42話:豹変
ディーガに滞在すること三日。既にオルゴーの我慢も限界を迎えつつあった。
「タカギさん。どうにかなりませんか?」
夕食の席でオルゴーはしきりに高木に、同じ質問ばかりを繰り返している。
高木としても、幾つかの手は講じてみたのだ。ルクタに教わりながら、貴族の令嬢とお近づきになるために声をかけることも試した。舌先三寸で受付係を篭絡できないかとクーガ邸にも出向いたが、確たる証拠も見せずに直接、クーガに会見を許されるほどの嘘を考え付くこともできなかった。下手な嘘をついて会見しても、人格を疑われて追放されては意味が無いだけに、高木の弁舌も振るわなかったのだ。
「敵対する相手を篭絡するのは、さほど難しいわけではない。しかし、ガイのように味方に引き入れようとまで考えると、急に難しくなる。ガイは最初から味方のようなものだったから助かったが、今回はまず、信用を得ることから始めねばならない。そうなると、よほどのことが無い限り、時間がかかるのも仕方ないさ」
高木はパスタのような麺を口に放り込みながら、器用に喋った。川魚を使った冷風パスタのようなものなのだが、中々に美味で、高木は昨日からこればかりを食べている。
「ナンナさんとやらは、見つかったのですか?」
オルゴーは矛先をヴィスリーに変えるが、ヴィスリーは二日を経ても放心状態が続いており、エリシアが甲斐甲斐しくパンをちぎり、口に放り込まねば食事も満足に出来ないほどである。一昨日などは一日中寝込んでいたほどで、およそ返事が出来るような状態ではなかった。
そもそも、ヴィスリーは今まで、恋愛を楽しむものだという認識しかしていなかったのが原因なのだと、高木は考えている。高木とて恋愛には疎いが、どう考えてもヴィスリーは重度の恋煩いであり、食事も満足に出来ないとなると、初恋よりも激しい衝撃に違いない。
そこから導き出した仮説が、ヴィスリーは今まで本気で恋愛に取り組んだことがなく、ただでさえ青天の霹靂と言われるほどの「一目惚れ」と同時に「本当の恋愛」に目覚めてしまったということだ。寝ても覚めてもナンナという少女のことしか頭に浮かばないのだろう。
フィアとレイラを中心として、ナンナの捜索もしてみてはいるが、やはり確たる情報を得られることはできないでいる。クーガに会うためにも必要ではあるが、それ以上にヴィスリーが心配で、フィア達も尽力しているのだが、探し方が悪いのか、それらしい情報にすらたどり着けていない。
「現段階では五里霧中。或いは、暗中模索というところか。明日からは、僕もナンナを探す手伝いをするつもりだ。クーガ伯爵には、とりあえず五十日待てばほぼ確実に会えるが、ヴィスリーはこのままにしておけない」
オルゴーは高木の言葉に、一瞬だけヴィスリーを眺めた。
あまり二人で話すということをしないオルゴーとヴィスリーだが、オルゴーの胸にはヴィスリーの言葉が焼き付いている。旅を楽しむ気持ちの大切さを、高木と一緒に説いてくれたときの言葉だ。
自分が頭の固い人間であることを自覚しているオルゴーは、ヴィスリーの柔軟性を尊敬していた。決して自分の意見を曲げるわけではなく、より良い方向へ進むために己を変えることができる。これは、周囲を変えることに柔軟性を発揮してしまう高木にもできないことだ。
旅を楽しむ必要を説いたのは高木だが、旅の楽しみ方そのものを教えてくれたのはヴィスリーだった。ついに到着して、はやる気持ちを抑えきれないものの、周囲の反対を押し切って突貫せずにいられるのも、ヴィスリーが心の余裕を持たせてくれたおかげなのだ。
そんなヴィスリーが、何も出来ないでいる。そう考えると、これ以上自分が我侭のようにクーガとの面会を求めることが、ひどく幼稚に思えてしまうのだった。
押し黙るオルゴーに、面々の顔も暗い。あまり良い空気ではないと高木が思案するが、盛り上げ役は今までヴィスリーに任せすぎていた。そして、高木自身は明るい話題を提供できるような人間ではなかった。
気まずい雰囲気の中、ちびちびと食事だけが進む。やがて、それに耐え切れなかったかのように、ルクタが大きな溜息をついてぼそりと呟いた。
「……仕方ないわね」
すっくと立ち上がって、ルクタは高木を見る。そして、高木の耳元でぼそぼそと、耳打ちをした。
「……なるほど。それは盲点だった」
高木は思わずにやりと笑い、静かに立ち上がる。どうしたのかと不思議そうに眺めるフィアたちに、高木はようやく明るい笑顔を見せてこう言った。
「クーガ伯爵に会いに行こう。それと、ナンナ嬢にもな」
「ほ、本当ですか!?」
「兄貴っ!!?」
オルゴーとヴィスリーがガタンと椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。高木は力強く頷いて、例によってとんでもないことを言い出すのだった。
「仕立て屋に行くぞ」
一日の営業を終えて、食事にしようと思っていた仕立て屋は、突然の来訪者と、その来訪者の言葉にひっくり返りそうになった。
「出来合いでいいから、正装を。今すぐに用意してくれ」
「無茶言うな!」
「無茶も無理も承知だ。だが、僕達には今、それが必要だ」
