23話:騎士
リース滞在は五日目に至る。
そろそろ次の街を目指して出発しようと思うのだが、行き先が中々決まらない。ケルツァルトに興味こそあった高木だが、フィアやレイラに嫌な思いをさせるのは本意ではなく、だとすれば何処に向かうべきかと考えていた。
まだまだシーガイアやリガルド帝国のことを知らない高木が考えられることというのは、フィア達が提案する意見を吟味する程度のものであり、本日はフィアとエリシア。ヴィスリーとレイラが手分けをして、これから何処に向かうべきかと調べて回っている。フィア達は宿屋や旅装などを揃える店などで聞き込み、レイラ達は酒場で話を聞いている。長らく平和というリガルド帝国だが、それは他国との表だった諍いがないという程度であり、治安は決して良いとは言えない。盗賊や傭兵崩れのならず者。人攫いなどが街道に現れれば、五人の内、三人が女性である高木一行は格好の標的となってしまう。
フィアやレイラは魔法という自衛の手段があり、エリシアもライターを使ったハッタリを使うので生半可な盗賊など物の数ではないのだが、危険であることに違いはない。男という理由だけで殺される可能性がある高木やヴィスリーはもっと危ない。取り分け、桜花を持っているが心得のない高木が一番、命を失う危険が大きい。トールズとリースを繋ぐ街道は平坦で見通しがきくので盗賊の類は見かけなかったが、それでも野獣の脅威はあった。旅の目的はあれど、場所までは特定できていない高木達にとって、安全策をとるのは半ば当然の成り行きであった。
盗賊達の習性や、人攫いの規模などにいまいち現実味のない高木は情報収集に不適切と言うことで、一日、一人でいることになった。
午前中は宿で魔法の修行をしていたが、しばらくすると飽きてしまい、午後からは剣の修行とすることにした。最低限、自分の命を守る程度の動きが出来なければ、いざというときにフィアやレイラ、ヴィスリーの足を引っ張ってしまうことになる。エリシアを守れる程度に鍛えられるならば、他の三人も動きやすい。
高木は先日ヴィスリーと修行をした空き地に足を運ぶと、桜花を抜いて、素振りを始めた。
機械的に動かすのではなく、敵に刃を向けられたことを想定して、相手の刃先を打ち払うつもりで、剣を振る。日本刀は刃を真っ直ぐに立てれば無類の強さを発揮するが、横からの衝撃には弱い。ダマスカス鋼製とはいえ、その鋭さから刀身は細身であり、生半可に振っても刃こぼれするのがオチである。
ゆっくりと、剣筋が乱れぬように軌道を考えながら振り抜いて、その速度を徐々に上げていくという高木独自の練習法である。前回、草を切ろうとして失敗したが、少し慣れたのか、袈裟懸けに斬りつけてみると、刃が真っ直ぐに通った草を数本、鮮やかに断ち切ることが出来た。
「案外、魔法よりも性に合っているかもしれんな」
独り言を呟きながら、さらに真っ直ぐと刃を立てる練習を繰り返していく。普段から運動をするような生活を送ってきたわけではないが、決して運動が嫌いというわけではなく、単に運動よりも読書やゲーム、パソコンなどのインドアな趣味の方が好きだっただけである。実は高木、かつて二度ほど高校の友人が不良に絡まれているところに遭遇して、長い手足の利と、思いきりの良さだけで喧嘩に勝ったこともある。長身というのは、喧嘩でも戦闘でも有利なのだ。
リーチの長さは勿論、特に有効なのは敵の上から攻撃を振り下ろすことが出来るという、高さというのが非常に大きな利点である。常人離れした長い手足が間合いを狂わせ、防御の難しい上方からの攻撃を繰り出す高木は、未だ喧嘩では無敗である。
性格も実は喧嘩向きである。冷静で、理屈屋であるが故に、挑発にも乗らない。むしろ、口が達者なだけあり、相手を挑発するのは得意中の得意であり、一度相手を倒すと決めると、容赦しない。金的だろうが目つぶしだろうが、平気でやってのけるのである。大事な物の順序を考えれば、相手の身体よりも自分の身体であるという短絡的な分、崩しがたい理屈がそれを支えているだけに、タチが悪い。
「心技体一致。剣道の理屈だが、無いよりはマシか」
高木はある程度、素振りに慣れてくると、威勢良く「やあッ」「とおっ!」と掛け声を腹の底から出して、剣を振り抜いた。
心技体の内、体は身体の強さ。技は言わずもがな技術の巧みさである。心も心の強さに違いはないが、表に出にくいため、高校の剣道の時間では発声だと教えられた。鋭く大きな掛け声が心を表現すると体育教師が高説を垂れていたが、高木はそれを発声すると普段以上の力が出るという、生物学的なものだと捉えていた。
