15話:対決
高木の立てた作戦は明快かつ強引な正面突破であった。
緻密な作戦や駆け引きを得意とする高木にしては、無謀とも言える力押しであるが、そうしなければならない理由もまたある。
この街で今後とも暮らしていくフィアやヴィスリーにとって、街の権力者を完全に敵に回してしまってはいけない。叩き潰すだけならば容易でも、彼らに自分たちの力を見せつけ、手出しが出来ない存在だと知らしめなければならないのだ。
「それじゃ、行くわよ」
町長の屋敷の前に堂々と現れたフィア達は、ひとつ頷きあって入り口の扉を開いた。
ヴィスリーやバレットの屋敷よりも大きく、四階建てである。その正面玄関は二十人ほどの人間が悠々と座ることが出来るほどの広さであり、実際に、二十人ほどが待ちかまえていた。
「へ?」
扉を開いたフィアが思わずたじろいだ。中には、二十人の男が、剣を携えていたのである。
予想外の展開に、高木が舌打ちする。今日、ここに襲撃をかけることがバレていたらしい。
見る限り、集まった男達は傭兵のようで、身なりは汚らしいが腕は立ちそうである。突然現れたフィアに驚く様子もなく、それぞれの武器に手を掛ける。
「いかん。レイラ、フィア。ぶちかませ!」
高木はそれだけを叫び、ヴィスリーを見る。ヴィスリーはすぐに剣を抜き、フィア達を護るように前に出た。
しかし、いくら魔法使いが二人控えているとはいえども、一斉に襲いかかられては溜まったものではない。追いつめるように傭兵達がじりじりと詰め寄る。思わず後ずさるフィア達だったが、後ろから気配を感じてぴたりと動きを止める。
「回り込まれてるよ!」
一番後ろにいたエリシアが叫ぶ。追い払うのが目的だというわけではなく、どうやらこの場で完全に殺す算段のようだ。
高木はなるべく冷静に周囲を見ようとした。フィアとレイラがマナを貯め、魔法を撃つ準備さえ出来れば逃げ出すことは容易である。
しかし、肝心のその二人の様子がおかしい。状況が状況なので冷静でいられないのは理解できるが、焦りや恐怖ではなく、その表情には疑問が浮かんでいるのである。
「どうした?」
「……おかしいの。マナが、この部屋に……ないのよ」
フィアが信じられないという様子で高木を見る。レイラにもマナは確認できないらしく、困ったように目を伏せている。
高木が以前、フィアに教えて貰ったマナの説明の中には、万物に宿り、たいていの場合、どこにでもマナは存在するというものがあった。ならば、マナがないというこの状況はおかしいということになる。そういうおかしい状況を作り出すのは、得てして人間と相場は決まっているものである。
高木がそこまで考えたとき、部屋の奥から一人の老人が現れた。白髪で深い皺が刻み込まれた、でっぷりと太った男。芋づる式に危機集めた情報で、たどり着いた人物。つまり、この街の町長の父親――トマス・マックスターである。
「魔法使いも、マナがなければただの非力な人間ということじゃな」
トマスはにやりと老獪な笑みを浮かべて、高木達を見ていた。高木は苦笑して、ヴィスリーに並ぶように立った。
「どうやら、全てお見通しだったと言うことか。しかし、マナが無いというのは解せないな」
少しでも時間を稼ぐしかない。高木は言葉を投げかけながら、その間にこの状況を切り抜ける策を考える。真っ向勝負を挑んで十分に勝てると踏んでいたので、今回はほぼ無策に等しい。ハッタリとペテンで、切り抜ける方法がなければ全員が死んでしまう。
「マナってのはな、先に集めたモノ勝ちなのじゃよ。相手が魔法使いなら、こちらも魔法使いを揃えるまでのこと」
トマスの後ろに、四人の男が控えている。高木は静かに意識を集中させて、男達を見る。
男達の上半身を覆うように、マナが集まっているのが見えた。フィアやレイラは身体を覆い包み、まだまだ膨れあがるほどのマナを集めることが出来る。それに比べれば大した量ではないのだが、四人でそれをするのだから、部屋中のマナが無くなってしまうのも仕方がなかった。
「……あれだけのマナじゃ、そうそう大した威力にはならない」
