34話:危機
高木が自分で考える最大の長所は、胡散臭いことである。
長所と言われる類のものではないし、高木とてすべてにおいて役立つ長所ではないとは理解しているが、それでも敢えて、自らの長所を胡散臭さとする。
それは決して異世界にやってきてからの話ではなく、元の現代日本にいた頃からの話だ。身長193cm、体重63kgという細身を通り越して痩せ過ぎで高過ぎる外見は、異様な存在感を生み、堅苦しい口調は聞きなれない者にとっては違和感である。
無愛想な割によく喋り、実は勉強ができるような地味な外見だが、成績はさほど芳しくは無い。異世界からの来訪者という枠がなくとも、高木は十二分に変人で、胡散臭い男だった。
初見から怪しまれることは、高木にとって何も珍しいことではない。むしろ、初見の人間に警戒されることが基本であり、故に、そこから信頼を得る方法も自ずと身についた。
いつの間にか自分のペースに引きずり込むことも、冷静な対応もすべては容姿や性格をフォローするために、長い時間をかけて形成したものである。
たった一言で一目を置かせる。相手のペースと思わせておき、自分のペースに嵌めていく。そういうことをしなければ、高木は自分の性格のまま、まともな生活を送ることが困難だった。
勿論、素の性格を隠すこともできるのだが、それでは何のための人格なのかわからない。自分らしく生きるという奇麗事を現実的に考えれば、自然と口の達者な胡散臭い男にならざるを得なかったのである。
故に、初対面の人間に緊張を解かせる手練手管には、絶対といって良いほどの自信があった。素直に微笑むことも、意地悪い笑みを浮かべることも、素っ気無い態度も、厚かましい程に親切な態度も。相手によってスタイルを変えて、自分という違和感を丸ごと受け入れさせるのだ。
元々が胡散臭いだけに、一度それを「高木らしいこと」と認識させてしまえば、後は少々の無茶や無理は通る。見慣れない容姿であるにも関わらず、それを仲間たちが自然と受け入れているのは、高木の容姿に見合うだけの胡散臭さが行動として表れ、それを十二分にフォローするだけの理屈と行動が伴っているからだ。
高木は騎士を助け起こしながら、どのような方法でこの男を懐柔すべきかと考える。
ある程度のパターンはあるにしろ、相手によって信頼を得る方法も変わってくるのは当然なので、篭絡の第一歩は見極めである。
どのような行動をすれば、相手は自分の胡散臭さを受け入れるのか。それさえ把握できれば、後は予定調和のようにその行動に従えばいいだけの話である。
「大丈夫ですか。騎士様?」
高木はゆっくりと問いかけながら、男の容姿をしっかりと観察した。
筋骨隆々とした偉丈夫で、顔は彫が深く厳つい。容姿が全てではないが、性格が容姿に反映される。或いは、容姿に性格が反映されることを、高木は経験で知っている。
ひどく極論ではあるが、美人は黙っていても声をかけられるので自然と外交的な性格になり、不細工はどんなに声をかけても芳しい結果が返ってくることは少ないので、内向的になる。あくまでも極論であり、例外も無数にあるが、まったく無視していい事柄でもない。
この騎士は、非常に男臭い顔つきであるが、嫌味はない。爽やかとは正反対ではありながら、どこか清々しさもある。
威勢のよさや、物怖じしない性格であることは先ほどの行動でほぼ証明されている。このタイプには、下手に恭しく接するよりも、ある程度ノリで付き合ったほうが良いというのが高木の見立てである。
「ん……痛え……」
騎士は高木に揺らされて、ゆっくりと目を開いた。見た目どおり、身体は頑丈なようで、頭から落ちたというのに、骨折どころか捻挫などもないようである。
「気がつきましたか?」
「おう……すまねえな、異国人の兄ちゃん」
騎士は高木に助け起こされたことに気づいて、にかっと笑った。根は単純なようで、高木を外見から異国人と判断したのだろう。このティテュスが宿場町として機能していることで、旅人が多いこともあってか、異国人がいることにさほど驚いた様子も無い。
素直にこのまま、ただの異国人としての立場でいるというのも良いが、それだけではただの親切な旅人にしかならない。目的は篭絡なので、高木という存在をしっかりと認識させなければならないのだ。端的に言えば、仲良くならねばならない。
