし折った心をさらに粉みじんにすり潰したのだ。
「どうにも、宗教相手はいかんな。つい、嗜虐的になる」
高木が反省したように言うのを聞いて、フィアは、いつかの高木が似たようなことを言っているのを思い出した。ケルツァルトに行くことを最初に提案したとき、高木は容赦できないから行かないと答えたのだ。容赦しない高木が、うっかり人格を破壊しかねないとは思いも寄らなかった。
「さて、次もヘボならば流石に面倒なので、直接乗り込んでしまうのも手だな。ショック、首尾はどうだ?」
「人を仲間のように言うな……」
ショックは高木の言葉に溜息を吐いて、後ろに控えていた男を招いた。
年の頃は高木と同じか、少し下だろうか。教会の人間であることを示す白い衣に良く映える、優しい笑みを浮かべた美男子で、ファウストのような隙は見えない。それだけで高木は、うむと頷いた。
「黒衣のサムライ、タカギマサト殿ですね。御高名はかねがね」
男はへつらうでもなく、ただゆったりとした調子で声をかけた。
「私はカルマ教の法主、ヘルムと申します。以後、お見知りおきを」
「……法主? 坊主の間違いじゃないのか?」
「はは、いきなりのお言葉ですね。しかし、それで腹を立てたり、油断するようでは私がここに呼ばれた意味はありませんよ」
高木の軽い挑発に、ヘルムは涼しい顔で答える。内心で舌を巻きながらも、高木はいつもの調子で肩をすくめた。
「やれやれ。ショックは人選が滅茶苦茶だ。とんでもない阿呆の次はバケモノか」
「古来、中国では徳の高い僧侶を法主と呼んだそうだが、日本では最高指導者を法主と指す。君はどちらかな?」
「徳など我が身に非ず。かと言って、人を導くような者でもございません」
高木とヘルムの舌戦は、かれこれ数十分に及んでいた。
言葉における駆け引きの妙に関しては、高木は自負があり、それを頼みにシーガイアを渡り歩いてきた。
「僕を悪魔としたいようだが、その証拠は何処にある?」
「黒髪がその証拠となりますね。我々が教義とする書に、明確に悪魔が黒髪であることが記されています。掲げる理由として、我々の立場としてはこれ以上のものはありません」
「畢竟、議論の余地は無いと言うのか?」
「貴兄がされる是非を問うことは致しませんが、我々は其れを信じる者。議論をする段階で背信となりましょう」
「其処まで理解しているのならば、話は早いだろう。議論の対象と捉えている時点で、既に単なる信仰ではあるまい。神の存在を疑わないならば、そもそも議論自体を否定する筈なのだから」
「盲信するばかりでは、組織として成り立ちませんからね。私のような立場が居なくてはならないのです。神殺しを封じる手を持たずして、神を掲げるような真似はしないとでも言いましょうか」
ヘルムは言わば、教会の屁理屈専門の隠し球である。そもそも、神の存在を証明したり否定したりすること自体が、宗教という土台では極めてナンセンスであり、そういうナンセンスに対抗できるような、神の存在自体はちっとも信じていないのに、信仰心に厚い人間を教会は用意していたのである。
科学という技術がシーガイアにおいても発展してくるにつれて、非現実的な宗教という存在とはどうしても対立が深まる。その融和策の一環であり、場合によっては詭弁でもってして神の存在を証明できるように、ヘルムは数多くの知識と、あらゆる理屈に対応できる舌の鍛錬を行ってきている。
高木の舌が己の生き方を肯定するためのものだとすれば、ヘルムのものは宗教一つを背負っている。重みも違えば、動き方も違った。
「君ならば、神が世にいないことなど理解できるだろうに。ならば、悪魔もまた居ないという結論など早々に出ても良いものだが」
「理解していようが、いまいがどうでもいいのです。教義に書いてあることを真と見る以上、そこに理屈を介入させること自体がむなしいこと。そもそも、理屈で神を語ること自体がまず、第一の間違いでしょう?」
「理屈を軽んじれば、世界が滅びるのも時間の問題だろうに。君ほどの識者が情けない」
「理屈に科学。それらを否定は致しません。ただし、我々は今、世の中の理について論じているのではありません。理屈や科学ではないところでの話なのですから、当然でしょう」
高木はやれやれと溜息をついて、現状の危うさについて考慮していた。
論破しようと思えば、おそらく可能である。しかし、その論にまで話が及ばないようにヘルムが流れを変えている。
理屈を並べようとしても、そもそも理屈の問題ではないと言われてしまえば、意味が無くなる。相手が勝負をするつもりが無いのならば、勝つことが出来ない。
「……やれやれ。君のような人間が来るとは、正直カルマ教を舐めていた。後ろのショックが呆然としているぞ」
