43話:恋心
「伯爵様は、現在立食会を開かれております。ルクタ様、ならびに御一同様も是非、御参加くださいませ」
高木たちを取り次いだ執事は丁寧に頭を下げて、一同を煌びやかな広間に案内した。
立食会には多くのテーブルが並び、豪勢な料理と酒が振舞われている。参加しているのは貴族や一部の騎士であり、初めての光景にフィアやエリシアはぽかんと口を開けていた。
「こういうところ、はじめてかしら?」
ルクタの問いかけに、フィアとエリシア、レイラが首を縦に振った。街の酒場しか知らないレイラは、豪快な笑い声の変わりに、上品な談笑が聞こえてくる立食会に、どう振舞えばいいのかと戸惑った。
「ここまでの規模じゃねえけど、俺は一応ある」
ナンナに会えると聞いて調子を取り戻しつつあるヴィスリーが、早速料理をつまみながら答える。オルゴーとルクタにも経験があり、高木は映画やゲームでの知識から、経験は無くともそれなりの予想はついていた。
「じゃあ、ヴィスリーはナンナを探してらっしゃいな。オルゴーとタカギは私についてきて。フィアたちは、ヴィスリーを手伝いながら、料理を堪能すればどうかしら?」
「ええ、そうさせてもらうわ」
フィアは雰囲気に呑まれながらも、見たことも無いような料理に軽く言葉を奪われている。
ルクタを先頭に、高木たちはクーガを探して会場を歩いた。しかし、思っていた以上にそれはひどく困難である。なぜならば。
「美しいお嬢さん。お初にお目にかかります」
「騎士様。よろしければ、お名前を」
「異国の御方でしょうか。よろしければ、少しお話を聞かせていただけませんか?」
ルクタは帝都で誑かすことで生計を立てていたような美人であり、オルゴーは眉目秀麗の騎士。高木も今回ばかりはその並びに色あせることの無い、渋さを醸し出していた。突如として現れた若くて華やかな三人組に、会場はひそかに注目していたのである。
「ルクタ。どうしたらいいのですか?」
「お相手してあげなさいな。それも騎士の務めでしょ?」
ルクタは面倒がらずに、声をかけてきた若い貴族に笑顔で受け答えをしている。オルゴーも騎士の務めと言われては反論できずに、かつて、淑女に連れられて参加した折の経験を活かして、爽やかな笑顔で応対を始めた。
「タカギも、今ならできるでしょ」
「……やれやれ」
ルクタの言葉の意図を理解した高木は、肩を竦めながらも、声をかけてきた若い女性の肩にさりげなく手を回して、口元だけで少しだけ微笑む。
「僕の話よりも、貴女のことが知りたいと思うのだが、どうかな?」
「あ……は、恥ずかしいですわ」
頬を赤らめてもじもじと照れる女性に、高木はルクタに教わったとおり、半歩引いて、真正面から見つめる。流し目は難しかったが、まっすぐと見るだけなら高木でもできた。
「どうやら、長く語り合う必要がありそうだ。しかし、この時間ではとても足りない。また、月明かりの無い中でゆっくりと出会おう」
少々どころか、クサさが爆発しそうな台詞なのだが、既に高木の雰囲気にヤられている女性には効果覿面だった。
「は、はい……せめて、お名前を」
「名乗りあわずとも、運命が引き合わせてくれるさ」
最後にそれだけ言って、高木は人ごみに隠れるように女性から離れた。
内心では己の気取った台詞に自己嫌悪しぱなっしで、アレでいいのかと自問自答を繰り返しているのだが、本人が思っている以上に違和感がなかった。
高木たちの活躍をよそに、ヴィスリーはナンナを探していた。
ルクタの話では、貴族の集まる立食会ならば、本人はともかくとして、家族や友人。最低でも知人はいるだろうという話である。
ヴィスリーもまた、切れ長の瞳と悪戯っぽい笑みが特徴の男前であるから、相応に声をかけられるのだが、ほとんど無視の様な形で通り過ぎる。あの、気高く美しいナンナを一度見てしまったのだ。他の女のことなど、欠片も気にしてはいられない。
