57話:決別
高木が体中に痣を作り、伊達に背負われて仁科家に帰宅して、そのまま深い眠りについた翌日。
陽は高くなっているのに、一昼夜続けられた過酷な修行のせいで、目を覚まさないままに、高木は再びシーガイアに召喚された。
「ん……む?」
流石に召喚の違和感で目を覚ました高木の前には、笑顔のひとみとレイラがいた。
「……ああ、召喚されたのか。おはよう」
寝ている間に召喚されたので、眼鏡は置いてきたままであった。高木はマナを集めて、瞬時に眼鏡を召喚する。
「ふむ。これでようやく落ち着いた……?」
眼鏡をかけ直して、改めてひとみとレイラを見る。笑顔のままの二人だが、さきほどはぼやけていて見えなかった、こめかみの青筋が明瞭な視界のおかげで、はっきりと確認できた。
「……あ、アウトポート!」
咄嗟に逃げようと、再びマナを集めて呪文を唱えるが、読み切っていたひとみが、先に周囲のマナを全て奪っていた。
「く、くそ……筋肉痛で身体も動かない……というか、せめて理由ぐらい教えてくれ!」
情けない高木の言葉に、レイラとひとみがにっこりと笑う。
「自分の胸に……」
「聞いてみろーッ!」
フィアとエリシアが召喚されたときに目にしたのは、両の頬に赤々と手形の残る、涙目の高木だった。
「……さて、酷い目に遭ったわけだが……とりあえず、今後の予定を立てようか」
高木の帰還に、ヴィスリーとナンナ。オルゴーとルクタが駆けつけて、輪になって座った。
ちなみに、いつの間にかファウストも当然のような顔で面々の中に入っていたのだが、一応、ひとみにマナの制御を丁寧に教えた功績などもあり、誰も特に咎めることはなかった。
「まずは、オルゴー。クーガ伯爵ときちんと話し合うことは出来たか?」
「ええ。タカギさんのおかげで、話は順調です。クーガ伯爵もまた、前々から国を憂いておられました。話し合った結果、やはり大がかりな変革が必要ということになり……なんとか民を巻き込まない形で、武力の行使が一番という結論に至りました」
オルゴーの説明に、高木は深く頷いた。
元々、オルゴーがしようとしていたことは、革命以外のなにものでもない。いくらクーガ伯爵の地位が高くとも、王族や帝都で甘露を啜るような大貴族には権力の面で敵うはずもなく、そうなれば道は武力での制圧しか残らない。現代においても戦争が起きてしまうのは、要するに戦争がそれだけ手っ取り早く、なおかつ効率的な『交渉』に他ならないからだ。
「流石に、民を巻き込まないってのは無理があるとは思うけどな。ま、そこを上手くやらねえと、結局は今までと変わらねえ。俺も一応、話し合いに参加したが……正直、良い方法は思いつかなかった」
ヴィスリーの言葉に、高木は少し考えたが、流石にすぐに思いつくようなことではない。
一応、帝都の騎士団本部などに高木が潜入して、兵力を召喚することができれば奇襲で、かつ民に迷惑はかからないのだが、召喚後はしばらく気分が優れず、また、召喚する人間のことをよく知らねばならない。概念が構築できるほど、その人間について深く知る必要があるのだ。オルゴーやヴィスリー、フィアにレイラ。いずれも猛者であり、帝国でも指折りの魔法使い、ファウストもまた戦力に換算できるのかもしれないが、それでも頭数は足りない。ちなみに、ひとみならば建物ごと破壊という荒技すら可能なのだが、自分の恋人に人殺しを頼むほど、高木は見境がないわけではない。
「それでじゃがな」
今度はナンナが口を開いた。
「一応、ディーガの街にも騎士団はある。というか、クーガ伯爵がまとめあげる騎士団なのじゃが……およそ、二千名ほどの騎士団でな」
「ほう。それは……どれくらいの規模なのかよくわからんが」
「帝国騎士団は二百名ほどです。ただし、帝都には他にも教会騎士団や、近衛騎士団。帝都防衛騎士団など、合計で八千名ほどが詰めています」
オルゴーの言葉に、高木は苦笑する。およそ四倍の兵力差である。一領主と、一国の首都の兵力差であるから、当然と言えば当然のことであるが、前途は多難であった。
「まあ、他にも騎士団は幾つかあるし、正面突破は難しいな。うまく、幾つかの騎士団を取り込むことが出来ればいいけど」
ヴィスリーがやや投げやりに言う。あまり現実的な話ではないということなのだろう。高木は頷いて、次にファウストを見た。
「ひとみのマナの制御に関しては、僕が戻ってこれたので上手くいったようだな。ファウストには世話になった」
「いえ、構いませんよ。私が教えることが出来て、むしろ光栄なほどです……それよりもタカギ君。気になる話を耳にしたのです」
ファウストは前髪をいじりながら、ふと高木を見た。
