27話:女豹
厭らしい笑みを浮かべた衛兵に、随分と念入りな身体検査を受けた後、ルクタは牢に放り込まれた。
罪状は強盗に詐欺。一体、どうやって調べたのか、踏んできた事件の八割方の調べが付いていた。若い間に外に出ることはないだろうと、ルクタは苦笑した。
物心がついた頃に親は亡く、兄代わりになってルクタを育ててくれていたのは、帝都で掏摸を生業としていた男だった。
貧民にはよくある話で、不幸とは思わない。ただ、ドブを這いずる生き方であったのは確かだ。身体を売らなかったのは、偏に手先が器用だったからだろう。
義兄に仕込まれた掏摸の技術と、はす向かいに住んでいた娼婦に、男の誘い方を習ったルクタは、持ち前の容姿を武器に男を誘い、身体を売る前に、金品を掠め取って逃げる手口で生きてきた。貴族ばかりを狙ったのが幸いして、名誉のためにと騙された男達が揃って口を噤んできたのだが、一人の貴族のおかげで、全てが終わった。
貴族であるのに、立派な人間だったのだろう。誘うつもりで近づいたルクタを家に招待するまでは、他の貴族と同じであったが、そこからが違った。豪華な食事を散々振る舞われ、浴室でたっぷりと湯に浸かった後に、客室に通されたのだ。他の貴族は、すぐにルクタを寝室に連れ込んだ。そこで薬を嗅がせて、鍵を盗むというのがルクタのセオリーであったので、少々戸惑った。
さては、安心させてから夜這いに来るのかと待っていたが、結局来ることはなかった。翌日も丁重な扱いを受けるだけであったので、痺れを切らせてルクタから部屋に押しかけてみれば、彼は喜ぶでもなく、怒るでもなく。ただ、悲しそうに呟いた。
「なるほど。噂は聞いているよ。貴族を狙う――随分と可愛らしい女豹がいるとね」
即座に身を翻したが、その貴族は一足飛びでルクタの前に立ち塞がった。後から聞いたが、まだ若いのに伯爵という位を持ち、なんと格闘術の達人であるという。気付けば組み伏せられ、衛兵に引き渡されていた。
「罪を償ったら、また来なさい。歓迎するよ」
果たして、伯爵の言葉は皮肉だったのだろうか。ルクタには判別がつかない。
薄汚れた地下牢に閉じこめられるぐらいならば、いっそ娼婦として生きていたほうがマシだったかもしれない。そんなことを思いながら、ルクタは冷たい石の床の上に寝転がった。
貧しさに罪を犯す人間は後を絶たない。帝国の定めによれば牢は性別によって分けられているが、ルクタが放り込まれたのは男性用の牢であった。最近、届け出をしていない娼婦が一挙に摘発されていたので、空きが無くなったのだろう。その結果、衛兵に美味しい思いをさせることになってしまった。いずれは、看守あたり犯されるはずである。同じ境遇に立った仲間が、そうだった。
ルクタの溜息は重い。捕まってしまったことと、これからの生活を思えば自然とそうなった。
「あーあ。どうしてこうなっちゃったんだろうなぁ」
ぼそりと呟く。そんな時だった。
「どういうことですか!?」
突然、地下牢全体に大声が響き渡った。ルクタは何事かと起きあがり、鉄格子に近づいて周囲を伺う。しかし、薄暗く湿った地下牢を、洋燈の灯りが弱々しく映し出すばかりで、何も解らなかった。
「あぁ、ありゃあ、看守さんだわな」
ふと、隣の牢からしわがれた声が聞こえた。獄内での私語は禁止されているが、はっきりと聞き取れないものの、先ほどの大声の主が懸命に何かを叫んでいる。それが本当に看守だとするならば、バレる恐れはないのだろう。
「何かあったのかしら?」
ルクタが問いかけると、隣の囚人は可笑しそうにからからと笑った。
「まあ、すぐに解るさね」
隣人の口調から、あまり悪い出来事ではないようだ。ルクタはとりあえず鉄格子から離れて、石畳に座った。
一体、何事なのだろうか。そう思っているうちに、足音がルクタの方へ向かって近づいてきた。
