56話:賛歌
高木が、ひとみに真剣にアタックを仕掛けられていることに気付いたのは、二週間ほど経ってからのことだった。
仕方のないことと言えば、仕方のないことである。高木は今まで誰かにアプローチをかけられたことがなく、ひとみも仕掛けたことがなかった。しかも、高木は「この誘うような言動は、遊びだ」という認識をしていたために、まさか本気だとは思いも寄らなかった。
だからだろう。実に真っ直ぐなアプローチも全部「まだまだ手ぬるいな」と、言葉遊びや駆け引きの範疇で捉えていた高木に、ひとみが業を煮やした結果、正面突破とあいなった。
「好きなの。本気で」
放課後の屋上という、シチュエーションとしてもバッチリの選択であった。
最初は、かなり凝った演出だな、と冷静な批評をしていた高木も、ひとみの言葉を聞き、上気した頬と、潤んだ瞳を見た瞬間にふと気付いてしまったのだ。
「も、もしかして、マジなのか?」
高木にしては、本当に珍しいことに、言葉を詰まらせた。その上、マジという若者らしい言葉まで飛び出した。
「うん、まじ」
ひとみの言葉に、高木はこの二週間を振り返る。
一緒に帰ろうと言われたことも、喫茶店で二時間、ずっと見つめられっぱなしだったことも、マジの範疇であったと気づき、猛烈に慌てた。
実際に、何度かひとみの仕草に目を奪われてしまっていたのだ。上辺の言葉や演技であるのに、よくもまあここまで魅了できるものだと、高木はずっと内心で評価していたが、何と言うことはない。本気だったのならば、目を奪われて当然であった。
「そ、そうだったのか……」
言葉の駆け引きの妙に自信はあった高木だが、恋愛の駆け引きには一切の自信がなかった。
高木がこれまでひとみのアプローチを全て退けてきたのも、恋愛という感情が無いと思い込んでいたからである。その全部がいっぺんにひっくり返り、高木は完璧に戸惑った。
実は高木。ひとみの名前すら覚えていなかったのである。
同じクラスの美人という認識しかしていなかった上に、自己紹介を聞き流した。挙げ句、駆け引きという遊びは基本、マンツーマンで行っていたために、あえて名前を呼ぶ機会もなく、この遊びが終われば単なるクラスメイトに戻るだろうと思っていたので、携帯電話に登録された名前も「学園アイドル」であった。
「……えぇと、すまないのだが……その。名前、教えてくれないか?」
「へ?」
高木の言葉に、ひとみは首を傾げた。
二週間、何かと行動を共にしていたのだ。名前ぐらい知らないはずはない。
ひとみが今まで、誰からも注目される存在だったこともあり、自分の名前が知られていないなど、思いも寄らなかったのである。
だから、高木の言葉の意味も「名字は知っているが、名前まで覚えていない」と解釈した。つまり、名前で呼んでくれるだろうと思ったのである。
「ひとみ、だよ」
「あー、いや、その。できれば、名字も」
「っ……!?」
屈辱だった。できる限りのアプローチを続けた二週間だったのである。
一緒に帰ろうと誘ったのは、人生で初めてだった。その途中で寄った喫茶店も、お洒落なところを選んだ。
デートだって、人生初だったのだ。高木の趣味を考えて遊園地にした。ヒーローショーを見ながら、ひとみの手作りのお弁当を一緒に食べた。お化け屋敷では、怖くないのに抱きついた。
周囲ですら、ひとみのアプローチに気付いていた。何故、高木などに入れ込むのかと、周囲から引き留められもしたが、好きになってしまったのだから仕方がない。流石の高木も、少しは気付いてくれていると信じていた。
それが、まさか名前すら覚えてもらっていなかったとは。屈辱と言うよりも、そのまま失恋のようなものであった。
「えっと……その。改めて、自己紹介するね。天橋ひとみです……その、よろしくお願いします」
話の流れ上、欠伸で聞き流された自己紹介をもう一度しなければならなかった。
「あ、ああ……天橋か。確かに、そんな名前だったな」
