10話:悪童
高木がシーガイアに引っ張り込まれて、七日になる。
四季があることが、フィアの二つ名「春風の少女」から明らかになり、日本語が通用するという点から考えれば、平行世界が妥当なのではないかと高木は考えるようになった。
一年という単位が通用して、一週間という単位は通用しないことをフィアから聞き出すと、ほぼ確信に変わる。
シーガイアの一年は、365日だった。惑星の公転周期がぴったり一致する確率がどれほどのものであるか高木にはわからないが、日本語が通用する点から考えても、地球上であることが伺えた。一週間が通用しないのは、暦の換算方法が違うだけであり、五日周期で曜日らしきものが変わっているようだが、文化の差がここにも出て、高木には聞き取り辛い発音で表現された。面倒臭いので高木は覚えていない。
地球上だと思っておけばいいだけの話である。こっちに来たのだから、帰ることぐらいできるだろうという安易な考えをすることにしておいた。
「スペースシャトルでは帰れないようだが、ここの科学力ではどのみち無理だしな」
何千、何万光年という速度でワープしてシーガイアに来たと考えるよりも、現代という階層から、シーガイアという階層に高木の軸がズレただけと捉えるほうが納得しやすいということもある。フィアの召喚魔法の原理はまだ高木には理解できないのだが、少なくとも星間移動よりはズラすほうが楽だろう。
「平行世界があればだが。まあ、地獄も階層式だ。案外、天国や地獄というのは僕と同じ体験をした人間が言い出したことかもしれんな」
「何言ってるのかサッパリわかんない」
喚びだした本人がわかっていないのだ。考えるだけ無駄かもしれないと高木は嘆息した。
曲がりなりにも魔法使いとなった高木だが、そのあまりにも酷い才能の所為か、伸びは芳しくない。
そもそものマナの絶対量が少ないので、いくらイメージをマナに注いでもうまく変化せず、未だ溜息未満である。目標は扇風機なのだが、何時になることかわからない。
「風と相性が悪いのかもね。自分に合うものを選べば、少ないマナでもマシになるわよ」
フィアの助言を受けて、マナを集める練習をしながら、自分にあった魔法を探す毎日である。
そんな折である。半年に一度という頻度でしか客が来ないというフィアの骨董品店に訪れる人間があったのは。
「すみません、春風の少女に仕事を頼みたいのですけど」
フィアと高木が店に出ると、溌剌とした爽やかな笑顔の青年が立っていた。年の頃は高木やフィアよりも幾つか上で、二十歳ぐらい。服装からすると、金持ちと言うほどではないが、暮らしに困ったことはない様子である。
「あー、そっちの仕事ね」
接客を完全に高木に任せるつもりだったフィアは少し慌てた様子で青年の前に立った。
「わざわざ直接会いに来るってことは、急ぎの仕事かしら?」
「ええ。大規模な掃除をしてほしいのですよ」
春風の少女こと、アスタルフィア・エルヘブムはその可憐な二つ名とは裏腹に、やっていることは掃除機に芳香剤を足したような仕事である。平たく言えば掃除屋さんなのだ。
「まあ、お金は余裕あるけど、弟子に仕事を見せるのも悪くはないかな」
初めての弟子ができたことに、最近すっかり御満悦のフィアは軽い調子で頷いた。高木としても、フィアの仕事には興味があった。フィアの家と違う構造の場所で、あの「春の野原」という魔法が通用するのか。もしも加減や調節をするのであれば、どれほどの範囲で可能なのか。突風とは違ってかなり細やかな制御が必要であろう魔法であるから、推し量るには丁度良い機会であった。
「わかったわ。マサト。エリシアを呼んできて」
「うむ」
フィアに言われて、高木は家の裏で日曜大工に勤しんでいたエリシアを呼びに行った。勉強の合間の息抜きに棚を作っていたらしい。出来はなかなかのようで、いずれ骨董品店を廃業して、家具でも置いてみたほうがいいかもしれないと高木は思った。
「エリシア。フィアの仕事の見学に行くぞ」
「あ、わかったー」
エリシアは鋸を置いて立ち上がる。店に戻ると、フィアは既に外套を纏い、用意万端だった。
「場所はあのバレットのおっさんの屋敷の近くね。なんか妙に金払いの良い仕事よ」
