39話:仕立
ルクタが三時間かけて選んだ仕立て屋は、若い男が一人でやっている小さな店だった。
「タカギ。エリシアのためだし、出し惜しみはしなくて良いのよね?」
「金貨一枚までなら好きに使えば良い」
「……そこらの貴族より上等な服になっちゃいそう」
倹約をしてきたわけではないが、バレットとトマスから戴いた路銀は潤沢だった。これまでの旅費で金貨一枚を消費していたが、それでもまだ十二枚ほど残っている。欲張って銀貨十枚ほどを高木から捻出させようと思っていたルクタだったが、その十倍の予算を提示されて、驚きを通り越して呆れてしまった。
「前から思ってたんだけど、タカギって変よね」
ルクタの言葉に、高木は思わず苦笑した。正面きって変と言われるのは久しぶりだった。
「マサトは優しいよ?」
エリシアが無垢な笑みで高木をフォローするが、ルクタはくすくすと微笑み、何度も頷いた。
「ええ。確かに優しいわ。けれど、やっぱり変よ」
「うーん。確かに、不思議だけど……」
エリシアは少し困った顔をして高木を見た。
他に見たことの無い、黒い髪と黒い瞳。顔に硝子のような不思議な装飾品をつけており、身にまとった黒衣は一目見て上質とわかるが、割とぞんざいに着こなしている。遠い国の学生だとは聞いたことがあり、豊かな知識と、鋭い洞察力。そして、大きな手をしている。
まるで見慣れない風貌の筈なのに、とても暖かくて、頼りになって、兄のように慕っている。不思議なことが自然に思えるほど、高木はエリシアの中にあっさりと入り込んできたのだ。
「マサトは、不思議なことが不思議じゃないと思う」
エリシアがぽつりと呟いた言葉に、ルクタはふいに高木を見た。
確かに、あまりにも異質なこの男は、異質であることを隠しもせずに、堂々と振舞う。
そして、変だという認識をしているにも関わらず、その変なところを受け入れてしまっている自分がいることも確かだった。
オルゴーとはあまりにも違う。言葉の一つ一つの重みも、誠実さも。それだというのに、この男を信じることができてしまう。
変だ。やはり、高木は変な人間だ。変なのに、それをあまりにも素直に受け入れさせるところが、何よりも変なのだ。
「そう見つめられると、口説き文句のひとつでも言いたくなるだろう。だが生憎、その手の言葉は知らないから、照れるしかない」
高木はよくわからない理屈で二人の視線をかわして、仕立て屋に入っていく。心なしか、慌てていたようにも見える。
「マサトは、たまに可愛いよね」
「……ごめん、それはよくわからないわ」
嬉しそうに高木の後を追いかけるエリシアに、ルクタは果たして誰を応援すべきなのかと溜息を漏らした。
若い仕立て屋は、近所でも腕が良いと評判の男だった。
元来、着飾ることが好きな性分であり、自分の衣服にはこだわりを持ちたいという一心から、自分で服を作る仕事を選んだ。
体格や顔のつくりを考慮した上で、自分に最も似合うであろう服を作る。どのような生地をどのように染色するか。縫い合わせる糸にも、針にさえこだわった。
やがて、男は自分という枠を超えて、他人にも衣服にこだわりを持ってもらいたいと願うようになった。一着一着に、自分らしさと機能美を兼ね備えた、世界で一つだけの服を、世界中の人に持ってもらいたいと思ったのだ。
だからだろうか。目の前の風変わりな客に非常に難儀をしていたのは。
「どうして、黒なんだ。折角の黒髪と、黒い目を引き立たせるには別の色を使うべきだ」
「別に引き立たせたくて黒髪に生まれたわけでもない。別の色では駄目なんだ」
男がどう説明しても、客は納得してくれない。
細長い体躯に、地味ながら整った顔立ちをしているのだ。服装一つを変えるだけで、きっと彼は化けるはずだった。
しかし、客は頑なに黒くて野暮ったい服を所望している。やや光沢があり、上等の生地であることは明らかだが、それにしても酷い衣装だ。