レイラが、ぼそりと呟く。しかし、レイラの手元にはそんなマナすらないのだ。少なくとも致命傷にはならないようではあるが、傭兵が二十人も詰めている。おそらく、あの魔法使い達はマナを手元に残したままにしておくために、魔法は使わないだろう。魔法を使えない状況にしておき、剣で斬り殺す算段のようである。
「……なるほどね。作戦が筒抜けだったのは……そうだな。順番に攫ったわけだから、そちらも異変に気付いてもおかしくないな。レイラが暗殺をしくじったのだから、こちらの存在は予測できていたはずだし……ふむ。参ったね」
高木はトマスの顔を見ながら、自分の言葉が概ね正解であることを確認した。
今頃気付いても遅いと、トマスの顔に書いてある。確かに気付くのが遅かった。
だが、決して手遅れであるわけではない。高木のハッタリや口八丁は、状況をひっくり返すために使われるのである。発想は逆転させるためにある。ならば、この状況をあるいは好機と捉えるならば――
勝ち誇った表情のトマスや、じりじりと輪を縮める傭兵達。魔法が使えずに、切り抜けなければならない。
「まずは誰から仕留めるかねえ」
傭兵の一人が、にじり寄る。それをヴィスリーが剣で制するが、あまりにも多勢に無勢である。高木達は一箇所に寄り添うように、お互い背中合わせに円を作った。
「兄貴や姐御には、指一本触れさせねえ!」
ヴィスリーが威嚇するように声を挙げて、剣を周囲に向ける。その身のこなしを見て、周囲の動きが少し変わった。ヴィスリーは父から剣の修行を受け、それを喧嘩で応用して腕を磨いてきた。生半可な、いわゆる道場剣と呼ばれる作法だけの剣ではない。
「気をつけろ」
周囲の男達が、頷きあいながら、間合いの詰め方を慎重にしはじめた。また、これで少しの猶予が出来る。
追いつめられていく状況を吉と見ろと、高木は何度も自分に言い聞かせた。魔法が使えないことも、吉となるはずだ、と。
そして、ふと気付く。
そう、仮に。使えないはずの魔法を使えたとしたら、どうなるだろうか。
「……ふむ。魔法を封じたつもりなのだから笑える」
高木はにやりと笑った。作った笑みではない。おそらくはこの状況を覆す策を発見できた、喜びの笑みであった。
高木の言葉と表情に、トマスが一瞬怪訝な顔をする。口が達者な男がいるという報告は受けていたが、それにしてもあの笑みは本物である。長年生きてきたトマスは、ある程度のハッタリは見分ける自信があった。その自信が、高木の表情が嘘ではないと言っている。
「どういうことだ?」
「マナなんてなくても、魔法は使えるんだ。まあ、そこらの三流じゃあ知らないようだが……エリシア、君の魔法も見せてやると良い」
高木はくるりと振り返り、エリシアを見た。エリシアは必死で、高木の言葉を読み取り、その真意を測ろうとする。
マナがなくても使える魔法。そして、そんな魔法を何故、エリシアに使うように命じたのか。それは、つまり、魔法ではなく、エリシアが魔法に見せられるものを持っていると言うことであり――
「じゃあ、誰を燃やせば良いの?」
エリシアがそれを思いついたときには、すぐにポケットに手を伸ばし、ライターを取りだしていた。
かちっと火打ち石を擦る音がして、一瞬にして炎がライターから吹き出る。ライターの報告など受けていなかったのであろう。周囲の傭兵達に動揺が起こった。
「おい、どういうことだ。魔法は使えないって言ってたじゃねえか!」
「一瞬で炎を出すようなヤツに、つっこめるはずねえだろ!!」
傭兵達は身なりから考えても、まとまった傭兵団などではない。それぞれが単独で動く人間達である。統制は一瞬にして乱れ、トマスの表情に焦りが浮かんだ。使えないはずの魔法が、今目の前で使われたのだ。後ろで控えていた魔法使い達も、ありえない現象に目を疑っている。
「そうだな。とりあえず、あの魔法使い達だろうか。エリシア、やってしまえ」
高木の言葉に、魔法使い達は驚いた。何故、一番後ろで控えている自分たちが真っ先に狙われるのだろうと。
集中力が必要な、魔法にとって激しい感情の揺れは命取りである。魔法はそもそも、その大部分を感情で操作するのだ。集まれと強く想う気持ちが途切れれば、当然ながら、彼らの集めていたマナは四散する。
