31話:旅情
旅の食事は侘しいものと相場は決まっているが、仲間に料理好きや世話好きがいると、若干ながら事情が変わる。
朝食や昼食はゆっくりと調理をする時間も無いので、パンや干し肉で済ませるが、夕飯はフィアやエリシア、レイラがしっかりと時間をかけて作る。
生鮮食品が無いのが食事の幅を狭めてはいるが、川や湖の近くで泊まるときには、エリシアに作ってもらった釣竿で、高木とヴィスリーが夜釣りをして魚をとることもあった。どうせ不寝番を仰せつかる身であるので、暇つぶしにはちょうどいいのだ。
「今日はここで泊まるとしようか」
馬車を操っていた高木が、夕暮れの中で川の近くに馬車を止めた。水場があれば風呂を沸かすことができるので、日が沈む前でも馬車を停める。トールズからリースへは川沿いの街道を進んだのでいつでも水場を確保できたが、クーガ領への街道はあまり水場が無い。もちろん、必要分の水を積んでいるが、水道があるわけでもないので、極力使わないに越したことはないし、新鮮な水でなければ腹を下してしまう。
ちなみに、シーガイアの人間は井戸水などの生水を生活の基盤においているので、高木は三度ほど腹を下す憂き目に遭っている。高木がやせている理由のひとつが胃下垂であり、腹を下しやすいのだ。
最近では身体が慣れてきたのか、体調も良好である。高木は座り続けていて凝り固まった首筋をバキバキと鳴らしながら馬車を降りて、ファムとシュキを近くの木の傍で休ませた。
「今日の晩御飯はフィアとルクタが作るんだよ」
エリシアは高木の隣にやってきて、嬉しそうに報告した。エリシア自身も料理は得意であり、特に材料が少ない中での幅の持たせ方は抜群である。決して豊富とはいえない食材なのに、毎度毎度、違う料理が出来上がるのである。その点では、フィアは腕こそいいが、味や内容は似たり寄ったりのものになる。文句などあるはずも無いが、食事の楽しみは少しだけ減る。
もっとも、食材さえあれば、フィアのほうが作ることのできる品は多いらしい。レイラは一風変わった創作料理が得意であり、主に食材が多い旅の前半はフィアとレイラが担当して、食材が少なくなってくるとエリシアがよく作るようにしているらしい。
「ルクタはどんな料理を作るんだ?」
「香辛料があれば、なんでも作れるらしいよ。けど、香辛料は高いからほとんど積んでなくて、ちょっと残念」
「ほう。ならば、次の街で香辛料を仕入れるか。食事は旅の楽しみだからな」
高木の世界では一般的な黒胡椒なども、シーガイアではけっこうな値段がするのだが、幸いにして高木たちにはバレットからせしめた金貨がまだしっかり残っている。いずれは金を稼ぐ手段も講じねばならないだろうが、半年は気楽な旅ができるだろうと言うのが、フィアの言である。
「兄貴、エリシア。風呂引っ張り出すから手伝ってくれ」
ヴィスリーが馬車の中から顔を出して、二人を呼ぶ。今日はリースを出発して初めて、まっとうな水場の傍で寝泊りするので、是非オルゴーとルクタにも風呂を堪能してもらおうという話なのである。
最初は、二人とも風呂にあまり興味がなさそうだったが、高木が例によって言葉であっさりと篭絡して見せた。
「湯につかることにより、血の流れをよくさせて、疲れが取れる。老廃物と呼ばれる垢なども落とせるので、当然ながら美容や健康にも良い。何よりも、湯につかるのは気持ちが良い」
ルクタは若い女性の当然の反応として、美容という言葉に反応した。オルゴーは健康に良いという言葉が気に入ったようだ。騎士になるために日々努力を重ねたオルゴーは、なにごとも身体が資本であることをよく知っている。
高木とヴィスリーはドラム缶に川の水を汲んで、さらに土台のしっかりとした場所に固定してから、フィアたちが調理をしている焚き火の近くに戻る。そろそろ足の速い野菜が痛むので、フィアが野菜たっぷりのスープを作っているようだった。
「一気に火力を上げるのがコツなのよ」
フィアが意気揚々と鍋に野菜を放り込み、魔法で炎を作り出して豪快に煮る。魔法使いならではの調理法である。
「もうちょっと火力欲しいわね。レイラ。助けて」
「うん、了解ー」
二人の魔法使いがいっせいに炎を使うのだから、その火力は既に料理の域を超えて山火事のようである。既に慣れてしまった高木たちは暢気に見ているが、オルゴーとルクタは流石に驚いているようだった。
