41話:軟派
高木が夕方になって宿に帰ってみると、くうくうと心地良さそうな寝息を立てるオルゴーと、窓際で呆けているヴィスリーが出迎えた。随分と間抜けな二人に、流石の高木も溜息をつく。
「どうした、ヴィスリー。恋する乙女でもあるまいに、窓辺で佇むなど……」
そこまで言って、高木はぎょっとした。ヴィスリーはすがるような目で高木を見て、力なく頷いたのだ。
「ど、どうしたヴィスリー。誰にやられた。レイラか。それとも、エリシアか。まさか、フィアのビンタでその道に目覚めたか?」
「……ナンナ」
「そうか、ルクタか。いや確かに、不思議と大人の魅力がある……と。ナンナとは誰だ?」
思いがけない桃色吐息に高木は年甲斐も無く。否、珍しく年相応にはしゃいだが、聞きなれない名前を耳にして首をかしげた。
「こう、髪がふわふわしてて、しかも、くるくるっと巻いてて」
「縦ロールか。この世界にもあるのだな」
「ぱっちりした猫目で、変な口調で……」
「僕とフィアを足して二で割った感じだな」
「そんで、すげー可愛いの」
「……エリシアも足して、三で割ってみるか」
「あと、胸もけっこう大きい」
「レイラまで。ついでだからオルゴーとルクタも足して、五で割るのはどうだ?」
高木は自分を含めた、ヴィスリー以外の面々を順に足していき、五で割った人物を想像してみた。縦ロールで。
「……奇人だな」
「そう。貴人っぽいんだよ」
噛み合わない会話に、高木は意思疎通を断念する。とりあえず相手が何処の誰かは知らないが、目の前の弟分がすっかり骨抜きにされてしまい、役に立たなくなってしまったことだけはわかった。女好きだが、それだけ手馴れていると思っていただけに、この反応は新鮮である。
もう一人の男前は気持ちよさそうに眠っているし、そもそもこちらはあまり期待していなかった。こうなれば自分が誑かすかと思案してみるも、全然自信がない。
「……いかん。ヴィスリーが使えないと、打つ手が無い」
改めてヴィスリーの使い勝手のよさというか、かなり頼っていたのだということを痛感した。
呆けるヴィスリーと寝惚けるオルゴーを残して、高木は部屋の外に出た。
ティテュスからディーガまでの道のりで考えていた『クーガに会うための手段』は一つだけではない。方法はまだ幾つかある。ただし、どれもかなり時間がかかり、確実なものだとは言えなかった。相対的に考えて、最も手っ取り早いのはヴィスリーが令嬢に取り入って、舞踏会なり食事会なりに同伴を許されて、その場でクーガに会ってしまうことだった。領土を治める貴族として、人脈や親交は重要であり、クーガがそれらを無視して町を発展させたとは考えにくい。お近づきになる機会としても、中々ふさわしいものだったのだが。
「……搦め手は、どうにも脆いのが弱点だ。その儚さがまた、面白いところでもあるが」
高木は独り言を呟きながら、フィア達が宿泊する女性陣の部屋を訪れた。フィアとレイラが旅装を解き、部屋着で寛いでいる最中であったが、高木は遠慮なくお邪魔する。かれこれ三十日ほどを狭い馬車の中で共にすごしてきたのだ。少々の突発的事故は枚挙に暇が無く、フィアやレイラの下着姿も、実は何度か見てしまっている。部屋着程度ではお互いに気にもならなかった。
「服は仕立ててもらった?」
「ああ。それよりも少し、相談したくてな」
高木はゆっくりとベッドに腰掛けて、フィアとレイラを見た。
どちらも容姿は整っている。いくら跳ねッ返りと天然でも、今までに恋愛の一つや二つは経験しているはずだ。
「ヴィスリーが恋煩いになった。何とかならないか?」
高木の言葉に、フィアとレイラがぱっと目を輝かせた。年頃の少女であるので、やはり恋愛には興味がある。
「相手は誰なの。エリシア?」
「それともルクタかなー?」
真っ先に仲間内から想像するのは、もう仕方の無いことだろう。美人が揃ってしまった仲間なので、恋愛に関しても仲間内で起こるに違いないというのが、フィア達一同の共通意識であった。
「ナンナという奇人らしい。あの様子だと、一目惚れだな」
「……あれ。この街の子なんだ?」