高木はそれだけ言って、しばらく黙った。
「本気とは思っていなかったから……正直なところ、驚天動地というか。よくわかっていない。ただ……僕でも、好きな人の名前ぐらいは知っておきたいと思っただろう」
長い沈黙の後に呟かれた高木の言葉は、否定の意味を示していた。
今まで、名前を知ろうともしなかったひとみを、好きではない。意訳すれば、そんなところであろうか。少なくとも、二週間、高木の台詞回しに慣れ親しんできたひとみには、その言葉の意味がきちんと伝わった。
「……そう、かぁ」
涙が出そうだった。二週間の苦労云々ではない。好きな人間から拒否されたことが、単純に悲しかった。
「ああ。すまない」
高木はそれだけ言って、俯いた。
高木は色々なことを考えるのが半ば趣味のようなものであるが、たった一つのことについて一週間も悩んだのは人生で初のことだった。
告白を断った、翌日。ひとみは、いつも通りだった。
おはようと笑いかけて、積極的に話しかけてくる。帰りには「一緒に帰ろう」と誘い、喫茶店でコーヒーを飲む。
それがひとみの「諦めない」という意思表示であった。そして、それは思った以上に効果覿面であったと言える。
それまで、全部が全部を遊びと捉えていた高木は、二週間の出来事を改めて思い返した結果、完璧にひとみを意識してしまっていたのである。これも当然と言えば当然であろう。美人で愛嬌があり、自分を一心に思ってくれる存在が憎いはずがない。しかも高木は恋愛に関しては何の経験もなく、RPGで言えば、レベル1で街を出て、いきなり現れたのが大魔王だったようなものだ。
二週間分のアプローチが一晩で、一気呵成に効果を示したのである。まさしく会心の一撃であった。その衝撃を一身に受け止め、自分の感情の変化に戸惑いながらも、答えが出たのが、一週間後。
放課後の屋上という、同じ場所と同じ時間で。立場だけを入れ替えた。
「あー、その。一度断っておいて、こういうのもアレだが。僕は、ひとみが好きらしい」
高木が顔を真っ赤にさせるのを、ひとみは初めて見た。だが、ひとみはゆっくりと首を横に振る。
「……そんなのじゃ、いやだよ」
らしいなんて、曖昧な言葉なんて必要なかった。もっと、いつものように。嫌味なほどにはっきりとした言葉が欲しかった。
「……う、む。言い直す……僕は、ひとみが好きだ。これで、実は全部演技でしたと言われたら、年甲斐もなく大泣きするぐらいに大好きだ」
「……私、あの後、家に帰って泣いたよ?」
「うぐっ……ああもう、何度でも言う。言ってやろうじゃないか。僕は、ひとみが好きだ。昨日から台詞を考えていたが、全部飛んでいった。もっと、格好のついた台詞だって、きちんと用意していた。だが、忘れてしまったんだ……もう、ひとみの名前以外が、全部頭から消えてしまうぐらいに、ひとみが好きなんだ!」
高木の飾らない言葉は、今でもひとみの胸に焼き付いている。
「……ヒトミ、凄いね」
レイラはゆっくりと呟いて、空を仰ぎ見た。
最初から、勝てなかった。そんなことはわかっていたのだ。
高木がひとみを召喚したときの表情を見れば、わかった。わかっていたが、それでも聞いておきたかっただけなのだ。
「マサトが自分の考えを読ませるって、自分が認めた人にしかしないよ」
「そうなのかな?」
「うん。このシーガイアじゃ、きっとオルゴーとクーガ伯爵だけだよ。二人とも、マサトが単なる口先だけじゃ勝てなくて……マサトの必殺技みたいなものじゃないかな」
レイラの言葉に、ひとみは押し黙る。
高木と初めて言葉を交わしたときの記憶が、脳裏に再び蘇る。
高木は、自分の考えを読ませた上で、それを見透かして、さらに言葉を繋げた。確かに、必殺技と言って良いような特技だと思う。
「私は、マサトの考えについていけないの。マサトが考えたことを、後の結果になってようやくわかるだけ。フィアやヴィスリーは、半分ぐらいはついていけてるけど……私には、半分もわかんない……」
