2話:詭弁★
二十分ほど平原を歩き、人が作ったと見られる街道に出て、さらに十分。石畳の街に差し掛かってすぐのところにフィアの家があった。個人商店を経営しているらしく、奥に通された高木は、一通りの質問をフィアに投げかけた。
まず、この世界はシーガイアと呼ばれているということ。
ここは、そのシーガイアで最も大きな大陸の中東部に位置する、リカルドという国であり、トールズという街であること。
ついでにフィアの家は妙な骨董品を扱う店であり、街の外れにあるということ。
高木が思い描いていた、剣と魔法のファンタジーというほどではないが、魔法という存在はあるらしく、フィアもその魔法の一種で高木を喚びだしたとのこと。
「この世界では、召喚魔法は珍しく、今まで言葉を解される存在は、一度しか報告されていません。えぇと、一応、貴方様で二度目……に、なります」
「報告できればいいな」
高木の素直な感想に、フィアはどのような勘違いをしたのか、がくがくと震えだした。ようやく落ち着かせたと思ったが、どういやらいささか怖がらせすぎてしまったようである。これでは話が進まないので、少しだけ緊張を解かせることにした。
「フィア。別にお前を殺しはしない。その程度のことで怒らないから、普通に話せ」
「は、はい……お、お心遣いに……感謝します」
「いや、別にそういう形式張った言葉も要らないからな。普通でいい。堅苦しいのはあまり好きじゃない」
なだめすかし、ようやくフィアは平静を取り戻したようである。上目遣いで高木の様子を窺うところに変わりはないが、終始身体を震わせることだけはしなくなった。
「……ふむ。リカルドは王政か?」
「はい。帝王様がいらっしゃいます」
帝国という言葉は、どちらかというと悪いイメージがある。だが、フィアの様子からすれば、それがこの世界では割と当たり前のような存在であることが見受けられた。
「現在、戦争は?」
「近隣諸国とは睨み合いが続いていますけど……きっかけがなければ、まあ、何もないと思います」
高木が細やかな質問を投げかけていく間に、フィアもかなり落ち着きを取り戻していた。高木の質問にも淀みなく答え、魔法についての質問になると、少しだけ笑顔を見せた。
「ふむ。国情は治安が悪く、火種を抱えながらも、表向きは安泰。魔法というのは、要するするに想像力と、マナという力を組み合わせて行使するものの総称。これでオッケーか?」
「お、おっけー……桶、ですか?」
「横文字の類は通用しない、か。言葉や文化については、追々慣れねばどうしようもないな。魔法は便利そうだから習得してみるか」
高木はフィアの情報を元に、大体の予定を建てた。町の様子を見て、どうやら多くの例に漏れず、中世ヨーロッパの雰囲気に近いことは確認していた。機械の類は発達していないが、魔法という存在がある。国土は概ね豊からしく、食糧難に喘いでいる様子もない。魔王がいるわけでも、魔物が徘徊しているわけでもないらしく、至って平和だった。
そうなると、やはり目立つのは魔法という存在である。マナという不可視のエネルギーを、想像力という人間の『想い』で別の物質に変換するという技術という話であり、マナとは万物に付与し、何にでも変化するらしい。ただ、無理矢理性質を変えてしまうために、あまり長時間の変化はできないのだとか。
「優れた魔法使いならば、長時間の変化も可能ですけど、基本的には短いです。私も魔法の心得がありますが、せいぜい、五秒や十秒が関の山というところです」
一般的な魔法使いならば、五秒も保たないとフィアは説明を続ける。全面的に信じるならば、フィアは魔法使いとしてはそれなりに優秀らしい。
「基本的に、炎や雷、風という『現象』ならば、時間はあまり関係ないので、主にそのように使われています。炎を薪に向けて発現させれば、魔法で作った炎が消えても、薪は燃え続けますから」
