9.
暴走しかねないという理由で、鈴谷さんはわたしに協力をほとんど求めなかったのだけど、ただ一つだけ、わたしに調査を頼んで来た事がある。そこまでは手が回らなかったのだそうだ。
“田中かえるに、突き飛ばされた”という被害に遭った一年女生徒が、どんな生徒なのか知りたいというのだ。それでわたしは、演劇部の知合いの一年男生徒にその女生徒に関しての話を聞いてみた。
その一年生男生徒の話に拠れば、その女生徒は演劇部ではないが、天照大神役をやった女生徒達のグループ、その一年女生徒達と仲が良かったらしい。普通に明るくて、性格はちょっといい加減で成績も運動も並という特徴のない子だが、ただ一つ、三谷涼のファンだという点だけが変わっていた。まるでアイドルの追っかけをするように、三谷涼をつけ回しているらしいのだ。
わたしはもちろん、その点が気になった。どうしてここであの男の名が出てくるのだろう? 何か関係があるのだろうか? 三谷涼が近づいている事で、奏に嫉妬している一年女生徒がいると前に鈴谷さんから聞いていたわたしは、だから一応、どんな子なのか確認してみようと、その一年生男生徒に案内してもらって驚いた。それが、以前わたしに、黒宮さんに呪いの依頼をするよう促そうとして来たあの女生徒だったからだ。名前は確か、駒川と言ったか。わたしが三谷涼が奏に近付いている事を、快く思っていないのを見抜いた彼女は、黒宮さんの呪いについてわたしに教えて来たのだ。黒宮さんが呪いなんて信じていない事を知っていたわたしは、それを相手にしなかったが。
――どうして彼女が、田中かえるに襲われるのだろう?
考えてみれば、彼女がわたしに気が付いたのも、三谷涼を好きだからなのだろう。だから、これにはある程度の必然性があるのかもしれない。ただ、そう予想はできても、その仕組みまではわたしには分からなかったが。ところが鈴谷さんにこの事を話してみると、彼女は妙に納得した表情を浮かべたのだった。そして、それから彼女はこう言った。
「ありがとう。これが最後のパーツだったの。これで、今回の件の大体の筋は分かった気がするわ」
そして、その二日後だった。鈴谷さんと黒宮さんは行動を起こしたのだ。
――そして、謎の女子高生”田中かえる”が、現れる。
その手紙には、そのように書かれてあった。それに時間と場所が記されている。示されていた時間は放課後で、場所は、「もちろん」とそう言うべきなのだと思うのだけど、あの祠の前。
その手紙は複数人に出された。今回の、この“田中かえる”騒動に関わる人達ばかりだが。文言は、人によって変えたらしい。絶対に来させる為に、それぞれに工夫をした言葉を書き添えたのだとか。差出人は、基本的には黒宮さんにしたらしい。
奏に対する悪い噂話、誹謗中傷の類は、一向に治まる気配を見せていなかった。ただ奏はそれほど辛そうな様子を見せず、むしろわたしを心配しているようだった。わたしが元気なさそうにしているのが不安なのだろう。わたしの元気がないのは、奏が悪口を言われているからなのだが、その点を彼女が理解しているのかどうかは分からなかった。
当日。わたしは奏を連れて、あの祠の前に向かった。早く行ったからなのか、鈴谷さんの姿はなく、黒宮さん一人だけが腕組みをしながら皆を待っていた。
「あの、これ、何なの?」
祠の前まで来ると、奏は不安そうな表情でわたしと黒宮さんの顔を交互に見比べながらそう言った。その様子が可愛かったので、思わずわたしは彼女を抱きしめてしまった。
「そんなに不安そうにしないで、抱きしめたくなっちゃう」
「もう抱きしめてるよ、天子ちゃん」
それを聞いた後でわたしは、彼女を抱きしめる手をほどきながらこう言う。
「今回の、“田中かえる”騒動の決着をつけるのよ、奏。絶対にあなたを助けてみせるから」
それを聞くと、黒宮さんは軽く笑ってこう言った。
「“絶対”なんて言葉を軽々しく使わない方が良いわよ、木垣さん。どうなるのかなんて、分からないのだから」
そのわたしと黒宮さんの言葉に、奏は更に不安そうな様子を見せるとこう言った。
