1.日常
「レイ〜! 水汲みお願いできるかしら〜!」
家の中から俺を呼ぶ母さんの声がする。
その声を終了の合図として、庭……ではなく畑での日課の剣術の鍛錬をやめ、空を見上げる。
太陽は大分傾き、明るさの中に影が伸びてきた。
時間を確認して、畑とは反対の家の裏側にある生活用の井戸に向かう。
「分かった〜!」
これくらいの時間から母さんは夕飯の支度を始める。
他の家では旦那、つまり働き手が帰ってくるまではそれ以外の家事に集中しているそうだ。
その理由は、この村がそれほど豊かではないからだ。
基本的に食事は簡素な物が多く、作るのに時間がかからない。……その分、味も薄いのだが。
猟師が狩ってきた肉も売っているが、毎日食べられる物ではない。
なにより、いくら簡素な物であれ、料理というのは手間がかかるのだ。
火を起こすにも、水を使うにもそれぞれに手間がかかる。
だから冷めた料理にならないよう、作るのは帰ってきてからだ。
それに同じ料理を二回に分けて作るような余裕はこの村にはない。温め直す余裕も、目の前の食べ物を見る子供の余裕も。
これが大抵の村の常識だ。常識……なのだが。
夕焼けが差してくるような時間帯に作り始めるバカな家があるらしい。
まあ、ウチのことなんだが。
要は帰りが待ちきれないほどラブラブなのだ。
簡素な料理も時間をかけて作る。そのおかげでしっかり味の付いた美味しいご飯が食べられるのだから俺もユイも文句は出ない。
夕飯作りにかまけている母さんのことだ、ユイにも何かしらの手伝いを頼んでいるはず。
恐らくは外で乾かしていた服でも取り込んでいるのだろう。
ユイが取り入れているであろうバサバサという音に苦笑を零しつつ、井戸に着いた俺は物置き小屋から少し大きめの桶を四つ取り出す。
料理するだけなら普通は小さめの桶二つで充分なのだが……俺に頼んだということはアレをするのだろう。
俺もアレは好きなのだが、水が入って重くなった桶を四つも持って行き、準備までするこちらの身にもなって欲しいものだ。
この後すぐに降りかかる面倒事に肩を竦めつつ、今晩のおかずは何だろうと考えていると桶四つ分の水を汲み終わった。
「これも鍛錬、か……」
愚痴を零して、桶を両手に二つずつ持ち、裏手にある台所に続く入り口へ進む。
普段は扉を閉めているが、母さんが開けておいてくれたのだろう。いつものことだ。
少し進むと母さんが見えた。
今にも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気だが……案の定、耳を澄ませばルンルンだのランランだのと聞こえてくる。
「母さん、ここ、置いとくよ」
「あら、ありがとう。それで、ええと……頼めるかしら?」
桶を一つ置き、声をかける。
それに気づいた母さんがこちらに駆け寄り、俺が手に持っている桶三つを見つけ、苦笑いしながらも俺に尋ねる。
「そのつもりで俺に言ったんでしょ、別にいいよ。それに、もう洗ってるんでしょ?」
母さんは曖昧に笑い頷く。
俺はそれに何も言わず、畑側にある玄関に向かう。
***
桶を片手で三つ持ちもう片方の手で玄関の扉を開けようとすると、扉の方から開いた。
そこには洗濯物を入れ終わったのだろう、ユイがいた。
「もう終わったのか?」
「うん、私も持つ」
と言って俺が持つ桶を指差す。
正直別にいいのだが、そんなことを言っても聞かない我が妹は心得たとばかりに俺から桶を一つ奪い取る。まだ何も言っていないのだが。
「お兄ちゃん、その、汗臭い」
ユイが突然反抗期に入った。
戸惑った割にはハッキリとした物言いで告げたその目には俺の勘違いでなければ、まだ侮蔑の色はない。
そこまで考えて、そういえば鍛錬していたことを思い出す。
「仕方ないだろう? 体を動かせば汗が出るんだから」
「……まだ、諦めてなかったんだ」
「まあ、な。そう簡単にはいかないんだよ……それに、親父の木こりを継ぐにしたって無駄にはならないしな」
少し寂しそうな顔をするユイ。
そこには俺を心配する感情も読み取れた。
兄妹間に気まずい空気が流れ、お互いに何も言えないまま目的の場所に着いた。
「それじゃあ準備するから……その、色々とありがとな」
これが俺の限界だった。
この気まずい状況を打開する術を俺は知らない。
だから逃げるのが精一杯だった。
ユイが持っていた桶を今度は俺が奪い取り、扉を開けて中へ入っていく。
「お兄ちゃんの、バカ……」
***
部屋に入り、ここまで持ちっぱなしだった桶を降ろす。
なんとも言えない後悔が燻るが、無理にでも気持ちを切り替える。
「ハハ、何やってんだか……」
不意をついて口から溢れた声に聞こえないふりをして桶の中の水を移していく。
肘より少し上まで貯まったら水を温める。手は先に洗っているから泥や汗が入ることはないはずだ。
「……炎よ」
俺の場合は温める、というより熱するだが。
大量に張った水の中に火を入れる。ボコボコと沸騰しているそこはとても水だったとは思えない。
水の中に火を入れれば、当然一瞬で消える。しかし魔力で強化された炎ならすぐには消えない。初めて家族に見せた時は皆驚いていた。それで手を突っ込んだ親父が火傷したんだっけか。
そんなことを思い出して思わず笑みがこぼれる。
あの時の顔は面白かった。今だに母さんもユイもネタにしてイジるほどに。
母さんが早くに夕飯を作る理由の一つにこれもある。
冷たい井戸の水を火の魔法で温めるため、冷ます必要がある。あの状態で入っても親父のように火傷するだけだ。
そのため入れるまで放置しておくのだ。
親父が火傷したあの日から入浴の準備をするのが俺の日課のようになっている。
この世界には『風呂』という概念自体がありません。
なので『入浴』という文化として一部の貴族の間で人気になりつつある……という設定。
沐浴とかはある設定です。
無駄に引っ張った意味はとくにありません。
ちなみにユイさんもレイ君もそこそこの美形です。




