邂逅
真っ白な、だだっ広い空間がある。
いや、そこに自分もいるのか? 突然のこと過ぎて頭の対応が追いついていない。
確か俺は光に包まれたはずだ。そう思ったらここにいた。
ダメだ、何も分からない。もう既に死んでいる手前、慌てる事もないが、とはいえ不安は感じる。
更にここでも五感が機能を果たしている感じはしない。そのことがより一層不安を強くする。
……なぜ、俺は目が見えていない状況で、真っ白な、だだっ広い空間だと分かった?
いくら感覚が鋭敏になっているとはいえ、流石にそこまで分かるものでは––––––
『はい、そこまで』
思考を掻き消す声が響いた。
その声に弾かれたように辺りを見渡すとそれはいた。
この空間と同じ真っ白な人型のシルエットなのに、なぜかそこにいるように見える何かが。
『さて、君はいろいろと分からない事だらけだろう? 順を追って説明してあげよう』
–––説明?
『そう、説明。まずは……そう、君が今どんな状態なのか』
シルエットが影絵の様に動く。白いけど。
–––確かに不思議だった。なぜ五感がないのか、なぜここでは見えるのか。
『五感、ねえ……君にはもう五感なんてないんだけどね』
……なるほど、確かに死んでいるのに五感があるというのもおかしな話だ。それでは俺は生きているということになってしまう。
『察しが早くて助かるよ、要するに君は魂だけなんだ。予想通り、君は死んでいるからね』
–––だから肉体なんてない、五感も存在しない、と。
『目が見える感覚があるのは君が慣れたから、慣れるってのは君らのお家芸だろ?』
確かに俺はあの暗闇でずっと漂っていた。そして、俺は“あの日”を思い出した。
『そして、君の言う暖かい暗闇。あれは君に分かるように言うと……輪廻転生の輪、が一番近いかな?』
あの場所がそんな大層な場所だったなんて……じゃあどうして俺はここにいる?
『厳密には別ものだけどね。ともかく、アレは一種の浄化装置なんだよ、人に限らず魂を持つ存在は全てあの場所を通ってゼロに戻る』
–––ならどうして俺はここにいるんだ?
『そう急かさなくても答えるさ、君も感じただろ? 全身が乗っ取られる感覚ってやつを』
シルエットはやれやれと肩をすくめて首を振る。
その動作を見ながら俺はあの時感じた恐怖を思い返していた。
『アレは揺り戻しをしているのさ、染まった魂を元に戻す為にね。尤も、君は訳のわからない危機感だけで耐え切ってみせたけれど』
思えばあの時の警鐘は忘れるな、という俺の意思だったのだろう。
『仮に耐えたとしても、何もない暗闇に耐えられず消滅する、眠たくなるのさ』
–––眠たくはならなかったが?
眠たいという感覚はよく知っている。それを感じればすぐに分かるはずだ。
『君が感じていたのは眠気ではないんだけどね……まあ、その通りさ、君は消滅しなかった。君が最初に思った睡眠貯金、あれは実に的を得ているよ』
つまり、生前病室で寝たきりで過ごしていたから、死後でも眠たくならなかったと? そんな冗談みたいな話があるのか?
『私からすれば君の方が冗談みたいな話だけどね』
頰を掻いて、お前が言うなと言わんばかりである。
それにしてもこのシルエット、やけに人間らしい動作が多い。
『そりゃあ、君たちが元になってるわけだし人間らしくもなるさ』
–––どういうことだ?
『私たちは統合思念体とでも言おうか……まあ、早い話が神様ってやつさ』
薄々そんなんじゃないかと思ってはいたが、本当にそうだったなんて。
異世界転生モノの作品を読んで見て、多く知っていた俺としては、この展開は予想出来なかったわけじゃない。それでも驚きは大きい。
……私“たち”? その言い方ではまるで他にもいるように聞こえる。しかし目の前には一人分のシルエットしか見えない。
『日本に限らず地球には数えるのもバカらしくなるほど崇められている神様がいるだろう?』
そこまでいるのかは知らないが、確かに日本だけでも八百万の神様がいると言う。
『それらは全て一つの存在だってことだよ、多重人格のようなモノさ。君らが信仰する数だけ私たちがいる。その中に私のような神様がいたっていいだろう?』
なるほど、人の信仰から生まれた神様の中でも特に人間らしい神様だということだろう。
『話が逸れたね、要するに本来消滅するはずの君の魂は、しかし消えることはなかった。流石にそれは看過できないからね、こうして私たちが出てきたわけさ。本来は干渉したくても出来ないものなんだよ、今回は特例でこうしているだけで』
干渉しようとか思わないけどね、とシルエットな神様は肩をすくめる。
–––神様が出てきたのは分かった。それで、俺はどうなるんだ?
『そうだねぇ……じゃあどうしたい?』
–––どうしたい、とは?