「あの……、何をするつもりでいるのかは分からないけど、あたしの事なら、全然平気よ。大丈夫だから…」
そう言いかける奏を、黒宮さんは止める。
「もう手遅れよ、唄枝さん。既に事は動き始めている。それに“田中かえる”騒動は、あなた一人の事件って訳でもないの。だから今から行われる催し物は、そこにいる木垣さんにとってはあなただけを救う為に行われる事でも、他の人にとってはまったく別の事なのね……」
そう言いながら、黒宮さんは顔を空き地の入り口の方に向ける。そこには、三谷楓の姿があった。こっちに向かって来ている。
「どうやら来たようね。他のメンバーも、続々って感じかしら?」
と、そう言っている内に、学校のフェンスを乗り越えてここに向かって来ている園上さんの姿が目に入った。何故か近くには知らない男生徒がいる。その後で、一年女生徒の駒川さんもやって来た。やはり彼女も今回の件に関わっているらしい。それで最後かと思ったのだが、空き地の入り口、三谷楓の後から更にもう一人がやって来た。田村鈴だ。ずっと登校して来ていないはずの彼女は、学校の制服ではなく私服を着ていた。どうやら今日も学校を休んだらしい。彼女は園上さんを見ると顔を顰めた。祠の前に到着しても園上さんと距離を置き、園上さんも彼女の顔を見ようとしない。何故か、園上さんと一緒にやって来た男生徒が、田村鈴に近付いて行った。その行動を、園上さんは恨めしそうに見つめる。どうやらあの男生徒は彼女達の関係者らしい。もしかしたら、崎森という例の男生徒だろうか。
「何なの、これは?」
祠の前辺りに皆が集まって来ると、三谷楓がそう言った。手には手紙を持っていて、それをヒラヒラと揺らしている。恐らくは、
『――そして、謎の女子高生”田中かえる”が、現れる』
と、そう書かれたあの手紙だ。黒宮さんはそれにこう答える。
「そこに書かれている通りよ、三谷さん。謎の女子高生“田中かえる”が現れるの。覚悟してね」
いかにも可笑しそうにしながら、黒宮さんはそう言い終えた。鈴谷さんはまだ姿を見せない。森の前の祠。それを中心に皆は扇形にばらけて集まっていた。強い風がざざぁっと吹き、森の木々がまるで何かを警戒しているかのように大きく揺れる。何か怖いものが来る。だから、用心しろ。木々はそう言っているように思えた。
「趣味の悪い悪戯か何か? 田中かえる? そんなもの、存在するはずがないじゃない!」
そう言ったのは園上さんだった。わたしの目には彼女は強がっているように思えた。本当は怯えている。そう見える。或いは、田中かえるの存在だけじゃなく、田村鈴… 園上さんは彼女にも怯えているのかもしれなかった。
園上さんの言葉を受けると、黒宮さんは馬鹿にした口調で言った。
「あらぁ? あなたが、そんな台詞を言っちゃうの? もっと自分に正直になった方が良いと思うわよ、園上さん。本当は怖いのでしょう? 田中かえるが」
そう言われた園上さんは何か文句がありそうな顔をしていたが、結局は何も言わなかった。次に駒川さんが声を上げる。
「あの、黒宮先輩。せめて、皆をここに集めた目的を教えてください。“田中かえるが現れる”だけじゃ、意味が分かりません」
それに黒宮さんはこう返す。
「あら? 分からない? ここに来たからには、皆はそれを分かっているものだとばかり私は思っていたわ。
仕方ない。なら、特別に教えてあげましょうか」
それから皆を見渡すと、黒宮さんはまずはこう一言、声を上げた。
「――田中かえる」
それから静かに目を瞑ると、目を開きながら語り始める。
「ここに集まった人達は、その妖怪に怯え、利用し、そして被害に遭った人達……
つまり、“田中かえる”に呪われている人達よ。私達は、その“田中かえる”という呪いを解いてあげる為に、ここに皆を集めた」
その後でくすりと笑うと、黒宮さんは続けた。
「本当は演劇部の女生徒達も呼びたかったのだけど、流石に数が多過ぎるから、止めておいたの」
それを聞いてわたしは気が付く。三谷涼。まだ、あの男が来ていない。この事件を語るのならば、あの男は必須だ。何故、呼ばなかったのだろう?
