37話:余暇
治安の良いクーガ領の街道は、今まで以上に暇な旅であった。
ヴィスリーはあくびをしながら手綱を握り、その隣でオルゴーが地図を持っているが、特に危ぶむ地形も無く、時折、うつらうつらと首を傾かせる。
馬車内ではレイラがエリシアとルクタに文字を教えており、高木はフィアと魔法の修行をするという、相変わらずの風景であった。
「うむ。マナの感知は我ながら得意のようだな。一瞬ではないが、三秒ほどで済むようになった」
「普通なら半年かかるわよ。つくづく、惜しいわね。これで才能さえあれば世紀の大魔法使いってところなのに」
フィアが言っても仕方の無いことを言うが、魔法の才能以外は全て高水準なのである。想像力に科学知識を加えて創造する高木の魔法は完成度が極めて高く、熟練していないにも関わらず、炎を作り出すと数十秒ほど燃え続けた。ライターの最小火力にも満たない炎でなければ、フィアは手を叩いて喜んだだろう。
「それはそうと、ガイと戦ったときに、概念魔法ってのを使ったんでしょ。ヴィスリーから聞いたけど、身体で剣を圧し折ったって言うじゃない。使わないって言ってたのに使うし、お披露目するにしても師匠の見てないところでって、どういうつもり?」
「……いや、使わなければ大怪我だったんだが」
高木は呆れながらも、フィアの瞳が怒りよりも好奇心に満ちていることに気づいて、肩をすくめた。
つまり、説明しろということなのだろう。
「百聞は一見にしかず、か」
高木は意識を集中して、マナを集める。そして、ゆっくりと近くにあったフィアの本を手に取る。
「えぇと……元素はFe。結晶は体心立法構造……別名、クロガネ。物量、加工の容易さから最も身近な金属であり、その用途は多岐に渡り……」
高木はブツブツと呟きながら、マナにイメージを加えていく。やがて、ふと本が光沢を帯びたと思った瞬間、鉄に変化していた。
「へ……嘘っ!?」
フィアが目を丸くして、後ろにひっくり返りそうになるほど驚いた。
魔法とは創る能力であり、変化させる能力ではないと思っていたからだ。鉄の塊を創るなら理解は出来るが、本が鉄の塊になるというのは、フィアの知る限り、ありえないことだった。
「……ふむ。やはり時間をかけて想像をしただけある。五秒は保ったか」
再びフィアが本に目を向けたときには、既に鉄ではなく、紙の状態に戻っていたが、高木は満足そうに頷いた。
「これを自分の右肩に使い、右肩を鉄に変えることでガイの一撃を凌いだわけだ。鋼鉄の剣を弾いたのは、単結晶構造になっていたからだと咄嗟に考えたのだが、よくよく考えれば単結晶構造だと逆に弱くなる。多分、肉体という複雑な構造の性質も残っていたのだろうな。衝撃を吸収して、拡散させたと考えるほうが幾分、説明がつきやすい」
高木がガイとの戦いを振り返って説明するが、フィアはちっとも聞いていなかった。
とにかく、目の前で起こったことは間違いなく、魔法に革命を起こす事件である。いわば、魔法の概念そのものを変えてしまうほどの。
「凄いじゃないの!!」
「ああ。凄いだろう」
興奮気味のフィアに対して、高木は淡々とした様子で返した。フィアが思わずガクリと脱力して、高木の顔をジト目で見る。
「どうしてこう、アンタはそう冷静なのよ?」
「十日ほど前から、何度か練習をしているからな。最初は失敗したが、繰り返すうちに理論が少し違うことに気づき、修正した。五日前ぐらいには成功していた。まあ、自分の肉体を変化させることになるとは思わなかったが」
別に影の努力を信条にしているわけではなかったが、不寝番が暇なので、高木は魔法の修行を、主に深夜に敢行していた。フィアやレイラが気づかないうちに概念魔法を身につけていたのは、驚かせるためというよりも、時間の有効活用の結果という、効率優先のためであった。
フィアは溜息をつきながらも、やはり研究者としての血が騒ぐのか、概念魔法について詳しく説明するように求めた。もはや、師匠や弟子という感覚はフィアにも無く、先日まで自分が魔法を教えていたことすら忘れている。体面や見栄よりも知識を優先する姿勢は、研究者として好感が持てると、高木は満足そうに頷いた。