『ここまで耐えたんだし、生前は思い通り動けなかったみたいだし? 折角だから選ばせてあげるよ』
俺にどうしたいのかと問いかける神様のその試すような姿は、この空間で話してきた中で最も神らしいと思わせる姿だった。
恐らく、消滅するか、転生するかを問うているんだろう。
ここまでの話から俺の過去も考えていることも全て筒抜けだということは分かっている。
昨今の異世界モノの作品では、こういう展開の後、異世界へ転生するのが半ばお約束みたいになっている。
どうしたいか、そんなもの決まっている。
俺は、誓いを忘れない、『あの日』を忘れない。
なら答えなど、とうに出ている。
–––俺は……今度こそ誰かを助けたい。もう二度と大切な誰かを殺したくない。
せめてもの贖罪として、前を向くと決めた。この魂が消滅すれば、或いは赦されるのかもしれない。
だが、俺は俺を許さないと誓った。殺さないと誓った。
なら消滅して赦されるわけにはいかない。それが苦しくとも、望まれてなくとも。
–––俺は、行きたい。
『その願い、聞き届けた』
シルエットだけしか見えないはずの神様が俺の答えに満足げに弾ませる言葉に合わせるように……笑った顔をしているのが見えた気がした。
『だけれど、残念なお知らせがある』
–––残念なお知らせ?
『そう、転生するなら記憶は消してもらう。記憶を持ったまま転生とか許せたものではないからね』
どのみち、記憶は消さなければならないようだった。理由はいまいち分からないが。
しかし、そうなると困る。あの日のことも、誓いも忘れてしまってはいけないのだから。
例え俺が俺で無くなったとしても。
『まあ、そうなるよね。とはいえこればっかりは特例を作るわけにもいかない。諦めて消滅するか、切り替えて転生するか、選んで貰わないと』
……分かってる。選択肢なんてない。
このまま消滅なんてできない……いや、したくない。
大丈夫だ、忘れないと誓った。これだけはと。
ならば、何が問題になろうか。そんなものは何もない。
『決まったようだね、ああは言ったけど流石にここまで強い意思だ、全て無くなったとしても、それでも君の中に残滓として僅かに残るだろう』
–––そうか。なら、尚のこと問題ない。
『はっきり言おう。それは今後、君を苦しめることになる、それが原因でよくない事も起こるだろう』
–––それがどうした。その程度で止まるほど弱い誓いじゃない。
『ならば人間、三藤 一。貴様の願い、叶えてやろう』
優しさのある男にも女にも聞こえていた声が、厳かで敬服してしまいそうな重たい声に変わる。
人間らしい形だったシルエットも白の輝きが増し、巨大に膨れ上がっていた。よく見れば真っ白だったシルエットが薄れ、ほんの僅かにだが本来の姿が見える。
今までのどこか人間くさい、フランクさがあった存在ではなく、神々しい大衆が描く神と呼ばれる姿をした存在がいた。
『貴様の記憶も想いもじきに消え、貴様の望む異世界への転生が済む』
重々しい言葉を浴びながら、俺は神様が言っていた『多重人格のようなモノ』という言葉を思い出していた。つまりはこういうことだったのだろう。
なぜ、今出てきたのかはよく分からないが、その辺のことを考えても仕方のないことだ。
真っ白な空間に重い、しかし神聖と言わざるを得ない空気が漂う。
神は動かず、俺も動けない。
そのままじっとしていると、足元が覚束ない感覚がする。
神様は今の俺は魂だけの状態と言った。ならその魂が薄れてきているのだろう。
ゼロに戻ると言っていたが、この感覚がそれなのだろう。
今度は危機感を感じないし、なによりこれに耐えられる気がしない。
それは、忘れないという自信があるからだろう。……もう、何を忘れないようにしていたのかも忘れてしまっているようだが不思議と不安はない。
やがて真っ白な空間も、シルエットの神様も見えなくなった。
そして、思考すらも、終わる……。
□■□■□
彼が行った。
最後まで時間のかかる者だった。
普段は実体もなく、活動すらしていない私たちがこんなにも短い期間で二人もの人間を転生させるなど想像しえただろうか。
私たちは全能ではない、未来のことなど知らない。今後苦しめることになる、などどの口が言えたというのか。
三藤一、三藤二葉
執念と後悔だけで消滅を耐えた者たち。
『間も無く我らも消える』
分かっているさ。そういう気分なんだ、少しくらいは感傷に浸ってたっていいだろう?
『……我には分からぬな』
とんだ堅物に願う人間もいたもんだ。
『…………なぜ抗えぬと言わなかった』
誓いまで消える、だなんて言うのは野暮ってものだろう? それに多分本当に残ってるんじゃないか? 記憶の残滓ってのが。
『………………あり得ぬ』
だろうね。まあ、私たちは全能じゃない、彼らの未来も分からないし、知らない。
なら、そういう未来もあるかもしれないだろ?
『……』
君には理解できないさ、そういうものなのだから、私たちは。
さて、もう時間だ。彼に倣ってこう締めるとしよう。
おやすみ、と。