かくして現れたのは、白銀の半身鎧を纏った、若い騎士であった。豊かな金髪に、意志の強そうな澄んだ翠眼。如何にも真面目そうな凜とした顔立ちであり、腰には長剣が携えられていた。
「ああ、なんということだ。ルクタ・ファイズさんですね?」
若い騎士は嘆くように手で顔を覆い、それから真っ直ぐにルクタを見据えた。その声が、先ほどの叫びと同じものであることに、ルクタは驚いた。隣の囚人の話では、看守の声のはずだ。しかし、目の前にいるのは、どう見ても騎士である。
「あなた、看守さん?」
「これは失礼。まずはこちらから名乗るのが礼儀でしたね。私はここの看守を任されている、帝国騎士団のオルゴー・ブレイドと申します」
オルゴーと名乗った男に、ますますルクタの頭はこんがらがった。看守とは、決して騎士のする仕事ではない。帝国騎士団に所属する由緒正しい騎士ならば、尚更だ。
それに加えて、犯罪者に対して、あまりにも丁寧な口調と物腰。このような騎士は、物語の中でしかお見受けすることができない。
それが何故、薄汚れた地下牢にいるのだろうか。考えてみたものの、ルクタには答えがまるで見えなかった。そうしているうちに、オルゴーは姿勢を正して、ゆっくりと問いかけた。
「では、改めてお伺い致します。貴女は、ルクタ・ファイズさんですね?」
「ええ。その通りよ」
まるで雰囲気に飲まれたように、ルクタは素直に答えてしまった。男を手玉に取るようにして生きてきたルクタにとって、このオルゴーは全てにおいて異質だった。その上で、輪を掛けるように不思議な事態が、目の前で起こった。
オルゴーが頭を下げたのだ。ルクタに向かって、何の躊躇いもなく、深々と。
騎士にしろ、看守にしろ、犯罪者に頭を下げることなど無い。逆はあっても、この状況は決して起こらないはずのものであった。ますます混乱するルクタを尻目に、オルゴーはとどめとでも言うべき一言を発した。
「申し訳ありません。帝国を代表して、謝罪を致します」
「は、あ?」
随分と間抜けな声が出てしまった。ルクタは状況を把握することを諦めて、そんなことをぼんやりと考えた。
もう、全てが理解できなかった。誇り高き騎士が、何故看守を務めているのか。その騎士が、どうして頭を下げるのか。挙げ句の果てに、帝国の名を出して、道化と見紛うほどに真剣な謝罪をするのか。
「ルクタさんは、女性です。本来ならば、女性牢に入るはず。手違いならばいざ知らず、こちらの都合で、男性牢に入れるなど、許されることではありません」
オルゴーは心より申し訳なく思っているのか、苦虫を噛み潰したような顔で、訥々と語った。
なるほど、とルクタはようやく、一つだけ得心した。何故、謝罪をされたのか。それだけについてであったが。
「この件に関しては、すぐに報告して、必ずや女性牢に移送させていただきます」
「あら……けれど、女性牢は一杯ではなかったかしら?」
ルクタが問いかけると、オルゴーは素直にはいと頷いた。
「確かに、帝都の女性牢は埋まっています。しかし、他の街ならば何処かに空きがあると思います。ご安心ください、刑期が終了した際は、帝都まで再び移送してから釈放という形にしますし、移送期間も刑期の内に含めるということで、いかがでしょうか?」
オルゴーはひたすらに真摯な態度で、許しを請うようにルクタを見つめた。
この不思議な騎士は、一体、何を考えているのだろうか。今、オルゴーが問いかけたことは、ルクタの許しなどなくとも、良いことである。そもそも、内容が内容だ。全てはルクタのための行為である。傲慢な態度で言っても釣りがくるほどの言葉である。
「……ひとつ、訊いていいかしら?」
「内容に依ります。守秘義務に触れない範囲でならば、お答えします」
「貴方は、何なの?」
ルクタの言葉に、オルゴーはぽかんとした表情で「へ?」と声をあげる。