高木はにっこりと笑って、ゆっくりと呟いた。
「それにしても、おめでとうございます」
「……は?」
高木の突然の祝辞に、騎士はぽかんと口を開けた。なぜ祝われたのか。
「おや、この土地は初めてですか?」
「ん、ああ。そうだけどよ」
「ならば御存じないのも仕方ないですね。この地方では、稀に今のような突風が起きるのです」
高木自身、よくもまあ堂々と大嘘がつけるのだと思うことがある。
こればかりは才能だろう。嘘というのはいわばシナリオであり、自分のシナリオに相手を引き寄せるのが、嘘の正体だ。高木は瞬時にシナリオを作り上げ、それを半ば自分でも信じることで、いわゆる嘘臭さを消している。
「へえ。そいつぁ知らなかった。けど、どのみち不幸にゃ違いねえだろ?」
「風は種を運び、花を咲かせます。いわば、豊穣の象徴ですよ。それを一身に受けるということは、幸運なことでしょう」
一見すると、それっぽく聞こえる。しかし、そもそも吉兆とは迷信であり、何の根拠も無い。元から根拠が無い怪しい話なので、嘘臭さも微塵も無い。よほど地方風俗に詳しい人間でない限り、嘘がバレる心配は皆無であり、高木はそのために、この土地に来たことがあるかどうかを確認した。つまり。
「へえ、そいつぁ良いや。縁起モノなら大歓迎だ」
こうなるのである。
高木は内心でほくそえみながら、騎士に手を差し伸べる。騎士は特に訝しむ様子もなく高木の手を取って立ち上がる。
「そういえば、誰かを追いかけている様子でしたが」
「お、そうだった。畜生、縁起モノはありがてえが、ちっと間が悪いぜ」
騎士はボリボリと頭をかいて、オルゴーが去っていった方向を見据えた。既にオルゴーの姿はない。
「そうだ、兄ちゃん。アンタ、オルゴーって野郎を知らねえか。こう、二枚目で長い金髪でさ。俺と同じ鎧を着てる筈なんだが」
「オルゴーですか。知っていますよ」
高木の言葉に、騎士の目が思わず見開いた。
「うおっ。ツいてるじゃねえか。こりゃさっきの突風は吉兆ってことだったんだな」
騎士の喜ぶ姿を見て、高木は「釣った」と確信する。ここまで鮮やかに決まると心地よくすらあった。
先ほどの嘘は、何も取っ掛かりだけのためではなかった。今、この状況を作り出す可能性があったからこそ選んだ嘘なのだ。
人間、偶然の出来事に何かと運命や因縁を感じてしまうものである。風に飛ばされたからこそ、高木と話をする機会を得て、だからこそ情報に辿り着いたという一連の流れも手伝い、いとも容易く男は高木の術中に嵌った。
「しかし、先ほどの様子から見ると、オルゴーは逃げたようですね。僕には、その行き先まではわかりません」
「いや、何でも良い。知ってることがあれば教えてくれ!」
既に騎士は、高木の言葉を頼っている。今ならば、ある程度は騙すことができるだろう。しかし、まだ釣りは始まったばかりである。喩えるならば、餌に食いついただけに過ぎない。
慎重かつ大胆に引き寄せるという作業こそが、魚釣りでも人釣りでも、醍醐味なのだ。
「すみません。僕の国の言葉に、袖触れ合うも多少の縁というものがありまして、一時期とはいえ、旅を共にした人間です。もしも、彼が謂れもない理由で捕まるのであれば、僕は何も言えなくなります」
圧倒的に有利な状況だと判断した上で、高木は騎士に駆け引きを試みた。
相手も、話がトントン拍子で進みすぎると逆に疑われてしまう。それに、仲良くならねばならない相手である。名乗りあうぐらいはしておかねば、話にならない。
「……捕まえるなんて、一言も言ってないぞ?」
「追いかける貴方と、逃げるオルゴー。これで捕まえないという展開を想像しない人間は馬鹿でしょう?」
「ま、そりゃそうだな。俺は帝国騎士団の騎士、ガイ・ストロングだ。現在、ルクタ・ファイズの脱獄と、オルゴー・ブレイドの脱走及び、脱獄幇助の件にて追跡の任にある」
ガイと名乗った騎士は、それまでの気さくで陽気な雰囲気をただして、きりりと表情を引き締めて高木を見た。
その瞬間、ふと高木の脳裏で危険信号がうねりを上げる。高木でもよくわからない内に冷や汗が背中を伝う。
御しやすいと思っていたが、もしかするとこの男は、とても危険かもしれない。高木は辛うじて表情を変えることだけは留めて、頷いて見せた。
「高木聖人です。日本出身で、現在は見聞を広めるための旅の途中です」