「タカギさん。お二方とも、とても優秀な魔法使いです。一体、どうやって彼女たちと縁を持ったのですか?」
「ふむ。まあ、フィアは優秀だからこそ、縁ができた。レイラは、最初は僕を殺しにきたが、とても美人だったので仲良くなった」
高木の説明は、ずいぶんと適当だったが、オルゴーは感心したように頷いた。まさかすべてを理解したわけではないだろうが、高木があまり喋りたくないことだけはわかったのだろう。
フィアとの縁を説明すると、異世界から来たという話をせねばならず、レイラに至っては、惚れさせたとしか説明のしようがない。レイラの気持ちにはっきりと応えない高木が、それを他人に伝えるのはあまり気の進むことではなかった。
「エリシアさんも、とても気の利く女性です。きっとタカギさんには、人を惹きつける力があるのでしょうね」
「どの口が言っているのだか。たとえ、僕にそんな力があったとしてもだ。そんな僕を惹きつけて止まない男が言っても、褒め言葉にはならないさ」
高木とオルゴーは口元だけで笑いながら、フィアの豪快な料理の完成を待った。
フィアとルクタの作ったのは、スープというよりもポトフに近く、パンと一緒に食べると、とてもよく合った。野菜はもう日持ちのするものしかないらしいが、次に到着する街までは、後五日ほどなので我慢は容易い。
「ティテュスって宿場町らしいな。この街はクーガ領に入ってるし、ちょっと楽しみだ」
夕食後、ヴィスリーが地図を広げながら、明日の進路を確認する。馬車を操るのは男性陣とエリシアなので、進路の確認は彼らの仕事である。エリシアを除く三人の女性は鍋や食器を洗う。今日は風呂を沸かすので、レイラだけは風呂当番である。基本的に分業にすべきだという高木の意見は、実は自分が洗い物をしたくないだけなのだが、深い理由があるのだろうと勝手に周囲に勘違いされており、別に反対する理由も無いのでエリシア以外の人間は自然と旅での役割分担ができている。生活面、移動面の両方をすべて把握しているのはエリシアなので、何かわからないことがあればエリシアに尋ねるのが馬車内での通例であった。
「食料の備蓄は十分か?」
「うん。この調子だと問題ないよ」
「人数が増えても配分に問題なしか。エリシアがいてくれなきゃ旅になってねーな」
ヴィスリーの言葉も単なる世辞ではない。実際に、フィアやレイラは料理は得意だが、食材を長持ちさせる工夫も、どれだけの量があれば何日を凌げるかはわからなかったのだ。貧乏生活がエリシアに恐ろしいほどに現実的な備蓄の使い方を学ばせていた。
「正直なところ、食材の管理まで出来るとは思っていなかったからな。ヴィスリーとは違う意味でオールマイティだ。実質、旅を支えているのはヴィスリーとエリシアというところか」
高木が他人に指示を出すというのは、主にゲームの中での話だった。
戦略ゲームなどで、ユニットの能力を見極めて適材適所に割り振っていく。そんなゲームでは、役に立つのはオールマイティなキャラよりも、ひとつの才能に飛びぬけたキャラクターであった。
だが、実際に旅をして、それぞれが何らかの作業をしなければならないときに、一番役に立ったのがエリシアである。そして、ヴィスリーのように機転のきく男だった。
ゲームは所詮ゲームであるが、ゲームからも学ぶべきところはあると高木は考える。
しかし、実際に旅をしてみるとやはりゲームとは違うことばかりである。オルゴーにフィア、レイラが抜群の性能を誇るキャラクターであることには違いないが、彼らだけでは旅はできない。
食料や健康を管理して、旅という物資も機材も限られた環境で生活するためには、生活能力の高さが必須なのである。
「よし。ティテュスについたらエリシアの好きなものを買ってやろう」
「やったあ。人数が増えたから、もう少し大きなお鍋が欲しかったの」
高木の言葉に、即答で生活用品を口にするエリシアに、オルゴーやヴィスリーは頼もしさすら感じるのであった。
あっさりとオルゴーとルクタが風呂の虜になったところで、女性陣は眠るために馬車に入っていく時間になった。時計など無いシーガイアの人間は、体内時計が異様に正確である。高木は月の動きや太陽の位置で大まかな時間を計っていたが、最近では腹時計のほうが正確だったりする。
