21話:味噌
高木とヴィスリーが宿に戻ると、夕食を取ることになった。
久々に豪勢な食事にしようと、酒場に出かけて席を取る。各々が好きなものを注文して、ヴィスリーとレイラは酒を飲み始めた。
「へえ、これがマサトの国の剣なんだ」
フィアは高木が腰に提げた桜花を眺めながら、しきりに感心していた。
「ねえ、鞘から出してみせてよ」
「残念だが、理由が無い限り抜かないようにしている」
ケチとフィアがぼやくが、日本刀を持つ人間の最低限の心構えである。
その切れ味の良さも理由の一つだが、日本刀の妖しい輝きは時として人を魅了する。鋭い剣ほどその妖しさは増して、故に妖刀と呼ばれることすらある。桜花はその材質も相俟って、妖刀となる素質を十二分に持っている。
仕方なく、フィアは鞘に収まったままの桜花を見て、その形を想像した。シーガイアの剣は大半が幅広の直剣であり、日本刀のような剣は珍しい。
「ちょっと曲がってるのね」
「反りと言え、反りと。これが切れ味を一層高めるんだ」
高木は多くの男子に漏れず、日本刀好きである。いや、飛び抜けて好きな部類に入る。
「素晴らしい拵えだ。ダマスカス鋼の美しい模様と日本刀の妖しい輝きの、見事なまでの合わせ技。しかも、この反りの滑らかさは一朝一夕で打てるものではない。滑らかでよくしなり、それでいて硬い。焼き入れは乱れ柾目ときたものだ。そこらの大業物に引けは取らない」
「……いや、知らない言葉ばっかりだけどね」
ついつい語ってしまうのがオタクの悲しいところである。
ちなみに高木は、そのインドア派の性格故に、各種方面に造詣が深い。日本刀をはじめとした戦国時代は歴史小説を読み漁り、歴史戦略ゲームをやり込んでいる。他にも、アニメにコミック、ライトノベルなどの一般的なオタクとしての知識もあり、戦闘機や銃器、勿論ファンタジーや魔法も得意範囲である。
「いいか。日本刀はそもそも、踏鞴製鉄という砂鉄から鉄を取り出す技術が下地にあってだな」
「別に聞きたくないわよ。それより、そんなに切れ味の良い剣だけど、マサト使いこなせるの?」
「今の僕の国で剣を持って歩いていたら、捕まるよ」
フィアはやれやれと溜息をつく。確かに高木は頭も良いし舌もよく回るのだが、技術や能力に直結しない。
小手先は割と器用で、覚えも悪くないのだが戦闘においては、正直戦力として期待できるほどではなかった。
「ヴィスリー。あんた、ちょっとマサトを鍛えなさい」
「んー、そうだな。折角兄貴も武器を手に入れたんだし、切れ味の良い武器なら、下手に使うと自分を傷つけるし。明日にでもちょっと鍛えるか」
「ふむ。確かに日本刀は拵えるのにも一朝一夕では不可能だが、それを扱うのもまた長い修練が必要だ。素人が剣を握っても、真っ直ぐ振り下ろすことすらできない。日本刀はその優美で繊細な作り故に、使い手を選ぶ」
それじゃあ駄目だろうに、と突っ込みたくなる気持ちを抑えて、フィアは溜息をついた。
しかし、先ほどから高木は妙に饒舌である。よく喋る男ではあるが、それだけに喋る時機を見極める才能にも長けている。こうも無闇やたらと知識をひけらかすような人間ではないと思っていた。
よく見ると、高木の頬は少し赤かった。フィアが聞いていないにもかかわらず、やや呂律の回らない舌で延々と日本刀談議を続けている。明らかに、普通の状態ではない。
「誰よ……マサトに酒飲ませたの」
調子よく喋る高木に、フィアは重い溜息をついた。
翌朝、目を覚ますと高木は酷い頭痛に苛まれた。勿論、レイラとヴィスリーが仕込んだ酒による二日酔いである。
ヴィスリーは純粋なる悪戯心で。レイラは酔った高木を介抱するか、酔いに乗じて一気に距離を縮めてしまおうという算段だったのだが、高木が思った以上に酒に弱く、ひとしきり日本刀談議を語った後に、隣に座っていたフィアにもたれかかるようにして、眠ってしまったのだ。
原因が高木ではなく、レイラとヴィスリーなので叱るわけにもいかず、高木と似たような状況に何度か陥っていることもあり、フィアは狼狽えることもなくエリシアと二人で高木を宿に連れ帰った。事の展開上、取り残される形になったレイラとヴィスリーは、反省せざるを得なくなった。
高木に鍛えられたのか、遠回しに相手を弄することをフィアも少し覚えたのだ。