「なるほど。で、さっきの話からすりゃあ、兄ちゃん……っと、タカギ君は旅の途中でオルゴーと行動を同じくしたってことか?」
「ええ。リースの街から、ここまで一緒でした」
高木は辛うじて見えない圧力に耐えながら、平静を保とうと必死になる。
何故かは理解できない。ただ、いわば長年の釣りの経験が、餌に食いついた獲物があまりにも巨大すぎると警告しているように思えるのだ。
「どうした、兄ちゃん。顔色が悪いぜ?」
「いえ……オルゴーがまさか罪人だとは考えてもいなかったものですから」
その場凌ぎの嘘にしては、上出来だった。しかし、先ほどまでのような余裕のある釣りではない。いつ海に引きずり込まれるか、非常に危うい。
一度、引くべきかと高木は考え直す。ガイは礼儀正しく名乗っただけであり、今では表情も崩している。恐れる理由は無いはずだが、己の直感もまったく無視は出来ない。
「どうしたんだ。そんなに仲が良かったのか?」
「え、ええ……」
高木はショックを受けるフリをしながらも、全身全霊でこの状況の打開策を考えていた。
何故かわからないが、ガイからは危険を感じる。まずは、その理由を探らなくてはならない。
ガイは名乗っただけであり、その様子に不審な点は無かった。しかし、その名乗りの後に、高木は強く焦った。
何らかの理由があるはずだとは思うが、高木の知りうる情報の中に、明確な理由も、その鍵も無い。
どうすべきだと、高木が迷う。迷えば迷うほどに、状況は悪化していく。
「……てめぇ、それだけじゃねえな?」
「ッ!!?」
高木が地面を蹴ったのと、ガイが腰の剣を抜いたのはほとんど同時だった。
そして、その刹那に理解する。
ガイから放たれた異様な圧迫感は、殺気だ。
「ぎゃッ!?」
短い悲鳴をあげて、高木はごろごろと地面を転がった。間一髪で避けたと思ったガイの剣は、高木の胴を少しだけ斬っていた。
斬られたと言っても、腹の皮一枚程度である。しかし、ぱくりと学生服は裂けて、切腹のように腹部を真横に走った傷がついていた。血は少量ながらも滲み出ており、じくじくと痛む。
おそらくは、切っ先を掠めた程度なのだろう。だが、現代日本で生活してきた高木にとって、刃物で腹を斬られたことなどない。冷静に対処する余裕もなく、パニックに陥り、ただ逃げるという一心で、ごろごろと地面を転がった。
「反射神経ってか、判断力だな。トロい割に思い切りだけ良い」
ガイは剣を構えなおして、転がる高木を評した。
不味いと、全身が悲鳴を上げている。慌てて身体を起こして、ガイと対峙する。しかし、ガイは特に高木を追うわけでもなく、じっと高木を観察していた。
「……何時、気づいた?」
どうやら、すぐに殺すつもりは無いようだ。高木はそれだけを確認すると、ようやく冷静になることを思い出した。腹の傷の具合を確かめるが、どうやら本当に皮一枚を斬られただけであり、血が滲む程度である。鈍い痛みはあるが、行動の妨げになるほどのものではない。
「ほお。こりゃまた凄え。殺すつもりは無かったにしろ、身動きは取れねえようにと斬ったつもりだったんだぜ?」
「修羅場というほどではないが、命の危機を最近に経験した。殺気に気づくのが一拍遅ければ、僕はまだ転がっていたよ」
高木は十分に間合いがあることを確認しながら、腰にさした桜花の柄を握った。
いくらダマスカス鋼で拵えた日本刀といえど、扱うのが高木では話にならない。しかし、それでもこの状況になってしまった以上、篭絡どころか、仲良くなることも絶望的である。魔法を暢気に使う暇も無いのであれば、付け焼刃といえど、高木に残された道は桜花だけだった。
「やめとけ。身体を見ただけで、お前が剣を握って日が浅いことぐらいわかる。俺だって帝国騎士だぜ。素人にゃ負けねえよ」
ガイは剣を構えたまま、ゆっくりと一歩近づいた。
「だからと言って、はいそうですかと武器から手を離せるほど気楽な状況でもない」
高木は押されるように一歩後ずさりながら、桜花を握る手に力を込めた。
「……んー、いいねえ。警戒しながらも、なんとか倒すなり逃げるなりする方法を考えてる。随分とまあ、肝っ玉だけは一人前じゃねえか」
「そちらこそ、見かけや言動からは考えにくいほど思慮深い。一体どこで見破られたのか見当もつかん」
