表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

8.

 放課後。

 わたしはドアを開け、図書室の中に足を踏み入れる。

 薄暗い室内。電気の節約の為、一部しか電灯が灯っていないから、図書室内は大体は薄暗いのだ。ほとんど読まれる事のない、棚に並んでいる大量の書物は、まるで単なる部屋の装飾品に思える。実質的な意味をなさず、この部屋の怪しさを演出する為にあるだけの小道具。演劇みたい。わたしは舞台のワンシーンを思い浮かべた。

 ここは魔法使い達が住む秘密の部屋で、わたしは普通ではできないお願い事をする為に、今、ここを訪れているのだ。

 この部屋にいる魔法使いは二人。一人は呪いが得意な皮肉屋。もう一人は、淡白な賢者で、たくさんの知識を持っている。

 彼女達は離れた位置にいて、それぞれ互いに干渉せず、いつも別々の事をやっている。皮肉屋は何かの課題に取り組んでいて、賢者は熱心に読書をし続けている。

 わたしが足を進めると、その気配に気が付いて賢者…… 鈴谷さんは顔を上げた。その表情を見る限りでは、既に事情を察しているように思えた。困ったような、それでいて憐れんでいるような瞳。その瞳の中に、わたしが映っている。まるで闇の中に、囚われてしまっているかのよう。もっとも、本当に囚われているのは奏だけど。

 そこまでを考えてわたしは思い直した。

 ――否、違うか。囚われているのは、やっぱりわたしなのかもしれない。

 

 「大変な事になっているみたいね」

 

 わたしが口を開く前に、鈴谷さんはそう言った。恐らくは、わたしがここに来た目的も分かっているのだろう。

 「何とかならないの? わたしは奏を助けたい」

 それを聞くと鈴谷さんは肩を竦める。

 「どうかしらね? 下手に行動すれば、却って状況を悪化させかねないと思うわよ」

 その鈴谷さんの言い方に、わたしは妙な含みを感じた。奏を助ける手段はあると言っているみたいにも聞こえる。だけど、リスクがあるから止めておいた方が良い、そう言っているように。わたしは縋るようにこう言ってみる。

 「黒宮さんが呪いを使えるって噂話を利用して、なんとかならないかしら?」

 それを聞いて、わたしの死角にいる黒宮さんが声を上げた。姿が見えないまま、魔法使いの声が響く。

 「勘弁してよ。唄枝さんの悪口を言ったら、全員を呪うとかって言うつもり? 滅茶苦茶な事になるわよ」

 “あなたも、それくらい分かっているのでしょう?”

 黒宮さんはそう言っているように思えた。もちろんわたしはそれを分かっていた。鈴谷さんを揺さぶるようなつもりで言ってみただけだ。彼女の表情を見る限り、効果は芳しくなさそうだったがしかし、鈴谷さんではなく、黒宮さんの方にわたしは少しばかりの希望を抱いた。根拠はないけど、彼女の反応に、鈴谷さんを説得する事を手伝ってくれそうな予感を覚えたのだ。鈴谷さんが言った。

 「黒宮さんの呪いの噂を使うなんて、とてもじゃないけど、現実的ではないわね。超自然的な意味での呪いは存在していない。けど、それでも呪いは人間社会に作用する。安易に使えば、何が起こるか分からないわよ」

 わたしはそれを受けると、今度はこう言ってみた。

 「鈴谷さん。前に“田中かえる”関連について調べてみるって言ってくれたわよね? 田中かえるを祀らないように、奏を説得してくれるって。あれはどうなったの?」

 「調べたわよ。色々と。でも、遅かったみたい。こんな事になってしまった後では、唄枝さんを説得する意味もないしね。そもそも彼女は、田中かえるを祀るのを、もう止めてしまっているみたいだし。最も安全で現実的な手段は、ほとぼりが冷めるまで大人しくしておくって事だと思う。あなたも、唄枝さんもね。