「そもそもは、フィアの召喚魔法が発想の起点だった。僕が知る限り、召喚魔法という存在だけが、大きく自然現象からかけ離れている。炎にしても、風にしても、雷も。どれも自然界にあるもので、流動的な性質のものだ。しかし、召喚というのは違う」
「私の召喚が、そんなに変だった?」
「いや、そもそも召喚魔法という存在自体が、魔法の中では異質なんだ。フィアは、どのように召喚魔法を作る?」
高木の問いかけに、フィアは少し答えるのを躊躇した。
自分自身の研究をおいそれと他人に教えるのは、やはり気が進まないものである。しかし、相手はその研究成果であるし、本人は否定してくれているが、研究の被害者と言っても過言ではないのだ。
教える義務はなくとも、義理だけは十二分にあった。それに、高木はやはりフィアの弟子でもあり、少なくとも魔法という分野においては赤の他人でもない。
「……他の世界に、『シーガイアに引っ張り込むモノ』を魔法で生み出すの。平たく言えば、それだけよ」
たった一言で説明ができてしまうものではあるが、その行程は決して単純ではない。
まず、魔法で『シーガイアに引っ張り込むモノ』という、自然界に存在しないものを作り上げるのには、相当の理論と苦労が重ねられており、他の世界のことだって何も知らないのである。知らない場所に生み出すには、限りなくその場所に近い場所を想像しなければならない。フィアはそれを、無意識のうちに想像した場所という、運に頼る形で補った。故に、フィアの召喚には失敗がつきものであり、そもそも想像した場所が存在しなかったり、仮にあったとしても、上手く『引っ張り込むモノ』に何かが触れることが無かったりと、宝くじのような低い確率で召喚を行っていたのである。
「うむ。概ね想像通りだ。つまり、フィアは『シーガイアに引っ張り込むモノ』を形にしたわけだろう。この世に存在しないものですら、マナは作り出せるんだよ」
高木の説明に、フィアは首をかしげる。それが、一体なぜ高木が本を鉄に変える魔法と結びつくのだろうか、と。
「つまり、本を鉄に変えるモノも同じ原理で作ることが出来るわけだ。僕はそれを概念という、この世に存在はするが質量を持たないものとして扱ったに過ぎない。フィアはマナで召喚用の黄色いマリモを作り上げたが、僕は元からあるものに鉄という概念をくっつけただけだ。概念は質量を持たないから、マナはほとんど必要ない。というか、マナという存在さえあれば、どんな少量でも、逆に大量でも結果に違いは無い」
概念を上手く理解できないフィアだが、高木の言うところをぼんやりと理解は出来た。
現代日本に住む人間ならば、パソコンのデータに喩えるとわかりやすいかもしれないと、高木は思う。実際に文字や絵などのデータは、その質量を持たずとも存在する。否、正確に言えば記録媒体にきちんと記録されているのだが、眼に見えるような代物でもない。
実際に概念魔法も、僅かばかりの質量を要するのだろうが、それは高木の集めることの出来るマナの数百分の一という程度の、自然界に漂っているものだけでも補えるような質量である。
「……要するに、誰でも使える魔法よね」
「まさか。そう容易く使えるものでもないさ」
フィアの言葉に、高木は苦笑した。決して困難を重ねた上で手に入れた魔法ではないが、現実的に考えれば、そうそう容易いものでもないのだ。
「まず、概念という存在を理解できる人間は限られる。その上、仮に鉄に変化させたくとも、鉄に関する知識を持っている人間は、この世界には少ないだろう。それに対して僕は、目に見えないような小さな世界の中で、鉄がどう形成されているのかも知っている。概念というものがそもそも、理屈の塊のような存在なのだから、理屈が如何に固まっているかが、この魔法のミソだ」
高木の説明に、フィアはようやく全てを納得した。
高木の世界は、シーガイアよりもずっと科学が発展しており、目に見えないようなモノですら理解して、研究が重ねられている。そして、整った教育制度により、それらは学生に伝えられる。