高木が律儀に会話に応えるのは、時間稼ぎも視野に入れているからである。フィアには魔法を撃った後に逃げるように言ってあり、レイラは別の場所で待機している。オルゴーはおそらく街の外に向かっているだろうが、ヴィスリーならば、或いは気づいてこちらに向かっている可能性があった。一対一ならば勝ち目は無いが、二人になれば、たとえヴィスリーの技量がガイに追いつかずとも、高木の取る行動の幅は一気に広がる。
元々、仲間があってこその高木なのだ。
「折角だ。どこで気づいたのか教えてもらえないか。今後の参考にしたい」
「へへっ。ま、大したことじゃねえ。俺を襲った突風が、途中で四散してマナに戻ったのを確認しただけだ」
「……なるほど、そうきたか」
高木は苦笑いを浮かべながら、自分が前提条件から間違えていたことを知った。
帝国騎士の中には、魔法を扱う者もいるのだ。オルゴーも時間を要するが炎を生み出すことはできるという。中には、フィアやレイラのように集中せずともマナを知覚できる騎士がいてもおかしくない。
魔法の突風を、地方独特の現象と嘯く人間が現れれば、怪しまれて当然である。騎士と魔法使いはまったく別の職業であり、重複しないという考え自体が甘かったのだ。騎士は職業であるが、魔法使いは肩書きに近い。両者を併せ持つ存在がいてもおかしくないのだ。
「オルゴーは魔法を使えるが、マナを常に知覚できるほどじゃあなかった。騎士の魔法の力量はその程度だと認識してしまったのが間違いの始まりだったようだ」
高木は慎重に言葉を選びながら、じりじりと後ずさる。
オルゴーと知り合いであることは決して嘘ではないということが、高木の存在価値を上げて、殺される可能性を減らす。
しかし、相手が魔法を使うのであれば、会話で時間を稼ぎながらマナを集めても、すぐにバレてしまう。魔法で切り抜けられる状況ではないにしろ、打つ手がひとつ減ったのは痛手である。逆に考えるならば、魔法を使わない内から、相手が魔法使いであることを知れたのは幸いでもあったのだが。
高木は内心でため息をつきながら、ガイの動向に細心の注意を払った。クシャミの一発でもしてくれれば儲けものだ。
しかし、ガイはクシャミをする様子など微塵もなく、剣をしっかりと構えながら、にやりと笑った。
「まあ、誰にだって間違いはあるわな。あれだけの魔法を使うとなりゃあ、兄ちゃんも名の知れた魔法使いかもしれねえが、相手が悪かったと思うこった」
――来た。
高木は思わずニヤけそうになるのを抑えながらも、内心で諸手を挙げての万歳をした。
策は見破られていた。危機的な状況にも陥った。それでも、ガイはたった一つの勘違いをしていた。
フィアが放った突風を、高木の魔法だと思い込んでいるのだ。
「確かに、相手が悪い」
高木は苦笑しながらも、頭の中でガツガツと論理を構築していく。
時間稼ぎのために会話に応じていたが、やはり会話というのは情報の宝庫である。迂闊な言動は、状況を全て塗り替えてしまうほどの事態を招く。
高木は意識を集中して、マナを集めだした。訓練の成果で、十秒に満たないうちにマナを感知して、元々の許容量の都合からすぐに集め終えることができるようになっていた。
「ん……魔法で勝負か? それにしても、そんな少ないマナでどうするつもりだ。溜息にもならねえぞ?」
「ああ、僕は最初、溜息未満の風使いと呼ばれたものさ」
集まったマナの量が少なすぎることが、ガイにとっての不幸だったのかもしれない。
高木が強力な突風を起こすという勘違いと、少ないマナでは何も出来ないという魔法使いの常識が合致したからこそ、ガイは油断してしまったのだ。
「溜息をつきてえ気分なのは、こっちだぜ。いくら切羽詰ったからって、そんだけのマナしか集められねえようじゃ、大した集中力でもねえな」
ガイはすうっと体勢を低くする。おそらくは、気絶させるか、深手を与えてオルゴーの情報を引き出そうとするのだろう。
未完成の上に、とっておきの概念魔法だったのだが――高木もまた、溜息をつきたい気分ではあったが、師匠の言葉どおり、お披露目も悪くは無い。
「眠ってもらうぜ!」
ガイはそれだけ言うと、大きく踏み込んで鋭い一太刀を高木の肩にめがけて放った。
その瞬間、高木もまた踏み込む。
そして。
「っぐあああああッ!!」
高木の悲鳴が、周囲に響き渡った。