 何があっても、あなたは唄枝さんの味方でしょう? あなたが一緒にいてあげれば、彼女は大丈夫だと思う」

 「嫌」

 それにわたしはそう返す。

 「どうして?」と、そう訊いたのは黒宮さんだった。彼女は少しばかり面白そうにしているようにも思えた。わたしはこう答える。

 「仮に奏がそれに耐え切れても、わたしが耐え切れないからよ。あの子が悪口を言われ続けるなんて、考えただけでも我慢できない!」

 それを聞いて黒宮さんは笑った。

 「本当に、凄い愛情だわ。木垣さんの彼女に対する想いは、異常なレベルにまで達しているわね」

 そしてそう言い終えた後で、黒宮さんは鈴谷さんに向けてこう言った。

 「ね、鈴谷さん。このままじゃ、絶対に木垣さんは納得しないわよ。調べた事を、説明するくらいしてあげたら?」

 その言葉を聞いて鈴谷さんは、わたしの死角に目を向けて睨みつける。もちろん、黒宮さんのいる方向だ。それから軽くため息を漏らすと、鈴谷さんは言った。

 「分かった。一応、言ってみる。

 まず、私が調べたのは、あの祠についてだった。唄枝さんが、田中かえるを祀っていたあの祠ね。結論から言うのなら、ほとんど何も分からなかったのだけど、ただ一つだけ分かった事がある。

 あの祠に元々祀られていたのは、遠くの昔に失われてしまった、被差別部落民の神様である可能性が高い。そして、その昔の日本の神様には、二面性がある場合が少なくない。前にも言ったけど、荒魂と和魂…… 早い話が祟りを起こしもするのよ」

 わたしはこう尋ねる。

 「それが分かると、何か奏を助ける為に役に立つの?」

 多少呆れた様子で、鈴谷さんはそれにこう返す。

 「だから、本来は唄枝さんを説得する為に、集めた情報だって。今の彼女を助ける為に集めた情報ではない。もっとも、彼女の行動を理解する事が、彼女を助ける為に役に立つという事はあるかもしれないけど」

 「他に集めた情報は?」

 そう尋ねたのは、黒宮さんだった。やはり彼女は、鈴谷さんを説得する事を手伝ってくれているように思える。

 「後は、初めてSNSというのをやってみたわ。クラスの知合いに頼んで、やり方を教えてもらって。それで、この学校のコミュニティに入って、情報を色々と手に入れられた」

 それを聞いたわたしは少し驚いて、彼女にお礼を言った。

 「ありがとう。そこまで調べてくれるとは思っていなかったわ」

 読書をする時間を大幅に割いてまで、彼女がわたしの依頼の為に労力をかけてくれるとは思っていなかったのだ。

 「別に大丈夫よ。とても興味深かったし。学校のコミュニティ内の“文化”に触れる事は、社会科学に興味がある私にとって、とても有益な体験だった。ああいうのも、もしかしたら、フィールドワークの一つになるのかもしれないわね」

 鈴谷さんはそれから、少しの間の後でこう続けた。

 「そこで、園上さんと田村さんについてや、演劇部、三谷さん達についての情報を得られた。とても個人的な話だから、ここで言うべきかどうかは分からないけど、どうせほぼ公の場と言える場所にさらされている事だから、言ってしまうわ。

 噂の内容を信じるのなら、園上さんと田村さんは、男女関係でこじれていたみたい。つまり、一人の男を取り合っていたのね。崎森っていう名前の男生徒らしいのだけど。それで園上さんは、田村さんをいじめていたらしいわ。もっとも、その崎森って男生徒はそれを快くは思っていなかったみたいだけど」

 崎森。わたしはその名を聞いて、何処かで聞いた名だとそう思う。少し考えて、思い出した。園上さんが、田中かえるに追われていた時に、途中で出会ったという男生徒だ。それでそう言ってみると、何故か黒宮さんが「それは、それは、嫌な話を聞いちゃったわ」と、そんな事を言った。

 「どうして?」

 わたしが尋ねると、黒宮さんはこう返した。

 「私、そういう、ドロドロしたのって嫌いなのよ。だから、呪いとかも嫌いなんだけどね」

 その言葉に、鈴谷さんはわずかばかり反応をしたように思えた。それから続ける。

 「あと、私が知ったのは、三谷さんについての情報。三谷さんは、一部の演劇部員達と仲が悪かったらしい。と言っても、三谷さんはどちらかと言えば被害者で、天照大神役には三谷さんの方が相応しいと皆に言われた事で、一部の演劇部員達が嫉妬していたみたいなの。それで誹謗中傷したとかしないとか。ただし、具体的に誰が悪口を言っていたとかまでは分からないみたい。隠れてやっていたのね」

 この話は少しは聞いている。三谷楓のロングの髪形を見てみたいとか、そんな話が出ていたっていうあれだ。ただ、それで三谷楓が嫉妬されていたとは知らなかったけど。

 それを聞き終えると、黒宮さんが言った。

 「本当にドロドロしているわよね。嫌だ嫌だ」

 鈴谷さんは、そんな彼女を一瞥するとこう続ける。

 「三谷さんの弟関連でも、少しばかり分かったわよ。彼、モテているでしょう? だから、彼が唄枝さんに近付いている事で、一年の女生徒達から、唄枝さんは嫉妬されていたらしいわ」