「そうらしいな。おかげでヴィスリーが茫然自失というか、呆けてしまっていてどうしようもない」
高木は恋愛に関しては、かなり疎い。
年頃の高校生男子であるから、それなりに興味もあるのだが、いかんせん、その他の知識が突出していることもあり、苦手意識が高い。
「……うん、わかったよー」
レイラは一つ頷いて、ぐっと握りこぶしを作った。
「つまり、ヴィスリーとナンナって人を、結ばせればいいんだよね」
レイラの言葉に、高木もフィアも少し黙った。
別に結ばせる必要など無く、要はヴィスリーが元に戻ればそれでいいのだが、レイラはいつだって、恋する人間を応援する姿勢のようだ。自身が高木に惚れこんでいるというもの、恋愛推進派の理由の一つなのかもしれない。
「まあ、アレでヴィスリーには色々と助けてもらってるからね。私も協力してあげようかな」
フィアもレイラの言葉に情が動いたらしい。相談した手前、高木は二人の決定事項を否定しづらい。別にヴィスリーの失恋を願うわけでもないし、何らかの変化があればヴィスリーも動けるようになるかもしれない。
「……まあ、悪くは無いか」
かくして、ヴィスリーの恋愛成就委員会が本人の許可なしに結成されてしまった。
「まずは、相手が誰なのか特定しないとね」
普段ならば舵取りは高木の役目であるが、今回はフィアが陣頭指揮の立場になった。高木が「恋愛には疎い」と降りたからである。
「名前はナンナ。奇人……じゃなくて、貴人よね。それで、髪はくるくると巻いてて、美人。とりあえず聞き込みね」
フィアの言葉で、高木とレイラが街中に探索に出かける。高木はその外見上、あまり道行く人に喋りかけることができないので、どこから手をつけようかと思ったが、幸いにして、相手が貴族であることを考慮すれば、良い場所があることを思い出した。
向かったのは、さきほど訪れた仕立て屋。貴族ともなれば、着飾ることも多く、若い女性ならば腕の良い仕立て屋を愛用するだろうという目論見であった。
「ナンナ……いや、知らないな。貴族は自分専門の仕立て屋を雇ったりすることもあるからな」
学生服の仕立て直しを頼んだ若い職人は、にべもなく答えながら、エリシアの服の案を幾つか高木に見せた。
「旅してるんだったら、動きやすくて通気性や汚れに強い生地を選ぶ必要がある。エリシアちゃんはまだ成長期だし、身長も胸も大きくなっていくだろ。こういうのはやりがいがあるよ」
職人気質の仕立て屋は、ナンナにはさほど興味が無いのか、ルクタとエリシアにデザイン案を提示するばかりである。
「ヴィスリーが恋煩いねえ。わかったわ。後でそっちに合流する」
「私も手伝うよー」
有力な情報は得られなかったが、ルクタとエリシアの協力を約束できたことで、とりあえずは良しとする。仲間内で一番、恋愛に強そうなのがルクタなので、彼女の参画は大きい。
そもそも、若い男女の集団にしては、恋愛に疎い連中が多いのだ。オルゴーは朴念仁であり、レイラは胸を揉まれた高木に惚れる始末。エリシアは環境もあって恋愛どころの騒ぎではなく、フィアは研究のほうが大事な様子。遊び人だったヴィスリーと、女豹と謳われたルクタ以外は、ロクに恋愛をした経験がない。
「……とりあえず、聞き込む相手の見当だけでも教えてくれないか?」
高木がルクタに問いかけると、ルクタは少し考えてから「貴族のことは、貴族に聞くのが手っ取り早いわね」と答えた。
「昔のワザだけど、タカギならまあ、できるかしら。ちょっと、耳貸して」
ごにょごにょと、ルクタが高木に耳打ちをする。高木は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、やがて小さく頷いて店を出た。
「……ルクタ。マサトになんて言ったの?」
「ちょっと、エリシアには早いかしら」
妖艶に微笑むルクタに、エリシアは小首を傾げるばかりだった。
一方、フィアは適当に道行く人に「ナンナって貴族の娘を知らない?」と、実に場当たり的な聞き込みをしていた。
貴族だからある程度は有名だろうという考えであったが、実はディーガにはけっこうな数の貴族が住んでおり、姓ならばともかく、娘の名前だけを知っている人間はそうそういない。