高木は、フィアとエリシア、レイラ、ルクタ、ヴィスリーの五人分の正装を仕立て屋に頼んだ。五人とも、体格は一般的であり、全てが注文を受けてから仕立てるわけでもないので、確かに彼らの正装を用意することは不可能ではなかった。
「なんだ。立食会にでも行くのか?」
「まあ、そのようなものだ。僕の頼んだ服は、まだ出来ていないか?」
「いや、ちょうど終わらせたところだけど……これは正装じゃねえぞ?」
「僕の国では、学生の正装と言えばこれでいいんだ」
高木は仕立て屋から新しい学生服を受け取り、袖を通した。
「しかし、一体どんな織り方をすりゃ、そんな布が作れるんだ。異国の布地ってのも馬鹿に出来ないな。修繕を基本に、上背と細身を活かしたつくりにしてるから、かなり見た目は良くなってるぞ」
「ふむ。確かに腰元が少し細くなって、全体的にすらっと見えるな。これは良い仕事だ」
高木は代金を支払い、他の面々にも身丈にあった正装を選んでもらった。オルゴーは帝国騎士の証とも呼べる鎧そのものが、いわば正装であり、特に必要ではない。
「やっぱりエリシアは丈が足りないか。レイラってお姉さんは、胸が少しキツいな。すぐに合わせるから、少しだけ時間をくれ」
仕立て屋は目測だけでエリシアの丈と、レイラの巨乳具合を正確に把握した。分厚い外套の上からでも解るほど大きいのだが、それでも正確な大きさ把握するのは至難の業である。
小一時間ほどで、仕立て屋は全員分の正装を用意した。どれも身の丈がぴったりであり、それぞれの特徴を引き出すようなつくりのものが選ばれている。
たとえば、レイラ。胸元を強調させつつも、いやらしい雰囲気にならないタイトなドレス。エリシアは少し背伸びをしたような、大胆なものを。ヴィスリーは遊び心を持たせたものを。
「いいわね。みんな、見違えたわよ」
ルクタは嬉しそうに頷いて、しかし、高木だけには少し眉をひそめた。
「タカギ。もうちょっと、格好よくならないかしら。貴方は上背があるから目立つのよ」
「……さりげなく酷いことを言う。しかし、確かに少し野暮ったいな。折角服装を新調したのだし……まあ、あまり気乗りしないのは確かだが」
高木は少しだけ躊躇ったが、やがてふうと溜息をついて眼鏡を外して、シャツの胸ポケットに仕舞っていたコンタクトレンズを取り出した。
普段から眼鏡をかけている高木だが、コンタクトレンズも一応持っている。眼鏡に慣れ親しんでいるので、あまり好んで着用はしないのだが、ごく稀に、つけなければならないときもあるのだ。
「……さて、後は」
高木は仕立て屋に頼んで、植物油を少し頂戴した。それを薄く手で伸ばして、髪を掻きあげていく。
しばらくその作業を繰り返して、ようやく顔を上げた高木に、思わずルクタをはじめとして、フィアやレイラ、エリシアが息を呑んだ。
いわゆるオールバックにした高木は、それまでのどこか地味で野暮ったい印象が吹き飛び、眼鏡がやわらげていた目元の力がダイレクトにフィア達を捉えていた。
決して目の覚めるような色男ではない。しかし、落ち着いた雰囲気の男前がそこにはいた。
「か、かっこいい……」
レイラがぽつりと呟いた言葉を、誰も否定しなかった。元々、高木は顔立ち自体は整っているのだ。地味な印象は眼鏡と、野暮ったい髪型によるところが大きかった。しかも、長身痩躯を際立たせるように再設計された学生服が、大人らしさを演出している。イケメンというには地味で、端正な顔立ちというほど整ってもいない。しかし、渋さだけは抜群なのであった。
「年相応に見られない上に、妙に注目されるから好きではないのだが……」
高木は面倒くさそうに言いながら、仕立て屋に正装の代金を支払うと、さっさと店を出て行った。
「……マサトって、かっこよかったんだ」
フィアが思わず呟いた言葉に、レイラが危機感を覚えたとか、覚えなかったとか。
かくして意外な高木の男前ぶりに度肝を抜かれながらも、一同はクーガ邸の前に到着した。
「マサト。作戦はあるの?」
フィアに尋ねられて、高木はふとフィアを振り返る。その途端、ふとフィアは目をそらしてしまった。
真っ直ぐ見つめられると、普段が地味なだけに強烈なのだ。高木は苦笑しながらも、首を横に振った。
「今回は、僕は何もしないさ。というよりも、全てはルクタに任せて良い」
「ルクタに秘策でもあるの?」
「ううん。秘策ってほどのものじゃないわ。正直なところ、あんまりやりたくないんだけどね」
ルクタは苦笑して、クーガ邸の扉をノックした。
一同がじっと見守る中、扉がゆっくりと開かれて、執事らしき男が顔を出した。
「夜分に、どのようなご用件でしょうか。既に公務は終わり、面会は受け付けておりませんが」
執事は丁寧な口調で、しかし冷ややかにルクタに告げる。ルクタはそれに対してにっこりと笑って、こう言った。
「面会じゃないわ。クーガに、女豹が来たと取り次いでもらえないかしら?」
「女豹?」
「ええ、こう告げて欲しいの。貴方が捕まえた女豹が、今度は貴方を捕まえにきたわ、とね」
ルクタ・ファイズ。前科十五犯。通称は女豹。
強盗詐欺の常習であったが、格闘術の達人でもある貴族に拘束されて、帝国の地下牢に幽閉される。
彼女を捕まえた貴族の名前こそ、クーガ・エクス。
オルゴーが頼った相手は、オルゴーとルクタを出会わせた人物なのであった。