黒宮さんに三谷楓が言った。
「また、悪い冗談? あなた好きね、そういうの。そもそもあなたは、呪いなんて信じちゃいないじゃない。何が“田中かえる”の呪いよ。馬鹿馬鹿しい」
そう言った三谷楓は少しばかり動揺しているように思えた。いつもの彼女なら、黒宮さんの言う“呪い”が、超自然的な意味のそれでない事は簡単に理解できているはずだ。黒宮さんは、それにこんな返しをするのだった。
「そうね、私は呪いなんて信じちゃいない。でも、仕方ないじゃない。実際に呪いは効果を発揮してしまったのだもの。三谷さん。あなたもそれを見たはずでしょう? 園上さんだって」
意地の悪そうな顔で、黒宮さんは園上さんを見る。園上さんは慌ててそれに返した。
「わたしは、田中かえるなんて、信じていないわよ! いる訳ないでしょう? もしいるのなら、見せてみなさいよ! 手紙にだってそう書いてあった。“田中かえるが現れる”のでしょう?」
それを受けると、黒宮さんは腰に手を当てて応える。
「そうね。そろそろ、いいかもしれない。“田中かえる”に登場してもらいましょうか。
さぁ! 現れなさい! 謎の女子高生“田中かえる”!」
そう黒宮さんは大声を上げた。ニヒルな彼女のキャラには似合わない。そう思うと、それから、なんと蛙の鳴き声が響き始めたのだ。
ゲコゲコゲコゲコゲコッ
皆はその声に驚く。そして、その次に皆の視線が森の中へと向けられた。わたしもそれに釣られて、森へと視線を向けた。
――すると。
すると、そこには謎の女子高生“田中かえる”の姿が。見た事のない学校の制服を着て、頭から紙袋を被っている。鳴り響く蛙の声をくぐるようにして、田中かえるは森の中から現れた。
そして。
「どういうつもりなの? 涼!」
田中かえるが出てくるなり、三谷楓はそう叫んだのだった。
涼?
一瞬、頭が混乱したが、直ぐに理解する。三谷楓は何故か、あの森から出て来た田中かえるを自分の弟だと解釈したのだ。ところが、そこで別の声が聞こえる。
「姉さん。どうしたの?」
“え?”といったような、驚いた顔をして三谷楓はその声のした方を見る。そこには三谷涼の姿があった。
「あれは、誰? どうして、姉さんの制服を着ているの?」
三谷涼は田中かえるを指差しながら、そう言った。そのやり取りを受けて、田中かえるは足を速めた。皆の目の前まで出て来ると、皆が注目している中で紙袋を外す。そして、なんとそれは鈴谷さんだったのだ。彼女が田中かえるに変装していたのだ。蛙の鳴き声がピタリと止んだ。
「やっぱり、はじめの“田中かえる”は、三谷さんの弟だったのね」
それから鈴谷さんはそう言う。その鈴谷さんの姿を見て、三谷楓は目を丸くした。
「あなたは誰? どうして、わたしの中学の頃の制服を着ているの?」
それに淡々と鈴谷さんは応える。
「初めまして、三谷さん。私は鈴谷凜子という、あなたと同じこの学校の二年生よ。ちょっと訳があって、この件に関わる事になったの。この制服は知り合いの伝手を頼って借りたもの。もちろん、あなたの服じゃないわ。
手紙に書いた指示の通りに、あなたの弟の三谷涼君が、少し遅れて来てくれて助かったわ。お蔭で校舎を徘徊していた女子高生の正体が、あなたの弟だとはっきり分かった。ちょっとギリギリのタイミングで危なかったけどね」
それを聞くと、わたしは声を上げる。
「ちょっと待って。どういう事なの? 田中かえるの正体は、この男だったの? どうして、この男は田中かえるに化けてなんか……」
それに鈴谷さんは首を横に振る。
「違うわよ、木垣さん。三谷涼君は田中かえるに扮するつもりで女子中学生の制服を着ていた訳じゃない。だから、田中かえるの正体というのも正確じゃない。彼を田中かえるにしたのは、三谷楓さんよ」
その鈴谷さんの言葉を聞くと、鼻からフンッと息を吐き出して三谷楓は言った。