 その話にわたしは驚く。

 「それ、本当なの?」

 「本当みたいね。もっとも、直接なんかしたって話は聞かないけど……」

 そう鈴谷さんが言い終えると、黒宮さんがこう尋ねた。

 「集めた情報はそれだけ?」

 「そうだけど」

 その鈴谷さんの言葉に、黒宮さんは「へぇ」とそう言う。

 「見事に必要最低限。的確に情報を拾っているって感じね。いえ、もっと他にも色々とあったけど、ここでは話さなかったって事かしらね? どちらにしろ、凄いわ」

 そしてそんな事を言ったのだった。鈴谷さんはそれに、「何の事かしら」とそう応えた。黒宮さんはこう返す。

 「あなたが、とても頭の良い人だって話よ」

 わたしはその黒宮さんの言葉を不思議に思う。恐らく、黒宮さんはわたし達が知らない何か別の情報を握っているのだ。だからこんな発言ができるのだろう。そこで思い出した。

 “ああ、そうか。この人には、呪いの依頼がやって来るんだ。だから、それで、あまり公にはされていない皆の‘憎悪’の情報を知っているのだろう”

 それから、黒宮さんはこう言った。

 「鈴谷さん。あなた、はじめから推測を立てて、それに基づいて情報を集めたでしょう? だから、それだけ効率良く情報を得られたのだわ。もっとも、そういう情報の集め方って、自分の先入観に左右されてしまうから、客観性が失われるってリスクもあるのだけどね。だから、帰納主義って考え方では、あまり好ましくない事とされていたのよ。ま、今回は平気そうだけど」

 「何を言っているの?」

 黒宮さんが何でそんな事を語るのか、不思議に思ったわたしは、そう尋ねてみた。すると彼女はこう返す。

 「“田中かえる”を巡る一連の出来事を、順に並べてみましょうよ、木垣さん。そしてそれに鈴谷さんの情報を重ねてみる」

 その言葉を聞いて、鈴谷さんは大きくため息を漏らす。

 「黒宮さん。あなた、隠す気ないでしょう?」

 楽しそうにしながら、黒宮さんはこう返す。

 「半分くらいしか、ないわね」

 そのやり取りを不思議に思いはしたけど敢えて無視して、わたしはそれから、黒宮さんから言われた通りに“田中かえる”に関連して起きた出来事を、順を追って並べてみようとした。

 「えっと、まず、劇の片付けの時に、田中かえるの格好をした人が、劇部員を突き落として…」

 ところがそれを聞くと、黒宮さんは「違うじゃない」と、そう言うのだった。

 「“田中かえる”を巡る一連の出来事の始まりは、放課後に校舎をうろついていた他の学校の女生徒でしょう? その女生徒が生徒会室に飛び込んで消えて、三谷さんが“蛙の鳴き声を聞いた”と証言したのよ」

 わたしはそれに「確かに、そうだった気もするけど、そんな話が重要なの?」と反論した。

 黒宮さんはこう返す。

 「重要かもしれないし、そうじゃないかもしれない。だから、取り敢えず、関係なさそうな話も取り上げてみましょうよ。次は?」

 「えっと、次は田中かえる関連かどうかは微妙だけど、呪いの噂が立ったわね。あの例の祠の神様と関係があるのかもしれないって感じで」

 黒宮さんはそれに頷く。

 「唄枝さんは、あの祠で“田中かえる”を祀っていたのだから、私は関連あるとするべきだと思うわよ。そして、田村さんが実際に呪われて貯水池に落ちて、唄枝さんは彼女のお見舞いに行き、そこで“田中かえる”を祀ると宣言して実際に祀り始めたのでしょう? 鈴谷さんにしていたあなたの話に依れば」

 「うん。その通りよ。で、今に至るまで、田村さんは登校して来ていないのよね。更に言うのなら、田村さんのお見舞いに行った日に、奏はあの三谷涼からちょっかいをかけられていた。三谷涼は、奏が“田中かえる”を祀る事に賛成していたけど、今にして思えば、あの日、彼から何かを奏は言われたのかもしれない。それで“田中かえる”を祀る気になったのかも」

 そう言った後で、あの一年の顔を思い出し、わたしは苛立ちを覚えた。もし、そうなら、全てはあいつの所為だという事になる。しかも三谷涼は、同時に他の女生徒にも手を出すような下衆な奴だ。確か、一年の劇部員の女生徒に声をかけていたと聞いた。三回くらいぶん殴ってやりたい。黒宮さんが言った。

