18話:猪突★
旅の食事は基本的に貧相である。
食材は保存の利くものばかりであるので、当然ながら生鮮品を使うことは出来ない。トマスが用意した食料は、干し肉と豆が大半で、魚の干物が少々という塩梅であった。
調理器具は揃っているが、水も油も貴重品なので大がかりな料理はできない。今回は運良く水場を見つけることが出来たのと、初日ということもあってフィアとレイラが豆を煮込んだスープを作ることになった。
積荷にあった薪を組み上げるのは高木の仕事だった。インドア派ではあるが、幼少から幾度かキャンプの経験があり、焚き火を起こすことには慣れている。ライターを常備しているのも、キャンプの際に火種が如何に重要であるかを知ったからなのである。手頃な岩を積み、かまどを作ると、そこに空気の通り道を意識しながら薪を組み立てていく。大きな薪で枠を組み、その中に近くに落ちていた小枝を幾本か差し込む。さらに、その中に枯葉を入れれば準備は完了だった。もっとも、焚き火はシーガイアにおいては子供でもできる作業なので、高木が特別に得意だったわけではない。他の仕事ができなかっただけである。
ちなみに、ヴィスリーは一人で手綱を握っていたので、昼食の用意は免除。エリシアは馬を休憩させている。
料理ができるのはフィアとレイラ、エリシアの女性陣のみである。ヴィスリーは自宅に料理人を雇うほどではなかったが、金があったので外食ばかりだったため、料理はからきしだという。高木は言わずもがな、母親に家事を全面的に任せていた高校生なので出来るはずもない。高木も馬車の制御を覚えるつもりなので、役割としては、高木とヴィスリーが馬車を担当。料理はフィア、レイラが担当という形になる。両方できるエリシアにはどちらかに回って貰い、ローテーションを組むことにする。
荒事においては、剣を使うヴィスリーや魔法使いのフィアやレイラが抜きんでるが、日常面においてはエリシアが輝いた。
借金をカタに、色々な雑務をこなしてきたエリシアは、先日に見せた大工仕事を筆頭に、料理などの家事全般に馬の扱い。旅では発揮されそうもないが、農作業もできるらしい。手先が器用な上に苦労を重ねてきたので、少々の重労働では文句を言うどころか笑顔で引き受ける。自分が役に立てることが嬉しいのか、率先して仕事を探すほどである。
干し肉と豆のスープという内容ではあったが、太陽の下で食べると不思議と豪華に思えるから不思議であった。
いずれはしっかりとした食事が恋しくなることもあるのだろうが、楽しめる内は楽しんでおくのが高木の主義である。
食器を洗い終えて、焚き火を消すと、再び出発となる。午後はエリシアと高木が御者席につくことになった。ヴィスリーから細やかな注意点を聞いたエリシアは、既にこなれた手つきで手綱を握っており、教えを請う相手として申し分なかった。
「私がマサトに教えるのって、なんだか不思議だね」
「そんなことはないさ。エリシアは僕が知らないことをいっぱい知っている。勿論、僕もエリシアが知らないことを沢山知っている。お互いにそれを教え合うのは、少しも不思議じゃないさ」
高木はエリシアの握る手綱を見つめながら、自分が無力であることを自覚していた。
昔の杵柄で焚き火を起こすことが出来たので、今回はやるべきことがあったが、仮にそれがなければ、本当にやることが見つからなかったのである。その焚き火ですら、他の人間でも出来ることであり、このシーガイアではむしろ出来て当然のようなことだ。
人里を離れると、生活能力の有無が非常に身に染みる。始まったばかりだから楽しさや真新しさに気分は昂ぶっているが、いずれは何の役にも立たない人間は疎まれてしまう。
勿論、言葉や知恵においては高木の活躍する場もあるだろうが、それも発言力があってのことである。このままでは、高木の発言力は弱まっていく一方だ。フィアをはじめとして、気の好い面々が揃っているとは思うものの、それに甘えているようではすぐにお荷物になってしまう。それはお互いにとって不幸なことだ。
なるべく早く、馬車の扱いに慣れる。出来ることは、積極的にしていかなければならない。それは自分の立場を守るためだ。
「……だが、それだけでもないか」
その気になれば、高木は働かずとも発言力を保つことぐらいはできる。エリシアもレイラも、ヴィスリーも高木を慕ってくれているから、全体を仕切るだけで自ずと発言力は維持できるだろう。軍隊などで、大将が前に出ないのと同じで、常にどっかりと構えている立場になることだってできる。