ただ、フィアの誤算は、痩せるだけ痩せたという容姿の高木が、案外、体重があったことであった。
エリシアと二人がかりならばと考えていたのだが、高木は193cmという日本人離れした身長なのである。65kgの体重は、確かに身長から考えれば驚くほどに軽いのだが、それでも重いことには違いない。
結局、部屋に連れて帰る頃にはヘトヘトで、高木を運び終えるとそのまま、エリシア共々、ばったりと眠ってしまったのである。
「……おおう」
頭痛に目を覚ました高木が、妙な声をあげたのはつまり、両脇をフィアとエリシアに挟まれる形で眠っていたからに他ならない。
狭いシングルベッドに、三人で無理矢理寝ていたようで、二人とも高木に抱きつく形であった。フィアの豊かな胸が背中に。エリシアの柔らかくふわふわした赤髪が胸板に押しつけられ、頭痛よりも眩暈がした。
両足は二人がそれぞれの足で絡めており、あろうことか高木は寝ている最中に無意識でエリシアをしっかりと抱きしめていた。
少しでも身動きをしようものならば、フィアの胸がふにょふにょと高木の背中を不規則に刺激する。エリシアを抱きしめていた腕を放すと、エリシアは無意識に身体を高木に押しつけた。
本来ならば、ここで顔を真っ赤にしつつ「どうしよう」などと慌てるのが間に挟まった男の役目なのだが、高木はしばらく、特に顔を赤らめるでもなく、背中の感触を堪能して、エリシアを抱く腕に力を込めた。なまじ冷静な分、状況を把握して素直に役得を味わう余裕もある。
「……しかし、こうも頭痛が酷くては興冷めだな」
しばらくエリシアの抱き心地を堪能してみたものの、頭に響く痛みが枷となっていまいち楽しめない。高木は溜息をついて、強引に抜け出して、二人が覚醒する前に部屋を抜け出した。
高木が眠っていたのはフィア達の女性陣用に取った部屋だったので、自分の部屋に戻る。ヴィスリーは既に起きているようで、高木が眠るはずのベッドではレイラが寝息を立てていた。
「おはよう、ヴィスリー」
「お、おう。おはよう……や、昨日はごめん。まさかあんなに酒が弱いとは思ってなかった」
「おかげさまで酷い頭痛だが、まあこれも貴重な経験だ」
悪戯にムキになって怒るほど、高木は気が短くもないし狭量でもない。ヴィスリーも反省していたようで、特に咎める気にもならなかった。
しかし、二日酔いが辛いのは確かである。二日酔いの薬などがシーガイアにあるはずもない。
「……まあ、民間療法も無いよりマシか。ヴィスリー、買い出しを頼む」
「へ。ああ、勿論いいけど、何を買ってくれば良いんだ。保存食とかは、次の目的地を決めてから買いに行くはずだったろ?」
「昆布に鰹節。煮干しと味噌。できれば豆腐と葱がいい」
二日酔いには味噌汁と、日本では相場が決まっている。
ヴィスリーは小一時間ほどすると帰ってきた。
「いやー、聞いたこと無いモノばかりだったけど、すげーな」
リガルド帝国の一般家庭では味噌や豆腐、鰹節というものは普及しておらず、ヴィスリーは珍味を取り扱う店を探して、そこで見つけてきたらしい。昆布やわかめはたまに使われており、比較的すぐに見つかったようだが、煮干しは無かったようだ。
珍味としての販売だったので、それなりに高い買い物だったらしいのだが、高木は気前よく金を出した。トールズの街では見かけなかったが、大きな街ならば味噌があるかもしれないと思っていたのだ。
かれこれ、異世界に召喚されて半月ほどが経つ。日本の味が恋しくて仕方がなかった。
早速、高木は宿の調理場に出向き、料理人との交渉に入る。異国が誇る、家庭の味の代表格という触れ込みと、二日酔いに効果があるという話に料理人は興味を示して、味噌汁づくりに挑戦してくれた。
「鰹と昆布の合わせ技、と言ってな。鰹節と昆布の旨味成分で出汁を取り、そこに味噌を加えて、具材としてわかめを入れる」
高木の知っている味噌汁の作り方は以上であり、分量などさっぱりわからない。料理人に任せて味見をするだけである。
料理人も大したもので、出汁の取り方と味噌の味を確かめると、すぐに味噌汁を完成させた。流石に高木家の味と若干ずれるが、シーガイアに来て、既に半月ほどが経つ。味噌汁が恋しくて仕方がなかった。
「味噌は調味料としての側面と、保存食としての側面があってな。家庭でも作れることから、昔はそれぞれの家庭が味噌をつくっていた。故に、オフクロの味と呼ばれ、その家庭ごとに違う味噌汁の味があったんだ」