 「その次に、劇の片付けの最中に、田中かえるに扮装した誰かに、劇部員が突き飛ばされる事件が起こった。突き飛ばされた劇部員は、天照大神役の女生徒と仲が良くて、そのグループの一員だった。一応付け加えておくと、演劇部の中には大きく分けて二つのグループがあって、対立し合っているのだっけ?」

 わたしはそれに「そうよ。ただし、奏はどちらのグループにも入っていなくて、中立の立場を保っているけど」とそう返す。

 「おっけぇ。で、あまり知られてはいないけど、それと同じくらいの時期に、園上さんは“田中かえる”を利用しての嫌がらせを受け始めた、と」

 「うん。それで彼女は、奏に文句を言いに来たのよ。彼女はどうも“田中かえる”の実在を信じているようだった。それで、“田中かえる”を祀っている奏が許せなかったのね。怖かったのだと思う」

 わたしがそう補足すると、「あの人も、意外に単純よね」とそう黒宮さんは言った。わたしは続ける。

 「その後で、わたしはそんなに知らないけど、一年女生徒が田中かえるに突き飛ばされたって事件が起こった。それから……」

 ……園上さんが奏をまたいじめようとして、生物室に呼び出し、そこで蛙の鳴き声を聞いて彼女は逃げ出したのだ。わたしは少し躊躇したが、その事を彼女達に話した。すると、鈴谷さんが反応をした。

 「ちょっと待って。そんな事があったの?」

 「ええ」

 それに鈴谷さんは「なるほどね」と、そう言ってわたしをじっと見つめた。わたしはそれを無視して、こう続けた。

 「そして、あの蛇の死体事件が起こった。祠の前に蛇の死骸がたくさん捨てられていたやつね。後は奏がその蛇の死体を掃除して、更に田中かえるの祭壇を燃やして、教師達と生徒会とにそれぞれ叱られ、今に至る……」

 それを聞き終えると、黒宮さんが言った。

 「大体、そんな感じよね。じゃ、それに鈴谷さんが調べた事を当て嵌めてみましょうか。彼女は大きく分けて、園上さんに関わる人間関係と、三谷さんに関わる人間関係を中心に調べている。

 つまり、鈴谷さんはこの一連の出来事は、それら人間関係が“田中かえる”を介して繋がった事で発生してしまったと考えたのじゃないかしら?」

 そう言って黒宮さんは、鈴谷さんを見た。鈴谷さんは腕組みをすると、それにこう返す。

 「大体は合っているけど、まだ欠けているわね。“田中かえる”の噂がこれだけ拡がってしまったのは、間違いなく唄枝奏さんの所為。彼女の行動が与えた影響は大きい。つまり、唄枝さんの行動の理由を、私は推測しようとしていた」

 そう言いながら、鈴谷さんはわたしを見つめた。

 「その点は、正直、分からなかったのだけど、今、木垣さんの話を聞いて、なんとなく分かった気がしたわ」

 それを聞いて黒宮さんは「へぇ」とそう言った。

 「凄いわね。私は何も分からない。

 ねぇ、鈴谷さん。あなた、前にオカルトな話は、その来歴や成り立ちを知れば、“ない”と実感できるようになるみたいな事を言っていたわよね。なら、それと同じ事をやれば、唄枝奏さんの嫌な噂を少なくとも部分的には消せるのじゃない? 田中かえるなんて“ない”と、皆に実感させてやれば良いのでしょう?」

 その言葉に鈴谷さんは大きなため息を漏らした。

 「はぁ。あなた、一体、私に何をさせるつもりでいるの?」

 「もちろん、木垣さんの願いを適えさせてあげようとしているのよ」

 わたしはその言葉に驚く。

 「奏を助けられるの?」

 鈴谷さんはそれに妙な反応をする。立ち上がりゆっくりとわたしを見ると、両手を腰に当てながらこう言った。

 「確かに、もし、私の推測通りなら、今よりはマシにはできるかもしれない。怪異。それは正体不明性の中にこそ生きられる。真相が明らかになる。或いは、嘘でも良いから、もっともらしい合理的な説明が為され、皆の合意が得られれば、その怪異は消えてしまう。

 だけどね、木垣さん。それが可能なのは、飽くまで私の推測が正しい場合だけ。そして私は自信が持てていない。唄枝さんの行動原理を私はよく知らないから。もしも、私の推測が正しいとするのなら、唄枝さんは信じられないくらいの善性を持っている事になるのよ。私には、そんな人が現実に存在するなんて思えないわ」