高木は学生であり、先人たちの知識や研究を、惜しむことなく与えられ続けているのだ。そんな環境で育った人間だからこそ、概念を操ることが出来る。シーガイアの人間は誰一人として高木の科学知識に敵うものはいないのだ。
「僕の研究……というか、実験だな。その実験の結果、原子や分子というところまでを把握していなければ、うまく変化させることが出来なかった。逆に、それだけでは想像が足りず、一般的な利用法などの、雑学もまた必要だ。僕は偶然、科学の参考書が鞄に入っていたから上手くいっただけだが」
サンコウショというのが何なのか、フィアにははっきりとわからなかったが、少なくとも自分たちでは使うことの出来ない魔法だとは理解できた。
「いずれ、僕たちの世界のような科学力がシーガイアに生まれたならば、きっと誰もが使える力になる。数百年後の話だろうが……」
「……先の長い話ね。けれど、とても大事なことが、ひとつ抜けている気がする」
フィアは既に完璧に把握することを放棄して、話題をひとつ先に進めることにした。
高木の言葉が全て真実ならば、フィアの召喚魔法を、高木もまた使うことが出来る可能性があるのだ。
「マサトなら、当然だけど自分の世界を知ってるわ。召喚魔法を逆に考えれば、転送魔法にもなる。マサト、もしかしたら、帰れるんじゃないの?」
「……」
フィアの問いかけに、高木は黙ったまま、目をそらせた。
そのとおりである。高木は、既に帰る方法を自力で見出していたのだ。
フィアの召喚魔法の成功率の低さは、他の世界を想像するという博打の要素が強すぎたためである。それに対して、高木は十七年間を過ごした世界であり、場所も時間も正確に把握している。引っ張り込むモノではなく、飛び込むモノを創れば、それだけで帰ることが出来るのだ。
「……マサト?」
フィアの呼びかけに、高木は肩をすくめて苦笑した。
「ああ、帰ることはできる。今すぐにでもな」
高木はそう言って笑うと、ごろりと寝転がり、フィアの太ももに頭を乗せた。突然のことに戸惑うフィアだが、高木はいつになく神妙な顔をしており、怒るにも恥らうにも気勢を殺がれてしまう。
「どうして、黙ってたの。ううん、それよりも、どうして帰らないの?」
フィアは高木の行動の全てが理解できずに、ただそれだけを繰り返して問いかけた。
高木はしばらく黙ったままであったが、やがて観念したかのように、ゆっくりと呟いた。
「この世界に、戻ることができる保証がないからだ。もしかすると、もう二度とフィアたちに会えないかもしれない」
「あ――」
高木の言葉に、フィアは二の句を告ぐことが出来なかった。
高木の世界には、魔法という存在が無い。マナが無いかもしれないのだ。天文学的な偶然によって呼び出された高木を、再びフィアが呼び出す可能性は極めて低い。そうなると、もう二度と高木と会うことはないだろう。
「元の世界を捨てるほど、僕は酷い人生を送ってきたわけじゃない。いずれは帰るだろうが、二度とこちらに来れないのは嫌だ。だから、少しばかり旅の目的を変更しようかと思う」
高木はフィアの金髪を指で掬い上げ、ゆっくりと笑う。
そもそも、高木はシーガイアを楽しんでいた。文明の発達した元の世界に対して不便であるし、何度か命の危機も味わったが、まだ足りないのだ。この世界を、高木は楽しみ尽くしてはいない。
「目標は、自由にこの世界と元の世界を行き来できるようになることだな」
「……マサトらしいわね。貪欲って言っていいかしら?」
フィアがくすくすと笑った。欲深きは身を滅ぼすが、それ以上に楽しいことだとフィアも知っている。
己の欲望を下手に否定せず、上手く従えることの出来る高木は、人生の楽しみ方を熟知していた。
「まあ、いずれにしても落ち着いた環境は必要だな。クーガ伯爵に力添えを頼めば、少しは準備期間に入ることが出来る。話はそれからとしよう」
高木はそう言うと、ゆっくりと目をつぶって昼寝と洒落込むのであった。