それのほうが楽ではある。高木は身体を動かすよりも、頭を使う方が得意なので、適材適所とも言える。
それでも、エリシアを見ていると、そんなふうにただ構えている自分を肯定できそうもない。もっと素直に表現するならば、少しでもみんなの役に立ちたいと思うのだ。ヴィスリーの負担を減らして、エリシアにも休む時間を持ってもらいたい。そのためには、自分が頑張るという方法が一番手っ取り早かった。
旅に出ると言い出したのは高木自身でもある。元々、色々と見て回りたいと考えていたので高木自身には何の問題もなく、タイミングとしても都合が良かった。それでも、日常から離れる決断をフィア達にさせた責任ぐらいは、せめて果たさねばならない。
「すまないな。無理に連れ出した形になって」
高木はぼそりと呟いた。エリシアは自分の意志でついてきたが、エリシアにとって高木やフィアは保護者のようなもので、高木達についていくという選択肢しか与えられない状況でもあった。
「ううん。私はちっとも気にしてないよ。ほんとに、マサトとフィアがいなかったら、私はまだバレットさんの言いなりになってるだけだったし、こうやって誰かと旅をするなんて想像もしてなかった。きっと、ヴィスリーやレイラもそうだと思う」
「……それでも、穏やかな日常があったかもしれない」
「少しぐらい、刺激的な方が退屈しないでいいしね」
エリシアが刺激的な非日常を望んでいるというのは、あまり考えにくかった。人並みの幸せすら求められなかった少女なのである。フィアの家で生活しているときに、エリシアはとても幸せそうだった。明日の自分を心配せずに済む生活が大事でないはずがない。
ならば、このような台詞を言っているのは高木を励まそうとしているからだ。高木は感傷的になっている自分を少し恥じて、苦笑した。
「ありがとう」
短い感謝の言葉を、エリシアはくすぐったそうに受け取った。
とっぷりと日が暮れる前に、高木達は再び小川の傍にたどり着いていた。
街道が川沿いに続いており、多少道から逸れるだけですぐに水場を確保することが出来る。このあたりは、まだ科学が発展しておらず、長距離移動には時間がかかる故の工夫だろう。長旅を意識してか、水を確保しやすいように街道がつくられているのである。
「ファムとシュキも休ませないといけねえし、今日はここで夜を明かしたほうがいいな」
旅慣れているとは言わないが、かつて馬車で旅行をしたことがあるヴィスリーの意見は重宝する。馬車を停めて、高木とエリシアは馬の世話を。ヴィスリーはかまどの設置や、馬車の固定。フィアとレイラが夕食の準備に取りかかった。
この辺りの地域はなだらかな丘陵が続いており、小さな林が点在している。高木達の陣取った場所は川沿いで、すぐ近くに林があった。
「兄貴、ちょっくら林を探検しようぜ」
ヴィスリーは午後、特にすることがなかったようで、昼寝をしていたらしい。元気が有り余っており、さっさと焚き火を組み立て、フィアの魔法で点火したら仕事が終わったようで、高木を誘った。
「夕飯の準備は小一時間ぐらいかかるから、それまでに戻ってくるのよ」
フィア達も異論がないようなので、高木はヴィスリーと林に入っていくことにした。勿論、ただ単純な探検ではない。
落ち葉を踏みながら高木とヴィスリーは注意を払いながら林を歩く。十分ほどで林の中を一周すると、ヴィスリーは大きく溜息をついた。
「ふう、狼はいないみたいだな。この辺りはたまに出るから、住処になってりゃ面倒だ」
いつでも抜けるように手を掛けていた剣の柄を離して、ヴィスリーはようやく気を楽にした。どう猛な野生動物は素早いだけあり、生半可な盗賊よりもタチが悪い。盗賊ならばフィアとレイラの魔法で撃退も出来るが、あらかじめ準備をしておかないと狼の群れには太刀打ちできない。
「それよりも、ヴィスリー。食事に彩りを出せば、女性達は喜ぶと思わないか?」
猛獣がいないと確認した後に、高木はふと近くの木を指さして言った。野生のアケビが瑞々しくなっている。アウトドア派ではないが、幼少から図鑑を読んでいたので知識だけならばある。アケビは少々毒々しい紫の外皮を剥がせば、白くて甘い果肉がつまっている。
