13話:逃走
狼退治から一夜明け、高木が目を醒ますと自室の床の上だった。
高木が口説き、フィアがとどめを刺した形でレイラを倒したところまでは記憶があるが、体力の限界で気絶してしまい、それ以降の記憶がさっぱりない。ベッドを見てみると、ヴィスリーが眠っていた。
おそらく、フィアはヴィスリーを屋敷まで運べず、やむなく高木の部屋に放り込んだのだろう。ヴィスリーが剣を持っていなければ全員が死んでいたかもしれないと思うと、殊勲賞は彼に贈るべきであった。
高木が部屋を出て、台所に顔を出すと、ロープでぐるぐる巻きにされた上に、猿ぐつわを噛まされているレイラが、やはり床で寝ていた。おそらくというか、間違いなくフィアの仕業であろうが、よくもまあこのような状況で眠れるものだと感心する。
おそらく、フィアの生来の人の良さがレイラを殺すどころか、放置することもできずに、仕方なく連れ帰ったのだろう。ロープと猿ぐつわは、最大限の譲歩というところだろうか。
「マサト、おはよう」
どうしたものかと思っていると、エリシアも起き出してきたようで、にっこりと微笑んで挨拶をする。高木も挨拶を返して、二人同時に床に転がっているレイラを見下ろした。
「私も、こうなっててもおかしくなかったんだよね」
「まあ、否定はできないが」
その代わり、セクハラされることもなかっただろうと思いながら、高木はレイラを見た。ロープはしっかりと結われているが、フィアよりも二回りほど大きな胸が邪魔になったのか、胸の部分だけロープがズラされている。はっきり言って、視覚効果は抜群であった。
「……マサト。縛るのが好き?」
「いや、断じてそれはない」
エリシアがジト目で高木を見上げる。慌ててそれを否定しつつも、ロープが食い込んでいっそう強調された胸は大迫力である。つい目を奪われてしまうのは仕方のないことだった。
「ってて……おはよう、兄貴。エリシアも」
続いて起きてきたヴィスリーが、床に転がっていたレイラを見てぎょっとする。真っ先に気絶したヴィスリーは、レイラのことを知らなかった。
「あー、昨日の狼退治の後、気絶したのは、この女の所為だったか。朝起きたら、兄貴のベッドだったから焦ったぜ」
洞察力だけで言えば高木に勝るとも劣らないヴィスリーは、それだけ言って、ケラケラ笑った。しかし、高木の様子が少し妙であることに気付く。心なしか、そわそわしているようにも思えた。
「……兄貴。この国に来て、何日目だっけ?」
「十日ほどだが」
「ずっと、この家で生活してるんだよな?」
「ああ」
短い、男同士の会話であった。エリシアには世間話のように聞こえたようだが、高木とヴィスリーはこの瞬間、心が通じ合っていた。
「姐御は?」
「まさか。殺される」
「エリシアは?」
「いや、不味いだろう」
「……この女は?」
「寝込みを襲う趣味はない」
端的な言葉の応酬に、エリシアは小首を傾げる。自分だと不味いとは、どういう意味であろうかと。
「エリシア。俺と兄貴はちょっと出かけてくる。夕方には帰ってくるし、姐御が起きたら、適当に誤魔化しておいてくれ」
ヴィスリーの言葉に、素直に頷くエリシアに、高木は少し罪悪感を覚えた。
しかし、高木も若者男子であることには変わらず、暴発の危険を抱えている。昨日も命がかかった状況であのような行為に出てしまったのだから、相当である。
「兄貴、行こうぜ」
「うむ!」
何時にない力強さで頷く高木に、エリシアは純粋な瞳で首を傾ぐばかりであった。
伊達に裏の社会を知っているヴィスリーでは無かった。
正直、そのような店に入る経験など高木には無かったのだが、背に腹は変えられず、年頃の好奇心にも逆らえず、のっぴきならない状況に我慢も出来なかった。
ファンタジー小説を読むことも多く、だからこそ高木も異世界にやって来たときに取り乱すことはなかったのだが、流石にこのような事態に見舞われる描写はなかった。大概が戦争に巻き込まれたり、魔物と戦っていたので、そんな暇も無かったのだろうが、高木は忙しないながらも暢気に異世界を謳歌している身である。
高木とヴィスリーはこざっぱりとした爽やかな表情で、表通りに面した大衆食堂のテラス席を陣取っていた。
「フィアの姐御は跳ねっ返りだけど、美人だしよ。エリシアも、ちっちゃいけど可愛いし。逆に辛いよな」
「ああ。そこに来て、あのレイラだ」