隣の囚人のしわがれた笑い声だけが、地下牢に響いた。
帝国騎士団は、リガルド帝国を守護するために集った騎士達の総称である。
帝国に忠誠を誓い、帝国のために戦う。命は王と民のためにある。誇り高き守護者にして、正義の使者。
そんな謳い文句を信じているのは、年端もいかない子供ばかりであり、少しでも現実を知っているならば、彼らが選民意識の強い、エリート集団に他ならないことは一目瞭然である。
武力を持つ集団には、必ず権力がつきまとう。騎士団に所属するということは、それだけで他の国民よりも抜きんでた存在になるということだった。
それ故に、騎士団に入るためには多くの条件が存在する。剣術は勿論のこと、法律や戦術論などの知識。礼儀作法などの所作。当然ながら、その出自も審査の対象になる。多くの帝国騎士は王族ゆかりの者や貴族。古来より騎士の血筋の者で占められている。むしろ、現在ではその血筋こそが、最も大きな条件となっている。
諸侯が抱える騎士達とは格がまるで違う。貴族に仕える騎士団長が、帝国騎士の末席にいる人間に頭を下げることなど、そう少ない話ではない。
オルゴーが帝国騎士団に所属していながら、地下牢の看守を務めていることにルクタが絶句するほど驚き、彼に興味を持ったのは、そのような背景があるからだった。
「私が、何であるか……?」
不思議そうに考え込むオルゴーは、帝国騎士の証である白銀の鎧を身に纏っている。腰に提げた長剣の柄頭には、獅子を模った帝国騎士団の紋章が刻まれている。それが紛い物ではないことを、闇の世界に生きてきたルクタにははっきりと解った。だからこそ、解らない。
「帝国騎士が、なんで看守なんかしているのかしら。それも、戦犯や政治犯ではなくて、こんな小悪党ばかりが押し込められる地下牢よ?」
「なるほど、よく尋ねられます」
ルクタの質問の意図が理解できたらしく、オルゴーは朗らかに笑った。隣の囚人も、声をあげて笑った。
「私は帝国騎士団の一員ではありますが、まだまだ未熟者です。本来ならば、帝国騎士団を名乗ることすら憚られます。しかし、国王より賜れた帝国騎士としての誇りを貶めることはできません。したがって、私は帝国騎士なのです」
オルゴーの説明は、ルクタにはほとんど理解ができなかった。否、納得ができないというほうが正しい。
所作の一つを見ても、オルゴーには一寸の隙もない。鎧の上からでも、その肉体が鍛えられ、引き締まっていることがわかる。真っ直ぐな瞳は騎士としての誇りを垣間見せ、たとえ卑しき身分を相手にしても、決して傲慢にならない。まるで、物語に出てくるような、騎士の中の騎士のような男――
「――ああ、なるほど」
そこまで考えて、ルクタはようやく、納得ができた。
この騎士は、あまりにも騎士過ぎるのだ。おそらくは、幼い頃に騎士物語あたりに感銘を受けたのだろう。実情など何も知らず、考えもせずに、ひたすら剣の稽古と知識を詰め込み、礼儀作法を学んだ。だとすれば、地方の貴族の子息というところだろう。憧れの帝国騎士になり、本気で王と民のために剣を携える。世間知らずで真面目なオルゴーという騎士は、出世や権力というものを何も考えず、周囲から軽んじられ、まったく騎士の任とは関係のない看守という仕事に追いやられた。世が動乱の最中であれば、戦場を駆ける英雄にもなれたのだろうが、大国リガルドは二百余年の平和の中にある。真面目すぎる騎士は、厄介者以外の何者でもなかったのだ。
「御理解頂けましたか?」
「ええ。貴方以上に」
ルクタの皮肉に、オルゴーは気付かなかったようだ。やはり、隣人が笑うばかりである。
「では、どう致しましょうか。次善しか用意できなく、心苦しいのですが……」
ふと、オルゴーは笑みを消し、沈痛な面持ちになる。ルクタはしばらく、じっと考えた。
