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平成元年生まれ

作者: わさび

「ゴトンッ」と音がして、本棚から本が落ちた。


パラリと音がして本が開いた。

中のページが「見て下さい」とばかりに顔を出す。


恐らく本棚から他の本を抜き出した時にバランスが崩れたのだろう。

少し経ってから明宏は、落ちた本が卒業アルバムである事に気がついた。


「卒アル」と当時は呼んでいたと思う。学生時代は、友達が家に遊びに来た時の「盛り上がれるアイテム」として重宝していた。自分が28歳になった今となっては埃を被ったその姿は松任谷由実の歌に出て来る「アルバム」という言葉の方がしっくり来る佇まいである。


懐かしい、と一瞬心が弾んだ。しかし部屋の片付けを始めてから一体何回この様なアイテムに苦しめられただろう。


押入れの整理を始めたのがマズかった。押入れの中から出て来るものは妙に魅力的な物が多い。遊戯王カード、ベイブレード、テレビゲームはNINTENDO64からplaystasion2まで。週刊少年ジャンプにいたっては表紙が

「るろうに剣心」である。

出て来るアイテムに、いちいち心を奪われ足を取られ気づけば3時間も部屋の片付けをしてしまっている。


部屋を片付けてるのか、汚しているのか自分でもわからない。


ただ意外と悪くない時間だと自分では感じてしまっていたりする。


「ねぇ、お茶でも飲めばー?」と一階から母が声を掛けて来た。

まぁ、確かにそういう時間だわな。

部屋に篭りっぱなしの息子をみたら、声くらいは掛かるだろう。

「わかった。もう少ししたら行くよ。」と返して、落ちた卒業アルバムを元に戻そうと立ち上がった。


昨日、俺は仕事を辞めた。

正式には辞めたわけではないが、おそらく辞める事になるだろう。

理由はよくある話だ。上司のミスを自分に押し付けられた。

家電量販店に勤めていた俺は、店舗の在庫確認の担当であった。

一般社員であるが店長からの指示を受け在庫を確認し店長に在庫の報告をした後に、店長が商品の発注を開始する。

ミスがない様に必ず在庫確認書というものを作成し、その用紙を店長へ渡していた。

その確認書をイジられたのだ。

結局、先にミスをしたのは店長だったのだろう。

必要のない大型テレビが店舗に100台届いたのである。

既に店舗の在庫として50台もあるのに。

店長は他の社員の前で、自分の机に俺を呼びドヤしつけた。

「お前の確認書が間違ってる!何をやってるんだ!」と店長が確認書を見せて来た。確認書には「48インチテレビ:50」と書いた記憶はある。しかし実際は「48インチテレビ:0」と書かれている。

自分の記憶違いという事も考えられる。自分の間違いかもしれない。いや、でも確かに書いたような・・

そんな葛藤を抱えながら店長の怒号を聞いていた。


その時、チラリと見えたのだ。


店長が見せて来た確認書に自分の印鑑が押してある事に。


そしてはっきりと思い出した。その日の確認書は自分の印鑑を家に忘れてしまったせいで、自分のサインを確認欄に書き込んだ事を。


その確認書は偽造なのだろう。印鑑は近くの100円均一で買ったのだろう。

少なくとも間違った確認書は自分が書いたものでは無かった。


フツフツと。

怒りが込み上げた。


良く俺たちの世代は「ゆとり世代」と言われる。

キレやすい、常識がない、協調性がないという風に世間から言われている。

しかし実はそんなステレオタイプに反しようと生きている奴もいる。

大した学歴もない俺は、その部分だけは他に負けないように生きて来た。

誰よりも常識的に、誰よりも人間関係を大切に、人当たりよく生きる。

そんな性格が買われて、就職氷河期と呼ばれた時代に大手の量販店への就職が内定したのかも知れない。


それでも、この有様である。


心の中で卵をグチャッと潰した様な音がした。

理性と怒りが、ぶつかっているのがよくわかる。

「怒ってはダメだ」と「なんでこんな仕打ちを受けなくていけないんだ」という2つの感情が2人羽織の様に重なって、それぞれが手を伸ばして来る。

あたかも、地獄へ引き寄せようとしてくるその手を振り切り、理性と手を繋ごうと踏ん張っていた。


でもダメだった。


「他の職場を探せばいいか?」と呟いた誰かが頭の中にいた。


気付いた時には、上司の机を蹴り上げ「ふざけんじゃねぇ!」と怒鳴っていた。


ゆっくり揺れるローカル線で、昨日の夜に実家に帰って来た。

1人暮らしをしている息子が夜中に急に帰ってきたのに、母は何も言わずに家へ入れた。

何かを察したのか、むしろ1人にした方がいいと思ったのか、何も言わずに母はいつもの庭いじりを繰り返している。


特に話す事もなく、やる事もなかったので、1人で自分の部屋に篭っていた。


そこから時間を潰す様に部屋の片付けを始めた。もちろん本来なら職場に行っている時間である。スマホは今朝から、妙に静かである。職場から電話が掛かりっぱなしになるかと思いきや意外なものである。


