62話:潜入
ケルツァルトは、カルマ教の教会を基に発展した街である。
高木の感覚から言えば、門前町といったところである。街としての機能は平凡であるが、ケルツァルト全体がカルマ教を基軸に出来ていると言っても過言ではない。
それもそのはずで、ケルツァルトはカルマ教の三つある聖地の一つであり、中央教会にはカルマ教の最高司祭が詰めているのである。
ファウストとフィアからカルマ教の大凡を聞いた高木は、面倒臭そうに頭を掻いた。
歴史は数百年に及び、信者はリガルド帝国の国民のほぼ六割を占める。現代日本のように宗教に対して無関心というわけではなく、新人の深さはそれぞれであれど、概ねは神の存在を信じている。
基本的に貴族層や王族に熱心な信者が多く、農民は未だ土着の神を信仰している者もいるのだが、弾圧が進んでおり、ほとんどは隠れながらの信仰である。
「まあ、魔法を否定しないだけ、土着の神様のほうがマシね」
フィアのように無神論を掲げる人間にしてみれば、カルマも土着も大した違いではないのだが、元来、宗教とは生活に密着しており、生活の一部と言っても差し支えない。現代においても、宗教にこれほど無関心なのは日本の若者ぐらいである。
他のどんな世界にも、どの国にも、クリスマスを祝った一週間後に神社で神様に柏手を打つ国民性は無い。
大概の宗教が宗教戦争を繰り広げる中、何故か日本は神仏習合という奇蹟の離れ業をやってのけ、神様と仏様をごっちゃにしてしまったのである。宗教上のウルトラCと呼んでも差し支えあるまい。
そのウルトラCをやっちまった御先祖様達のおかげで、日本人は困ったときは「神様仏様」と、どっちにもお願いしてしまうのである。
まあ、言ってしまえば元々、八百万の神々と呼ばれるだけあって、当時の人間の人口と同じくらいの神様がいた日本である。仏様もついでに祀ってしまうのも、そうそう大したことではなかったのかもしれない。
しかし、吸収することも叩き潰すことも無く、見事に纏め併せて独自の文化を形成した日本は、やはり器用な民族である。
高木もまた、現代日本の若者として、宗教には大した興味は無かった。
学問としてみた場合の宗教は実に面白いというのが高木の意見であるが、信者としては疑り深すぎたのだろう。新興宗教の勧誘に来た熱心な信者を、その場で無神論者に変えてしまう男である。神様を信じるくらいならば、二次元の美少女キャラを信じた方が良いとさえ言って憚らない。
それでも、正月には初詣に行くし、去年の十二月二十四日は、ひとみと二人で過ごした。お盆には墓参りを欠かさない。しかも嬉々として北欧神話を読む。ケルト神話に至っては神々の名前を暗記しているほどである。
「うーん。聖人の宗教論は、ちょっと滅茶苦茶じゃないかな?」
「御先祖が無茶をしすぎたせいだろう。それに、それを言えば、宗教と政治の嫌になるほど真っ黒な繋がりやらも説明せねばならん。本来の教義を忘れたかのように、政治に取り入り、権力を手にして……」
講釈が長くなりそうだったので、ひとみは高木を無視して、フィアを見た。
「やっぱり潰したい?」
「そりゃ、こっちを潰しにかかってきたんだから、反撃できるなら、するのが当然でしょ」
フィアは指をポキポキ鳴らして、楽しそうに笑う。しかし、ひとみは「ううん」と首を横に振った。
「確かに魔法を神の力にして、異を唱える人間を弾圧するのは間違ってると思うけど……カルマ教を心の支えにしてる人もいるんじゃないかな?」
ひとみの言葉に、ファウストが頷いた。
「実際に、慈善活動や怪我の治療。生活が困窮した人間への救済なども行っています。生活になくてはならない存在には違いありません」
「じゃあ、潰せないじゃないの!」
フィアが不服そうに口を尖らせた。そもそも、たかが数人で宗教を潰せる筈がないのだが、如何せん、宗教という分野において、高木は異様に強いであろうとフィアは見立てていたのだ。神の存在を証明するのが口である以上、まさしく神がかった口先三寸を持つ高木は、神殺しであろう。
「あのな、フィア。魔法を認めさせれば、それで全ては解決するんだ。僕やひとみは召喚魔法で呼ばれた異世界の人間と証明されるだろうから、僕にとってもフィアやファウストにとっても万事解決だ」