「そりゃ喜ぶだろうな。ちょっくら、持って帰ってやるか」
ヴィスリーはそう言って、腰の剣を外すと、するすると木に登り始めた。大方、屋敷の庭の木に登って遊んでいたのだろう。小さな窪みに器用に手をかけて、あっという間に太い枝に身体を預けると、近くになっているアケビを器用にもぎ取り始めた。
鮮やかなものだと、高木がノンキにヴィスリーを眺めていたときである。近くの茂みから、がさがさという音が聞こえた。何だと思う前に、大きな猪が高木の前にのそりと姿を現していた。
「ほう……これはまた、見事な」
四つ足であるにもかかわらず、その体長は1メートルを優に超えている。高木達が林を調べたのと同じ方向に動いていたのか、一度林の外に出ていたのかは知らないが、ちっとも気付かないでいた。
猪は高木達を敵と認識したのか、鼻息を荒くしている。小さな林なので気を緩めていたが、シーガイアには山ではなく、林にも猪がいるらしい。
「ヴィスリー、猪だ」
高木は猪から目を離さずに、ヴィスリーに声を掛けた。
「うお、でけえ!」
ヴィスリーはすぐに猪を発見して、木の上で身構えた。今すぐに降りると、着地を狙われてしまう恐れがある。1メートルを超える巨体に体当たりを食らえば、骨折で済まないのだ。迂闊な行動は出来ない。
一方、高木は静かにヴィスリーが外した剣を拾い上げた。剣など扱ったことはないが、丸腰よりは幾分、気が楽である。このまま去ってくれるならば良いが、向かってくるようならば、戦わねばならない。
猪の鼻息だけが荒々しくなっていくこと、十秒。高木は鞘に収まったままの剣を構え、ヴィスリーも隙を窺っている。しかし。
「逃げろッ!!」
ヴィスリーの叫びに、高木は咄嗟に右に向かって横っ飛びした。その直後に、地響きに似た音をあげながら高木が元いた場所を猪が突き抜けていく。
高木は剣を鞘から抜き、木を背に向けるように再び猪と向き合う。猪はすぐさま身体の向きを変えて、高木にめがけて突進してくる。
「おおおッ!!」
高木は再び思いきり跳んで、野球の滑り込みの要領で身をかわす。そのすぐ後に、どかんという音が聞こえて猪が木に激突した。
一瞬、ぐらりと猪の巨体が傾いた。命がどうこうとかを考えるよりも、高木は剣を思いきり猪の背中に突き立てる。
血が吹き出て、猪が野太い鳴き声を上げる。しかし、厚い脂肪と固い毛皮に急所までは届かなかったのか、身をよじる猪に高木は吹き飛ばされた。
「がッ!!?」
強かに地面に打ち付けられた高木の呼吸が、一瞬止まる。下が柔らかい腐葉土ではあったが、猪の膂力は半端ではない。身体が浮いて、激しい衝撃が身体を突き抜けた。
怒り狂った猪は、背中に剣を突き立てたまま、高木に再度体当たりを食らわそうと身構える。痛む身体に身動きを取れない高木の顔から血の気が引いた。
不味い、殺されてしまう。
シーガイアにて命の危機を幾度か味わったおかげか、多少なりの直感が働くようになっていた。目の前の猪の巨体は、高木を殺す力を持っている。体当たりをまともに食らうだけで、肋は折れる。追撃で、殺されてしまう――
「ど、お、りゃああああッ!!」
身体を丸め、何とか衝撃に備えようとしたところだった。頭上からヴィスリーの声が轟き、人影が猪の背中に覆い被さった。
ぎいいいッという猪の断末魔の声が響き渡る。高木が顔を上げると、ヴィスリーが、猪の背中に深々と剣を突き刺していた。
ヴィスリーは木から飛び降りて、そのまま猪の背中に突き刺さっていた剣を押し込んだのだ。全体重に勢いをつけた剣は脂肪は勿論、骨まで突き破り、猪を串刺しにした。
どしんと猪が倒れて、ヴィスリーがひょっこりとその影から顔を出した。
「いやー、危ねえ危ねえ。木に激突して重心が崩れて、落ちそうになるわ、猪はピンピンしてるわ。下手すりゃ死んでたな」
事切れた猪を見下ろしながら、ヴィスリーはケラケラと笑う。高木は苦笑しながら、ゆっくりと立ち上がった。
「それにしても、兄貴も中々やるじゃねえか。猪の突進を避けるなんて、慣れてても難しいぞ」
「なに。いつも突っかかってくる人間と最近、一緒にいることが多くてな。問答無用の風よりはマシさ」
「はは、兄貴は姐御を怒らせるのが趣味みてーなもんだしなぁ」
「うむ。だから、たまには喜ばせないとな」
集めたアケビと、倒れた猪を見て高木が笑う。動物の死骸も、食べるためだと思い直せばさほど怖いものでもなかった。