何故、この格好にこだわるのか、男には理解が出来ない。自分ならば、きっと彼に似合う服装を仕立てることが出来ると思うだけに、本来ならば客の注文に従うべき立場であるにも関わらず、粘り強く説得を続けているのだった。
「お客さん。あんたなら、もっと良い服が似合うんだ。長旅にだって耐えられるし、今よりも良い生地を使うことだって出来る。なんで、そんな服じゃないといけないんだ?」
「似合う服があるのは嬉しいが、それを差し置いて、僕はこの格好でなければならない理由がある」
「せめて、その理由を説明してくれないか。このままだと、納得して仕事が出来ない」
「……やれやれ。リースの親方といい、君といい、どうしてこう、職人気質な人間が多いのだろうな。君のような人に仕立ててもらいたいと思うから、僕も引くことができない。いいだろう。他人にとってはくだらないこだわりだろうがな」
高木は去年になって、ようやく身長が伸びなくなった。
運動もせず、本ばかり読むような生活を送っていたはずなのに、どういうわけか身長はぐんぐんと伸びて、気づけば190cmを超えていた。
原因は明らかで、両親共に背が高いからである。170cmの母親は幼少から「女の癖にでかい」と言われ続け、半ばコンプレックスになっていた。故に「自分より大きな男の隣にいたい」という願望が強くなり、185cmの父親と出会ったときに、運命を感じたのだという。
つまるところ、母親の長年のコンプレックスが、身長という一転に関してだけはサラブレットを生み出す結果になったのだ。遺伝が身長に関係ないという説を、高木は自身の誕生の経緯から一切信じていない。
どう考えても身長は遺伝する。己の身体が何よりの証拠である。
ぐんぐんと伸びる息子を見て、母親はたいそう喜んだ。「私は、家族で一番小さい」と言いながら旦那と息子を眺めるのが最近の母の日課であった。今では、その息子は異世界にいるのだが。
かくして、母の確信犯的な旦那選びによって、日本人離れした身長に育ってしまった高木は、当然の如く衣服に困った。
ジーンズショップに赴けば、「当店にはお客様に合う商品はありません」と言われ、大柄向けの量販店に行けば「丈は合いますが、横幅が……」と、身の細さが仇となり、首元や肩幅が余りすぎた服ばかりを着なければならなかった。
そんな高木が唯一、自分の身丈に合わせて作ったのが学生服であり、初めて袖を通したときに、そのフィット感に心打たれたのである。
オーダーメイドを頼むほどファッションに興味もなければ金も無い高木が、初めてぴったりと身体に合った服。それが、高木が愛用している学生服なのだった。この感動は、高木のように背が高く、細身でなければ理解し難い。
「なるほどなぁ。生まれて初めて、自分の身の丈に合った服が、それか」
高木の説明に、若い仕立て屋は少し感動していた。
一見すると、自分の格好にこだわりのない男に見えた客が、自分が着ている服に対してそこまでの愛着を持っていたのだ。やはり、服は凄いのだと、己の生き方が間違っていなかったのだと確信した。
「まあ、もう一つ理由があるのだが……耳を貸してくれ」
高木は最後に、仕立て屋にだけ聞こえるように小声で耳打ちをした。途端に仕立て屋はぷっと吹き出して、笑顔になった。
「はっはぁー。そりゃ確かに、そうだな。そう言われちゃ、そうするしかないな。よっしゃ、そこまで言ってくれたなら、言われたとおりに仕立ててやろうじゃないか。ただし、ちょっとだけ変えるぞ。基本的には同じだが、もっと身の丈にあわせて作ってやる」
仕立て屋はにこにこと笑いながら、高木の肩をぽんぽんと叩いた。高木は苦笑しながらも、学生服としての形を崩さずに、いっそう身の丈に合うならばと了承した。
「……タカギ。何て言ったのよ?」