フィアは嬉しそうにウキウキと外に出る。妙に金払いの良いバレットに危うく騙されかけた人間の行動とは思えない。決してフィアは悪人ではないし、むしろ人の良さは、自分の家に異世界人と泥棒を住まわせてしまうあたりからしてもわかるが、金が絡むと少し我を忘れるきらいがある。俗っぽいとでも言うべきだろうか。
「掃除するだけだから平気だと思うよ?」
エリシアも高木と同じことを考えていたのか、苦笑しながら言う。
「まあ、まさか破落戸を掃除しろ、というオチでもあるまい」
高木も苦笑して、フィアに続いて外に出た。
結論から言えば、そのまさかであった。
青年の示した屋敷に到着して、呼び鈴を押してみると、現代で言う不良少年が顔を出して訝しげにフィアを睨み付けた。
「なんだてめえら?」
「あ、はい。掃除を頼まれたんですけど」
てっきり使用人が現れると思っていたフィアは、場違いな不良少年に首を傾げながらも、来訪の意を告げた。その瞬間、少年は眉を吊り上げて、フィアを屋敷に引っ張り込んだ。事の展開上、高木やエリシアも慌てて後を追う。
屋敷のホールには、数人の無軌道な若者が集っていた。バレットの屋敷よりも趣味は良いようで、シンプルながら格調高さを感じられる作りをしているが、住人が住人なだけに、あちこちに汚れが目立ち、荒廃した雰囲気が漂っている。
「なんだ、そいつら?」
一番奥でソファに座っていた年長らしき男が、フィアを引っ張り込んだ少年に声を掛ける。
「こいつら、俺達を掃除するんだとよ!」
周囲が一瞬にして殺気立つのが手に取るように解った。シーガイアでも、こういう人間は馬鹿にされることを一等嫌がる。
いまいち状況を掴めていないフィアの後ろで、高木はやれやれと溜息をついた。
「僕たちは、ここの本来の持ち主らしき人物に、掃除をしてくれと頼まれたのだが、掃除と言っても、部屋の掃除だと思って来ただけなんだ。別に、君たちを排除するつもりは無かった。言わば、勘違いというやつだ」
無駄だと思いつつも、リーダー格の男に対して説明する。
予想通り、男は一笑に付して高木を見る。間抜けを見るツラであった。
他の若者達はフィアとエリシアを見て、にやにやとしている。フィアは跳ねっ返りではあるが、黙って大人しくしていれば、春風の少女の二つ名に恥じない美人であるし、エリシアも愛嬌のある可愛らしい少女だ。若者達には御馳走に見えたのだろう。
「……あー、もうっ!! 最近こんなのばっかりじゃないッ!!」
ようやく状況を把握したフィアが、やはり吼える。眉間に皺を寄せ、ブツブツと文句を垂れる様子は、どう見ても貞操の危機を目前にした乙女ではない。全員をぶちのめす算段しかしていないようだった。
とりあえず、一斉に襲いかかられてもフィアがこの調子ならば、何人かは吹き飛ばすことができる。高木は落ち着いて、状況を確認した。相手は七人で、全員が高木と似た年頃の男。六人が目の前でたむろしており、フィアを引っ張り込んだ男だけが、入り口を塞ぐように立っていた。
今ならば、後ろの男を押しのけて逃げることも可能だろうが、頭にすっかり血が上っているフィアは、逃げるという選択肢を選ぶつもりはまるでないらしい。マナを集めているのか、静かに男達を見据えている。
言葉が通用するような相手でないのならば、高木の口八丁も意味を成さない。頼りはフィアの魔法のみである。
「……否、それではサムライの名折れか」
高木はふと思い直す。もしも、原田左之助だったならば、迷うことなく前に突き進み、全員をぶん殴っている。或いは斬って捨ててしまっているかもしれない。
高木に槍を扱う技量は無いし、そもそも槍がない。人を斬る気もない。だが、サムライを名乗ってしまったからには、後に引けないものがある。それは理屈ではなく、男の矜持である。
見栄を張るのは格好が悪い。だが、武士は食わねど高楊枝。痩せ我慢も忍耐には違いがない。
それに、言葉が全ての高木ではない。用意こそしていないが、策を弄するのも得手である。
「……フィア、とりあえず一発やってしまえ。フィアとエリシアを歯牙に掛けようとする男共だ。折檻せねば」
高木が言うと、フィアは我が意を得たりとばかりに頷いて、一声。
「吹っ飛べ!!!」