「……それは、光の奔流。そして、敵を打ち倒す槍……招雷!!」
魔法使い達が我に返ったときは、もう遅かった。マナの放出に真っ先に気付いたレイラが呪文を詠唱していた。
直後、部屋中に閃光とバリバリという激しい雷撃音が響き渡り、ばたばたと傭兵達が倒れた。
狼退治の夜のヴィスリーと同じである。雷が金属に吸い寄せられ、剣を持っていた傭兵達が一気にその餌食になったのである。ヴィスリーも剣を持っていたが、一度食らった経験から、いち早く剣を投げ捨てていた。
傭兵達から白い煙がぷすぷすと立ち上り、全員が気絶している。後に残ったのは、トマスと魔法使い達だけであった。
「……相変わらず、すごい威力だな」
呆気にとられるトマスを無視して高木がやれやれと呟くと、レイラは照れたように頬を赤らめた。
「前は雷が金属に寄っちゃったから、最初からあちこちに電流をばらまいてみたの。あっちこっちから剣に向かって電流が走るから、全員気絶させられたの」
その辺りの発想力は、流石は研究者でもある魔法使いである。
「さて。そういうわけで形勢逆転のようだ。トマスさん、どうしようか?」
高木は再びトマスに向き直り、朗らかに笑った。本来ならば、動揺した隙に逃げ出そうと考えていたのだが、マナが解き放たれるというのは嬉しい誤算であった。それほどまでにマナのない状況で魔法を使うということが、魔法使い達にとって衝撃的なことであるということだったのだ。
「あ、ちなみに今度は風をお見舞いできるわよ。すっかり浮き足立っちゃって。魔法を撃ったらマナが四散するのを回収するのは、魔法使いの鉄則よ。三流ばっかり揃ってどうしようもないわね」
フィアもすっかり調子を取り戻したようで、手を掲げる。その先には、どんどんと空気が圧縮される様子が見えた。吹き飛ばすつもりじゃない。切り刻むつもりだ。不可視の状態にも出来たのを、あえて見せたのは威嚇のためなのだろう。
形勢は逆転した。魔法を封じたつもりでいたトマス達に残された策は無い。魔法使いが四人も揃っているものの、力量や才能では圧倒的にフィアやレイラのほうが格上であり、勝負にもならない。その上、彼らはエリシアも魔法使いと認識しているのだ。
高木はここで、深呼吸を一つついて、昂ぶる気持ちを抑えつけた。
窮鼠猫を噛む。追いつめられた鼠は、ときとして猫を倒してしまう。先程のまでの自分たちがそうであったように、ここで気を抜いては、再び裏を掻かれることもある。
「トマスさん、僕たちの望みは、僕たちを放っておくことだ。けれど、それじゃあ不安なんだろう。だから、相談だ」
言葉を選ぶ。迂闊に放っておけという口約束を交わしたところで、疑り深く権力と金のある人間が約束を守るとは思わない。
交渉とはつまり、お互いにとって最も良い状況を作り出すことにある。
「ちょうどね、僕は旅に出ようと思っていた。元々旅人だが、流石に歩いて旅をするのも疲れた。だから、トマスさんは僕が旅をする支度を調える。僕はこの町を出る。これでお互いに満足できると思わないか?」
この言葉に驚いたのは、トマスだけではなかった。フィアにエリシア、レイラまでも高木を振り返る。そんな話など、一つも聞いていなかった。
「マサト。どういうつもり?」
フィアが高木を睨み付けるが、高木は笑って答える。
「ここまで人を雇い、僕たちを殺そうとする男なんだ。どうせ、しばらくしたらまた殺し屋でも雇うことだろう。それに一々相手をするのも面倒だし、僕は帰る手段もみつけなければならない。この町ではフィアやレイラに勝る魔法使いもいないようだし、そろそろ別の町で情報を集めないといけないからな」
帰る手段のことを言われると弱いのがフィアである。思わず口籠もり、エリシアを見た。
「私も、マサトと一緒に行く」
フィアとしては引き留めて欲しかったのだが、エリシアは全くそんなことに気付かずに、笑顔でそう言った。
「私を助けてくれたのはマサトだし、マサトのお手伝いがしたいの」
「勿論、俺も行くぜ。兄貴について行くって決めたんだからな」