「ヴィスリー。ナンナさん、見つかった?」
「いや、まだだけど……なんとなく、こういう場所にいる感じじゃねえんだよな」
エリシアが問いかけると、ヴィスリーはナンナの凛々しい横顔を思い浮かべた。
言葉遣いこそ、確かに貴族のそれではあったが、からからと笑う様子などは、どちらかというとお転婆な少女である。堅苦しい立食会よりも、もっと相応しい場所があるような気がしていた。
「もっと、こう。そうだな。外の風に当たれるような場所とか」
「それなら、庭に出る扉があったよ」
エリシアの言葉に、ヴィスリーはきょろきょろと辺りを見回した。少し離れた場所に、エリシアの言っていた扉が見えて、不思議な確信を持って、ヴィスリーは歩き出した。
「あ、別にそっちにいるかなんて、わかんないよ?」
エリシアの言葉は、ヴィスリーにはもはや届いていない。エリシアが追いかけようとすると、その腕をフィアがゆっくりと掴み取った。
「好きにさせてあげましょ。もう、いてもたってもいられないのよ」
フィアは呆れた顔でヴィスリーを見送る。エリシアはどうしていいかわからず、近くにいたレイラを見上げた。
「ナンナって子が、もしも本当に庭にいたら、お邪魔になっちゃうからー」
なるほど、確かにそれもそうだとエリシアは頷いた。
ヴィスリーが扉を開くと、森林部から吹く、心地よい夜風が身体を包んだ。
満天の星空に、ぼんやりと淡く光っている三日月。宴はまだ始まったばかりで、夜風にあたろうと庭に出ている人間は見当たらなかった。
それでも、ヴィスリーは庭に足を踏み入れて、大きく溜息をついた。
きっと、いる。いや、必ずいる。
それは妄想なのかもしれない。しかし、ヴィスリーにはなぜか、その妄想とも思える直感が素直に信じられた。
なぜかと問われれば、答えに窮する。しかし、この直感は、あの時と――高木に始めて出会った時と同じなのだ。
思えば、高木との出会いも随分と唐突だった。いきなり現れて、掃除をすると言い出したのだ。
最初は風変わりな身なりと、ノコノコやってきたことでマヌケと思っていたが、正反対だった。腕の良い魔法使いと、思慮深く口の巧い男。少なからず興味を持ったのは確かである。
しかし、それだけで今まで親しくしていた仲間と縁を切り、高木について行こうと決めたわけではない。
高木に連れられて、奥の部屋で話をしたとき。その、開口一番だ。
「申し訳ない」
深く頭を下げた高木に、ヴィスリーは面食らった。一体、どうして頭を下げられるのかが理解できなかったからだ。
「勘違いをした上に、僕の仲間に手を出そうとしたので防衛したが、君達の住処にやって来て、荒らしまわったことに違いは無い。これに関してだけは、どうしても謝らなければならない」
高木の言葉に、ヴィスリーは感心した。
周囲から不良やならず者と呼ばれてきたヴィスリーは、自分を一人の人間として扱い、丁寧に頭を下げる人間が新鮮だった。
「別に、それはいい。俺らも、襲ったことにゃ違いねえ」
「ならば、お互いに水に流して手打ちとしてほしいのだが」
「ああ。それでいいよ。こっちこそ、殺気立ってすまなかった」
大人の対応に、ヴィスリーも難癖をつける気がしなかった。そもそも、状況は圧倒的に高木たちが有利だったのだ。お咎めなしで手打ちにしてくれることを喜ぶべきは、ヴィスリー達のほうだった。
「良かった。ところで、ヴィスリー。モノは相談だが、今の生活は充実しているか?」
ふと、急に話を変えてきた高木に、ヴィスリーは首をかしげた。
「満足しているのか、と言葉を変えても良い。僕の国にも君達のような人間はたくさんいたが、およそ誰もが充実とは無縁の日々を生きていた。世の中の全てが面白くないと思い、それを迎合できない自分と、自分を受け入れない社会の両方を嫌っていた」