オルゴーの申し出は、次善どころか最善に近い。無理に定員を超えた女性牢に押し込められると、満足な食事も取れないだろう。硬いベッドで寝るどころか、石畳で雑魚寝になる。女同士の争いの怖さも、女であるルクタにはよく理解ができた。
刑期云々を別にしても、空きのある牢に移送してもらうことは、どう考えても幸運以外の何物でもない。考えるまでもないことだ。
それでもルクタが考えているのは、女性牢の比較をしているからではなかった。この牢との比較。否、この看守との比較である。
女性牢の看守が女性であるとは限らない。相手が囚人という状況を利用して、刑期や待遇を餌に、酷い場合はそんなことをお構いなしに襲いかかる看守すらいる。たとえ、きちんとした牢が与えられても、そこがどのような状況かはわからないのだ。
それに比べて、このあまりにも不思議な看守はどうだろうか。誠実を絵に描いたような男である。囚人に手を出すなどと、思いつきもしないだろう。男性牢に入れられた女囚として、特別な待遇すら受けられる可能性がある。男の中に放り込まれたからと言っても、頑丈な鉄格子がルクタの貞操を守ってくれる。多少の我慢などはあるだろうが、それを考慮しても、ここに居るほうが安心だと思えるのだ。
さらに上手く立ち回れば、刑期短縮や、籠絡して釈放させることすらできるだろう。誠実な騎士と言えど、若い男には違いない。元々、女を武器に立ち回っていたルクタである。初心な青年を操ることなど、造作もないように思えた。
よし、とルクタは内心で頷いた。決断は早い方がいい。後悔も少なくて済む。
「騎士様……私は、罪を償う為にここにいるのです。その私が、どうしてより良い環境を望めましょうか」
しなを作り、目を伏せる。女に慣れた男には少々あざといだろうが、まだ二十の半ばにも到達してはいない男には効果的である。
「しかし、然るべき環境は必要です」
オルゴーは目を細め、諭すように呟いた。流石に一言で落ちるとルクタは思っていなかったが、流れは完璧に良い方向に向かっている。
「いえ、この牢に入れられたのは、運命だと思うのです。多くの男性の心を利用した私に、男性の気持ちを考えよと、神が与えてくださった機会だと、今はっきりとわかりました」
上流階級の人間は、得てして神という存在に弱い。それが、真面目であればあるほどに。
駄目押しのように上目遣いでオルゴーを見上げる。罪状は流石に知っているのであろう。オルゴーは「なるほど」と呟き、幾度も頷いた。
「ルクタさんは、信心深い人なのですね。ならば、これも運命なのでしょう。ただし、これは貴女だけの問題ではありません。他の皆さんと、全てが同じ扱いというわけにもいきません。それで宜しいでしょうか」
ほんの少し、違和感があった。しかし、それ以外は完璧だと、ルクタは思わず笑いそうになった。
「ええ。これ以上は、我が儘というものです。騎士様のお心遣いに、感謝致します」
ルクタが深く頭を下げると、オルゴーは優しい笑みを浮かべた。
「では、仔細については、また追って報せます。それから、もし宜しければ、かしこまった言葉ではなく、ありのままのルクタさんの言葉で接してください。私は帝国騎士ではありますが、看守の任にあります。帝国騎士の誇りは胸にありますが、それはあくまでも私の胸の内の話。皆さんには、一人の看守と思って頂きたいのです」
オルゴーはそう言って、最後に一礼して去っていった。こつこつという靴の音さえも、彼が看守ではなく騎士だと言っているにも関わらず、彼は看守として見てほしいと言った。とことんまでお人好しなのだろう。
「嬢ちゃん、上手いことやったなあ」
隣の囚人は流石に見抜いているのだろう。しかし、別段羨む様子もなく、相変わらず笑うばかりであった。
これを含めて三話ほど、オルゴーとルクタの話になります。