あまり良い話ではないのだろう。普段の茶化した雰囲気はなかった。
「タカギ君が異世界人であることが、どうやらカルマ教会の耳に入った模様なのです。これは、少し不味い展開ですよ」
ファウストの言葉に、ふと顔を上げる。
「カルマ教会……確か、この国で最も大きな宗教だったな。魔法を弾圧の対象にしている、とか」
「ええ。表向きは、私も教会の人間の一員です。あくまで、表向きですが」
ファウストは名の知れた魔法使いであるが、弾圧の対象ではない。それはひとえに、教会の人間として、神の力の行使という名目を得ているからである。ファウストだけでなく、オルゴーやガイもまた、帝国騎士団に入隊するときに、教会の一員ともなっている。
そうでなくては、魔法を表だって使うことすら出来ないのだ。
「フィアやレイラはカルマ教の一員ではないのか?」
「当たり前でしょ。魔法はきちんとした理論があって、誰でも使えるものよ。神様なんかにお願いして借りてる力じゃないわ」
フィアの威勢の良い言葉に、ファウストは苦笑する。そもそも、ファウストも意見としてはフィアと同じなのである。しかし、魔法使いとして大成するには、弾圧の対象となるか、教会に入り、神の力と称して保護されるかの二択なのだ。ファウストは身の安全のために、あまり良い気分ではないにしろ、教会の一員となった。
「ふむ。それで、僕が異世界人と教会に知れたということは……要するに、僕は弾圧の対象というわけか?」
「ええ。そのうち、私にもタカギ君を捕らえるようにとお達しがあることでしょう」
ファウストの言葉に、高木は愉快そうに笑った。もしも、ファウストと真っ正面から全力で魔法勝負をすれば、概念魔法を使う前に殺されてしまう。先の対戦は、あくまでも「周囲にバレないように」という制約付きだからこそ、高木は勝てたのである。単純な勝負であれば、ファウストには手も足も出ない。
しかし、別にファウストは高木を捕らえるつもりなどない。高木一人ならば捕らえることもできるのだろうが、ひとみは自分の才能を遥かに凌駕しており、迂闊に高木を捕まえると、間違いなくひとみを敵に回すことになる。オルゴーやレイラ、フィアなどもまた、敵になるだろう。ファウストの命は幾つあっても足りない。
それに、ひとみにマナの制御を教える中、この稀代の大魔法使いの妨げになりたくはないとも思うようになっていた。
もしも、ひとみの才能が自分と同じ程度であったならば、また話は違ってくるのだが、決して手の届かないような、大きな隔たりがある。嫉妬する気にもならなかった。
「……ファウスト。打開策はあるか?」
「私が捕まえようとしなくとも、教会の人間の多くが、敵に回るでしょうね。既に悪魔と認定されていますので、いずれは国中にお触れが出るかと思います。対象は、タカギ君とヒトミさん。それに、召喚したフィアさん……正直なところ、迎え撃つのは得策ではありません。この街にも被害が出る上に、オルゴーさんはあまり知られてはいけない存在。場当たり的な処置でいいのならば、身を隠すこともできますが……」
「要するに、引き籠もれと言うことだろう。冗談じゃない」
「でしょうね。引き籠もるなら、元の世界の方がよほど安全です。だから、私が考えるのはこの街を出て、旅をすることです」
ファウストの意見に、オルゴーが首を横に振った。
「いけません。せっかく、ここまで来たのです。目的も無い旅に出ることなどできません」
「落ち着け、オルゴー。君まで旅に出る必要はない。僕とひとみ。それにフィアが居なくなれば良いだけの話だ」
高木が苦笑して、オルゴーを窘める。しかし、それでもオルゴーは首を横に振った。
「それでも、いけません。タカギさんの力が必要なのです。私だけでは……ルクタと私の二人でも……ここまで来ることは出来ませんでした。おそらく、ガイに捕まっていたでしょうし、場合によってはリースで立ち往生していたやもしれません」
「……オルゴー。何も、君に力を貸すのを辞めるなどとは言っていない。ファウストも、別に袂を分かてとは言っていないだろう?」
高木には概念魔法がある。転送魔法さえ使えば、旅をしながらでも、一時的にディーガでオルゴーと会うことは容易いのだ。
「いえ、それでも駄目です。タカギさんが追われる身になることを、私は見過ごすことが出来ません」
オルゴーの真っ直ぐな視線が、高木を射貫いた。
オルゴーと意見が対立することは、これまでに何度かあったが、今回が一番、オルゴーの目が真剣であった。
「ここにいれば、オルゴーの目的の妨げにもなる。僕は君の力になるために、行動を共にしてきた。邪魔になっては、本末転倒だろう」