「どうして、涼が田中かえるの正体だと思ったの?」
「あの噂話の中で、謎の女子高生が逃げ込んだのが生徒会室で、しかも消えてしまったからよ。女子高生が消えるはずがないから、誰かが嘘をついている事になる。だとすれば、あの場合、嘘をついているのはあなたの可能性が最も高い。
あなたは、あなたの制服を着て、放課後の校舎を徘徊していた三谷涼君が追われているのを知って、生徒会室に匿ったのでしょう? それで、“誰も入って来ていない”と、そう証言したのだわ。そして、更にそれを有耶無耶にする為に、田中かえるだったという事にしようとして“蛙の鳴き声を聞いた”と嘘を言った。違う?」
そこで駒川さんが疑問の声を上げた。
「涼君が、どうしてそんな事をしなくちゃいけないのですか?」
彼女は三谷涼のファンだというから、信じたくない話だったのだろう。だが、その理由はわたしにも予想は付く。黒宮さんが、鈴谷さんの代わりにこう説明した。
「その三谷涼っていう一年生はね、姉にベッタリのシスコンなのよ。これは、中学時代から有名な話だったらしいわよ。そして、憧れの極致は対象との同一化だという。その三谷涼は、その願望を満たす為に、姉の中学時代の制服を着て、放課後の人気の少ない校舎を徘徊していたのでしょう」
三谷涼はそれに何も返さない。顔を俯かせてしまった。恐らく、図星だったのだろう。駒川さんは、それを受けて瞳を歪める。ショックだったのだろう。それから、三谷楓が腰に手を当てつつこう言った。
「確かにその通りよ。でも、それがどうかしたの? なにも悪い事はしていないわ。こんな悪戯までして。どういうつもりなのかしら?」
「怒らないで。仕方がなかったのよ。このあなたの中学校の制服を、校舎を徘徊していた女子高生を目撃した人に見せて、同じ制服だと確かめてはあったけど、人の記憶は曖昧なものだから、それだけじゃ確証は得られなかった。だから、ちょっと罠をね。謎の女子高生“田中かえる”が現れると宣言した上で、この制服を着て出て行けば、ボロを出してくれると思ったの。あなたが田中かえるを三谷涼君だと勘違いするとね。
……それに、この話はこれで終わりじゃないでしょう? 果たしてあなたと、そして三谷涼君に“なにも悪い事をしていない”と、そう言い切れるのかしら? もしそうじゃなかったら、私だって皆の前で、こんな事を言ったりはしないわ」
それを聞くと、三谷楓は黒宮さんを見た。そして、「まさか、あなた、約束を破ったのじゃないでしょうね?」とそう言う。すると黒宮さんは笑う。
「人聞きの悪い事を言わないで、鈴谷さんは何も言わなくても既に察していたのよ。だから、仕方なく本当の事を話した。それに、あなたの方が先に約束を破ったのじゃない」
「だから、それは誤解だって言ったでしょう?」
黒宮さんはおどけてそれに応える。
「あら、そうなのぉ? でも、もう喋っちゃった。手遅れよ」
「黒宮さん。あなただって、あれがバレたらまずいのじゃないの?」
「別に? どうせ、私には呪いができるなんて不名誉な噂があるし、それが別の悪い噂に変わるだけよ」
そう言った黒宮さんは、少しだけ不機嫌になっているように思えた。鈴谷さんを見てからこう言う。
「ほら、鈴谷さん。次に話を移しましょう。次はそこにいる園上さんと、そして田村さんの話でしょう?」
それを聞いて、わたしは二人の顔を見てみた。園上さんは怒りと悲しみが混ざったような妙な表情で、そして田村さんはいかにも不安そうな表情でそれぞれ黒宮さんを見ている。鈴谷さんが言った。
「そうね。次に話を移しましょう。今度は“呪い”の噂話。本来は無関係だったこの噂話に“田中かえる”が関係してしまった。このはじまりは、唄枝奏さんの勘違いではなく、やはり園上さん達なのかしらね? いえ、別々だったと表現するべきなのかもしれない」