事実、声を出すと腹筋に力が入り、一瞬の力は高まる。裂帛の気合いというだけあり、相手を怯ませ、己を鼓舞することもできる。心理的にも肉体的にも理に叶っている。意味のない体育会系の精神論は高木の嫌うところであるが、理に叶っていると思えば、いくら見かけが精神論的でも、すんなりと受け入れることができる。
「古来、剣術のことをヤットウなどと称したらしいが。なるほど、掛け声のことだったのだな……やあッ!!」
時折の独り言は、一人で剣を振る寂しさを紛らわせるためのものである。シーガイアに来て既に二十日以上経つが、一人で丸一日を過ごすことなどほとんど無かった。特に旅に出てからは狭い馬車の中で始終一緒に生活しており、寝食を共にしてきたので、一人きりという環境が久しぶりだったのである。
だからだろうか。剣を振っている高木に近づいてきた男に、自然と笑みを零したのは。
「精が出ますね」
穏やかで、かつ爽やかにそう言ったのは、白い半身鎧に身を包み、腰に剣をさした青年だった。金髪を腰近くまで伸ばしており、整った鼻梁に涼しげな碧眼がよく似合っている。爽やかな好青年を絵に描いたような男だった。
「いや、お恥ずかしい。まだ剣を握って日が浅く、独学なので型もない。手慰みのようなものです」
高木は余所行きの言葉で青年に答えて、改めて向き合った。
背丈は高木の及ばないが、白銀の半身鎧の上からでもわかる、しっかりとした体つきをしている。鎧も金属製であり、剣も柄に飾られた紋章入りの石が、決して安い物ではないと伺わせていた。
「騎士様、ですか?」
騎士という概念があることはフィアから聞いていた。貴族や王侯諸氏に従う名誉ある武人の総称で、社会的な地位は高いという。王政のリガルド帝国は、身分制度があり、王族、貴族、騎士、平民と別れている。人口の八割ほどが平民で、一割五分が騎士。残りが貴族で、王族など百人に満たない。内、高木の世界で言う職業軍人は騎士だけである。
フィア曰く、権力を笠に着た鼻持ちならないヤツらとのことだが、目の前にいる男は物語に登場するような清廉な騎士という雰囲気である。
「失礼、申し遅れました。帝国騎士団のオルゴー・ブレイドです」
「……高木聖人です」
帝国騎士団についても、フィアから聞き及んでいる。リガルド帝国の中でも取り分け精鋭と呼ばれ、武芸は勿論のこと、戦略や政治、法律などの分野の全てに秀でていなければ入団すらできないという、エリート集団である。騎士や、中には貴族からも帝国騎士団を志願する者までおり、政治的にも発言力があると言われている。見た様子では二十歳を少し超えたところのオルゴーだが、東大出身の超エリートのようなものである。
「異国の方でしょうか。衣類や髪、剣も見慣れないものでして」
「ええ。旅をしている最中にこの街に立ち寄り、祖国で使われていた剣を偶然手に入れたもので、少しばかり修練を積もうと思いまして。決して、怪しいものではないので、御安心を」
オルゴーと名乗った騎士の言葉に、高木は桜花を鞘に収めながら応対した。爽やかながら、言外に怪しい人間だという含みを持たせていたオルゴーは、少し驚いた顔をした。
「職業柄、見慣れぬ衣装で見慣れぬ剣を振る、異国の人間を見過ごすことが出来ませんでしたが……真っ正面から、怪しくないと言われたのは初めてです」
「自ら怪しくないと名乗るのは、怪しいと言っているのと同義ですからね。実際に僕が怪しいのは一目瞭然ですが、嘘をつく場所は弁えます」
「……弁が立つようですね。しかし、嘘をついている様子もありません」
オルゴーは高木の様子を真っ直ぐ見て、笑顔を見せた。高木も「弁えていますので」と答えながら、笑顔を見せた。
「嘘をつかないと主張する人間は多いのですが、嘘をつく人間だと主張してから、前の言葉が嘘ではないと言う方も、やはりはじめてです」
オルゴーは興味深そうに高木を見る。
鼻持ちならないエリートならば、高木に真っ直ぐな瞳を向けることはない。このオルゴーという帝国騎士は、フィアの説明から考えると、相当な変わり種ということになる。超エリート集団に属していながら、異国の旅人を見下そうとはせず、真っ直ぐとした興味を向けることだけでも、十二分にそれが理解できた。
ならば、と高木はこの男を少し試してみることにした。