「聞かせたくないから隠したんだ。それを言っては意味が無いだろう」
高木はにやりと笑いながらも、内心では仕立て屋にも言いたくなかったと、少し落ち込んでいた。
好きな女の子に似合うと言われたことがある。そんな甘ったるい思い出である。
高木の背丈や肩幅を丁寧に計り終えた後、仕立て屋はエリシアに目を向けた。
「そっちのお嬢ちゃんも、新しく仕立てるのか?」
「ああ。僕よりも、ずっと良い素質だろう。とびきりの服を仕立ててやって欲しい」
高木がぽんぽんとエリシアの頭を撫でながら言うと、仕立て屋は表情にこそ出さなかったが、内心で深く頷いた。
高木は、確かに化ける素材であった。しかし、この少女はそんな比ではない。
ボロの衣装を身にまとっており、確かに活発な印象は良いのだが、彼女の魅力はそんなものではない。
「……あえて、尋ねようかな。どんな格好がいい?」
仕立て屋はルクタに目を向けて、ぼそりと尋ねた。幾らでもエリシアに似合う服は思いつく。しかし、それが多すぎてどんな基準で選べばいいのかわからない程なのだ。
「そうねえ。三着ほど仕立ててしまいたいのだけど、いいかしら?」
ルクタは仕立て屋と高木を見る。二人とも何の迷いも無く頷いた。エリシアはまさか自分のために三着も仕立ててもらえるなどと考えてもいなかったので、あわあわと立ちすくんだ。
そもそも、服を仕立てること自体が贅沢なのだ。中流家庭の人間ですら、よほど大事なときにしか着ない服を一着だけ仕立てる程度である。実際にフィアもレイラも仕立て屋に作ってもらった服は、一着だけである。
「そ、そんなにたくさん、だめだよー」
「あら。タカギの予算なら、十着は作って良い計算だったのよ。流石に使えるだけ使うのも困るだろうし、選び抜いて三着。いいじゃない」
ルクタはウキウキとエリシアの新しい服の構想について、仕立て屋と話し始めた。自分が着る服のことなので、エリシアもついつい会話を聞き入るが、元々おしゃれとは程遠い高木は、急激に置いていかれた気分になる。
「……ルクタ。金貨一枚を預けるので、僕の服も含めて支払いを頼む」
「はいなー」
超適当な生返事が帰ってきたのを逆に好機として、高木は仕立て屋を出て、宿に戻ることにした。ああなった女性を止めるのは不可能ではないにしろ、得策ではない。
とにかく、下準備はこれだけではいけない。高木はざっと構想を描きながら、町並みを観察する。
森が近くにあるとは言っても平地であり、あまり遠くまで見渡すことは出来ない。それでも、クーガ伯爵のほかにも富豪や貴族は居住しているようで、大きな屋敷が幾つも建て連なる区域などもあった。
ディーガを訪れる前。つまり、ティテュスからディーガへの道のりの間に、現在の状況は予想できていた。突然の来訪にすぐさま応えるほどクーガが暇な筈は無いのだ。だとすると、搦め手で行くしかない。いくつかのパターンを考えていたのだが、役人まで清廉潔白であり、町の治安も良いのであれば、賄賂を送る手段は逆効果であり、ならず者を退治して名を挙げる作戦も使えそうに無い。
しかし、何も裏工作や力技でなくとも、方法はある。寧ろ、高木としては最も力を発揮できる場面であり、そうなると今まで暇だった分、ついつい動きたくなってしまうのだ。
「学校のほかにも、教会に美術館に図書館か。文化的な発展もしているとすると、やはりこの作戦か」
ぶつぶつと呟きながら、宿に戻る。フィアとレイラが久々のベッドを堪能しており、ヴィスリーとオルゴーは近くの酒場で酒を飲んでいるらしかった。
高木はすぐに近くの酒場を回り、赤い顔をしたヴィスリーとオルゴーを見つけ出すと、にこりと笑って二人にこう言った。
「そこの男前諸君。貴族の娘を誑かしてこい。なるべく早くに」
呆然とする二人を尻目に、高木はすぐさま、次の目的地に向かうのだった。