「あー、もう。なんで誰も知らないのよ」
外見的な特徴を言えば、見かけたことはあるという返事もあったが、何処の誰かまではわからないという。
レイラもまた、例によって酒場などで話を聞いてみているが、貴族の娘が酒場に出入りするはずもない。旅人などで賑わう酒場では、外の情報や、最近の大きな出来事の情報を集める分には都合が良いのだが、人探しには少々分が悪い。
「それより、俺と遊ばねえか?」
不用意にレイラの肩に手を伸ばした男が、電撃を喰らって痙攣を引き起こす騒ぎなどがあっただけで、芳しい成果はあがらなかった。
高木がルクタの言葉を反芻しながら、どうしたものかと街角でぼんやりと考えていた。
ルクタが高木に教えたワザとは、つまり貴族を誘う手練手管である。性別が逆であるが、ルクタは元々、犯罪者の集まりにも顔を出していたので、娼婦ならぬ男娼などから聞いた話などから、多少なりの知識はあった。
「……流し目で誘う。母性本能をくすぐる……無茶ばかりを言う」
しかし、ただでさえ不審人物の高木がそんなことをすれば、衛兵がやってくるのがオチではないかと懸念する。試しに、高木は道行く若い娘にそっと視線を送り、少しだけ微笑んでみた。
「ひっ」
怯えられて逃げ出されてしまった。見慣れぬ黒髪に、長身の高木だから致し方ない。
いっそ、柄の悪い連中に捕まっている貴族の娘でもいれば、手っ取り早いのだがと、ヴィスリーと同じことを考える高木だが、そうそう起こるものでもない。
「……まあ、これも経験か」
高木はやれやれと肩をすくめて、別の娘を見た。まずは、貴族でなくても良いので、ルクタの教えてくれたワザを身に着けなければいけない。
少しおとなしそうで、見かけが地味な女の子。それが高木の狙いである。理由はひどく単純で、高木の好みがそっちの系統だったからだ。
ちょうど、学校から帰る途中の娘たちが歩いている。高木はその中でも、とりわけおとなしそうな少女に目をつけて、真っ直ぐと視線を送った。流し目と教えられたが、ロクに試したことのない流し目よりも、幾分マシだろうという判断である。
少女は長身で目立つ高木に気づき、しかも自分をじっと見ていることも理解したようだ。中途半端な色目を使っていないだけ、少女は怯えることも無く、不思議そうに高木を見返していた。
さて、とりあえず怯えられてはいないようだが、どう声をかければいいものか。
考えつつも、高木はゆっくりと少女に近づいた。見ているだけでは、すぐに目をそらされて立ち去られてしまう。行動は流れるように、というのがルクタの教えだった。
「やあ、こんにちは」
高木が選んだ言葉は、とてつもなく無難で面白みに欠けるものだった。さりとて、にこりと微笑むことだけは忘れない。
「え、えっと……」
高木に声をかけられた少女は立ち止まり、どう対応して良いのか困っている様子だった。見慣れぬ異国風の男から声をかけられたのだから、無理もない。
相手が戸惑っているならば、高木にも打つ手はあった。口説き文句は知らないが、口八丁だけならば高木の最も得意とする分野である。
「急にすまないね。この街は初めてで、迷ってしまったんだ。少し、道を教えてくれないかな?」
紳士的に優しい声音と、心持ち遠目の距離が、少女の緊張を解く。
「宿に帰りたいんだけど、わかるかな。転がる林檎亭というところなんだけどね」
「あ、そこなら知ってます」
会話が成立した。ここまでくれば、もう後は簡単だった。
時間があることを確認して、高木は少女に道案内をお願いして、歩く道中にお礼として飴玉を渡したり、自分も学生だと言って、学校の話などでひとしきり盛り上がった。
「部屋は二階の右端なんだ。しばらく滞在する予定だし、よければまた街を案内してくれないかな」
「うん。このぐらいの時間に学校が終わるから、見かけたら声をかけてね」
少女は嬉しそうに高木を見上げて、はにかみながら去っていった。
高木はしばらく少女を見送ってから、ふと気づく。
「しまった。普通に会話を楽しんで終わってしまった」
高木は苦笑しながら、別の方法を探すことにして、宿に戻っていった。