「疑ってかかると、どうしても逆の意味に捉えてしまうでしょう。嘘をつかない。怪しい者ではないと主張すれば、嘘つきの怪しい人物に見えてしまう。だからこそ、怪しい者ではないなどとは、普通は言いません。悪党は、怪しい者ではないなどと主張はせずに、受け流すのが常套です。ならばこそ、怪しくないと名乗るのは、真に怪しくない人間ということです。もっとも、下手な小悪党は堂々と、怪しくないと言うものですが」
高木がすらすらと持論を述べると、オルゴーは「なるほど」と頷いた。
「下手な小悪党というのは小心者で、基本的に隠れるものですから、日中から外で剣を振る筈がない。ならば、大悪党か正直者のどちらかというわけですね」
「……正直な大悪党かもしれませんけどね」
「ならば、怪しい者という言葉が嘘になります」
即座に言葉を返していくオルゴーに、高木は内心でほうと溜息をつき、高い評価をした。決して笑顔を崩さず、むしろ高木との言葉遊びを楽しんでいる様子さえある。ということは。
「及第点はいただけたと思いますが」
オルゴーの言葉に、高木はついに苦笑した。
シーガイアにきてはじめてのことである。高木の言葉の全てが、見透かされていた。
「できれば、満点を越えないでいただきたかったものですが……無礼をお許し下さい」
高木はぺこりと頭を下げてオルゴーに詫びた。口先三寸には自信があったのだ。オルゴーが頭の切れる人物だと予想はしていたが、まさか初対面で、しかも少し言葉を交わしただけで、試していることまで見抜かれるとは思っていなかった。
「いいんですよ。それよりも、貴方の剣に興味があるのですが、少し拝見させていただけないでしょうか」
オルゴーはにっこりと微笑み、高木の腰にさしてある桜花に目を向けた。高木は頭を上げて、オルゴーの目を見る。生憎、高木は短いやりとりで真意を見抜くことはできないが、単純な話術であれば負ける気はしなかった。
「一日も早く剣に慣れるために、敢えてこの剣を練習に使っていましたが、本来は、そう易々と抜いて良いものではないのです」
「……それは、貴方の国の風習ですか?」
「いえ。風習ではなく、魂です」
魂という言葉に、オルゴーは一瞬だけ目を見張った。その様子を高木が見逃す筈もない。これだけでオルゴーを判断するわけではないが、材料の一つにはなる。
この辺りで、もう一手打っておくか。高木はそう決めて、再び真っ直ぐとオルゴーを見据えた。
「それよりも、先ほどから疑問に思っていたのですが。お伺いしても宜しいでしょうか?」
「……今度は、何を試すのですか?」
高木の言葉に、オルゴーは既に何かしらの思惑を感じ取っている。しかし、高木とてそんなことは承知である。
たとえ、腹に何かを抱えていようが、それが何であるかわからなければ意味がない。また、何であるかわかっていても、意味がないことすらある。たとえ、考えていることが全て読まれていたとしても、口で勝つことはできる。
「騎士様……否、オルゴー・ブレイド様を」
高木はにやりと、意地の悪い笑みを口元に浮かべた。宣戦布告の合図である。
「私ですか。しかし、試されていると気付いている人間にどのようなことを聞くのですか?」
オルゴーは爽やかな笑みを浮かべながら、しかし目元だけは笑わずに尋ねた。受けて立つという合図だろうと、高木は内心で拳を掴む。
「人間、虚を突かれると、知っていても顔に出してしまうものです。まあ、実はそんなことは関係なく、純粋な疑問でもあるのですが」
高木は少しだけおどけた調子で言い、タイミングを測る。会話は矢継ぎ早にすればいいというものではない。溜めることで、警戒心を抱かせてしまうが、緊張を誘うこともできる。
「……帝国騎士団は帝都が主な活動の範囲だと聞きます。この国のことはあまり詳しくありませんが、帝都からほど近い場所というわけでもないリースにいらっしゃる理由がわからないのです」
別に帝都が主な活動の場所であるかなど、高木は知らない。しかし、おおよその見当はつくし、仮に違っても、異国の人間であることに違いはないので、少々の知識のズレなど些事である。
「また、五日前からこの街に滞在していますが、騎士様をお見かけすることはありませんでした。白銀の鎧を纏われている騎士様ならば、人目に付くはず。オルゴー様お一人ならば、行動範囲が違っただけでしょうが……ならば、何故一人で行動されているのかがわかりません。鎧を着て、帝国騎士団であることを隠しもせずに。僕も怪しいですが、オルゴー様も十二分に怪しく思えます。怪しい人間に剣を構えるならば兎角、見せるというのは魂以前の問題ではないでしょうか?」
まさか、正面切って怪しいと言われるとは思っていなかったのだろう。オルゴーはぽかんと口を開けて、しかしすぐに楽しそうに笑い出した。