エリシアの言葉に続き、ヴィスリーも剣を拾いながら言う。レイラは最初からついていくのが当然だったかのように頷くだけである。
「ふむ。僕も捨てたものじゃないな。トマスさん、この面々が消えれば問題ないだろう。フィア一人では、特に恐れることもないはずだ」
「……わかった。儂の負けだ。老体に雷は堪えそうじゃしな」
トマスは大きく溜息をついて頷いた。
「ついては、この人数だ。馬車と路銀ぐらいは面倒見てくれても罰は当たらないだろう?」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!!」
なおも話を続けようとする高木に、フィアが割って入った。
「なんか、私が行かないって言ってるみたいじゃない!」
「いや、フィアは家屋敷のある人間だし、何もわざわざ旅をする必要もないかと思ってな。喚ばれたことは、気にしていないから、このまま生活を続けてくれて良い。今まで世話になった」
高木の言葉に、フィアは戸惑った。
確かに、長年住み慣れた町を離れるのは覚悟のいることだ。虐げられてきたエリシアや、高木を慕って、それを生きる糧にしているレイラ。どこまでもついていくと宣言して、他に未練がないようなヴィスリー達と違い、フィアには高木についていく理由がない。
確かに高木を喚んだのはフィアだが、エリシアやレイラまで居候させていたのは高木の独断のようなものである。勿論、フィアもそれを許してはいたが、気ままな一人暮らしが戻ってくるのならば、それはそれで悪くない。
ただ、本当にそれで良いのだろうか。
喚んでしまった高木と、何の責任も果たさずに別れてしまうこと。妹のように思い始めていたエリシアや、妙に礼儀正しく憎めないヴィスリー。自身に劣るとも勝らない才能と技量を持つ魔法使い、レイラ。彼女たちとこのまま別れて、何もなかったかのように再び生活を送ることが、良いことなのだろうか。
確かにどたばたとした騒動の連続であったが、それに勝る充実感があったことも確かである。彼らと別れては、おそらくもう二度と、このような生活は送れない。
「……マサト。もしも、私が行くって言ったら?」
「無論、歓迎する。フィアは僕の師匠だし、フィアと一緒にいると楽しいからな」
フィアの問いかけに寸分の迷いもなく答える高木に、フィアは心を決めた。否、決まってしまったと言った方が良い。
高木もエリシアも、フィアの弟子なのだ。高木を喚んだ責任も取らなくてはいけない。そして何よりも、フィア自身、高木を喚んでから、楽しんでいたのだ。理由として、これ以上のものはなかった。
「私も行くわ。マサト達だけじゃ心配だしね」
フィアの言葉に、エリシアがにっこりと笑う。ヴィスリーは肩を竦めてシニカルに微笑み、レイラはやはり、それが当然であるかのように頷いた。
「……というわけだ、トマスさん。僕たち全員がこの町を出ることになった。貴方にとっても、願ったり叶ったりだろう?」
高木は嬉しそうにトマスに言った。トマスは苦笑しながら頷く。
「明日までに、荷物をまとめといてくれ。馬車に路銀。関所の手形もつけるとしよう。お前さんらを仲間に引き入れることができなんで、残念じゃよ」
「何かしら、困ったことがあれば伝えてくれ。袖振れ合うも多生の縁と言ってね。短い間ながらこの町には世話になった。できる恩返しはするのが信条でね」
高木はそれだけ言って、踵を返す。ヴィスリーとレイラが、その後に続いた。
トマスは呵々と笑い、高木の背中を見送る。散々な目にあったし、高木達にもそれが言えるのだが、何故か不思議と腹が立たなかった。あれだけ優位に立っておきながら、自分たちが町を出るというトマスにとっても都合の良い条件を提示すること。本来ならば命を取られてもおかしくなったのに、馬車と路銀だけで済ませてしまうこと。策を弄する暇もなく、頷いてしまったのだ。
「アスタルフィア、だったか。あの男、名はなんという?」
最後に出ようとしていたフィアとエリシアに向かい、トマスは声を掛ける。
フィアはしばらくきょとんとしていたが、やがて少し胸を張ってこう答えた。
「タカギマサト。黒衣のサムライの二つ名を持つ男よ」