「仲間の危機です。確かに目的は大事ですが……タカギさんの身に危険が迫っているのであれば、私は……帝国騎士ではなく、オルゴー・ブレイドという一人の人間として、剣を振るいます」
オルゴーの言葉に、高木は思わず笑顔を見せてしまいそうになった。しかし、それを堪えて、ゆっくりとオルゴーに近づく。
「オルゴー。気持ちは痛いほどに嬉しい。帝国騎士として生き、最後まで帝国騎士としてあろうとする君が、そんなことを言ってくれるなんて思いもしなかった。正直なところ、誰が来ようと、オルゴーがいてくれれば怖いものなんて何一つ無い……だが、それじゃ駄目だ。わかるな?」
高木の手が、オルゴーの肩を鎧越しに掴む。
決して振り解けないような力ではないが、オルゴーは動くことが出来なかった。
「君は、帝国騎士のオルゴー・ブレイドだ。その行く道を違えさせないのが、僕の役割。これだけは、間違えてはいけない」
「しかし、貴方の命に替えられません!」
「……やれやれ。仕方あるまい」
高木はオルゴーの肩を思い切り押した。体勢を保とうと慌てるオルゴーの頬に、容赦なく拳を叩き込む。
ルクタが身を乗り出すのを、ヴィスリーが押しとどめる。エリシアは驚いて身体を強ばらせ、フィアは黙って様子を見守った。
座っていた椅子から転げ落ちたオルゴーを、高木はゆっくりと見下ろした。
「タカギさん……?」
「これまでだ、オルゴー」
高木は冷ややかな目で、オルゴーを見ていた。
未だかつて、こんな目で高木に見つめられたことはない。まるで、侮蔑するかのような、感情のこもっていない瞳に、オルゴーは何も考えることが出来ず、ぼんやりと高木を見上げていた。
「もう、僕が君にしてやれることは無い」
高木はそれだけ言うと、ツカツカと革靴を鳴らしながら、部屋を出ていった。
静まりかえる部屋の中心で、オルゴーが呆然とその様子を見送る。引き留めようとする言葉は、どれも口から紡がれることはなく、オルゴーの胸の中で渦巻いては消えた。
高木の言葉に、迷いや弱さは見えなかった。それどころか、決意すら感じてしまったのである。まるで、もう二度と自分たちの前に姿を現さないと言っているように感じられた。
やがて、高木に続くようにひとみが立ち上がった。
「今まで、ありがとう。短い間だけど、楽しかったよ」
ぺこりと頭を下げて、ひとみも部屋を出ていった。
「……行くわよ、エリシア」
「うん」
それまでずっと黙っていたフィアも立ち上がり、エリシアもそれに倣う。フィアもエリシアも、オルゴーを見ることすらなく、黙って部屋を後にした。
高木の言葉の意味を、オルゴーは理解できないでいた。
もう、高木ができることはないなど、どう考えても有り得ない。
高木が居たからこそ、自分はここまで来れたのだと考えていたし、これから先も、高木の判断力や柔軟な発想も絶対に必要になると思っていた。それだけではない。高木という存在がいるだけで、オルゴーは気持ちを強く持つことが出来た。
オルゴーにとって、高木が必要にならないということなど、有り得ないのだ。高木も、それを理解してくれていると思っていた。
「……ヴィスリーさんは、行かなくて良いのですか?」
オルゴーはふらりと顔を上げて、ヴィスリーを見た。
高木は出て行ってしまった。もう、ヴィスリーやレイラがここに居ることはないだろうと、オルゴーは思った。
「んー、そうだなぁ。ま、兄貴の言うことも一理あるんだが……ナンナを置いて旅ってのは、なあ?」
ヴィスリーは苦笑しながら、レイラを見た。
本来ならば、真っ先にでも高木を追いかけていきそうなレイラだが、高木の姿を見送ることもなく、じっと俯いているだけだった。
「ヒトミがいれば、私は……邪魔なだけだから」
それだけぽつりと呟くと、レイラは大きく溜息をついた。
「そ、それでは私は、失礼しましょう」
やりきれない空気に、ファウストは慌ただしく立ち上がり、逃げるように部屋を出ていく。元々、仲間というわけではなかったファウストである。引き留める理由すらなかった。
もう、誰も何も言わなかった。オルゴーとルクタ。それにレイラとヴィスリー、ナンナの五人は身じろぎ一つせず、一言も発することなく、ただただ佇むことしかできなかった。
45話:再会(上)に、挿絵を掲載しました。
今回はなんと、私自身で描いてしまいました。
下手なんです。しかも色弱で正しい色がわかんないので、正直色塗りに自信がないです。
そういうわけで、宣伝しておきながらアレですが、うっかり作品のイメージを壊してしまいたくない人は、スルーをお奨めしちゃいます。
なお、黒衣のサムライは随時、挿絵を募集中です。
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