「神の在り方はそれぞれですからね。私にとっての在り方は、おそらく貴兄の論に近いのでしょう。しかし、それを語ることが無意味なのですよ」
ヘルムの言葉は、揚げ足を取らせないように要所、要所をぼかしている。言質によって流れを優勢に変えたり、自身の理論展開に結びつける高木にとって、ヘルムはある意味、最強の存在だった。
このままでは勝てないと思いつつ、話の流れを遮っては悪魔と認めることになる。やや考え無しの適当な理屈を口で並べながら、高木は頭で打開策を練る。
「教義自体が間違っている可能性だってあるだろうに」
「可能性はありますね。ただし、それが可能性である以上、証明が必要でしょう。私一人が納得するような証明ではなく、多くの皆様が納得できるような、とてもわかりやすい証明が」
「ならば、教義にある悪魔と僕が別の存在だと考えるのはどうだろう。僕は確かに黒い髪をしているが、それ以外に何ら悪魔じみたことをしていない」
「貴兄が異世界から召喚されたことを、貴兄が証明してみせたでしょう。悪魔召喚の儀式によって喚び出された黒髪の存在が、悪魔ではないと言うほうがおかしいと思いませんか?」
ヘルムの言葉は揺らがない。高木とて論理を緻密に練って展開しているわけではなく、今までに使ってきた言葉を垂れ流しているだけなので、論破されているつもりはないのだが、流れはヘルムが完璧に掌握している。
理論武装を解除させる宗教家が如何に強いか、高木はようやく認識していた。
「ねえ。もう面倒臭いし潰しちゃうってのは?」
フィアがたまらず口を挟むが、高木はゆっくりと首を横に振る。
「宗教一つを潰せば、何万人という人間が不幸を見る。それに、中枢部を潰すのも大変だろうしな。およそ現実的な意見ではないな」
「仮に中央教会を壊滅させても、神が絶えるわけではありませんので、私からもその案の不採用を進言します」
高木とヘルムに否定されて、フィアは「じゃあ、用があれば呼んで」と言って硬い床に寝転がった。
「……最近、フィアが突っかかってくれないんだが、どうしたらいいんだろう?」
「倦怠期ですか。男女のことですので、それこそ理屈の届かないところでしょう」
流石に高木とヘルムも舌が疲れてきたのか、軽口に興じ始める。ヘルムは理論的に「理屈が無意味」というだけで、理屈屋であることには違いなく、そう言う意味では高木と気が合った。
「まあ、男女の仲ではないがな。悪魔と人間では恋に落ちるわけにもいかんのではないか?」
「さあ、どうでしょう。少なくとも、悪魔にも性別があるようですし、別に教義に悪魔の恋愛を規制するものはありません。まあ、悪魔が恋愛をするという発想自体がないのでしょうが」
ヘルムの冗談に、高木が笑う。
「まあ、君たちが悪魔と呼んでいるのは、単なる異世界の人間だからな。黒髪の悪魔というからには、日本人だったのかもしれん。原田も悪魔と呼ばれたのか?」
「さあ。教会の耳に噂が届いた頃には、戦場で英雄になっていましたからね。対処に困っている内に消えてしまったそうですよ」
「ほう。君たちの教義では原田も悪魔だが、いいのか?」
「実際に教会の人間が見たわけではないので、何ともお答え致しかねます」
「狡い答えだ」
「過去を引き合いに出すのも如何なものかと」
いつの間にか再開したやりとりだが、高木とヘルムはお互いに一歩も退かず、さりとて、前に出るわけでもない。
ただ、話の流れを相手に渡さず、隙あらば取り込まんとするばかりであり、フィアだけではなく、ショックもこのやりとりに飽きを感じ始めていた。
「……ふむ。流石に、これ以上のやりとりは無意味に近いな。少しでも隙があれば良いのだが、穴を見つけて攻めようにも、罠が仕掛けられているようで踏み込みづらい」
「まあ、こちらも同じ状況ですね。そろそろ、悪魔であるという報告をしなくてはならないのですが」
「勝手に決めつけてしまえば良かろう。教義とやらに則ってな」
「貴兄を納得させねば、こんな牢は何の意味も無いでしょう。こちらとしても、うまく悪魔であることを納得させられずに煩わしく思っているのですよ。少々、策を練らして頂きましょうか」
ヘルムがたおやかに微笑む。高木も応えるように口元を歪ませた。
長い長い前哨戦となったが、少なくとも、初めて真っ向から敵として説き伏せねばならない強敵に出会えたことにより、高木としては十分に満足している。オルゴーやガイ、クーガはいずれも遊び心や協力を求める上でのやりとりであり、相手を叩きのめすことはできなかった。バレットや先ほどの無能な使者では、高木が満足するほどのやりとりには至らない。
出直すと言って去っていたヘルムを見ながら、高木はどのような策が飛び出してくるのかと、楽しそうに待ち望むのだった。