20話:桜花
高木達がリースに到着したのは、予定通り五日後の昼間であった。
リースは平原と山間部の間に広がる街であり、フィア達が住んでいたトールズとは比べものにならないほどの規模である。
トールズは街というよりも村に近いのだと高木が思い直したほどで、人口はおよそ三万人。トールズは五千人に満たないことから、最低でも六倍以上の差があった。
街の入り口には大きな門が設けられており、その中を多くの人間が行き交っている。高木達のような旅人も珍しくないらしく、特に目立つと言うこともなく、旅人用の宿場も用意されていた。
高木達は宿場の中でも中堅どころと思われる宿を選んだ。馬車も馬も長旅用なので、小さな宿では格納する場所が用意されていなかったので、半ば仕方のないことである。男女に別れて部屋を取り、女性陣は流石に疲れたのか、明日まで部屋で休むことにした。
高木とヴィスリーはずっと野宿であり、疲れているはずなのだがそんなことは気にも留めずに街を見て歩くために出かけた。高木が強くそれを望んだからだ。
行程は順調であったがそれだけに暇であり、規模の大きな街に思いを馳せていたのだ。トールズは農耕が主な産業であったが、リースは山間部に近く鉱山もある。製鉄業が盛んだと聞き、シーガイアの技術力を測るのに適していると判断したのだ。
製鉄技術は、多くの産業の発展に貢献する。逆に言えば、製鉄技術がどれほどのものか判れば、各産業がどれだけ発展しているかを知る指標にもなる。鉄製品自体はトールズでもよく見かけたが、高木の世界でも製鉄自体は紀元前から行われており、今ひとつ参考にならなかったのだ。普及率を調べるほどの余裕もなく、ならば技術そのものを確認する方がよほど早い。
シーガイア社会見学ツアーと銘打ち、高木は笑顔でリースの街に繰り出した。
「折角だから、兄貴も剣を持ったらどうだ?」
街中をあれこれと見て回る最中に、ヴィスリーは高木に帯剣の提案をしていた。
田舎町という風情のトールズとは違い、リースには様々な格好の人間がいる。トマスの邸宅で見かけたような傭兵の出で立ちをした人間や、冒険者と思しき、革鎧を身に纏った集団などもあった。ヴィスリーの話によると、旅をする人間の大半は、何らかの武器を所有しているという。
「ふむ。まあ、資金は一応あるから悪くないが……僕では戦力にはならんだろう」
「全くの丸腰でも困ると思うけどなぁ。山賊でも出れば、剣があるのと無いのじゃ大違いだ」
ヴィスリーの言葉通り、武器は手にあるだけで威嚇となる。少しでも相手が警戒すれば、フィア達が魔法を使う時間稼ぎにもなる。この先に、治安が悪い場所を訪れる可能性があるならば、持っておくに越したことはない。
「……しかし、やはり剣は好きになれんな。無骨すぎる」
高木もゲームなどで剣という存在を見慣れており、そういう意味では剣に対する憧れもあるのだが、実際に手に取ってみると、その無骨さがよくわかった。鋳型に流し込んで作っただけの、斬るというよりも、殴りつけるというような代物である。
勿論、刃がついているので斬ることも可能なのだが、鋭利とは言い難い。
「やはり、サムライを名乗るからには日本刀を持ちたいところだが……」
高木はそう呟いてから、首を横に振った。
日本刀の製造過程は非常に複雑である。まず、原材料の玉鋼は踏鞴製鉄でなければ生み出すことが難しい。しかもその玉鋼の原料は鉄鉱石ではなく砂鉄である。
また、玉鋼も炭素含有量の違う四つに分けられており、刃にあたる前方部分。側面部分、後方部分、芯となる部分とそれぞれが違うものなのだ。
リースの街をざっと眺めた上で、技術的に不可能ではないというのが高木の見解である。製鉄技法自体はそれなりに進んでいるようであり、高炉と呼ばれる溶鉱炉が山間に近い場所に幾つか見受けられた。石炭を使った製法は確立されていないようだが、木炭を燃料として、水車を動力とした送風機を使っている。高木の世界では12世紀から13世紀に見られたシュトゥック炉に近い形をしていた。
踏鞴製鉄はシュトゥック炉より以前から使われている技法ではあるが、砂鉄よりも鉄鉱石の塊を採集するほうが効率的なため、日本のように独特の発展を遂げなければ後世には残りにくい。