 それに対して、わたしはほぼ反射的にこう返していた。

 「それなら、大丈夫。わたしが保証する。奏は間違いなくとっても良い子。天使みたいなんだから」

 「だから、私にはそれが分からないの。そんな言葉、信じられない。悪く思わないでね。この件に手を出せば、私だってリスクを負う事になる。もしも失敗すれば、私も皆から変に思われるわ。こんな私だって、一応は他人の目を気にしているのよ。皆から悪口を言われたくはないの」

 それを聞いてわたしは怯む。何か、鈴谷さんに試されているような気がした。わたしは悩んだ。この事は話したくない。思い出すのも嫌だから。でも、話さなくては、彼女を説得する事はできないだろう。わたしは語り始めた。

 「わたし。中学生の頃、奏の事をいじめていたの」

 そのわたしの告白に、鈴谷さんと黒宮さんは驚いた顔をした。

 「中学の二年生まで。皆が奏の事をいじめていて、それで皆に混ざってわたしも奏をいじめていた。面白かった。楽しかった。だってあの子、わたし達がどんなに酷い事をしても少しも文句を言わないのだもの。いつもニコニコと笑っていて。でも、もちろんわたしはそんな彼女の表情を信じていなかった。きっとわたし達の事を恨んでいるだろうって思っていたわ。

 でも、違った。あの子は本気で本当に誰も恨んでいなかった。それどころか、わたし達を心配すらしていた。

 信じられる? あの子は、自分がいじめられている事で、わたし達が責められそうになったら、それを庇ったのよ? 今までの仕返しができるチャンスだったのに。無事に済んだ後であの子はわたし達にこう言ったわ。

 “誰かをいじめるのってクセになると思うから、今のうちに治した方が良いよ。そうじゃないと、きっと、もっと悲しい事が起こるから……”

 その時の表情は今でも忘れらない。嘘を言っているようにはわたしには思えなかった。本心からあの子は、わたし達を心配していた。それで、わたしはあの子が怖くなったの。不気味に感じた。そんな人間がいるなんて信じられなかったから。そして同時に、堪らないくらいにあの子が好きになった。この子にだけは勝てないとそう思った。だからわたしは、絶対にあの子だけは信じる事したのよ……」

 ……あの子の心に触れた時、わたしは自分の醜い心を嫌悪した。それが、あの子を崇拝するわたしの理由だ。そう語るわたしの目には知らずのうちに涙がにじんでいた。全てを聞き終えると、鈴谷さんはまた大きくため息を漏らした。

 「はぁ。分かったわ。どうにもあなたのトラウマに触れてしまったみたいね。そのお詫びって訳じゃないけど、私も唄枝さんの善性を信じる事にするわ。それを軸に推論を展開して、やれるだけはやってみる」

 それから黒宮さんを見ると彼女はこう言う。

 「だけど、まだ情報が足らないし確認しなくちゃならない事もある。それには私だけじゃ荷が重い。黒宮さん。あなたにも手伝ってもらうわよ」

 それに黒宮さんはこう返す。

 「なんで私が?」

 「嫌なの? 私にばかり仕事をさせる気でいたなんて、随分と勝手ね。じゃ、代わりに呪いの依頼をするわ」

 「はぁ?」

 「黒宮さん。あなたが私を手伝いたくなるように呪いをかけて。あなたのやり方なら簡単に成就するでしょう?」

 それに黒宮さんは笑った。

 「アハ。なんだ、気付いていたの?」

 「前から疑ってはいたけど、さっき確信したのよ。あなたは、罪悪感を感じていたから、私に唄枝さんを助けさせようとしていたのでしょう?

 はっきりと言うけど、いくら自分の呪いの噂話が嫌だったからって、そんな手段は執るべきじゃなかったと思うわよ」

 黒宮さんはそれを聞くと肩を竦めた。

 「やれ、仕方ない。分かったわよ。手伝う」

 わたしにはその彼女達のやり取りの水面下に隠された本当の言葉は分からなかった。どんな交渉内容に基づく合意なのか、理解ができない。それに、鈴谷さんの推測についても知りたかった。しかし、それらを尋ねても鈴谷さんは何も教えてはくれなかった。わたしの精神状態では、それらを知れば暴走しかねないからだそうだ。だからわたしは、なんとか我慢して、彼女達に全てを任せる事にした。もう、彼女達を頼るしか道はない。そう思って。

 ――どうか、奏を… 否、わたしを救って欲しい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