そんなものか、とひとりで呟いた。


正直、すぐ連絡が来て店長から文句を言われると思っていた。


ホッとしてるのか何も言われない事に対する恐怖なのか、自分でも今の気持ちを整理する事が出来なかった。


そこに現れたのが卒業アルバムである。


落ちてきた卒業アルバムを元に戻そうとして、手を止めた。


開いたページには「10年後の自分」というタイトルで、卒業生がそれぞれのコメントを書いている。


「サッカー選手になっている」

「お花屋さんになっている」

「有名大学を出て一流企業に就職している」


コメントのひとつ1つは木の葉っぱの形をした枠に書かれており、大きく3年2組と幹に書かれた木の葉っぱとして卒業アルバムに書かれている。


「一流企業に就職する」と書いている割には、具体的な企業名が出てこないところが妙に中学生っぽくて、少し笑ってしまう。


「金持ちになる」「有名になる」など

意外にも人間としての欲が出ているものも多くて可笑しい。


他のクラスも同じ様な形式で書かれている。

ふっと気になり、自分のクラスを探して見る事にする。


はて、自分は何と書いただろうか?中学校の卒業アルバムだからなのか、そもそもこんな企画のものを書いた記憶がない。

もっと振り返ってみれば、自分になりたいものがあったかどうかの記憶すらない。

公務員とかか?いや、どうだろう。

内閣総理大臣!とか書いてたら恥ずかしいな。まぁ、無いだろうけど。


何枚かページをめくると、自分のクラスだった3年4組のページが出てきた。


探してみると自分のコメントが見つかった。


「3年4組 田中明宏

僕は10年後の自分は普通の会社員をしてると思う。普通に働いて、お給料を貰って、結婚してると思う。」


自分のコメント欄に書かれているのはこれだけであった。あとは空欄が残っているのに、何も書かれていない。


コメントを見て明宏は、クスっと笑った。やっぱりな、俺らしいや、と思う。


昔から別に目立つのが好きな方では無かった。特にこれと言って得意なものがあるわけでもないからなのか、クラスの中心に立つタイプでも無かった。


普通でいる事が1番の願望だった。

もっと言えば注目されない事が、自分の将来の夢だったとも言える。


そうやって考えれば、この卒業アルバムのコメントにはすごく納得させられる。そうだよな、普通でいたいと確かに臨んでいたかもしれないな。


アルバムを閉じて、元の本棚に戻そうとした。

立ち上がり、本棚の卒業アルバムがあったであろう場所にアルバムを戻そうとしたとき、胸の中がザワッと蠢いた。

最初は、自分でも何の事かわからずに自分の感情の整理がつかなかった。

しかし段々と自分の抱いている感情がどういうものなのかがわかってきた。

ある種、恐怖にも近いその感情のせいで冷や汗が流れた。

その時間だけはまるで部屋の中がクーラーボックスになったかの様に冷たい空気が流れた。


普通って何だ?


自分に対しての疑問だった。

中学生の自分は「会社員」でいることと「結婚」しているを普通だと言っていた。

恐らくそれを書いた自分も「それ位なら普通に生きていればなれる」と思っていたに違いない。だからあのコメントに書いたのだろう。


それが中学生にとって将来の「普通」だったのだろう。

高望みもしない。落ちぶれてもいない。何も努力しなくても、なれる自分だったのだろう。


それがどうだ?


今の俺は「普通」から落ちようとしている。

そもそも結婚だってまだしていないし、仕事だって辞めようとしている。


たかが仕事1つに就職するために、就職氷河期を超えてやっと就職する事が出来た状況だ。


今、その普通が終わろうとしている。


あれだけ中学生の時に望んだ「普通の自分」が終わろうとしている。


良いのだろうか?


時間にしてどの位だったかわからないが、その場で立ち止まって考えていた。


外から吹いてくる秋風が、部屋の窓を揺らしてカタカタと音を立てている。


中々、現れない息子に痺れを切らしたのか下の階からは母がテレビを見ている音が聞こえてくる。


プルル・・と音が鳴った。

スマートフォンが鳴っている。電話が掛かってきた様だ。

画面を見るとLINEのトップ画の「店長」が微笑んでいる姿が目に飛び込んできた。


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