「つまり、カルマ教自体を潰すんじゃなくて、思想を変えさせるの?」
エリシアの問いかけに、高木はにこりと笑って、エリシアの頭を撫でた。
「思想というよりも、方針の一部だがな」
「……まあ、私は魔法が認められれば、それでいいんだけどね」
「うむ。僕もファウストも、教会の教えに文句を垂れているわけじゃない。宗教が世の中に必要なものだということには、異論は無いさ」
高木の言葉にファウストも頷いた。エリシアも高木の行動がようやく把握できたのか、しきりに頷いている。
「なんか、いっつも私が分からず屋みたいね」
「そんなことはないさ。フィアの威勢の良さは、紛れもない長所だ」
頬を膨らませるフィアの頭を撫でて、高木はついでに「短所でもあるが」と付け加えた。
お尋ね者である高木達だが、その旅路は至って暢気なものであり、堂々と街道を馬車で移動している。
当然と言えば当然であるが、ケルツァルトの街は、関所からの報告を受けて、その不可思議な内容に戸惑いながらも、黒髪の悪魔一行を迎え撃つ用意を進めていた。
二百名からなる、ケルツァルトの青銅騎士団の隊長、ショック・ゲルは中央協会から、悪魔迎撃の任を受けて、背筋の凍る思いがした。
三十代半ばにして小さいとは言えど騎士団の長を務めるショックは、帝国騎士団に入団することさえできる実力の持ち主であると評判の、文武両道の人間である。ショック自身は魔法こそ使えないものの、カルマ教の聖地を守護する青銅騎士団には、神の力――つまるところ、魔法の使い手も多い。たとえ、数の不利があろうと、負けない自信がショックにはあった。
しかし、相手が悪魔であると言われては、流石のショックも頬を伝う汗を隠すことはできない。
関所の守備隊長は、ショックもよく知っている。飛び抜けた何かがあるわけではないが、間違った判断をするような男ではなかったし、相応の胆力もある。いくら悪魔だろうが、そう易々と突破できるとは思えない。
しかし、その関所を悪魔達はほとんど戦わずして抜けたのである。単なる殺戮者ではなく、知恵もあることが窺い知れた。
「青銅騎士団はこれより、黒髪の悪魔の迎撃に向かう。これは、騎士団始まって以来の危険な任務になるだろう。しかし、我らには神がついている。恐れるな」
ショックの命令に、青銅騎士達は揃って「はい!」と声を揃える。よく訓練されており、一人一人が、並の盗賊に囲まれようが、あっさりと切り伏せることが出来るだろう。少数精鋭と言われる彼らには、帝都であぐらをかいている帝国騎士団よりもよほど、騎士としての誇りに満ちていた。
つまり、高木達があまりにも堂々と街道を突き進んだ結果、目の前に二百名の青銅騎士が居並ぶという状況を作り上げることになったのである。
ショック率いる青銅騎士も、まさかここまであっさりと悪魔と遭遇するとは思っていなかった。
折しも馬車を操っていたのがエリシアだったことから、最初は素通りしそうになったのだが、二百名の騎士団を前にしたエリシアが「マサト、なんか騎士団みたいのがいるよ」と声をかけ、黒髪の悪魔が馬車から顔をのぞかせてしまった。
「ああ、これはきっと、僕たちを捕まえに来たんだろうな」
暢気に青銅騎士団の目的を言い当てた悪魔は、その直後、後頭部を何者かに殴られたようで、そのまま馬車から転げ落ちて、腰をしたたかに打った。
「予想してるんなら、どうして真っ直ぐ進んでるのよ、このバカ!」
怒鳴りながら馬車から姿を現したのは、やはり悪魔召喚の大罪人であるアスタルフィア・エルヘルンブムである。黒髪の悪魔は腰を押さえながら「危ないじゃないか」と抗議していた。
自分たちを目の前にして、怯えすくまなかった敵は少ない。雰囲気こそ、彼らはぐだぐだとしているが、逆を言えば自分たちをそこまでの脅威としていないのだ。
「周囲を囲め。刃向かえば容赦するな。神の力はいつでも使えるように準備しておけ!」
ショックの号令で、青銅騎士団は素早く馬車を取り囲んでいく。
元より小さな馬車一つである。二百人が包囲するのだから、既に逃げ場所など何処にも無く、あっという間に高木達は包囲された。