さらに、玉鋼の特性を熟知して、鍛え上げる作業は一朝一夕では身に付かない。現代日本にも刀鍛冶の職人は存在するが、長い年月の修行を経て技術を身につけた人々である。仮に玉鋼があっても、美しさと斬れ味を併せ持つ日本刀を作り上げる刀匠がいなくてはどうしようもないのである。
「せめて、鋳型で作ったものではなく、きちんと鍛冶屋で鍛えられたものを持ちたいものだが」
日本刀を握ったこともない高木であるが、注文は多かった。まともに扱う技量がないことなどお構い無しになってしまうのは、こだわりというよりも単なる浪漫である。それを高木自身、よくよく自覚しつつもやはり譲る気はない。フィアがいれば呆れられただろうが、隣を歩くヴィスリーは男の浪漫を十二分に解しており、高木の気持ちがよくわかった。
「折角だから、鍛冶屋を覗いてみようぜ!」
そう言いつつ、たまたま通りかかった鍛冶屋を指さす。製鉄所があるだけあって、鍛冶の分野でもリースは発展しており、鍛冶屋も街中で多く見かけることが出来るのだ。
高木も気を取り直して頷くと、古ぼけた看板がぶら下がった鍛冶屋に入った。
扉を開くと、もわっとした熱気が高木を包み込み、中には如何にも職人という気難しそうな、深い皺の刻まれた男が鎚を振るっている最中であった。その隣にいた修行中であろう若者が高木達に気付くと、汗を拭って笑顔を見せた。
「いらっしゃい。何か物入りかい?」
シーガイアにおいては珍しいはずの高木の服装や髪の色などを気にすることもないのは、彼が職人であることの表れである。ものづくりにしか興味がないので、異国人であろうが特に気にしないのだ。
「剣を持とうと思ってね」
壁に売り物であろう剣が幾つか飾られているのを見ながら、高木が呟いた。細身の片手剣が幾つか並んでおり、素人目に見ても中々切れ味の良さそうなものばかりであった。ここならば、それなりのものが見つかるかも知れない。
「そりゃあ、丁度良い。ウチは武器が専門だからね。けど、流行りのドデカい剣が欲しいってのなら、余所に行ったほうがいい」
若者の商売ッ気のない言葉に、高木は好感を持った。ヴィスリーから最近は大剣が流行していると聞いているので、持ち運べる武器を見つけられるか不安でもあったが、まさに渡りに舟である。
「無骨な大きな剣より、よく斬れる剣が欲しいと思っていたところだ」
高木の言葉に若者は幾度も頷いた。求める方向性と、作っているものの方向性が同じであるのは、職人としては嬉しいものである。
「お客さんみたいな人、最近じゃあんまり見かけないんだよね。どんな剣がいいんだい。体格からすると、剣士ってわけでもないんだろう?」
「ああ、ただしこだわりはある。細身で片刃。反りがあって、よくしなり、切れ味の良いものが理想だ」
高木の細かい注文に、一瞬だが若者が怪訝な表情を浮かべた。しばらく高木をじっと見つめて、やがてくるりと振り返る。
「親方ァ。ちょっと来てくださいよ!」
先ほどから高木達を気にかけることもなく、ずっと鎚を振るい続けていた壮年の職人が、若者の言葉にようやく顔を上げた。
「なんでぇ……おう、客かい」
気難しそうな顔によく似合う渋い声であった。面倒臭そうに高木を一瞥したが、ぴくりと眉を動かした。異国人を珍しがる様子ではないと高木はすぐに判断する。まるで、何か思い当たる節でもあったかのような、そんな表情であった。
「……お客人、出身はどこだい?」
親方は品定めをするように高木を見て、ゆっくりとした口調で尋ねた。
それを聞いてどうするのだろう。高木も親方を見て思考を巡らせるが、少なくとも嘘をつかなければならない場面ではないとだけは判断できた。嘘やハッタリは高木の得意とするところであるしそれらを厭わないが、嘘をつく弊害もある。殊、気難しい人間に下手な嘘をつくと看破された途端、一切相手をしてもらえなくなる。
「日本という国だ」
異世界から来たというのは流石に不味いと思い、そう答えた。シーガイアにおいて、同名の国が存在しないことはフィアから確認しているので嘘と思われる可能性はあるが、東方の小さな国だとしておけば、知らないけど存在するのだろうと、大概の人間は納得する。
「ニホンだと……?」