高木の言葉はひどく堅苦しいのに、自然に身体にしみこんできた。確かに、自分は反社会的な存在であり、そんな自分をそのまま受け入れてくれる人間はいなかった。
「どうせなら、もっと面白く生きたい。僕はいつもそう思っている。それを強要はしないが、割と多くの人間が同じことを考えているんじゃないかとは思う。ヴィスリーは、どうだ?」
「……そりゃ、当たり前だろ」
「ああ、当たり前のことだ。だからこそ、僕は声にして言う。当たり前すぎて、意識もしないようなことだから、口に出して言う。もっと面白く生きたい。もっと、もっと楽しい人生があるはずだと」
高木は笑った。子供みたいなことを、あまりにも堂々と言う男だとヴィスリーは思った。
だが、そんな子供みたいなことを面と向かって言う人間が、そうそういるだろうか。
「アンタは、どうなんだ?」
「実に充実した人生だ。だが、まだまだ足りない。もっと、もっと充実させる。地位や名誉の話ではなく、僕自身が楽しいと思えることを、もっといっぱい集めてみせる」
そこまで聞いて、ヴィスリーはようやく高木の正体に気づいた。
無垢な貪欲さ。それがこの男だ。あまりにも素直に自分の欲深さを認めてしまえる男なのだ。
別に、ヴィスリーを受け入れることなど、高木にとってはさしたる問題ではないのだ。もっと大きな欲望を常に容認し続けているのだから、たかだか不良少年一人、なんと言うことは無いのだ。
「確か、マサトとか言ったよな」
ヴィスリーはニヤリと笑い、高木に問いかけた。
別に、大した話をしていたわけではない。しかし、目の前の男に少しでも憧れてしまった。
斜に構えずに、素直に欲望に従って生きることができる。それがどれだけの強さが必要なのか理解できるからこそ、憧憬の目で見てしまったのだ。
高木は一つ頷いて、ヴィスリーの目を真っ直ぐと見据えた。
相手の考えていることが、目を合わせた瞬間に理解できた。相手が自分のことを理解したということすら、把握できるほどに。
ここまで来れば、言葉など必要ない。感覚で絶対に間違いではないと理解してしまったことを、理屈で覆すのは難しい。
「立ち位置は、弟分がいいんだけどよ」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
この男を追いかけたい。そう思ったからだ。
「ならば、気の強い姉貴分と、愛らしい妹分を紹介せねばな」
高木はそう言って笑う。
それが、高木とヴィスリーの出会いだった。
ふと、高木との出会いが何年も昔の出来事のような気がして、ヴィスリーは苦笑した。
あれから数十日しか過ぎていない。しかし、ヴィスリーの人生は大きく変わり、充実していった。
それでも、やはり求めてしまうものがある。その最大級のものが、今まさにヴィスリーに訪れていた。
貪欲で良い。自分が楽しいと思えることを求めることに、一体何の罪があるのだろうか。
「ほう。何処かで見た顔かと思えば、ヴィスリー……だったかの」
だからヴィスリーは、ふいにかけられた言葉に慌てることも無く、ゆっくりと振り返ってこう言った。
「ナンナ。突然で悪いけど、俺はお前が好きだ」
優しい風がヴィスリーを包み込んでいた。
「随分と性急な愛の告白じゃ」
ナンナはゆっくりと宵闇から姿を現して、ヴィスリーの前に立った。豪奢なドレスに身を包み、それでもやはりお転婆だという印象が拭えない。
「俺だってそう思う。ほんとは、もうちょっと仲良くなってから言いたいセリフだしな」
ヴィスリーとナンナの目が合う。それだけで、ヴィスリーの鼓動は急激に高鳴り、くらくらと眩暈がした。
「では、何故じゃ。見たところ、そういう駆け引きは得意そうな顔立ちをしておるのに」
