狭間で
暗い……。
まるで夜の海を明かりもなしに漂っているみたいだ。
それに強烈な寒気がする。しかしその一方でどこか暖かみも感じる。
ここは……どこだろう? 何も考えられない。
それにいつもの眠気と割れるかと思うような頭痛も全く感じない。
おかしい。
そう思った瞬間、全てを手放してこの暗闇に身を任せろと頭が指示を出す。『それに従うべきだ』。
『そう、そうするべきだ』。そう思って理解も納得もしているのに……だと言うのに心が警鐘を鳴らして止まない。
これは危険だと、またあの日々に戻るのかと思考に反旗を翻すかの如く心が、感情が俺に訴えている。
『出鱈目だ。それを聞き入れるだけ無駄だ』。
そう思うのに、そうしたいのに……俺は、理解できてしまった。短い警鐘で、本の僅かな感情で心に従うべきだと、俺はそうしなくてはならないと分かってしまった。
俺の身体は、俺の脳は『自分が動かしているのではない』のだと。別の何かが動かしているのだと。
出鱈目だ。信じられたものではない。でも何故だろうか、腑に落ちている自分がいる。
確証も証拠も根拠もない。言ってみれば勘。
そんな曖昧なものを正しいと判断していた。
だから、今日こそは起きていよう。
初めて心が頭に勝ったのだから。
不安はある。焦りも戸惑いも。
ここが何処かなんて分からないし、今何が起きていて、これからどうなるのかなんて分からない。
それでも心はこう言っている。
それでいいのだと。
なら俺はそれを信じるだけだ。
***
どのくらい時間が過ぎただろうか。
何をするにも常に付きまとっていた眠気と頭痛は不思議と今まで一切感じていない。
ひょっとして死んでしまったのだろうか? まあ、それはそれで仕方のないことなのかもしれない。何せあんな状態だったのだ、どのみちそう長くは無かったことだろう。
それとも今まで寝続けてきた、言わば睡眠貯金のような物があって、それを崩しながら起きているのかもしれない。
何とも荒唐無稽な話だが、案外そうだったりするんだろうか。尤もそれならもっと早くに使いたかったものだが。
そう自嘲した所でふと既に操られている感覚が消えていることに気がついた。
いつの間に消えただろうか? 今気づいた時には心と思考は一致していたが……。
まあ、考えても仕方ない。
現状分かっているのは、俺の意識がいつもよりしっかりあるということと、何となくまだこの暗闇が終わる感じがしないということ。
そして、暗闇で何も見えず、音も感覚も無く、匂いもせず、声も発せない、五感が全て機能していない状態であることだけだ。
正直、こんな状態で気が狂っていないのが不思議なくらいだ。
そんな状態では暇を感じるぐらいしか出来ない。暇を感じることすら出来なかった身としては、これはこれで新鮮なのだが、流石にこれではすぐに飽きてしまう。
暇を潰すのは苦手なのだがな、そう思いながら早く終わるようにと願いつつ暇を堪能した。
***
更に時間が経った……と思う。
相変わらず何も見えないし、声も出せないがその分頭は冴えている。
その冴えた頭が告げていた、俺はもう死んでいると。
まあ、薄々気づいてはいた。ここが死後の世界なのかは判らないが、それに近い場所であるのは間違いないだろう。
だから驚きは少なかった。寧ろ後悔の方が大きい。何故、何故、どうして、と。
そして恨んだ、憎んだ。理不尽な世界ではなく惨めで情けない己自身を。
***
長い後悔と懺悔の吐露が終わった。何も解決出来たわけでも、許されたわけでも、許したわけでもない。諦めてすらいない。
それでもせめてもの贖罪として前を見ようと思えたのだ。それは最後に抱き締めてくれた2人のお陰だろう。
あれが無ければこうして折り合いをつけることすら出来なかったはずだ。
折り合いをつけていく中で色々と整理できた。いや、思い出した、と言うべきか。
そう、思い出したのだ。あの日の事も、何故、病室で寝たきりになっていたのかも。
どうして忘れていたのだろうか。原因を忘れて、訳もわからずただひたすらに自分を責めるなど愚かで滑稽極まりない。
絶対に忘れてはいけない事なのに、だと言うのに俺は、母さんや親父が与えてくれた愛をただ傍受して、都合の良いように記憶を捻じ曲げていた。
なんて……なんて救いようがない。
やはり、俺は、し…ん–––いや、駄目だ。それ以上は、そこから先の言葉を言うだけの資格は俺にはない。
何よりこんな俺を最後まで愛してくれた両親を侮辱することになる。それに、前を見ると決めたのだ。なら尚更許されない。
贖罪としてでも前を見ると決めた。
だからこそもう一度思い出そう。
落ち着いて冷静になった今ならまた違って見えるだろう。或いは許して欲しいのかもしれない。
先に旅立った親不幸を、あの日俺がやってしまった事を。
だから俺はもう一度あの日の事故を、そして最後の日に至るまでの日々を思い出そう。
忘れないように、忘れてしまわないように。