「けっこういい女じゃねえか。エリシアは兄貴にべったりだし、フィアの姐御もまさか、憎い相手を部屋に住まわせないだろ。兄貴、選り取り見取りじゃねーの?」
このような男同士でしかできない会話も、高木にとっては随分と久しぶりである。くだらない話に華を咲かせるのは、異世界でだって楽しい。
「エリシアが初めて家にやって来た日にな、少し危なかった。毛布を譲ったのだが、随分と懐かれて、結局二人で一つの毛布を使って寝たのだが……あれが初日で良かったとつくづく思う」
基本的に、必要のない嘘を言わない高木であるが、それでも女性に伏せておくべき話題はある。
今までに隠さねばならなかった下世話な悩みを打ち明けられて、高木は本当にヴィスリーの存在をありがたく思うのだった。持つべきものは同性の友人だ。
結局、ヴィスリーと高木はそのままナンパに繰り出した。
ヴィスリーは中々の男前であるし、高木も特に容姿が悪いわけではない。食堂で働く気の好さそうな看板娘をヴィスリーが誘い出し、三人であちこちに遊びに出かけ、充実した一日を過ごした。フィアほど怒りっぽくもなく、エリシアよりも世間慣れしている看板娘は、一緒に遊ぶだけなら一番気が楽であった。
勿論、家に帰ってみると昨日にも増して怒りの表情を浮かべたフィアが出迎えたわけではあるが。
「吹っ飛べ!!」
ただいまの言葉も待たずに、高木とヴィスリーは突風に吹き飛ばされた。もう慣れっこになっている高木は一メートルほど吹き飛ばされて、受け身を取る。まだ慣れないヴィスリーは腰から落ちた。
「あんたらね。昨日殺されかけて、なんでその相手を放置して遊びに行くわけ!?」
フィアは相当御立腹であった。しかし、その後ろで、暗殺しにきたはずのレイラがエリシアと仲良く料理をしているので、まるっきり説得力がない。
「レイラとも仲良くなったのか?」
高木はむくりと立ち上がり、何事もなかったように家に入る。すると、料理をしていたレイラがぱっと顔をあげて、おずおずと高木の前にまでやってくる。既にロープも猿ぐつわも無いからして、フィアが気っぷの良さで仲間にしてしまったと思っていたのだが、フィアは後ろで溜息を吐き、やれやれと髪を掻き上げるばかりである。
「マサト……」
レイラがぼそりと呟き、ちらちらと高木の様子を窺う。どういう流れなのかと高木が首を傾げると、レイラはぽーっとした表情で高木を見上げた。
その視線には何かしら、熱が篭もっている。一日中、馬鹿な話をして休ませていた高木の脳味噌がようやく回転し始める。
「返事してなかった」
恥ずかしそうに顔を伏せ、そんなことをのたまうレイラに、高木は不覚にも見惚れた。
青い髪がはらりと垂れ、どこかぼんやりとした表情は、羞恥に赤く染まっているのである。続いて飛び出してくる言葉を想像する余裕がなかった。
「びっくりしたけど……うん、いいよ」
「……ん?」
どういうことだ、と高木が真剣に考える。何かしら返事を求めることを、自分は言っただろうか。そんなことを考えつつ、昨日の出来事を思い返していく。
そして、高木が半ば自棄で叫んだ言葉を脳内でリピートした頃に、レイラはぴとっと高木の胸に頬を寄せて、ゆっくりと囁くのだった。
「私も、マサトのこと好きになっちゃった」
えらいことになった。
高木がレイラに告白したのは、苦肉の策であり、少なくともあのとき、高木はそれしか思いつかなかった。
何故と言われても困る。意表を突こうと思って、まさかの愛の告白をカマしたわけであり、胸を揉みしだいたのは、言わば事の成り行きでしかなかった。
つまり、あの場さえ上手く収まってしまえば良かったので、高木はレイラを好きなわけではなく、そうなると目の前で顔を真っ赤にして高木を見上げるレイラは、見事に失恋の憂き目に遭うということになる。
まさか、告白を受けたから返事をしようとして、せっかく色よい返事を出したのに、それを断られるとはレイラも思ってはいまい。
ああ、どうするか。ある意味、昨晩よりも難題であった。高木はなんとか誤魔化せないものかと思案するが、下手に誤魔化すと電撃が飛んでくる。場合によっては風に吹き飛ばされるかもしれなかった。
「……ふむ……ヴィスリー」
高木は色々と考えた結果、思いつく限り、最低の選択肢を選ぶことにした。
別に敢えて最低を選んだわけではない。思いつく限りと言っても、思いついたのが一つしかなく、およそ、それは誠実な選択ではないだけである。
「後は任せた!」