「仕方ねえだろ。俺の中で、この気持ちを否定できるものがねえんだ。一目惚れだけど、それだけじゃねえ。上っ面だけでもねえ。ナンナの全部が、好きなんだ」
まだ、会うのも二度目だ。お互いのことなど、何も知らないに等しい。それでも、ヴィスリーにはナンナのことが全てわかるような気がした。それもやはり妄想だろうし、間違っていることも多いのだろうが、ナンナのことが好きだという気持ちに偽りが無かった。
「ふむ。小気味の良い言葉じゃ。我を貴族とも思うておらぬ」
ナンナは不敵に微笑み、ヴィスリーに一歩近づいた。
「これでも我は名家の娘。引く手数多と言っても差し支えないのじゃが、よもや一番心に響いてくる言葉が、何の贈り物もせず、ろくに言葉すらかわしていない、一介の旅人じゃとはな」
「そりゃそうだろ。贈り物なんぞに気持ちを回す余裕なんてなかったぐらいだ」
ヴィスリーは苦笑して、息を吸った。軽口を叩いているものの、尋常ではないほど緊張しているのだ。
「我のことを何も知らぬのに、よくもまあ、そこまで惚れ込めるものじゃな」
ナンナは他人事のようにケラケラと笑い、それでもなお、歩を進める。
後、五歩も近づけばヴィスリーの胸に収まるような距離だった。
「きっと後悔すると思うのじゃが。我はおよそ、良家の娘としての素養には恵まれておらん。口も悪く、すぐに手が出る」
「そんなこたぁ、出会った時に十分わかってるよ。むしろ、そこが良い」
ヴィスリーにしてみれば、もはやナンナのどんな部分でも「良い」になってしまうのだが、彼女の性質に好意を抱いたのも確かである。
ヴィスリー自身も裕福な家庭に生まれ、口が悪く、すぐに手が出るように育ってしまった。似た生き様であることに喜びを覚えるほどで、後悔する理由など、どこにもなかった。
「不思議な男じゃ。しかし、どうしてか我もまた、惹かれる」
ナンナは三歩近づく。もう、手を伸ばせば届く距離だった。しかし、ヴィスリーは自分からは何もしない。
愚直なまでにナンナのことは求めている。そう、それは高木よりも真っ直ぐに欲望に従うほどの、純粋無垢な欲望だった。
しかし、それでも手を伸ばさないのは、ナンナにも自分と同じことを求めているからだった。
自分のことを、好きになって欲しい。もう、想うだけでは足りないのだ。ナンナに、自分を求めてもらいたい。
「旅人を探すのはとても難儀じゃった。まさか、招待されて仕方なく出向いた場で、会えるはずの無い想い人に会えた。その上に、一番欲しい言葉まで贈られた」
ナンナの言葉に、ヴィスリーは思わず自分が発狂してしまうのではないかと危惧した。
鼓動が既に危険なほどに早い。心臓が爆発しそうだ。
ナンナの言葉は、まるでヴィスリーの気持ちを吐き出したかのようなものだった。
もしかすると、この胸の高鳴りまでもが彼女と一緒ならばと思うと、もう何も考えることが出来なかった。
「そなたのことを、何も知らずにここまで好きになるとは、我も不思議じゃった。寝ても覚めても、そなたの顔しか思い浮かばず、ほとほと困った。しかし、今から思えば少しも不思議ではない。むしろ、当然じゃ」
ナンナは少しだけはにかんで、それからとん、と地面を蹴った。
吸い込まれるようにヴィスリーの胸に飛び込んできたナンナを、ヴィスリーはぎゅっと抱きしめる。
ヴィスリーも、何も不思議ではないと感じていた。何故、自分もまたナンナに求められたのか。どうして、ナンナを求めたのか。
当然なのだ。当然だと感じる理由も、理屈もなにも無いが、当然だと思ってしまった。
「ナンナ……」
ヴィスリーは愛しい人の名を呼び、そっと彼女の唇に己のそれを重ねた。
風が凪ぎ、まるで時間が止まったかのような星空の下。
二人はずっと、唇を重ねていた。