しかし、親方の反応は明らかに、知らない人間のそれではなかった。鎚を置き、立ち上がると真っ直ぐと高木に向かって歩を詰める。
そして、それと同時に高木は親方が先ほどまで打っていたものを目に留める。
1メートルに満たないほどの、やや反りのある細身の片刃剣。製造途中ではあるが、その形状はほぼ完成しており、まさしく日本刀そのものである。
「百年以上昔に、ニホンってぇ国からやって来た男がいた。そいつも黒髪で、目も黒かった」
親方の言葉に、高木はすぐに、一人の先人を思い浮かべる。そして、自然と笑みが零れてくるのが停められない。
「そいつぁ、随分に鬱陶しい野郎だったらしい。御先祖が作った剣を見て、こんなのじゃ人は斬れねぇと散々に騒いだそうでな。さっきお客人が言った通りの注文をつけやがった」
すっかり忘れていた。あの剣客集団が、武器を選ばないはずが無いのだ。弘法は筆を選ばずというが、彼らのような命を的にしていた男達は真逆なのだ。弘法だからこそ筆を選ぶ。
たとえ、槍を主に使っていた男であっても、刀は武士の魂である。刀を求めない筈がない。
「散々注文つけるもんだから、さぞかし詳しいんだろうと聞いてみたが、作り方は知らねえとほざいたそうだ。御先祖はその男が見せた、ぐにゃりと曲がった妙な形の剣を譲り受けて、その作りに感動した」
「……そうだろうね。幾つもの鋼鉄を組み合わせて、硬度としなやかさを併せ持ち、さらに美しさまで保っている。これに勝る武器を、僕は他に知らない」
高木の言葉に、親方は「嗚呼」と声を挙げた。疑問が確信に変わったのだ。
この男は知っているのだと。あの美しく強い武器を知っている人間なのだと。
偶然にしても、この巡り合わせに高木も運命を感じずには居られなかった。何気なく入った鍛冶屋の親方が、まさか日本刀を知っているなどと、どうして考えることが出来るだろうか。
「御先祖は譲られた剣を作ろうとしたが、間に合わなかった。そうしてるうちに、ハラダは消えちまった。それでも、御先祖はずっと剣を作り続けたんだ。十年で、幾つもの鋼鉄を合わせて拵えたもんだとわかった。そこからまた十年かけて、それが四つの部分に分かれてるってわかった。だが、御先祖はそれ以上のことはわからず終いで、死んじまった。あの剣を完成させろって遺言だけのこしてな」
親方はそこで一度、言葉を句切った。その後に続くように、若者が口を開いた。
「その次の代で、形を整えることには成功したんだ。けど、切れ味はハラダの言ったとおりものじゃあなかった。剣を研いでも、あの美しい紋様は浮かばなかったんだ。そこで、鋼鉄の作り方から仕切り直しになった。炉の形から改良して、温度も変えた。そして、親方の代に受け継がれた。親方は最後に、完成した剣をもう一回、火にあぶって、冷やした」
最後の、焼き入れの作業まで再現している。たった一本の日本刀から、そこまでの製法を見つけ出す執念に高木は思わず唸った。
「お客人。アンタなら、わかる筈だ。儂らが百年かけて作ってきた剣が、ハラダの言っていた剣なのか」
親方は工房の奥に入り、一振りの刀を持ってきた。黒塗りの鞘に収まったそれを高木は黙って受け取り、鯉口をきる。
美しい日本刀だった。僅かな反りと、一目見てわかる鋭さと、しなやかさ。鍔も見事に再現されている。
ただ一点だけ高木の記憶と違うのは、刀身に浮かび上がる紋様である。刃紋ではなく刀身全体にうっすらと、細やかな板目の紋様が浮かんでいたのである。
玉鋼にこのような紋様は浮かばない。しかし、この細やかな模様には微かに見覚えがあった。
現代においては失われた技術。現存する幻の鋼鉄。確か、その名前は――
「ダマスカス鋼か!」
高木は思わず声をあげた。
オリハルコンやミスリル銀などに並び、架空の金属と思われている鋼鉄。それがダマスカス鋼である。
インドで採掘された不純物が含まれた鉄鉱石を原材料としているのだが、その製法が失われてしまい、架空の存在と思われがちだが、きちんと現存している。現代の技術力でも完璧な再現は不可能とされる、実在する伝説である。
玉鋼と同じく柔にして剛。それに加えて、錆びることのない神秘的な鋼鉄。独特の木目模様の美しさも相俟って、玉鋼に並んで最高と謳われた鋼鉄である。