高木の言葉に直せば、エネルギー系統に変化させやすく、有効活用できるということだ。温度の変化。放電現象。気圧の変化。どれも物理や化学の授業で習う範囲のことである。
「概ねわかった。後は、あまり目立たない服装に替えて、もう少し実際に見ておかないとな」
高木の言葉に、フィアはきょとんとする。一体、自分が喚びだした男は何をしようとしているのだろうか。そんなことを考えるが、到底考えが及ばない。
「フィア。男物の服はあるか。この格好で歩くと、少々目立つ」
「……失礼ながら、黒い髪の時点で、相当目立つかと」
フィアの指摘通り、確かにここに来るまでの人間は概ね、金髪かブロンドであった。黒髪というのは相当に珍しいらしい。
見慣れない学生服だから周囲が振り返るのだろうと思っていたが、どうやら髪の色も原因だったようだ。
「あまり目立つのは嫌いだが、異邦の地ならば仕方ないか。少し、外を歩いてくる」
高木はそう言って、席を立つ。よくわかっていないフィアは、「へ?」と素っ頓狂な声を挙げた。
「異文化の地に来て、先人の情報もないならば、地道にフィールドワークを重ねる。フィールドワークというのは民俗学の基礎で、現地の人間との交流が主たるものだ。幸い、言葉の壁はないようだから、意思疎通は難しくないだろう。フィアも来るか?」
フィアはしばらく、高木の様子を見る。どうやら、先程の言葉通りに自分を殺すような雰囲気は無く、むしろ交流を持とうとしている節がある。
「私が、お供した方が良いのでしょうか?」
「ああ。この世界に関しては僕は初心者だし、来たばかりだ。金もなければ、風習もわからない。何かと気軽に質問できる人間が欲しい」
召喚したばかりの威圧感はない。他意はないようだと判断して、ならば一緒に行くのも悪くはないかとフィアは思った。
「わかりました……けど、一つ聞いて良いですか?」
「ん、ああ。そういえば僕が質問してばかりだったな。答えられる範疇で教えよう」
高木は立ち上がろうとしていた腰を再び降ろして、まっすぐとフィアに向かい合う。
「えぇと、お名前を……その、あの、失礼にあたるなら、種族とか、そういうのでもいいんですけどっ!!」
確か、名前を知られると身体を奪われるような妖怪が日本にもいた。おそらくはそのような言い伝えもこの地方にはあるのだろう。どうやら妖怪やら悪魔の類と思われているようだが、そのように振る舞ったのだから仕方ない。
「タカギマサト。種族は……人間だな」
そろそろ、種を明かしても良いだろうと高木は判断した。十二分に主導権は握ったし、あまり畏まられるのも好きではない。おそらくは烈火の如く怒り出すのだろうが、散々に怯えさせたという事実はフィアにもわかっている筈である。
「マサト、様で良いのでしょうか……え、でも、人間?」
「ああ。様なんて付けなくて良い。人間なのは確かだ」
「じゃ、じゃあ……口から炎を吐いたり」
「純度の高いアルコールと、火種が無い限り無理だな」
「呪い殺したり」
「僕の住む世界では、迷信の域を出ない」
フィアがぽかんと口を開けて、高木の言葉を理解し、段々と頬を紅潮させていく。そろそろか、と高木が耳を塞いだ瞬間。
「だ、だ、騙したなーーーっ!!」
ぎゃーす、では済まなかった。高木の知りうる限り、彼女の魂の叫びを最も的確に表現する言葉は「GYAOOOO!」というアルファベット表記であった。塞いだはずの耳にでも、けっこうな音量が響いてくる。
「ちょっと、コラ、アンタ。よくも大嘘ついたわねっ!」
耳を塞いでいた高木に、フィアは敢然と噛みついた。しかし、高木は何処吹く風で、耳から手を離して、思わず前のめりになっていたフィアの頭を撫でた。
「嘘など何一つ言っていない。僕が言ったのは、『お前こそ何か勘違いしていないか?』という質問だけだ」