「ははっ。まさか、そんな質問をされるとは思っていませんでした。では私が今さっき、この街に到着したと言えばどうしますか?」
「真っ先に町はずれの空き地にやってくる意味がわかりませんね」
「では、お忍びの旅ならば?」
「白い鎧を着てお忍びをするほど阿呆ならば、とっくに捕まってますよ」
なるほど、とオルゴーは満足そうに頷いた。
「確かに、私も怪しいですね。しかし、私は紛れもなく帝国騎士団の一員です。この街に到着したのは三日ほど前で、連れが一人います。彼女は騎士ではないので、単なる旅人にしか見えません」
別にオルゴーが帝国騎士であることは、高木も疑ってはいなかった。堂々と鎧を着て歩くのは、偽りのない証拠である。仮に帝国騎士を騙るのであれば、集団で同じ鎧を着るか、逆に初対面で身分を明かさない方がよほど信憑性が出る。単独で鎧を着て歩く人間は、馬鹿か正直者か、馬鹿正直かのどれかである。馬鹿ではないのは先ほどのやりとりで十分わかっていたので、正直者か、馬鹿正直かのどちらかであるが、いずれにしても嘘をつこうと考える気のない人間である。高木の見立てでは、馬鹿正直である。
「……これは、剣というよりも刀と称するべきものです」
高木は鯉口をきり、桜花を抜いてオルゴーに見せた。馬鹿は嫌いで、正直者はどうでもいい。しかし、馬鹿正直な人間は大好きなのだ。フィアに見せることを拒んだ高木だが、武器のことをよく知るであろう騎士ならば、単なる興味本位だけで終わらないだろうということもわかった。
「僕の国の戦士の魂です」
高木の端的な言葉に、オルゴーは小さく頷いた。それだけ説明をしてもらえれば十分だということなのだろう。ダマスカス鋼の独特の木目模様と、妖しい輝きを放つ刃。殺すということが目的であるはずの武器が、何故このような美しさを保てるのか。切れ味は見るだけでその鋭さが見て判るほどで、刀そのものが殺気を放っていてもおかしくはないほどだ。しかし、桜花はただ、美しいばかりであった。
ふと、オルゴーこの刀と相対したときのことを考える。すると、今まで美しいと思っていたはずの桜花が突然、殺気を放ちだした。切っ先が喉を裂き、細く鋭い刀身が易々と己を鎧ごと断ち切る様子が脳裏をよぎる。
「……ありがとうございました。貴方の国の戦士の魂は優しく、そして強い」
オルゴーは額に汗を浮かべながら、高木に深々と頭を下げた。高木は返事をすることはなく、黙って桜花を鞘に収めた。それが礼儀だと思ったわけではなく、どう答えるべきかわからなかったからだ。
「しかし、惜しい。先ほどから様子を窺っていましたが、御自身で仰ったように、技が伴っていません」
「ええ。お恥ずかしい限りではありますが、刀を手に取る日が来るなど、思ってもいなかったものですから」
オルゴーが嘆くように呟く言葉は、高木を馬鹿にしているのではなく、本当に惜しいと悔しがっているからだ。高木も内心では仕方がないことだと思いながらも、実際に桜花に見合う腕ではないことを恥ずかしくも思っていた。相手に遅れを取るどころか、自分の武器にも遅れを取る侍など、笑われても仕方がない。
「……タカギマサトさん。よければ、少しばかりお話をしてみたいのですが如何でしょうか。貴方のカタナを知ることは出来ましたが、貴方自身にも非常に興味があるのです」
オルゴーは純粋な瞳で高木を見つめて、真っ直ぐな言葉を吐いた。
高木にとっても、オルゴーは非常に興味深い男である。フィアは直情的だが、決して偏見だけで全てを語る人間ではない。騎士が鼻持ちならない人間の集まりだというのは確かなのだと思う。
だとすれば、この英雄物語から抜け出してきたような、清廉で真っ直ぐな騎士は相当の変わり者であり、そんな彼が何故、ここにいるのかもまだ答えてもらってはいない。
「……僕を知りたいという人間を相手に、言葉を飾るのも失礼か。無礼な振る舞いもするかもしれんが、それでいいなら拒否する理由が無い。こちらから願いたいほどだ」
高木が取り繕った言葉を捨てて、地のままで喋る。おそらく、オルゴーは拒否しないだろうという妙な確信があった。
オルゴーは今度は特に驚くわけでもなく、呆けるわけでもなく、自然と爽やかな笑みを浮かべた。おそらく、彼もまた地の高木を求めていたのだろう。
「貴方は、飾らない言葉のほうが嘘くさいですね」
親愛の証とでも言うべき冗談を口にして、オルゴーは高木を喜ばせた。
12月24日に男臭い話を書けたと喜んでいる自分が、割と好きです。