「ダマスカスコウ……?」
興奮する高木に、親方は不思議そうに小首を傾げた。
「僕たちの世界では、失われた金属だよ。本来の日本刀とは材料が違うが……」
高木は柄にもなくはしゃいで、その刀身の美しさに見入った。おそらく、この付近で採取できる鉄鉱石が、インドで採れるものと偶然同じ種類の不純物を含んだものなのであろう。
「親方。この金属はこの世界ではありふれたものか?」
「い、いや。儂の親父が生み出して……作り方を知ってるのは儂と、コイツだけだが……やはり、及ばなかったのか」
「及ばないどころか、超えている。伝説の金属だ」
高木は少し名残惜しそうに、チンと刀を鞘に収めて親方に返した。
「僕が保証する。ハラダもこれを見たら、喜び狂うに違いない」
高木の言葉を聞き、親方は思わず膝から崩れ落ちた。
数代に渡った執念が、いつしか本物を超えていたのだ。無骨な掌で顔を覆い、親方は、はらはらと涙を零した。若者も幼い頃から親方について日本刀を追い求めていたのだろう。眦に涙を滲ませていた。
高木とヴィスリーは二人が落ち着くまで何も言わずに待っていた。やがて、親方は少し照れくさそうな笑みを浮かべて、高木に感謝の言葉を述べた。
「お客人。一体、どんな巡り合わせか知らねえが、これも何かの縁だ。こいつを、貰ってくれねえか?」
「いや、それは流石に……」
親方の提案は、高木にとってあまりにも魅力的なものだった。しかし、その来歴を聞くとおいそれと受け取ることなど出来ない品でもある。
「僕は確かに剣を求めて来たし、この剣は求めている以上のものだけど、僕は剣を扱ったことすらない。ただ、持っておく方が都合が良いというだけの理由で求めたにすぎない。僕にはこの剣を扱う資格がない」
「……こいつぁ、儂の持論なんだがな。武器は持ち主を選ぶことができねえ。けど、人だって武器を選べねえ。いつだって、目の前にあるモンを引っ掴むだけさ。要は、巡り合わせだ。どうせ、きょうび流行りのデカブツたぁ毛色が違いすぎて、お客人以上にこの剣を欲しがる野郎もいやしねえ。別にこれで人を斬らなくたっていいんだ。こいつの切れ味は作った儂が一番知ってらぁ」
親方は再び、高木にダマスカス鋼製の日本刀を差し出した。
本当に自分がこの剣を使ってしまって良いのだろうかと高木は戸惑う。サムライの魂であり、親方の一族が百年以上の歳月を費やした執念の結晶でもある。あまりにも重い。
「兄貴。迷うことなんかねえよ。正直、俺にはその剣がどう凄いのかもわかんねえ。けど、兄貴にはわかるんだ。それだけも十分じゃないか。それに……その剣で、姐御やエリシア。レイラも守れると思えよ」
ヴィスリーの言葉に、高木はふと顔をあげた。
もしもバレットと相対したときに、この刀を持っていたら、フィアに魔法を使わせずに澄んだかもしれない。トマスのときもそうだ。猪だって、わざわざヴィスリーが危険を省みずに木の上から飛び降りずとも倒せていたのかもしれない。
魂や執念よりも重い、仲間の命が、既に高木にはある。そう考えると、確かに迷う意味は無かった。高木は親方から日本刀を受け取り、腰のベルトに差した。
「この剣の名前は、決まっているのか?」
高木が尋ねると、親方は苦笑して首を横に振った。どうやらリガルド帝国には剣に名前をつける習慣がないようだが、伝説の金属で作られた稀代の名刀である。無銘というのはいただけない。
「お客人が名付けてやってくれねえか?」
「ふむ。本来、銘は制作者の名を冠するのが通例だが、通称もある」
高木は鞘から剣を抜き、その刀身を今一度、見改めた。
美しい木目模様に、やはりその由来を求めるべきであろう。シーガイアという異世界にて作られた木目模様の日本刀。そして、優雅にして気高く、決して永代、廃れることのない名前を。
「……桜花」
やや安直かとも思ったが、日本の美しさを表現するのに、これほど相応しいものもないと感じた。
どうやらシーガイアに桜はないようで、ヴィスリーや親方達も不思議そうな顔をしている。
高木は苦笑して、一言ぽつりと呟いた。
「僕の国で、一番美しい花の名前だよ」
高木は桜花を手に入れた!
RPG風のモノローグだと、こんな感じでしょうか。