にこりと微笑みながら、手触りの良いフィアの金髪を撫でる。その言葉に、先程までのやりとりを思い出したのか、フィアは今度は青ざめた。それでも、相手がただの人間であるとわかって、元々の威勢の良さが勝ったのか、なおも食らいつく。
「う、嘘は確かに言ってないけど……陥れたことには違いないわっ!」
「ああ。物の見事に引っ掛かってくれて助かった」
今度はあまりにもあっさりと肯定されてしまい、フィアが思わず脱力した。高木は感触が気に入ったのか、なおもフィアの頭を撫で続ける。それを払いのけない時点で、既に主導権を完璧に高木が握っていることを現していた。
「さて、折角種あかしをしたところで、もう一度聞こう。特に何の力も持たない人間である僕に、何を頼む?」
フィアが、ううっと唸る。まさか、このタイミングでそれを尋ねられるとも思っていなかった。従順な動物でも喚びだして使役しようと思っていただけなのである。できれば可愛い猫がよかった。だが、相手は人間であり、どうやら一筋縄ではいかないらしい。使役するどころか、手玉に取られる始末である。
「……別に、何も頼まないわよっ!」
悔しそうに言うフィアに、高木はニヤリとする。単に主導権を握ったから種明かしをしたわけではない。このまま見放されてはいけないのだ。この世界で高木の立場を知る人間は、今のところフィアしかいない。
「じゃあ、元の場所に戻せるだろうか。どうやら、偶然に僕を喚んでしまったようだが」
「やったことないからわかんないわよっ!」
勢いに任せてフィアが投げ放つように言う。高木は待ってましたとばかりに、屈託のない笑みを浮かべた。
「だとすれば、当分はここに厄介になるしかないな」
無垢な笑みの割に、図々しい話であった。当然、フィアは「何で私が世話しなけりゃいけないのよ?」と怪訝な表情を浮かべるが、よくよく考えれば、自分が喚びだしてしまったのだ。喚ぶだけ喚んで、何の責任も持たないというのは、流石に人道的に悖る。
「あんた……散々理詰めで、人情に訴えかける気!?」
「うむ。そこまで理解しているのならば話は早い。フィアは人が好いから、そう言ってくれると信じていた」
別に了承されたわけではないのだが、高木は既に了承されたものとして話を進めた。多少強引なぐらいが、丁度良い。フィアは再び顔を赤くして、掴み所のない異世界人を睨むばかりである。
「……ふむ。いや、そこまで嫌ならば強制はしないが……確かに、男一人の面倒を見るのは負担も大きいだろうし、無理なら仕方ない。不慣れな土地というか、全く未知の世界の上に頼れる人もいないが……まあ、やるだけやってみるか」
高木はそう言って、少し肩を落として立ち上がった。今までの掴み所のない雰囲気が消え、途端に頼りのない異邦人という雰囲気が高木から滲み出る。良く見れば、背は高いがひょろりと痩せていて、目にはガラス板らしきもので覆っている。眼鏡など無いシーガイアに住むフィアでも、それが目に何らかの効果を与えるものだと予想できた。ガラスが光を屈折するのだから、視力の矯正だろうと、なんとなくで大正解を叩き出しつつ、ならばそんな身体に障害を抱える、右も左もわからない人間を無責任に放り出してしまっていいのかと、良心の呵責に苛まれる。気の強いフィアだが、良心には滅法弱かった。
「あーーーーっ、もう。わかったわよ。わかりました。こんな家で良かったら、好き勝手、存分に使ってくださいな!」
なんとなく、これも高木の奸計なのだろうという予想はできた。だが、だからと言って放っておけない。本当に食えない男だと、フィアは泣きたくなる気持ちを溜息に変えて吐き出した。どうせ、次の言葉は「そう言ってくれると思ったよ」だろう。物凄い明るい顔で言われるに違いない。
「……助かった。これで見放されると、本当に路頭に迷うところだった」
フィアの予想に反して、高木は本当に安心したかのような、大きな溜息をついたのだった。