「今日は私が不寝番を勤めましょう。タカギさんとヴィスリーさんは休んでください」
「ふむ。しかし、毎度毎度オルゴーがやってくれているからな。ここらで僕とヴィスリーが引き受けても良い頃合だろう」
「何なら、三人でやればいいだけじゃねえか」
「しかし、それでは効率があまりよくないでしょう。二人で交代にして、一人がしっかり休めばこそ、長い旅を健康に過ごせるものだと思います」
まっすぐな性格な分、オルゴーは一度言い出すと意見を変えないきらいがある。
そんなオルゴーだから好感が持てるのだが、堅苦しいことをあまり好まないヴィスリーにとっては、手放しで歓迎はできないだろう。ただでさえ、オルゴーの加入で自分の居場所に疑問を持ったのだ。
少しバランスを取ったほうが良いかと、高木は苦笑する。
「オルゴー。効率も大事だが、それだけでは息が詰まる。旅の健康は何も、身体に限ったことじゃあない」
高木はゆっくりと呟いて、小枝を焚き火に放り込んだ。
「心の健康ということでしょうか。しかし、身体があってこその心です」
「うむ。しかし、心があってこその身体でもある。心と身体はどちらも重要で、優先順位をつけることはできない。身体の健康ばかりに気を取られてばかりでは、結局は身体を崩しかねない」
心身相関という言葉を噛み砕いて説明するのは難しい。ともすれば精神論の極みとも聞こえる説であるから、言葉を十分に選ぶ必要がある。
「オルゴーには、旅を楽しむという心が欠けている」
高木が紡いだ言葉は、オルゴーへの指摘という形だった。
オルゴーは少し驚いて高木を見た。別に指摘されたこと自体に驚いたわけではない。そもそも高木に力を貸してくれと頼んだのも、このように意見をしてくれることを期待したからだ。しかし、まさか楽しむという観点での指摘があるなどと、考えてもいなかった。
「旅を、楽しむのですか?」
「ああ。大義を掲げるのは結構だが、そればかりに縛られてはいけない。別に僕たちが楽しもうが、楽しむまいが、本来の目的に変化は無い。ならば、楽しまないのは損だ」
おそろしく単純な理屈であった。楽しい旅と、楽しくない旅。どうせなら楽しいほうが良いに決まっている。
「楽しいというのは大事なことだ。楽しんで修行する男と、嫌々ながら修行する男の、どちらのほうが成長するかは、考えればわかることだろう。心情的に楽しむのが忍びないと思うのならば、早々に帝都に帰れ」
高木の言葉は、時として抜き身の刃のように鋭くなる。
楽しめないならば、帰れ。その意味をオルゴーは真剣に考えた。
「兄貴も人が悪いなぁ。それじゃあオルゴーは本当に帰っちまうぜ」
ヴィスリーがカラカラと笑いながら言った。一体どういうことだろうかと悩むオルゴーに、ヴィスリーは笑顔で話しかけた。
「楽しむ余裕ぐらい必要だってことだ。心の余裕がないと、どうしても焦るし、物事は上手く進まねえ。楽しんだからって、曲がるような意思じゃねえだろ?」
「それはそうです。しかし、楽しんで行うようなことでもありません」
「だーかーらー。全部を一括りで考えるんじゃねーよ。楽しむところは楽しむ。真面目にやることは、真面目にやる。別に全部を楽しめなんて無茶、兄貴は言わねえよ」
ヴィスリーの言葉は、オルゴーの胸に深く突き刺さった。
確かに、すべてに同じ気持ちだけで取り組んではいけない。時として、何も考えずに笑う時間も無くては、疲れてしまうだろう。
「ヴィスリーの言葉は少々乱暴だが、正鵠を射ている。楽しんで良い場面で楽しめないようでは、真面目な場面で真面目でいることなどできないものだ。切り替えを大事にしなければな。そういうわけで、今夜はオルゴーに旅の楽しみを教えてやろう」
高木はニヤっと笑って、オルゴーを見た。オルゴーはしばらくぽかんとした後に、笑顔になった。
「どうやら、私はまだまだ精進が足りないようです。是非、楽しみ方を教えてください」
オルゴーの真面目な口調に、高木とヴィスリーは目を見合わせて苦笑した。楽しむことにも真面目になろうとするのが、既に間違えている。
「……やれやれ。まずはその折り目正しい雰囲気を崩すところからだな。幸い、僕の国の伝統行事に都合の良いものがある」
「ほう。それは一体どのようなものですか?」
「修学旅行の夜は、恋愛について語るものと相場は決まっている」
高木の言葉に、ようやくオルゴーは肩の力を抜いたのだった。