高木はそれだけ言って、くるりと回れ右をして、スタコラと逃げ出した。
「え、あ、兄貴ッ!?」
とりあえず、三日ほど逃げよう。高木はそんなことを考えながら、何処に行けばいいのか途方に暮れた。
高木と交友があり、家の場所も知っているのはフィアとヴィスリーだけである。ヴィスリーの屋敷に行くことも考えたが、すぐにバレるだろうからやめておいた。
そうなると、家の場所を知っている人間は一人しかいなかった。
「やあ、バレットさん」
「小僧ッ!?」
高木が訪れたのは、エリシアと出会うきっかけにもなった、バレットの屋敷だった。
他に知らなかったので、半ば諦めるつもりでドアをノックしたのだ。
「き、貴様……何のつもりでやって来た!?」
「いや、三日ほど泊めて貰おうかと思って……ああ、腹も減ったので食事も頼む」
傲岸不遜も甚だしい態度の高木に、バレットのこめかみに青筋が浮かぶ。当然と言えば当然なのだが、高木はちっとも気にせず、堂々と屋敷の中に入っていく。
「何しとるかっ!?」
「仕方ないだろう。別にエリシアが寝泊まりしていた納屋でもいいから寝かせてくれ。食事だけしたい」
いまいち話の通じない高木に、バレットは苛立つが、それではまた妙な細工に嵌ってしまうと思い直し、咳払いを一つした。
「どうせ何か企んでおるのだろうが……迂闊に断ると怖いな。おい、誰かこの小僧に飯を持ってきてやれ。寝床も用意しろ」
別に策を弄したわけではないが、勝手にバレットは何か魂胆があると勘違いしたらしい。
あまりにも小細工ばかりで、策を弄しすぎると味方の信用を失うこともあるが、敵だった人間からは必要以上の警戒を受け、一層の効果を得ることがある。何をするかわからない人間だと思わせれば、何をしなくても脅威なのである。
高木はバレットの心配を余所に、あちこちに飾ってある品々を見回した。蒐集家としてのバレットは、少なくとも悪人ではない。金貸しという職業が余計な知恵をつけさせてしまっただけにも思う。
「お料理の支度が調いました。どうぞ、こちらへ」
奥から家政婦が出てきて、高木を呼ぶ。先日訪れた中年の女性ではなく、若くて愛嬌のある少女だった。どことなくエリシアに似ている。
「……バレットさん。幼女趣味を否定はしないが……」
「ええい、黙れっ。お前らの所為で家政婦が辞めて、新人を入れただけだっ!」
バレットが怒鳴ると、少女はにこっと微笑んだ。どうやらエリシアに似ているのは偶然のようだが、バレットが幼女趣味なのは、エリシアが「変な格好」をさせられたことからも明白である。
「変なことをされたら、町はずれの骨董屋に来ればいい。今なら風を使う魔法使いと、さらに電撃を使う魔法使いまでいる。バレットさんなんて一撃だ」
「あ、あはは。でも、大丈夫です。昨晩は、撃退できましたから」
少女の言葉に、高木はバレットを怪訝な目で見る。バレットはすっかり浮き足立っており、目をそらせるだけだった。
「ふむ。それなら安心だが、今夜は僕も泊まるから、何かあれば大声を上げればいい」
高木はそれだけ言うと、少女の案内で食堂へと通されていった。
バレットは重い溜息を吐いて、この厄介な客は何をしに来たのだろうと気が重くなった。
高木が本当に食事と寝床だけを求めていたのだと、バレットが知ったのは、翌朝、怒鳴りながらフィアが乗り込んできたときだった。
「マサトッ、ここでしょっ!!」
折しも、憔悴した顔のバレットと向かい合いながら、少女の給士を受けつつの朝食の真っ最中。昨晩に少女が部屋に遊びに来たのですっかり仲良くなり、バレットの夜這いが空打ちに終わった後の朝であった。高木と少女はほんわかとした朝の一時を過ごしており、バレットは怨みがましい瞳で高木を見ていた。突然現れたフィアに高木が焦るのを見て、バレットは一人笑った。
「女に恥かかせといて、何ノンキに朝飯食ってんのよっ、吹っ飛べバカ!!」
ぽーん、と高木は吹っ飛んで、壁に激突する。バレットは意気揚々と崩れ落ちる高木を担ぎ上げて、フィアに渡した。
「何で来たかと思えば、痴話喧嘩か。自分の男ぐらい鎖で繋いでおけ」
「恥かいたのは私じゃないわよ、バカオヤジ!」
悪態をつきつつ、すっかりノびた高木を、後からやって来たヴィスリーに渡して、フィアは鼻息荒くバレットの屋敷を後にする。
「面白い人たちですねー」
「そんな生やさしいモノじゃない……」
バレットは動じない家政婦を内心で尊敬しながら、頼むから二度と来ないで欲しいと神に祈った。