存分にマナを溜め込み、しっかりとイメージを固めていたのだろう。どうやって楽しもうか考えていたであろう男の一人が、軽く2メートルは吹き飛んで、壁に激突した。全くの不意打ちだったのか、叫び声を上げることすらなく、ずるずると壁から身体を落として、ばたりと倒れる。一斉に男達に戦慄が走る中、フィアは満足そうだった。
「さあ、どっからでも来なさいっ! 片っ端から吹っ飛ばしてやろうじゃないの!!」
四散した風がマナに戻り、再びフィアの元に集まるまでは間がある。第二撃を易々と放つことは出来ないが、七日間も高木と一緒に行動をしていたのだ。威勢の良い大嘘を、鮮やかなまでに堂々と言い放った。
「燃やされたいなら、そっちでもいいよ!」
不意に背中から聞こえたエリシアの突然の言葉に、高木も驚いた。その手には、前回バレットの屋敷で高木が使ったライターが握られており、最大火力で火が灯されていた。バレットが投げ出したライターをエリシアが偶々手中に収めて以来、すっかり忘れていたのだが、この展開は渡りに舟だった。フィアだけではなく、エリシアも高木の口八丁を真似たようだ。やや声が裏返り、たどたどしさはあるものの、それが逆に「怖くて加減できそうもない」という印象を抱かせる。
男達にしてみれば、御馳走が突然、風と炎を武器に襲いかかってきたのだ。溜まったものではない。只でさえ珍しい魔法使いが、二人も揃っているのだ。しかも、それを悠々と眺める、見慣れない衣装の男が一人。もしかしてこいつも魔法使いなのか、と男達が後ずさる。
実際、高木も魔法使いなのだが、その類い希なる才能の無さによって、溜息未満の風しか生み出せない。間違ってはいないが、勘違いもしているという、割と珍しい状況であった。エリシアに関しては、完璧に勘違いをされているのだが。
「ふむ……流石はフィアとエリシアだな。僕が出るまでもなかったか」
高木は飄々とした様子で、フィアが壁に叩きつけた男に歩み寄った。それだけで、周囲の男達がさっと道を空ける。
人間関係は、先に主導権を握った方の勝ちである。高木は伏せた男が気絶しているだけであることを確認する。
「ほら、大丈夫か?」
高木は男の頬を二度三度叩き、無理矢理に目を醒まさせる。ぼんやりと目をあけた男は、高木の顔を真っ正面から見て、ばたばたと暴れ出した。エリシアのときは優しく宥めたが、高木は健全なる男子であり、男を宥める趣味はない。鬱陶しいのでそのまま放置して、リーダー格の男の前まで歩いた。
「君が仕切っているようだが……名を教えてくれないか?」
「……ヴィスリー」
ヴィスリーはブロンドの短髪に、切れ長の鋭い眼をした青年だった。リーダーとしての体面なのか、持ち前の胆力なのか高木を目前にしても怯えた様子はない。
「あんたも、魔法使いか?」
ヴィスリーはゆっくりと立ち上がり、高木を真っ直ぐと見る。高木はしばらく考えてから、静かに頷いた。
「ヴィスリー。少し、奥で話をしようか」
高木の意外な言葉に、ヴィスリーは一瞬戸惑いながらも、その真意を見抜こうと高木を注意深く観察する。伊達にリーダーをやっていたわけではなかったのだろう。落ち着いたものであった。
「行くぞ」
高木は近くにあった扉を開き、そこが食堂であることを確認して、すたすたと中に入っていく。ヴィスリーは少し躊躇したが、やがて覚悟を決めたように高木の後に続いた。
「……ヘタに動かないことね」
フィアはマナを再び集め、残った人間に忠告する。
高木が何をするのかは想像がつかない。しかし、おそらくは悪い結果にならないだろうという妙な安心感があった。
しかし、思う。
あの男は、今度は一体何をしようというのだ。
フィアとエリシアが待つこと、十分ほど。高木とヴィスリーは部屋を出てきた。
噛んで含んだ説教でもしているのかと思っていたが、ヴィスリーの表情は妙に晴れやかで、先程までのリーダーとしての貫禄らしきものがあまりない。
「みんな、すまねーけど、解散だ。今日は帰ってくれ」
ヴィスリーの言葉に、たむろしていた破落戸達は呆然とする。
一体、何が起こったのだろうかとヴィスリーに注目するが、次の言葉で、さらに仰天した。
「俺は、このマサトの兄貴についていくことにした!」
フィアとエリシアまでもが、思わず「へ?」と声をあげてしまうのだった。