高木は味噌汁を堪能しつつ、料理人に味噌についての講釈をする。あわよくば、リースに滞在する間に味噌を使った料理を幾つか食べられるかも知れないという算段である。
「その上、味噌汁の具材は豊富だ。肉だって入れば、野菜や魚介類まで入る。米と味噌汁があるから、日本人は勤勉で粘り強い性格なんだ」
「へえ。そんだけ口が達者なのも、味噌汁のおかげってわけか」
「いや、これは僕だけだ」
料理人と高木は呵々大笑する。久しぶりの故郷の味のおかげなのか、味噌汁に二日酔いに対する効果があるのかは知らないが、高木の頭痛は消えていた。
高木が部屋に戻ると、既にレイラは起き出して女性部屋に移っており、ヴィスリーが剣の手入れをしていた。
「おかえり。姐御は図書館に出かけて、エリシアとレイラは街の散策だってよ」
リースの街には有料の図書館が存在した。貸し出しはできないが、入場料さえ払えば誰でも入ることができる。シーガイアにおいて紙はまだまだ高価であり、気安く本を求めることは出来ない。ほとんどが手書きであることも踏まえて、本は高級品なのである。
魔法に関する書籍は図書館には置いていないのだが、原田の文献ならば可能性がある。高木も自分の帰る方法に結びつくことなので、一緒に調べようとしたのだが、最低限の文字しか覚えておらず、ある程度は読めるのだが、専門用語になるとさっぱりである。一緒に行っても役に立たないと判断されて、フィアにやんわりと断れた。
「まあ、言われたとおりに剣の腕を磨いておくか」
「おう。それなら俺も手伝えそうだ」
リース滞在二日目は、剣の修行と相成った。
ヴィスリーの剣術はほとんどが我流であり、しかも日本刀ということを考慮していないので、参考にはならない。
日本刀ほど切れ味の良い剣はシーガイアでも珍しい。基本的に剣は鋳型に流し込むだけであり、斬ると言うよりも叩き潰すという表現の方がしっくり来るほどだ。
「とりあえず、真っ直ぐ振り下ろすところからだな」
高木は町はずれの草むらを修行場所と定めて、ゆっくりと桜花を鞘から抜いた。
基本的な構えや振り方は高木にもほんの少しだけ心得がある。高校に剣道の授業があり、幾度か打ち合いの稽古もしたことがあった。
しかし、竹刀と真剣では重みも違う上に、剣道と剣術もまた違うものである。桜花の重みを確かめるように、高木はゆっくりと正眼に構えて、面を入れるつもりで振り下ろした。
「剣筋が泳いでるぞ」
高木の隣でヴィスリーが少し呆れたように呟いた。
「初めて真剣を振ったんだ。仕方ないだろう」
高木は気にせずに、二度三度と桜花を振るう。真剣の重みに、身体を徐々に慣らしていくためだ。
しばらく正眼からの面を繰り返すと、段々と刀の振り方が手に馴染んできた。少しだけ調子に乗って、背の高い草に向かって、襷がけに斬り込んでみる。
「……そうそう上手くは行かないか」
刃がしっかりと草を捉えきれず、なぎ払った筈の草は斬れていない。前途多難だ。
指導者でもいれば良いのだが、独学にならざるを得ないのが最大の弱味である。ヴィスリーが踏み込みや力の入れ方、立ち位置などを高木に教えるので、多少なり感覚は掴めるものの、まかり間違っても人を斬るほどの威力にはならない。
小一時間ほど高木は試すように剣を振ったが、疲労が溜まるばかりであった。
「まあ、そんなにすぐに上手くなれば苦労しねえよ」
ヴィスリーは草むらを歩いて周り、手頃な大きさの棒きれを二本探し当てた。
「斬る練習もだけど、実際に相手と戦う練習もしなけりゃな」
高木は棒きれを一つ受け取り、ヴィスリーと向かい合う。道場剣では意味がないのは高木にもよくわかっている。模擬戦とはいえ、身体を慣らしておかねばならない。
高木は大きく踏み込み、ヴィスリーの顔面に向けて面を放った。しかし、あっさりとヴィスリーが棒でそれを打ち払い、高木の腹あたりに、強烈な突きを入れた。
「がッ!?」
「……兄貴。こう言っちゃアレだが、遅すぎて話にもなんねえ。まず、腕力から鍛え直しだな」
はっきりとした実力差に、高木は呻きながらも納得せざるを得なかった。
腹が痛んで、棒を握る力もろくに入らないのだ。実践ならば貫かれて死んでいるところである。
「筋トレか……」
頭痛の次は筋肉痛を覚悟する高木だった。