「ほう。これはいかんな。ここまで多勢に無勢だと、小細工など不可能だ」
高木は周囲を見渡しながら、それでものんびりとした様子で呟いた。御者席のエリシアが、怯えて高木の隣に来て、ぎゅっと服を握る。
「マサト、どうしよう?」
「そうだな。蹴散らしてしまうのも、まあ不可能ではないのだろうが……お互いに死人が出るだろうし、やめておこう」
高木は万歳のように両手を挙げて、そのまま、ふらりと前に進む。
「この通り、抵抗はしないが。無抵抗の悪魔は、弾圧の対象かな?」
高木の言葉に、ショックは眉をぴくりと動かして、前に出た。
あまりにもあっさりと投降しようとする態度に、疑問を覚えたのだ。何か裏があると考えるのが必然である。
「ちょ、マサト。何やってんのよ。殺されるわよっ!?」
フィアが慌ててマナを集めようとするが、周囲の騎士団が既に周囲のマナをあらかた集め終えており、ろくにマナが集まらない。そうなると、ひとみもファウストも、もはや何の役にも立たない一般人となってしまう。魔法がなければ、ヴィスリーとオルゴーのいない高木一行には、何の戦力も残っていないのだ。
「……そういうことだ。まあ、いずれは追っ手が来ると思ったが……こんなに大勢来るとは思ってもみなかった」
高木は両手を挙げながら、苦笑してフィア達を見る。
フィアが集めたわずかばかりのマナが、ゆっくりと四散するのを確認しながら、高木はふうと溜息をついた。
「改めて、質問しよう。この通り、僕たちは抵抗しないが、どうするつもりだろうか?」
高木の言葉に応えるように、ショックは一歩前に出て、剣を鞘に仕舞う。
「私は青銅騎士団長、ショック・ゲル。黒髪の悪魔とお見受けする」
「ふむ。出来れば黒衣のサムライと呼んで欲しいところだが。まあいいか。いかにも、その通りだよ」
「……本当に無抵抗で投降するつもりとは思えない。証拠を見せてみろ」
ショックの言葉に、高木は「ほう」と呟いて、首を捻った。
なかなかの無理難題である。抵抗しないという意志を、具体的に証明できるものなど、そうそうないのである。
つまり、ショックの言葉は最初から無理難題であり、できれば即刻、この場で高木達を討ち取りたいというのが本音なのだと思う。それができないのは、騎士道精神を持つ男だからだろうと、高木は解釈した。
「わかった。ならば、こちらが抱える戦力を、放棄しようじゃ無いか」
高木は馬車を振り返り、フィアにひとみ、ファウスト。それに、自分の脇に隠れているエリシアを見た。
「みんな、一流の魔法使い達だ。彼女らがいなければ、僕だけでは何も出来ない」
ゆっくりとマナを集めて、高木は概念魔法を構築していく。
あまりにも少ないマナである。周囲にいる、概念魔法を知らない騎士達は、少ないマナで何ができるものかと、侮った。
「……マサト。何するつもりよ?」
フィアが、ゆっくりと高木を見る。
「いや、まあ捕まるなら、逃げた方が良いと思ってな。しばらく、僕の世界で身を隠してくれ」
「……その言い方だと、マサトは残るってコト?」
「うむ。僕とひとみとフィア。三人ともあっちに行けば、帰って来れなくなる。だから、僕はお留守番だ」
「あ、あんたが死んじゃうじゃないのっ!!?」
高木がにっと笑うと、高木を除く四人。フィア、ひとみ、エリシア、ファウストの四人が瞬時に消えた。
何が起こったのかとざわめく騎士団に、高木が再び、振り返った。
「どうだろうか。抵抗の意志は無い証明はできたと思うが?」
「……消したのか、良いだろう。どうやら、仲間を逃がすのが目的だったようだが」
ショックの言葉に、高木は苦笑する。中々の切れ者だと、内心で賞賛を送った。
「逃がさねばならないというのは、つまり、勝てないと言うことだろう。引っ捕らえろ!」
無抵抗の高木に、数人の騎士が飛びかかり、押し倒される。
思い切り地面にたたきつけられた高木は「ぐう」と呻き、それでも暴れることはしなかった。
「よし、両手を縛り、猿ぐつわを噛ませろ。神の力の源を、決して集めさせるな」
ショックの言葉に、高木の口に布が押し込まれ、両手を縛られる。
「よし、帰還するぞ」
高木は痛みに顔をしかめながらも、騎士団のやりとりを聞いて、内心でにやりと笑うのだった。