それだけが、高木がひとみを好いた理由ではないと思う。だが、それがなければ、高木はひとみに興味を持たなかったとも思う。
「レイラ……」
「いいの。もしも、私がマサトに考えを読ませるぐらいに、頭が回れば……きっと、出会ったときにマサトを殺しちゃってた。私は元々、マサトを殺すために、マサトの前に現れたんだし……だから、これでいいと思ってる」
「それは、私も同じコトだと思うよ。私は、聖人の気持ちを弄ぼうと思ったんだし」
「返り討ちにあったのは、一緒だね」
レイラの冗談に、ひとみは苦笑いを浮かべた。
多分、出会うタイミングが違えば、付き合っていたのは自分ではなかったかもしれないと、ひとみは思う。
高木は恋愛に疎かった。言葉を変えれば、初心で、好意を寄せられれば、つい情を持って行かれてしまうぐらいに。
ひとみはまっすぐに、レイラを見た。おそらく、自分がいなければ、レイラが高木の心を占めていただろうから。レイラに、伝えておかないといけないことがあった。
「……私から言うのも、おかしな話だと思うけど。聖人は、きっとレイラのこと、好きだと思う。もし、聖人が帰ること諦めたら、レイラの気持ちに応えたかったはずだよ」
「……ヒトミ?」
「今更言うのも変だし、そもそも、聖人から言わないといけないことだけどね。聖人は、こういうことを言うのだけは、本当に下手だから。それに、聖人に問い質したから間違いないよ」
ひとみがシーガイアに呼ばれ、高木からこれまでのあらましを聞いたときに、高木は自分から己の浮気を告白した。
浮気と呼ぶには、行為は伴っていないが、それでも高木は浮気と呼んだので、ひとみもそういうことにしている。
仕方ないことではあるのだ。本当に元の世界に帰れるかもわからないという不安や、慣れない土地で、頼れる人間が仲間達だけであり、ついには寝食を共にする旅に出た。同年代の異性――しかも全員が魅力的であれば、惹かれてしまうのは当然のことだ。何も、レイラだけではない。高木はフィアもエリシアも好きだった。
「ヒトミは、それでいいの?」
「正直、すっごく怒ってる」
にこりと笑い、ひとみはマナを集めて、呪文も告げずに『破壊光線』をリンゴに目がけて打ち込んだ。
一瞬でリンゴが蒸発して、跡形も残ってはいなかった。
「魔法を教えてもらう前でよかったよ。殺しちゃうところだった」
「あ、あはは……」
レイラはどう答えて良いのかわからず、目をそらした。
フィアがひとみに睨まれたとき、全身を震わせていた理由がわかった。本当に怖い。
「まあ、自分から言ったから、許してあげたけど……それに、フィアもレイラもエリシアちゃんも、みんな綺麗だし……二ヶ月間も一緒にいて、それは、好きになっちゃうのも当然だけど、全然面白い話じゃないよ。私は二ヶ月間、ほんとに心配してたのに」
正直、二ヶ月の間に、ひとみは何度泣いたかわからない。
その間に、高木はフィアの頭を撫で、エリシアを抱きしめ、レイラの胸を揉んだりしていたのだ。おそらく、殺されても文句は言えない。
「けど、ヒトミはマサトが好き」
「レイラに言われたら……頷くしかないよ。否定したら、取られちゃう」
「うん。そのときは遠慮無く取るよ。でも……フィアもエリシアも、強敵かな」
レイラは苦笑する。少なくとも、高木の世界に平然と乗り込んでいったフィアとエリシアは、それだけ高木を信頼しているのだ。
付き合いの長さでは、二人に一歩劣る上に、フィアは高木を召喚した張本人であり、高木との絆は強い。エリシアも、高木の全てを信じ切っており、恋愛感情にいつ変わってもおかしくはない。
「……ねえ、レイラ。聖人を呼び戻したら、とりあえず殴って良いよね。本格的に、ムカついてきちゃった」
「うん、いいね。私もそうしようかな。よく考えたら、初対面であっちこっち触られまくったお礼、してなかった」
二人の少女は笑い合い、うっかり高木を殺してしまわぬように、魔法だけは使わないでおこうと決めた。